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  ジギスムント王伝
 ――2―― 


 虹の日から、三ヵ月後である。
「な、んだって……?」
 あまりのことに、ジギスムント王子は目を見開き、右手で胸、心臓の辺りを押さえた。
 ロタールは、ジギスムント王子の前にひざまずいていた。ジギスムント王子は自室で、それを座って聞いていた。後ろの壁には、聖剣ハリヤがかけてある。
 ロタールは、震えていた。
「……もう一度、申し上げます。エディは……エディ=ロベリオ=ウィッテルスは、海で、行方不明です」
 閃光のように鋭いものが、ジギスムントの胸に走った。
 ジギスムントは、侍従であるエディを弟のように思っていた。
 茶色っぽい金髪を短く刈っていた。それは、自分の髪の色が金髪らしくないことを気にしてのことだと、ジギスムント王子は知っていた。
 ジギスムント王子がはにかみやでおとなしい性格だったので、素直で何でも元気に反応するエディを快く思っていたし、憧れてもいた。
 何かを遊ぶにしたって、エディを呼ばないことはなかった。
 ジギスムントは特にちゃんばらをエディとよくやっていた。
 そのエディが、「しばらくおいとまします」と来たのは二週間前か。
 父親に付いてゆき、しばらく領地に戻る、と。
 エディはにこにこと笑って、そう言った。
 エディの家・ウィッテルス家は、伯爵の地位を持ち、海に面した小さな半島に伯爵領があった。ここアルジャからなら、陸路より船で行った方が早い。
「ゆ、行方不明って、どういう、ことだよ……。エディ、言ってたよ。すぐに、戻ってくるって」
「船が、襲われたそうです。反国王軍に」
「は、はんこくおうぐん?」
 首を傾げる。初めて聞いた言葉だった。
 ロタールは、少し顔を逸らせて、語り始めた。
「……二、三年ほど前から、結成された軍です。中身はたいていが平民。国王側に付く貴族たちを、各地で襲っています。今回のことも、それでしょう。完全に不意打ちだったと聞いています。ウィッテルス家の兵士たちも、戦うには戦ったが相手の数が多すぎて、と生き残ったものは語りました」
「二、三年前から? ぼく、聞いてないよ、そんなこと。聞いたこともないよ」
「ジギスムント様が、不安に思われるという配慮のもとでのことです。……ですが、黙っていたことには違いありません。わたくしを罰してもかまいません」
「そんなこといいよ! エディは、エディはどうしたのさ!」
 沈黙が、訪れた。
「……何を、黙っているんだ、ロタール」
「……ジギスムント様。……生き残ったものには、話せるものには全て話を聞きました。ですが、だれもエディの行方を知りません」
「エディを、エディを残して、逃げてきたのか、そいつらは。エディは、どこにいるんだよ」
「……王子、エディの乗っていた船は、無残な姿で海岸に漂着していました。そこには、死んだ兵士たち、そして、ウィッテルス伯爵――エディのお父上も。エディはいませんでした。でも、これが、これだけが、落ちて」
 ロタールは小さな布切れを取り出した。
 ジギスムント王子は、しばらく手をさまよわせながら考えて、そして、震えながら受け取った。
 高価な上等の布。上着だろうか。乱暴に破かれたもの。
 裏返して、ジギスムント王子は固まった。
 刺繍があった。
 ……エディの、名だった。
 ジギスムントは、その刺繍を凝視していた。同名の別人だと思いたかった。そして、生きて、扉からいつもの笑顔を見せて欲しかった。そうしたら、ぼくはハリヤに、永遠の忠誠と、幾千もの感謝の言葉と、祈りを送る。だから、こんな、こんな。
 ジギスムント王子は首を振る。
 生まれたときから一緒にいたも同然なのだ。
 ――猫が木の上から下りられなくなって、エディはためらいもせずに登っていった。でも、猫のところまでたどり着くと、猫はストン、と木から降りて立ち去り、逆にエディが下りられなくなって。今度はジギスムントがエディを助けようと登ると、やっぱり降りられなくなって、一緒に木の上で泣いた。
「うそだ、うそだ」
 震える声。視界がぼやけてきた。
 ――母が他の兄弟たちを殺していると知ったとき、何も聞かずに、大きな木の下でうずくまっているジギスムントの傍で、ずっといてくれた。夜が来て、冷たい風が吹いても。
 涙がほほをつたう。
 ――つい、この間まで、一緒に遊んでいた。けんかもした。返してないおもちゃもある。
「……エディ」
 振り絞って出した声。祈りにも似た、懇願の声。
 ロタールはジギスムント王子をやさしく抱きしめた。必死にジギスムンドは言葉をつむいだ。
