TOPNovel「だから彼女は花束を抱える」Top
Back 
Next
   
 第41話 チーマの城(2) 


 深夜である。
 チーマの城に向かって、一羽の鳥が向かっていた。
 屋上でそれを見た見張りの兵は、それへ注意を向けた。
 鳥は重要な情報伝達手段だ。上の立場にあるハリヤ国上層部からの下達の可能性もあるが、城内に忍び込んだスパイの連絡であったら、ことである。
 鳥の長所短所は、手紙を運ぶにしても、追っ手をまくといったことや、人目につかないよう行動する、ということがないことだ。
 見張りはすぐさま他の兵士に伝達し、その鳥が向かう先に兵を行かせる。
 鳥は一直線に城へ近づく。
 ところが、その鳥は急に方向を変えた。
 兵士達は慌てて、その鳥の向かう方向へ急ぐ。
 再び鳥が方向を変える。
 兵士達はてんてこまいになりながら、夜中ずっと、派手で大きめの鳥を追い回すことになるのだった。
 城内、庭を兵士達が走り回っている中、東の塔から出っぱった場所にある、歴史学的資料の置かれたムツィオの部屋で、彼とパトリーがいた。
 パトリーはいつもの男装姿で、メイド用の部屋から抜け出して、ここにいる。
 いつもとその部屋は違った。
 部屋の中央部に置かれていた古い手紙などが積み上がっていたテーブルが端に寄せられ、中央部に何もない空間ができている。
 パトリーたちは待っている。
 がこ、と地面から石の動く音がした。
 次々に石の動く音が響いてゆく。中央部の彫刻の彫られた大きな丸い石が沈んでいった。
 それが沈んで消えると、その穴から、顔が出た。
 パトリーたちは引き上げる。次々と出てくる、黒服の人々。一人、二人、三人、四人、そして五人目に出てきたのは、
「お、オルテス!?」
 彼はぱんぱん、と手を払い、少し乱れていた髪を整えた。
「パトリーは無事のようだな」
 オルテスはかすかにほっとしたように笑む。
 この隠し通路は、ムツィオがさまざまな古い書物を読みあさり、知ったという。おそらく城内の他の人は知らない。通路はこの部屋から、城外の東の森にいくつか通じているそうだ。
「……ノアとイライザの顔を知っているのは、おれとパトリーぐらいだからな。シュベルク国の軍はまだハリヤ国に上陸していないそうだ。ということで、潜入部隊におれが入ったわけだ」
「……まあ、オルテスならあまり心配することはないけど。……ノアは北の塔の四階の部屋よ。扉の前に二人の兵士がいる。イライザは探ってみたけど、おそらく地下牢に入れられている」
「なら二手に分かれるか。顔を見知っているおれとパトリーは分かれた方がいいな」
「あたしは、ノアの方へ行くわ」
 パトリーはあざのできたノアの顔が忘れられない。オルテスは決意に満ちたパトリーをちらりと見て、それに反対はしなかった。
「ならおれは地下牢だな。パトリーの方に三人つけよう。いいか、パトリー、無茶はするなよ」
 念を押すオルテスに少し笑って、顔を引き締めた。
 パトリーと三人の黒ずくめの男達、オルテスと一人の黒ずくめ、と二手に分かれ、部屋を出て行く。
「気をつけるんじゃぞ」
 ムツィオがそれを見送る。
 チーマの城の上では、今もルースが空を飛び、兵士達を攪乱している。


