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 第46話 エピローグ 


 ――数年後。

 船の甲板には、着飾った人々が、思い思いに談笑していた。
 港につけられた船に乗り込む客は、まだ列を作っている。彼らが乗船したら出港であり、船上パーティの始まりだ。
 エディは甲板の上で豪快に笑っていた。まだ始まってもないのに、酒で顔が赤い。
「にしても、驚いたぜ。パトリー貿易会社」
「……何が?」
 聞き手は、今までこの酔っぱらいに相づちを打っていただけだったが、ここで気に留めたように尋ねた。
「何に驚いたと?」
「何って、数年前からイロイロな。なんだかんだと中傷騒ぎがあって、もうこりゃ倒産か、ってくらいにまでなったっつーのに、何とか持ち直してよ。そんでもって、気づいたら、社長が『パトリー=クラレンス社長』じゃなくて、聞いたこともねえような『ボールト社長』に変わってた、つーんだから、驚いたの驚いてねえの」
「これは驚かせたようで」
 聞き手であるボールト社長は、鼻白むように苦笑する。社長業も長いせいか、動じない貫禄らしきものが身についている。
 商人たち、新聞記者たちが集うパーティだ。ボールト社長は横を通りかかる人々に、にこやかな笑顔と丁寧な挨拶と気さくな言葉をかける。
 社長はエディへ向き直ると、皿に盛ったタルトにフォークをつきさしつつ、にやにやとした含み笑いを浮かべていた。
「ああ、こりゃ、会社がどうしようもなくなって、買収されたかしたんだなあ、って思ってたわけだ。で、その新社長に会ってみるか、って顔を合わせてみると、社長としていたのはパトリーじゃねえか」
 ボールト社長はパーティの場にふさわしく、明るく笑った。
「これは一体どういうことだ? 社長交代は嘘だったのか? って、かなり混乱して、驚いたもんだぜ」
「それは悪かったわね。クラレンスの姓が名乗れなくなったから、母方の姓に変えただけなのよ」
 と、パトリー=ボールト社長は笑い続けている。
 そのパーティは、パトリー貿易会社とエディの会社との、業務提携を祝うパーティである。
 海運業で名だたるエディの会社と提携を結ぶことで、パトリー貿易会社は貿易界にさらなる影響力を持つ見通しとなる――とは、とある新聞の記事だ。
 パトリー貿易会社は、瀕死の状態から、奇跡の生還を遂げた。シュベルク国ではこの会社を国がつぶそうとしたこともあったが、政治的暗躍の後、何とかそれは食い止められた。
 会社は巨大化した。それは、鉄道業に手を出したからだ。これはまさに博打であったが、大当たりしたのだ。世界各地での鉄道建設ラッシュで、この会社がさらに儲けるだろうとは、これも新聞の評。
 そして、こうしてエディと業務提携を結ぶまでになったのだ。
 その祝いの席には、両社の関係者が集っている。それだけでなく、両社の親しい人々も呼び、ホームパーティのような温かさもあった。
 パトリーはりんごのタルトを食べ終わると、人々に挨拶して回った。こういう場で商人同士友好を深めるのも、大事な仕事だ。
 一通り挨拶し終わって、ふう、と一息ついたところ、頭にぽん、と何かが当たった。
 見上げると、一輪のチューリップがこうべを垂れて、挨拶をしている。
 振り返れば、
「招待状、ありがとうな」
 と、出した手紙をひらひらと揺らすオルテスがいた。肩に留まるルースとその子供が、それぞれつついた。ルースとその子供二羽が彼の肩に乗っている。
 パトリーが嬉しさを口にする前に、オルテスはチューリップを目の前に出した。
「花束とまではいかなくて、悪いな」
「そんなの! わあ、いい匂い……」
 桃色のチューリップは柔らかい香りを漂わせている。
 オルテスの姿はおめかしして、燕尾服を着ている。立派なものだった。
「ふふ、似合ってるわよ」
「パトリーも。見違えた」
 パトリーは自身の服装に目を落とした。すっきりとしたワンピース型の白い絹のドレスである。一見地味に思えるが、花々と雲の刺繍は凝られているし、気に入っている。
 長くなった髪も、真珠で飾り立てられている。
 パトリーは少し照れて、