「ロタール。エディは、きっと、きっとね、海で、ボートにでも乗って、元気でいるよ。だから、探して。海を埋め尽くすほど、船を出して、エディを探して。エディ、あいつ、寂しがり屋なんだよ、本当は。だってね、お昼寝していたら、隣で『お母さん』って、うわごとで言って、泣いているんだよ。だから、今も、泣いて、ぼくたちを待ってる、だから、だからね」
 ロタールは知っていた。エディの乗った船についていたボートは、全て逃げた兵士が乗ってきたこと。そして、反国王軍は、子どもでも、殺すということ。
「ジギスムント様」
 やさしく、髪をなでた。ストレートに伸びた髪の毛を、ロタールはやさしくなでた。
 ジギスムントは、聡明な王子だった。その言葉の響きで、そして、なでる手から感じられるもので、分かってしまった。
 ジギスムント王子は、ロタールの胸で、大声で泣いた。
 子どもをあやすようにロタールはジギスムント王子の背を撫ぜると、ゆっくりと御伽噺を話すように、語り始めた。
「エディはね、人魚に気に入られたんですよ。エディは、やさしくて元気で、人魚たちに気に入られて、海に住むことにしたんです。そして、人魚たちの仲間になって、大勢の仲間たちと、楽しく暮らしている。永遠に、魚と語り合い、海底の王宮で、幸せな場所で生きることにしたんです。人魚はたまに、人間を見にやってくる、というから、いつか、王子が成長なされたくらいに隠れて見に来ますよ。だから、ジギスムント王子、泣くことなんてないんですよ……」



 情勢は変化していった。
 エディの死の後、すぐに父王シグルド八世が死んだ。病死である。
 王位を継いだのは、まだ十三歳の、ジギスムントの実兄アルブレヒト。
 勉強熱心な国王アルブレヒト三世は必死にレーヴェンディアを立て直そうとした。が、幼かった。幼すぎた。
 反国王軍を押さえ込めるほどのことはできなかった。
 ジギスムントは多少とも政治に参加し、兄の苦慮する姿をよく見ていた。
 年が明けて二月。今度は母が死んだ。これも病死である。
 しかし、その二週間後に、国王アルブレヒト三世が自殺した。
 遺書は残されていなかった。王宮に激震が走った。理由は分からない。
 その後、比較的すんなりと、次の国王が決まった。
 ジギスムントである。
 何の覚悟もなかった少年が、王位につくこととなった。
 ジギスムント十二歳のことである。
 国王ジギスムント二世の誕生……。



 緑豊かな森に、一本の塔が立っていた。五月の、昼。
 久しぶりに、ロタールは一人で首都・アルジャの東方にある森を散策していた。
 ロタールの心配は、ジギスムント王子のことだった。
(いや、王子じゃない。もう、国王ジギスムント二世となったんだっけな。即位式は二年も前なのに。王子時代が長かったせいかな)
 王子つき侍従は、国王の身の回りの世話をするという、国王に最も近い立場となった。
 ロタールの年は十六、精悍な顔立ちとなっている。
(父上は喜んでおられるが……ジギスムント様、心配だな)
 ジギスムントの様子は、ロタールから見て、とても不安定なものだった。
(二年前の、皇后様とアルブレヒト様の死を、まだひきずっておられるのだろう。特に、アルブレヒト様の、自殺)
 国王アルブレヒト三世は、冷静沈着で思慮深い性格だった。寝る間も惜しんで勉強し、傾いたレーヴェンディア王国を、なんとか持ち直そうとしていた。
 その責任感のある国王が自殺……。
 国王の自殺など、前代未聞である。遺書は残っていない。だから、対外的にはアルブレヒト三世は事故で亡くなったということにした。
(……だが、あれは十中八九、自殺だ)
 理由は二年経つ今でも分からない。皇后様の死のすぐ後、というのがひっかかるが。
 そして、最後に残った直系王位継承者であるジギスムントは、即位したのだった。
 国王ジギスムント二世として。
 黄金のまっすぐな髪を風に揺らしながら、ハリヤ神殿でジギスムントが厳かな即位式を行ったのを見たときには、感無量で泣いてしまった。
 昔のことに思い巡らせていたロタールは、にょき、と伸びている塔に気がついた。
 好奇心が、ロタールを向かわせる。
 塔は、レンガで造られた、普通の木の二倍ほどあろうという高さ。にもかかわらず、窓はてっぺんのあたりに一つしかない。扉はあった。だが、頑丈にいくつもの錠で閉められている。
「いったいなんだ、この塔は」
 すると、一つしかない窓から、女性の影が見えた。
 真っ黒い髪に、深緑の瞳だった。ふっくらした唇は淡い微笑みの形を作ったが、大きな瞳に悲しみの色を乗せている。
 異国人だ。
 顔立ちも、髪の色も、肌の色も。
(肌の白さなんて、ジギスムント様よりも白い。北方から来たのか?)
