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 第43話 戦争 


 「敵襲」の声とともに、メイドたちは騒がしく目覚め、場は騒然となる。
 その中で、パトリーはすぐさま着替えた。メイド服ではなく、いつもの男装姿である。メイドたちはパトリーの服に気を留めている暇があるはずがない。
 細剣を手に取り、混乱している場を残し、北の塔へ走った。
 レジスタンスに良き日と伝えたのは今日の一週間後である。
 一週間も早く来るとは、完全に予想外だ。状況はさっぱりわからなかったが、とにかくノアの元へ行かなければと思って、走った。
 捕虜のノアは危険であろうから。
 北の塔は、ここ最近の通例どおり、見張りの兵士はいない。パトリーは塔を駆け上り、四階の扉を開けた。
 そこには状況が分からず、城の騒ぎに不安になっているノアがいた。
「何が起こったんだ!?」
「レジスタンスが攻めてきたのよ!」
 ノアは「そんなばかな」と笑った。
 パトリーには、なぜそう笑えるのかわからない。現にこうやって、夜明け前に攻めてきている。冗談で城はこんな騒ぎにはならない。
 切羽詰ったパトリーの様子に、「まさか本当に」と、ノアの顔が真剣なものとなった。
「攻めてきたのはレジスタンス軍だけか!? シュベルク国軍は!?」
「え!? シュベルク国軍は……来てないと思うわ。きっと今ならまだ海の上にいる……」
 ノアは口元を押さえ、テーブルの周囲を回る。
「ノアは人質にされかねないわ! この混乱しているうちに、レジスタンス軍に保護してもらいましょう!」
「…………。そう……だね。その前に、一杯水を」
 テーブルの上の水差しから、ノアはコップに水をそそぐ。
 パトリーは扉から、はらはらとしながら兵士が来ないかと、外を見ていた。
 振り返ると、ノアはコップから水を飲み、のどがよく見えている。
「ほら、早く……!」
 パトリーがノアの手を引こうとしたら、彼に逆に手をつかまれた。
 そのまま手が拘束され、唇を押し付けられる。
 口から流れ込んでくる水分。
 パトリーは抵抗したが、すべて流し込まされるまで、離してはくれなかった。
 ごくり、と喉を通ってゆくと、拘束は解けた。
 パトリーはすぐさま彼から離れ、咳き込んだ。
「な、何を……飲ませたの……!」
「水。睡眠薬入りの」
 すぐさま吐き出そうとしたが、すでに飲み込んでしまっている。咳き込み続ける。
「多分……イライザが助けに来るから、彼女に助けてもらって、脱出するんだ」
「ノアは……!?」
「俺は、別のところに移動する、のかな? それともここで死ぬか、だ」
「どうして!」
 ノアは先ほど拘束したような強い力は使わず、パトリーをベッドに連れてゆく。
 パトリーはだんだんと眠りに落ちかけ、まぶたが落ちてゆく。
「……どうして……ノアに、そんなふうになる義務があるの……。みんな、イライザも、ノアが助かるのを待ってるのよ!」
「みんな……ね。パトリー、これが最後だと思うから、教えてあげるよ……」
 ノアはベッドに腰掛けつつ、どこかうつろな目で壁を見ている。
 眠りへ誘われ、パトリーはふらふらと、ベッドに倒れこむ。倒れたまま、ノアの話を聞いていた。
「十年ほど前……シュベルク国で、一つの予測がなされた。今後の世界情勢についてだよ。これから、どんどんと世界は緊張を増し、いくつもの戦争が勃発すること。強い国はいくつもの国を領地とし、弱い国は滅ぼされる……」
 何の話だと思いつつ、パトリーは聞いている。
「このままではシュベルク国は後者として、いずれ、巨大な国家に征服され、植民地化される……そう憂い、シュベルク国は前者となるよう、努力をし始めた。弱い国として滅ぼされたくないのなら、どうすればいい? 簡単だよ。武力を強化し、領地を増やし、強国となる。ただ……現代は、何の理由もなしに他国へ攻めると、国際的に非難を浴びるだろう? だからね、理由が必要だった」