「ありがと。お世辞がうまくなったわね。――そうそう、仕事の方はどうなの?」
「ああ、うまくいっている。来月には新たに本が出る予定だ」
 オルテスは、作家になった。
 あれから文字を学んで、すぐに習得した。古代グランディ語と似通ったところも多く、そもそも口で話すことはできるから、普通よりも学びは早かったそうだ。
 文字を勉強するうちに、練習のために文章を書き始めたのがきっかけで、今は作家。どういう作品を書いているかというと――。
「続々と本が出るなんて、順調じゃない。タイトルは?」
「『旅行、お料理ガイド』。雑草のよしあし、キノコの簡単な見分け方、食える虫などなど詳しく書かれた、役立つ旅行必携本だ。野生の動物をしとめる能力がない人間でも、その場で材料を調達できる」
「…………。そ、そう……」
 彼はその他にも、『安い宿屋の見分け方』、『剣術入門』など、とりあえず自分の身についた知恵を、ジャンルもさまざまに書きまくっている。
 そんな彼は、一つだけ小説を書いた。
 『ヴァシーリー皇王』。グランディア皇国黄金時代を築いた伝説の皇王を描いた、歴史小説である。
 オルテスの、父親だ。
 これは彼の本の中で最も売れたらしいが、歴史学者からかなりの非難を浴びたそうだ。曰く、当時の技術ではこんなことはなかった、歴史的に見て間違いだ――。
 彼が意図的に実際とは異なることを書いたのか、それとも、本当の話にも関わらず学者達が物証だけを見てそう言っているのか……それは彼しか知らない。
 オルテスの名は、小説の中には出てこなかった。書かれたのは、最後に書かれた家系図のところ。
 ヴァシーリー皇王の息子にして、ルクレツィア女皇の兄としての位置に、名前だけが載って、亡くなった年は書かれていない。買った人に乱丁だとも思われたらしい。
 どういう気持ちでオルテスがこの小説を書いたのかわからないが、彼なりに意味があることだったのだろう。
 オルテスはルースとその子供たちの相手をしながら、
「ところで、何か食べるものはないか?」
 と訊いた。
「あるわよ。こっちのテーブルにいろいろそろえたから、好きなだけお皿に取ってちょうだい。飲み物も、もちろん酒もあるわよ」
「ありがたい。最近、ろくな飯を食ってないから……」
「そんなにカツカツの生活しているの?」
「実は今住んでいる下宿所を追い出されてな。家賃滞納したんだから、自業自得とはわかっているが、そのおかげでいろいろ出費がかさむんだ。新しい下宿先が決まらないから、宿屋に泊まらざるをえない。で、印税が入るのは、月末だしな」
 思いの外、作家業とは儲からないようだ。
 パトリーは皮の焼き目がおいしそうなローストチキンや、くるみのパンなどを皿に取り分けた。
 甲板にはしっかりと固定されたテーブルが各所にある。
 一つのテーブルに座って、パトリーはオルテスの窮状を聞いた。
 本当のところは野宿をしたいそうだが、本の執筆のために必要なものが多すぎるらしい。それを置くためにも、執筆の環境としても、どうしてもどこかに泊まらなければならないと。
 オルテスとしては、パトリーに助けてもらおうという気はなく、食事中の雑談程度にすぎなかっただろう。
 パトリーはしばらく考えて、提案した。
「なんなら、あたしの家に一緒に住む?」
 目の前の食事に集中していたオルテスは、顔を上げた。
 ルースとその子供達は、変わらずガツガツ食べ続けている。
 パトリーには最近ちょっと悩み事があったのだ。
 社長という立場上、家で大きなパーティを開かなければならない。そのためにも大きな家を買ったのだが、世界中を飛び回っているので、ほとんど使わない。維持費や、使わない部屋など、無駄が多くて困っていた。
 ちょうどいいかもしれない、と思って、ここでオルテスに提案してみたのだ。
 オルテスは何か意味深な目で見ている。
「あ、もちろん、家賃はもらうわよ?」
 一番重要なことはそれだろうと思い、パトリーは部屋の広さなどから家賃の相場などを考え始めた。
 高く設定するつもりはないが、ものには相場があるし、職のある人間にただで部屋を貸す気はない。職がなくたって、今なら家賃をとる。