 息を呑みつつ、目がひきつけられる。
 女性は奥に消えようとした。
「ちょ、ちょっと待ってください! お嬢さん!」
 女性はカーテンから半分だけ顔を出して、警戒しているようだ。ロタールは帽子をとって、頭を下げた。
「わ、わたしは怪しいものではありません! 国王つきの侍従で、名はロタール。ロタール=イーデン=マーストン」
 そろり、と女性は顔を出した。
「よろしければ名前を。それとなぜ、こんな、珍妙な塔に閉じこもっているのですか?」
 女性は奥に消えた。
 ロタールは、目に見えて落胆した。
(なにか、まずいことをしただろうか。珍妙、と言ったのがまずかったのか? それにしても、美しい女性だ。カタリナ姫とは別な……)
 そうこう考えていると、再び女性が顔を出した。
 ひらり、と紙が二枚落ちてきた。
 不思議に思いながら拾い上げると、文字が書いてあった。
『声が出せませんので、筆談でお答えします』
『私の名はソフィア。この塔に、閉じ込められているのです』
 ロタールは慌てて謝った。
「声が出せないとは失礼しました。それにしても、閉じ込められているとは、誰に、なぜ」
 再びしばらく奥に入って再び紙が落ちてくる。
『セランンポーレ公爵だと名乗りました』
『わたしの占いの力を独占したいそうです』
 ロタールは出てきた名前に、内心驚いた。
 セランポーレ公爵とは、現在、ジギスムントと対立している反国王派である。反国王軍に、金と武器を流しているという噂の。だが、非常に巧妙に逃れている。
「その占いというのは……」
 言いかけたところで、ソフィアは慌てて、押す動作をした。両手で、大きなものを横滑りに動かすような。
「向こうに、行け、ってことですか?」
 ソフィアは、こくこく頷いた。
 いぶかしながら、木の影あたりまで来ると、物音が近づいてきた。
 兵を三名連れた、当のセランポーレ公爵である。
 鍵を開けて、中へ入ってゆく。階段を登る音がして、ロタールは思案した。
(どうする。中へ入るか? ……いや、階段を登る音だけで気づかれるおそれがある)
 ロタールは辛抱強く待ち続けた。じっと窓を見つめていたが、誰も近くまで寄ることはない。聞き耳を立てるが、時折大声で言うことの断片しか聞こえない。
 じきに、この集団は塔から出てきた。元通り鍵をかけ、公爵は憤慨していた。
「まったく! いまいましい占いを聞いたときほど、気分が悪いことはない」
 セランポーレ公爵は、やせ気味で身長は高い老人だ。舌打ちをしながら、もと来た道を進む。
「閣下。しょせん、占いではありませんか」
「ばかもの。ただの占いではないわ。正確無比、確実に当たると分かっているからこそ、腹が立つのではないか」
 そう言いながら、去っていった。



 ジギスムント二世は、王妃と共に食事を取っていた。王妃とは、カタリナ姫である。王妃に姫というのも変な話だが、なにせ彼女はまだ十二歳。ゆえに、カタリナ王妃はカタリナ姫と呼ばれている。
 つややかな小麦色の肌に、ゆるくウェーブがかった金の髪、漆黒の大きな瞳を、ジギスムント二世は愛していた。
 ジギスムントといえば、御年十四歳。治世は二年。少年王と呼ばれている。
「ジギスムント様、どうなさったんですの? お食事が進んでないようですわ」
「いや、なんでもないよ」