 パトリーの目が徐々に見開かれてゆく。
 ノアはそんな彼女を見下ろしながら、薄く笑んだ。
「そう。これは……狂言誘拐だ」
 微笑みには、悲壮さが含まれている。
「俺自身、ここへ来て、ヤカール将軍に知らされるまで、知らなかったんだよ。ああ将軍はね、十年前にシュベルク国から国外追放に処された、ってされているけど、これも芝居だったそうだ。このハリヤ国の土地は豊かでね、シュベルク国はここを前から狙ってた。だから、国外追放という方法で、ここに送り込んだんだね。シュベルク国の一種のスパイだよ」
 ノアは淡々としている。
「俺は皇子だ」
 重々しく告げた。
「……せめてシュベルク国軍が上陸し、俺を助け出すという名目で戦わなければ、意味がない。ここで俺がレジスタンスに解放されるわけにはいかない。……多分、首都・アルジャに行くのかな。そうなると……シュベルク国とハリヤ国が真っ向からぶつかり合うこととなるけれど……もう方法はない。ここに住み、ここで活動しているレジスタンスには悪いけれど、シュベルク国のためなんだよ……」
「だ……だめ……!」
 ノアが驚いたようにパトリーを見る。
「そんな、の……。いけ、ない!」
「……ではどうすれば良かったんだ? 俺はここに捕らえられて、逃げれば将軍に殺されるのがわかっていて。……そうか、最初に気づいていれば、こうはならなかったんだな。俺の居場所はパトリーとオルテスと、皇家くらいしか知らなかったというのに、狙ったように誘拐者が俺の前に現れたところで」
 ノアはこぶしを震わせている。
「……俺は皇子なんだよ。ようやく今、俺はその意味がわかったんだ。シュベルク国のために命を使うことが、その使命だと……」
「ち、違う……!」
 眠りの世界から手を引かれながら、パトリーは葛藤していた。
 勢いよく扉が開いた。
「……将軍」
 ノアが立ち上がる。
 ヤカール将軍は走ってきたようである。
「すぐさま、逃げます」
「わかってる」
 ノアは将軍のそばへ行く。
 パトリーは暗い夢の世界と、ノアが後姿を見せながら歩いてゆく現実世界とが重なりながら、懸命に起きていようとしていた。
 ノアは一度振り返り、そしてそのまま扉を閉めていった。
 城内は騒がしくなっていた。人の声や物音だけではなく、戦うような音までも聞こえてきた。
 まだ夜明け前ということもあり、奇襲され、城内へレジスタンス軍を受け入れてしまったのだろうか。それだけレジスタンス軍の動きが早いということだろうか。
 だが、そんな戦場の音も、パトリーには幕を張った向こうの遠くの音に聞こえる。ベッドは人を眠りへ押し込める。
 けれど完全に眠りに落ちるわけにはいかなかった。
 ノアを止めなければならなかった。
 たとえシュベルク国のためだと言われたって、うまく理由は言えなくたって、その方法は間違っている。
 どうにか、意識を覚醒させなければ、と思った。
 何かないか、と手足をばたつかせると、細剣がからんと落ちる。
 ……方法は、これしかない。
 パトリーはベッドの下からそれを拾い上げると、一気に、左の甲に突き刺した。そして抜く。
 激痛が雷のように襲う。
 パトリーはシーツをかんで、それを耐えた。
 痛みのおかげで、意識が覚醒する。
 パトリーは左手から血を流しながら、立ち上がる。
 なんとしても止めなければならない。
 部屋を出て、階段を駆け下りた。
 塔にはすでに二人はいない。
 城内は混乱状態で、右へ左へ逃げ回っている。落城は時間の問題だ。
 「将軍! どこにいるのですか!」という声が、西から聞こえた。
 パトリーは東に向かう。
 逃げ回る人々に気にせずに全速力で走ったら、二人の影が見えた。
「ノア!」
 大声で叫ぶと、彼は振り向き、立ち止まった。
 将軍がすぐさま、無理やりノアを再び前へ行かせようとする。
 パトリーは追おうと走るが、足を止めたのは、背後から殺気をまとった気配を感じたからだ。