 ――と、あれこれ金勘定を働かせて、ふと当の本人を見た。すると、オルテスはそわそわと手を口元で動かしていた。
「何?」
 気がかりな点があるのだろうか。
「いや……こういうことは、けじめをつけたいと、おれは思っているから」
「え?」
 フォークもナイフも置いて、オルテスは少しだけ乗り出すようにしてパトリーを正面から見る。
 パトリーの手にしているチューリップが海からの風で、鈴が鳴るような動きでそよいだ。
 音楽が始まった。四人の楽士が楽器をかき鳴らし、小鳥たちが囁き笑いあっているような繊細で、軽やかな曲が流れる。優雅で細やかだ。
 バックミュージックを詳しく聴いていたのは、オルテスの声を逃すまいと、パトリーは声だけでなく全てに、集中していたからだ。
 オルテスは口を開いた。
「おれと、けっ――」
「久しぶり!!」
 気の抜けるような明るい声が、後ろからした。
 後ろを向いてみると、
「ノア! イライザ!」
 二人が近づいてきていたのだ。
 ノアも場にあったパーティ用の服を着ているし、イライザもドレスを身にまとう。ノアはどこか成長して、前より背が高くなった。イライザは二本の剣を持っていることは変わらないが、黒髪が短くなっていた。
「招待状、ありがとう! これ、お祝いに」
 ノアは大きな花束を渡してきた。あまりに大きすぎ、受け取ったパトリーの顔が隠れてしまうくらいだ。
「あ、ありがとう」
 よろけながら、パトリーは手近なテーブルの上に置いた。
「皇子様っていうのは暇なんだな。こういうパーティに出るってことは、お忍びか?」
 オルテスは言葉を遮られて不機嫌そうである。
「お忍びじゃないさ。もう皇子じゃなくなったから、時間も含めて自由になったことは多いんだ」
 ノアの顔は残念そうでもなく、あっけらかんとしたものだ。
 ――あれからノアは、政治の舞台に立った。捕虜として捕えられていた皇子が、捕らえたハリヤ国との戦争を反対したことに、宮廷は驚きに包まれた。
 それからノアは政治的にいろいろ意見をして……政治ではよくあることだが、そのため皇位継承権を放棄することになってしまったのだ。
 ノアは一地方の領主に任ぜられた。皇族ではなく、貴族に降格してしまったことになる。
 彼はシュベルク国の医学の発展が思ったより遅れていたことに驚き、領地に医術を学ぶ学校や研究所を作った。領主として、立派にやっているようだ。
 こうして目の前にいるノアは、皇子の位から退かされたことに落胆しているようでもない。
 自分の場所で、自分のできる限りのことをしてゆくようだ。ノアは前と変わらず明るく笑っている。
 その護衛のイライザは、変わらず護衛のままだ。これからもそうだろう。
 彼らの近況を聞いた。
「うん。元気でやっているよ。……皇子として、とか言っておいて、こうなったのはちょっと恥ずかしいけど、今の自分は悪くもないと思う。ぜひ来てよ。うちの領地、景色の美しい小高い丘があるんだ」
「ええ。良い場所が多いんですよ。忙しいでしょうけれど、ぜひお越しくださいね」
 こうやって地方の領主として気を配るのは、ノアに向いているように思えた。
 みんな元気で、それぞれにうまくやっている。
「シャチョーさん」
 マレクが慌てて走ってきて、パトリーに手紙を差し出す。
 開けてみると、ケートヒェンからだ。業務提携締結へのお祝いの手紙だ。夫であるテオバルトとの連名。
「ええ! レーヴェンディア連邦共和国の、大統領夫妻からの手紙!?」
 ノアが驚いて、手紙をのぞき見た。
 マレクが慌ててパトリーに見せに来たのも、そのためである。
 まるで一般人のように、ノアは、はあ、と感嘆の息を吐く。
「なんか……すごいね」
「元皇子様のセリフじゃないわよ、ノア」
「いやあ。だってさ、パトリーの会社、どんどん大きくなっているじゃないか。鉄道もすごく建設されているし、普通にどこでもパトリー貿易会社の名前を聞くぐらいだし。いずれ鉄道王なんて呼ばれるんじゃない? いや、女王かな。とにかく、なんだか遠くなったって言うか、変わったって言うのかな」
