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 第45話 人生の墓場に花束を(1) 


 一日、いや、半日で、戦いは終わった。
 レジスタンス軍がひそかにチーマの城の地下に穴を掘り、そこから中へ侵入して、奇襲したのが功を奏したのだ。
 昼過ぎにはチーマの城は完全にレジスタンス軍の支配下におかれ、そこで重軽傷者は治療を受けていた。
「殿下に会うのは、もうしばらくお待ちを」
 医者にそう言われれば、パトリーは無理やり会うことはできない。ノアは背と肩に傷を負い、治療を受けている。イライザは彼の側にいるようだ。
 見舞おうとしたパトリーだって、足と、左の手の甲に傷がある。彼女についてきたオルテスだって、傷がある。
 みながみな、ぼろぼろになった戦いだった。
 パトリーたちは廊下で治療中の人々をかき分けながらすごすごと引き返そうとしたところ、
「おお、あんたら、無事じゃったのか!」
 と嬉しそうに呼び止められた。
「ムツィオさん」
 振り返ると、ムツィオは体中に包帯が巻かれながら、杖で気丈にも立って歩いていた。
「どうしたんですか。戦いに巻き込まれて……?」
 パトリーが心配そうに近寄った。
「んまあ、そんなところじゃ。あのランドリュー皇子に助けられてなあ」
「ノアが……」
「応急処置をちゃんとしてくれたおかげで、九死に一生を得たんじゃ。……物事は命あっての物種だと、思い知ったわ」
 しみじみと語るムツィオは、急に年老いて見えた。
 ムツィオは顔を上げ、オルテスを見た。
「そうじゃ、聖剣ハリヤを探しとる、とか言っておったのう」
「いや……もういいんだ」
 オルテスは目を伏せ淡々としている。
「そうなのか? 老い先短いことじゃし、素直に教えてやるぞ? 老いぼれても、記憶ははっきりしておる。竜の巻き付いた形の彫り物が柄と鞘にあってな、瞳には大きなルビーが嵌め込まれておった。そうそう、おぬしの持っているような……」
 ムツィオはオルテスの腰にある剣を指さす。
「これか?」
 オルテスは腰の剣帯から鞘ごと引き抜いた。
「おお、よく似ておるのう。宝石類は一切ないが……いや、これは、宝石は全て取ってしまったのか……? 穴がぽこぽこあいておる……」
 ムツィオは難しい顔をし始めた。剣を扱う手が、だんだんと丁重なものとなっていった。
「すまんが、抜いても構わんか?」
「いいが、気をつけた方がいい。切れ味もいいから」
 ムツィオは抜く。白い刀身はさびもなく、欠けた様子もない。まるで新品の上等な剣だ。
 持つムツィオは食い入るように剣を観察する。持つ手が、ぷるぷると震え始めた。
「ムツィオさん、危ないですよ」
 パトリーは代わって持とうと手を伸ばすが、ムツィオは一心に剣を見続けている。
「ま、間違いない……」
「? 何が?」
「これは、聖剣ハリヤじゃ!」
 ムツィオはくわっとまなこを大きく開けた。
「何?」
 震える手でムツィオはオルテスの剣を持っている。
「間違いない! この細工、この形状……。古い剣の形をして、古いものと明らかにわかるにもかかわらず、剣自身はまったく錆びない、材質不明の鉱物を利用。宝石類がないのが惜しい! 惜しすぎる! ちぃっ、別々にするとはなんともったいないことを……! おぬし、これをどこで手に入れた! 言え! 言うんじゃ!」
 ムツィオはすっかり元気を取り戻し、オルテスをがくがくと揺らし始めた。
 パトリーは呆然と、その剣を見ている。確か、あの剣はブラックマーケットで買ったものだ。まさかそれほど由緒正しいお宝だったとは……。
 だが、そんなことより、ずっと大事なことがある。
 聖剣ハリヤを手に入れれば、オルテスは過去へ行ってしまうということだ。
 パトリーはうつむいて、オルテスの顔を見ることができなかった。


 人は雲と同じなのだ、とシュテファンはかつてパトリーに諭した。
 シュテファンがシルビアと結婚するときだった。慕う兄が結婚することに、パトリーはそのとき祝福できなかった。取られてしまうような気がしたのだ。
 むくれて庭にいたパトリーの横に、シュテファンは座った。
『人は雲と同じだ。大空の風に流され、思いもよらぬ場所へ行かされる。すぐあそこに並んでいる雲たちも、いずれは離れるのかもしれない。だが、また別の雲と出会うだろう。別の空を見るだろう。私もお前も、そうやって生きてゆくのだ』
 そのときの空には、丸い雲と少し大きい雲が沿って浮かんでいた。
 兄は気づいたように、
『いや、今すぐ離れるわけではない。私が結婚しても、クラレンス家から去るわけではない。お前が結婚してからのことだ』
 と後からなだめるように続けた。
 あのときの言葉の意味を、少しわかったような気がする。