 はあ、とジギスムントはため息をついた。そのときまっすぐで黄金のすばらしい髪がはらり、と目のあたりに落ちる。後ろ髪はきれいに肩の辺りにそろえられている。そのすばらしい黄金の色は、今までもその後も、数多くの詩人に称えられ詩を作られる。後に『戦場の黄金王』と呼ばれるゆえんだ。
 その黄金の色も今は冴えない。
 ジギスムントは疲れていた。知る現実に、立ち行かなくなる。
 考えていた以上に、反国王軍にてこずり、貴族は貴族で対立やらなにやら。
 玉座に座ることが、これほど苦痛だとは思わなかった。時間が空いたときにする、剣の修行のほうがどれだけ楽しいか。
 そして、兄・アルブレヒト。
 アルブレヒト三世が死んだのは、いまの自分の年齢だった。
 ……兄は、この苦痛に耐え切れなくなったのだろうか。自分も、それを選びたいと思う日が来るのだろうか。
 だが、それは思ってもできない話。レーヴェンディア王家には、直系の王位継承者がいないのだから。譲る相手もなく自殺など、してはいけないことだと分かっている。
(では、兄はぼくにその『苦痛』を譲って、楽になりたいから死を選んだ?)
 ……頭が、痛い。
「ジギスムント様、おかげんが悪いんですの?」
 心配そうな顔でカタリナ姫はジギスムントを覗き込んだ。
 思わず、ジギスムントは微笑んだ。
 彼女は変わらない。ぼくのことを考えてくれて、ぼくの傍にいる。
 ――エディのように、去ってゆかない。
「大丈夫」
 椅子から立ち上がり、少し近寄っていたカタリナ姫の顔を両手で掴んで、至近距離で見つめる。
 心配など、する必要もない。
「大丈夫」
 もう一度、言った。くすり、とカタリナ姫が笑った。
「それって、ジギスムント様の癖なんですわね」
「なんのことだい?」
「同じ言葉を、二回繰り返すことですわ」
 ジギスムントは、思いもしないことにあごに手をやり考える。
「そんなに、ぼくやってた?」
「ええ。特に、自分に言い聞かせようとするときに。今回は素直に『大丈夫』を聞きますけど、今度はちゃん本当のことを言ってくださいませね」
 ジギスムントは額をぽりぽりとかいた。
 再び食事を続けようとしたとき、扉が開く。昔から変わらずに髪を後ろへ撫で付けているロタール。十六歳よりも年上に見える容姿の彼がお辞儀をした。
「ロタール。なんだい?」
「お食事中、すいません。至急話したいことが」
「あら。では、わたくしは席をはずしますわね」
 カタリナ姫とそこにいた侍女たちはしずしずと去ってゆく。
 ロタールはそれを後ろ目で追いかけて、
「カタリナ姫、背も高くなられて、どんどんと大人びてこられますね」
 自分のことのように照れながらも、難しい顔を作って、こつん、と殴るマネをする。
「コラ。そんな話じゃないだろう。政治がらみだろ、どうせ」
「正解です。偶然見たのですがアルジャの東方の森に、セランポーレ公爵がいました」
「セランポーレ公爵……」
 ジギスムントの顔に、苦いものが広がった。
 セランポーレ公爵には煮え湯を飲まされている。
 爵位も領地も取り上げてしまえればどんなにいいかとも思うが、あちこちがぼろぼろのレーヴェンディア王家に、策もないそんな横暴は逆効果だ。
「なんのために」
「あの、どうやら、占いをしに」
 ジギスムントは怪訝そうな顔をする。
「その話は置いておくとして、陛下、聖剣ハリヤを持っていますか?」




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