 後ろには、剣を抜いたヴェラがいた。
「……なぜお前がここにいる……向こうで将軍と共に逃げているのは、あの皇子か。……将軍……裏切ったか!」
 ヴェラは憎しみの炎を、将軍とノアにも向ける。
 だめだ、彼女を行かせてはならない。
 パトリーはヴェラの前に出て、通せないように、右手で細剣を構える。
「ノア……! 逃げて!」
 ヴェラはパトリーへ焦点を絞った。
「でも、誤解しないで! ノアは皇子だからって、それだけが使命じゃないでしょ!」
 ヴェラが剣を振り、襲い掛かる。
 なんとか細剣で受け流す。
「早く!」
 将軍がノアをせかし、二人の走ってゆく音がする。
 ヴェラの剣の腕は玄人とは言えない。だが、復讐に包まれた彼女は、それゆえに強かった。
 パトリーは細剣で応戦するが、受け流しきれず、足に傷を負う。
「う……ぐ……!」
 普通の剣ならともかく、丈は短く殺傷能力の低い細剣は、面と向かった戦闘用ではない。
 この状況では攻撃に転じることは不可能である。完全に防御に徹している。
 ヴェラはパトリーの細剣をはじいた。
 それはパトリーの手からこぼれ落ち、石畳をくるくると回る。
 ヴェラの剣はランプの灯りにきらめく。
「死ね……!」
 パトリーは思わず、ぎゅっと目をつぶる。
 剣の振られる音が風を生む。
 次の瞬間生じたのは――金属のぶつかり合う高い音。
 恐る恐る目を開けた。
 ヴェラの剣は、別の剣によって防がれていた。その剣は白い刀身のもの。
 藍色の長い髪が彼の背を流れている。
 よく見知った、そして数々の思いのある男である。
 名を呼びたくて、だけど喉の奥で言葉にならなかった。
 少し彼は振り向き、目が合う。
 翡翠色の瞳は、以前と同じ色であった。
 冷たくもなく、いつも一緒に旅していたときと同じに。避けずにいてくれたこと、こうして助けてくれたこと、たくさんの気持ちが入り混じる。
 オルテスは剣をはじき、一歩下がり、パトリーの隣に立つ。
 パトリーは落とした細剣を拾い、構える。
 ヴェラの瞳に宿る復讐の炎はまだ消えていない。
「……ヴェラさん……謝ります。二年前、あたしが言ったことは、本当に悪いことだと思っています。何度でも謝ります。……だから、もうこんなことはやめてください」
 パトリーの言葉に、ヴェラは鼻で笑った。
「今更、貴様が」
「あたしが言う筋合いのことでないとはわかってます。……だけど、このままでは亡くなったコーマック卿も、お子様も、浮かばれません。あたしを恨んでいることは置いておいて、母国に仇なしてもお二人は喜ばない……」
「喜ばないからどうした。草葉の陰で泣くならどうした。お前が殺したのだろう!」
「あたし……!?」
 寝耳に水である。
「お前が、コーマック卿と私の子供の乗る馬車に細工をさせ、事故に見せかけて殺したのだろう!」
 言いがかりだ。
「そんなことしてません! どうしてあたしがそんなことを! だってあたし自身、葬式までお子様がいたということすら知らなかったのに」
「うるさい! お前が殺した、殺した、殺した!」
 ヴェラは聞く耳を持たない。
 彼女は自分の妄想を真実だと信じている。いや、嘘だと分かっていても、誰か完全なる悪者を用意したいふしすらある。
「死ねばいい。お前も、シュベルク国も、滅べばいい! は、はは……」
 パトリーが違うと言っても、ヴェラのその妄執を揺るがせなかった。彼女の中に真実と故人の姿はない。全てを忘れ、闇雲に刃物を振り回している。
 彼女は何も見ようとはしない。おそらく、二年前から。それは……もう、引き返さないというのと、同義であった。
 この人を放って置くわけにはいかない。
 パトリーは細剣を強く握る。
 シュベルク国とパトリーへの復讐に目がくらみ、我を失した彼女への責任の一端がある。レジスタンスに毒を盛った彼女は、それまでも幾人もの人を殺してきたのだろう。このまま暗い世界を突き進んでは、彼女の子供も、コーマック卿も救われない。