 晴天の、いい天気である。雲が一つばかり浮かんでいた。やはり南国だけあって、暑い。
 久しぶりにパトリーはぼうっとしていた。
 今までが今までで、怒濤のように忙しすぎたものだから。
 チーマの城内部だけでなく、周辺にも人は多い。軽傷の者で自分で治療している人も見かける。食事の配給が行われている鍋の前に、人が並んでいる。
 パトリーはそれらを横目で見ながら、ひとり歩いていた。
 あふれかえる人はかなり多い。レジスタンス軍だけでなく、戦争における利を得るために、商人達も来ているようだ。
 元社長とはいえ商人だったのだから、心情はよくわかる。
 そう。もう、元、社長となってしまった。ただの一人の貴族の娘。
 思い出してみれば、この後ノアと結婚することになるのだった。誘拐や潜入や、いろいろありすぎて頭の隅に追いやっていたのだが。
 籠を持って歩いている商人達を見ると、ため息が漏れそうだった。
 結婚をしたくなくて、商売を始めた。その逃避した現実に目を向けろ、と言われているようだ。ノアが嫌いというわけではない。きっと彼と結婚したなら、優しい生活が待っている。
 雲は流れゆく。
 ぼんやり見ていると、前方で商人同士がぶつかり合っていた。
 小太りの男がころんと転がる。布を頭に巻いた大きな男は慌てて彼を起こした。
「な、なにしやがんだ!」
「す、すいません」
「すいませんで済むと思ってやがるのか!」
「暑い、だから、ぼーっとしてた。ごめん、あやまる」
 小太りの男は真っ赤になって怒っている。彼も熱暑に苛立っているようだ。相対する巨漢の男はぺこぺこ頭を下げる。
「こっちだって暑いんだ! おめえ、どこのもんだ!」
 すんなりと巨体の男は答える。
「おれ? パトリー貿易会社、社長代理、マレク」
「マレクぅ!?」
 パトリーが叫ぶと、大きな男は振り返る。
 すると、動物のような目を細め、とても嬉しそうに笑う彼が、近づいてきた。
「シャチョーさん! 会えた! 会えた!」
 マレクはパトリーの手を握り、ぶんぶん振る。ぴょんぴょん飛び跳ねてしまいそうな雰囲気だ。
「え!? なん、なんで、え!?」
 パトリーは再会の握手をしながら、混乱している。
「会社! 会社はどうしたのよ!」
「会社のため、ここ、来た。ハリヤ国のレジスタンス、急進的。レジスタンス側に、会社つく、決めた。悪い?」
「悪くはないけど……」
 それはいいと思う。レジスタンス内部にいていろいろ知る機会を得たが、本当にどんどん人は集まり、チーマの城を攻略したように、いずれはハリヤ国そのものを打ち倒すことも可能だと思う。チーマの城を占領したのが決定的だ。
 国として成立する前に取り入っておくというのもいいことだろう。
「そんなの、他の社員に来させればいいじゃないの! この国が危険なのは変わりないわ。会社の社長の自覚があるの!?」
 社長が急に行方不明になったり、最悪死んだりするのは、会社のことから考えても悪い。それよりも、マレク自身の安全の問題もある。
「おれ、社長ちがう、副社長。社長、シャチョーさん」
 マレクが丸い目で訴えるように見てくる。パトリーはぱっと視線をそらした。
「い、言ったでしょ。あたしは社長を辞任するって。……あたしは、ノアと結婚するの。会社を辞めるの」
 もう、決まったことだ。
「それ、シャチョーさんの、望み?」
 躊躇なく、マレクはパトリーの核心を突く。
「夢、諦めた?」
 ――絶対、世界一の貿易商人になる。そのために、この会社を世界一の会社にするのだ。一緒にがんばろう――
 そうマレクと約束したのは、遠い昔ではない。
「会社、嫌になった?」
 つらいことだって、苦労したことだって、挫折を味わったことだって、悔しい思いをしたことだってある。
 だけど。
「全部、忘れたい? 情熱、忘れた?」
 だけど、やり続けてきた。失敗を糧に、全ての経験や知識を糧にして。
 簡単にやめるような情熱なら、苦労で諦めるような情熱なら、会社なんて立てなかったし、ここまでがんばってこなかった。
「答えて。シャチョーさん。もう会社、どうでもいい?」
 どうでもいい?