 複雑な心中を表す目で、心配そうなまなざしを向けるノアに、パトリーは不敵に笑う。
「ノア、あたしの夢を忘れたの?」
「え?」
「世界一の貿易商人になること! 鉄道だって貿易のための手段だし、鉄道王なんて冠、欲しい人がかぶればいい。貿易王なんて言われるなら、すごく嬉しいだろうけど、いまだに野望は達成できていないわ。今回のエディの会社との業務提携だって、貿易のため。まだまだ道のりはこれからよ」
 パトリーの瞳には炎が燃えさかるようである。その目は、遠く天まで昇るきざはしを見ている。夢は大きく、諦めを知らない。
 それを見て、ノアは笑い出した。
「変わらないなあ。ごめん、遠くなったなんて、前言撤回」
 イライザも、オルテスも、笑い始める。
「変わりませんねえ」
「本当に。相変わらずだ」
 ルースも、キ、と鳴いて、その子供も鳴いた。
「ええ、なによ」
 笑うようなことを言っただろうか。
「褒めているんだよ。目標をめざし、それへの変化を望み続ける『変わらなさ』は、とても尊いものだから。あの旅路も、色あせずによみがえるような気がするよ。どの景色も、気持ちも、鮮やかに失われることなく心の中にあるんだって、教えてくれる」
 ノアは目を細めて、以前共に旅したときと同じ自然さで、パトリーを見る。
 そんな彼を見ると、パトリーも懐かしいような気持ちになる。いや、懐かしさだけではなく、その時のさまざまな感情が揺り動かされてゆく。
「シャチョーさん、スピーチ!」
「え、もうそんな時間?」
 ふと我に返り周囲を見ると、凄まじい惨状が広がっていた。
 エディは呼んだ仲間と一緒にすでに大分酔っぱらって、ここは親父の飲み会か、という状態。パトリーの知り合いの商人も同じだ。
 もともと堅苦しい会にはしないでおこう、とは話していたが、ここまでになるとは。
 エディと一緒にスピーチをする予定であったが、当のエディはぐでんぐでんで、スピーチができないのは明白だ。
 新聞記者も、困惑を通り越して泣きそうな状態である。飲み会の取材でないのだから当然だ。
 場をなんとか形だけでも式としてするためにも、ここはパトリーが出なくてはいけない。
 パトリーはチューリップと大きすぎる花束を持って走り出した。が、少しして、立ち止まり、
「オルテス! さっきの話の続き……」
 と、言いさした。途中でオルテスが理解したようで、
「ああ。後でちゃんと、話す」
 ほのかに笑んでいた。
 変わらない、とは彼に対して言うべき言葉のような気がする。前から彼は、冷たそうに見えて優しいまなざしで、見守ってくれていた。その笑みは遠いようで、自分を見てくれている。
 パトリーもまた、笑い返した。
 ノアが、「さっきの話って何のことだ?」とオルテスに尋ねていて、それを後ろにして、パトリーはヒールの高い靴で小走りに行く。
 スピーチ台へ向かうパトリーに、祝福の拍手が向けられ、左右に人が割れ、向かうべき道がまっすぐにできている。
 パトリーは花束と一輪のチューリップを大事そうに抱え込みながら、天へのきざはしを昇るかのように、駆けていった。


   *   *


 パトリー=ボールト(クラレンス)という人物は、クラレンス財閥の社史に、創業者として名が載る。クラレンス財閥とは、パトリー貿易会社の後身である。
 彼女は結婚したが、商売においては夫の姓を使わず、母方のボールト姓と、兄に復縁が許されてからはクラレンス姓を使った。
 彼女の社長としての業績については、ここでは控えておこう。
 私生活において、彼女は結婚し、二人の男の子を授かった。
 結婚すれば夫に経営権を移すのが当時ではよくあったが、夫の仕事の都合もあったのか、結婚しても彼女が経営者であった。
 彼女の結婚が幸せなものであったのかは――わからない。
 だが、写真が一枚だけ残っている。肖像写真が広まる少し前、まだ世間的に写真が珍しい頃。彼女が家族と共に写った写真だ。
 笑顔の家族に囲まれた彼女は――とても、満足そうに微笑んでいる。




            END.



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