 だからこそ、剣を向け……殺してでも、止めなければならない。オルテスに任せるわけにはいかない。
 血まみれの左手を柄に添えると、パトリーはぶつかるように突進した。
 剣はとっさに避けたヴェラの脇腹をかすめる。パトリーはヴェラの剣を落とす。
「う……! き、さまあ!!」
 ヴェラがうめき、咆哮する。至近距離で二人はもみ合う。
「パトリー……!」
 オルテスが手を出そうとするが、二人が近すぎ、何もできない。
 ヴェラはパトリーの細剣を取ろうと、せめぎ合っている。
 パトリーは離さない。何としても、彼女をここで食い止めなければならないと、わかっていたからだ。パトリーには負い目がある。しかしそれに囚われ、大事なことを忘れるわけにはいかない。ここでパトリーが殺されれば、ヴェラは次はノアを狙うのだ。
 過去の反省もある。だけど、今生きる命の方がずっと大切だ。
 この人を殺せば、毎夜夢に見るだろう。……それも全て受ける覚悟を、決めたのだ。
 パトリーは左手が血でぬめりながら、細剣を離さない。ヴェラへ向けて、じりじりと動き、剣先が服を裂いた。皮膚のすぐ上にくる。
「やめろお!」
 止めない。
 ヴェラは焦っている。
「貴様、私を殺して、いいと思っているのか! 由緒正しき血統を持つ私を、成金の娘のお前が……!」
 過去しか見ない人である。
 パトリーは哀れみが胸に生じたが、剣を弱めようとは思わなかった。
 ヴェラはうめき続け、細剣を防ごうと苦戦しているが、はっと顔を上げた。視線はパトリーから逸れ、オルテスへ向けられた。
「そう……私を殺せば、聖剣ハリヤの居場所は永遠にわからなくなるぞ!」
 な、と口から漏らしたのは、パトリーとオルテス、二人であった。
 パトリーが動揺したのと同時に、ヴェラは足下の剣を拾い、手首を返した。
 ギインと、一際大きく剣の交わった音がした。
 三つの剣が交わったのである。
 パトリーへ向けられたヴェラの剣と、パトリーの細剣と、間に入ったオルテスの竜の巻き付いた宝剣である。
 均衡が崩れる前に、ヴェラは叫ぶ。
「聖剣ハリヤを盗んだという男を知っている! チーマの城に来る前に聞いた! 奴は他の者から狙われ、急いで裏市場に売り払ったそうだ!」
「どこの誰に!」
 オルテスが余裕なく鋭く問いつけた。
「それは酔った勢いに聞いた私だけが知っている。奴自身はもう死んでいる。売り払ったときは情勢が危険で、『聖剣ハリヤ』と知らせず、宝石を全て外して売ったそうだ。売った相手だって、それが『聖剣ハリヤ』だと知らないはずだ」
「だから誰に売った!」
 せっぱ詰まったオルテスを見て、ヴェラが頬骨の出た顔で、にいっと笑った。
「条件だ。そこの女と、将軍に連れられて逃げた、皇子を殺せ」
 ヴェラは三つの剣の重なり合う場所から、自身の剣を離した。そして身体も離れる。
 剣が組み合わさっているのは、パトリーの細剣とオルテスの宝剣とになった。
「知っているぞ。お前は聖剣ハリヤを見つけるためにここへ来たのだろう。レジスタンスで盗み聞きしたからな。条件は絶対に譲らない。……はは……私の情報を聴かなくては、絶対に聖剣ハリヤは見つからない。裏市場を情報なく探し回っても見つかるはずがない。砂漠の中で星のかけらを探すようなものだからな!」
 パトリーとオルテスは、剣を交わして、向かい合っていた。短いパトリーの細剣と、立派なオルテスの剣とがクロスされている。
 二人は信じられないような顔をして、対峙していた。
 パトリーのじんじんと痛む左手から、ぽたりぽたりと血がしたたり落ちる。
 城中で戦闘が始まっている。剣のぶつかり合う音、怒号、悲鳴。城自体が低い音をたてて震えている。小石がかたかたと鳴る。
 戦いも、死も、全て、戦争だった。




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