 会社の行く末や、マレクや、もちろんほかの社員や、仕事のこと――それらすべて、どうでもいいと――そんなこと。
 思わず急に血が、足元からそそり上がってくる。
 パトリーは閉じ続けていた口を開けて、本気で激高した。
「そんなわけないでしょう!?」
 びりびりと言葉は響いた。
 眉を上げて本気で怒った顔の彼女は、こぶしを強く握り締め、唇をくやしそうに震わせる。
「だけど……仕方ないじゃない。あたしがノアと結婚して会社を辞めなければ、会社自体がなくなってしまう……!」
 大切だ。大切だから、失いたくない。
「せめて、あたしが辞めることで納まりがつくのなら、そうするしか……!」
 それが会社を経営してきた者としての、そして社長としての責任だと、思う。
 苦渋にまみれた顔をしたパトリーを見ながら、マレクは一言で断じた。
「それ、無責任」
 見上げると、マレクはむっとしたような表情だった。
「おれたちの、気持ち、全然考えて、ない。一緒に会社大きくする。世界一の会社する。そう言ったの、シャチョーさん。約束した。それ勝手に破るの、無責任、嘘つき」
「ほかに方法がないの。会社が潰れるか、あたしが辞めるか」
「どうして?」
「そう脅されたからよ! あたしがそうしなきゃ、国からの命令で潰されてしまうのよ! ……潰すわけにはいかない」
 まるで背後の何かをおそれるように、パトリーは何かを見ている。
 子供が親とはぐれるのに恐怖を覚えるように、大切なものが壊れないよう、震えながら祈るように。
「……シャチョーさん、どうして、会社、たてた?」
 マレクの声は静かだった。
「金儲ける。夢叶える。認められる、名誉手に入れる。たくさん、きっと理由、あるはず。でも、逆に、うまくいかない、借金背負う、挫折する、大きな壁が立ちふさがる、倒産。そんなこと、予測してた、違う?」
 楽観的な考えだけで、会社を立てはしない。
 マレクが羅列したようなことは、会社を立てる前の経験不足のときでも、簡単に想像がついた。会社をたてる前よりひどいことに終わる可能性だって、十分承知の上だった。
「だけど、一緒に、会社たてた。そんなリスク、わかって、でも、やめなかった。潰れるの、怖かったら、最初から、会社たてること、なかった。会社潰れるから、辞める、それ違う。潰れないよう、がんばる……それ、社長の、シャチョーさんの、責任。辞めたって、会社、潰れない保証、ない。ずっと、ずっと、潰さず、盛り立てる責任……それが、社長の、責任」
 パトリーの瞳に、青空と浮かぶ雲が映る。
「ずっと?」
「ずっと、ずっと、未来永劫」
 流れゆく雲は急流のように行く。止まりはしない。
「シャチョーさんだから、おれ、他の社員、ついてきた。これからも。壁あっても、乗り越える、みんな覚悟、ある」
 マレクは動物のような目を細めて、付け足す。
「シャチョーさんと、呼んだ日から、その覚悟、ある」

 パトリーがそう呼ばれるようになったのは、会社をたててしばらく経ってからのことだった。
 大男のマレクと一緒にいると、十中八九、彼が社長だと間違われた。だからと、マレクはそう呼び始めた。
『おれにとって、社長、それパトリーだけ。今も、これから先も』
 パトリーはそれを照れながら、受け入れた。
 
 人は雲と同じようなもの。
 パトリーはそれを、身をもって知る。
 人は変わる。いや、変わらざるをえないのだと。
 結婚からの逃避として、貿易に、会社に走った。
 それはもう、かつての、昔のこと。
 パトリーの中で、それは大きく、とても大事なものに育った。
 もう、結婚の逃避の道ではない。二番目に置かれたものではない。ずっと、ずっと、大切で、よりどころとして、決して失いたくないものに、なってしまった。
 それは厳しい道だろう。ウィンストン卿は政治的な圧力をかけてくる。たくさんの苦難が待ち受けているだろう。多くのものを失うだろう。
 だけど。
「……これから忙しくなるわよ」
 パトリーはきっと顔を上げ、はっきりと宣言した。
「社長に、しっかりついてきなさい」




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