 パトリーたちは静かに走った。
 北の塔の前に立つと、三人の男が前に出る。こんこん、と扉を叩くと、兵士が、
「なんだ?」
 と警戒しながら顔を出す。
 次の瞬間の技は、見物であった。
 まず一人が兵士の口を手で覆い、もう一人が首に手刀をくらわせ、気絶させた。そしてもう一人が、兵士の口を布でまき、手足も体中も持っていた縄で締め上げ、塔の端に転がせた。
 驚くべきは、その早さだ。
 まさに、あっという間の、嵐のようである。
 パトリーは唖然としつつ、この人たちの腕を信用した。
 三人が塔を登る。兵士は何人かいたが、悲鳴はあげさせず仲間も呼ばせず、転がせてゆくのだった。
 パトリーは後ろを行く。
 そして四階まで登った。
 二人の兵士はすぐさま他の兵を呼ぼうと、笛を取り出す。
 兵士が笛を口につけ、吹き出そうとする直前、黒ずくめの一人が、兵士の顔を殴り飛ばす。
 もう一人の兵も、床に伏した。
 パトリーはきょろきょろ見回すが、他に兵士はいない。
 他の兵士達が近づいてくる様子もない。
 兵士達の懐をまさぐり、鍵が手に入った。
 パトリーは扉を開けようとしたが、まだ危険であるからと、黒ずくめの一人が扉を開ける。
 ぎぃ、と扉が開くと、
「誰だ」
 と緊張を含んだ、ノアの声が闇から聞こえた。
「ノア!」
 パトリーが呼ぶと、闇から彼が現れる。
 彼の顔にはあざが残り、どこかやせた気がする。
 痛ましさから、一刻も早く彼を脱出させなければならない、と、パトリーは部屋へ一歩踏み出そうとした。
「入るな!」
 ノアは急に叫ぶ。
「の、ノア……?」
「入るな、入るな! どうしてここへ来たんだ、パトリー」
 ノアは苦しげにうめく。
 何か、心に何かを背負っているような顔である。パトリーは、それは彼女のことだと思った。
「イライザなら、今、オルテスが救出に行ってる。だから多分大丈夫よ……」
「……イライザ、助かるのか……。そうか……よかった、よかった……」
 ノアはほっとしたように胸を押さえる。
「もう、心配することもないな……。俺はここにいる。パトリーは帰るんだ」
「な!? 何言っているの!? 大丈夫、今なら逃げ出せるのよ」
 ノアは達観したような顔で首を振る。
 そして、彼はテーブルに置いてあったガラスの水差しを壊した。壊れた高い音が響く。
 反射的にパトリーは周囲を見回す。
「ノア、今は静かに……」
 パトリーが廊下を見回して部屋を見ると、ノアはガラスの破片を、自らの首筋に当てているのだった。
「帰ってくれ。パトリー」
「な……!」
 パトリーはノアへ近づこうと、一歩進めようとする。
「入るな! 入ってきたら、俺は死ぬ。俺は行かない。ここからは出ない!」
 ノアはガラスをぐっと首に押しつけようとする。
 パトリーは青ざめて、一歩引いた。
「このままだと、死ぬ可能性だってあるのよ!?」
 悲痛にパトリーが叫ぶも、ノアはあざのある顔で悟ったように穏やかに、そして悲しみと道がない焦りを滲ませて、笑う。
「シュベルク国だって、ノアを救出しようと、軍隊をこのハリヤ国によこしてる」
 ノアは何も言わない。
「何が? 何があったの? 何を気にして、ここにいるなんて言うの?」
 イライザではない何が……。
「……関わらないでくれ。イライザには、絶対自ら命を絶つようなまねはするなと、伝えておいてくれ」
「そんなこと、自分で言いなさいよ!」
「……責任なんだよ……。俺はシュベルク国の皇子なんだ……最初から最後まで」
 ぱっと、ヴェラのことが思い浮かぶ。
「いくら国外追放だって、家が取りつぶし寸前になったって、それをノアが全部背負う必要はないわ。あれは……シュベルク国皇家のせいじゃない……」
 ノアは、どういった意味なのか、一度大きく息を吐いた。
「とにかく、どんな説得をされたって、俺はここを出ない。パトリー、もうここを出るんだ。俺に関わるな。君は何も関係ない」
 悲しい決意がノアの瞳にある。
 パトリーは自分の無力さを知るような気持ちである。
 理解できなかった。ノアが悲壮な顔で苦しんでいるとわかっているのに。
 パトリーの前に黒ずくめの三人が出ようとしたところ、ノアは目に見えて緊張して一歩下がり、叫んだ。
「入ってくるな! 一歩でも入れば、首を切って、舌をかんで死ぬ!」
 黒ずくめたちは困惑したように顔を見合わせていた。
 ノアが死ねば、レジスタンスは困るのだ。助け出すにしても、生きて、と彼らは厳命されている。
 助け出す対象からこう言われたことは、予想外のことである。
 部屋に入り近づけば、意思を無視してかついで行けるかもしれない。しかし、それすら警戒するように、部屋へ入らせない。
 いつまでも部屋の前で留まっているパトリーたちに、ノアが苛立ちをつのらせるように口にする。
「今すぐ、ここから出て行くんだ。さもないと……本当に俺はここで死ぬ。十数える内に!」
「ノ……」
 パトリーが言おうとすると、遮断するようにノアは数を数え始め、首筋に当てたガラスに力を入れる。赤い血が見えた。
 ここから去るしかなかった。
 パトリーはいつまでも部屋を、扉を見つつ、北の塔を出た。
 それでも納得できず、もう一度行こうと考え始めたところ、北の塔で、ノアの大声が響いた。
 それにつられるように、城内各地から兵が集まる。
 パトリーたちは逃げるしかなかった。
 ノアはどこまでも、パトリーたちを来させたくなかったのだろう。
 なぜ、と悔しい思いで考えながら、パトリーたちはムツィオの待つ東の部屋へ向かうしかなかった。


 ムツィオの部屋では、すでにオルテスたちが戻ってきていた。
 地下牢にイライザはいた。
 ほとんど食事を与えられていなかったようで、衰弱し、意識もない。彼女を黒ずくめがかつぎ上げ、オルテスたちはパトリーたちが戻ってくるのを待っていた。
「皇子が救出されれば、この城は戦争にならずにすむんじゃよな!?」
 ムツィオが焦るようにオルテスへ話しかけていた。
「……さあ」
「さあ? さあ、じゃ困るんじゃ!」
 ムツィオは顔を赤くさせて怒っている。
「この城や、この資料が消失しないためなら、何でもやるぞ! ええ? 何でも協力するから、とにかくここを守ってくれ!」
 変なじいさんだ、と思いつつ、オルテスは生返事をした。
「なんじゃ? 疑っておるのか? わしの力をなめてもらっちゃ困る。わしはハリヤ国でも名の知られた歴史学者じゃ。数々の秘宝の情報も、いくつか知っておるんじゃ。それだって教えてやったって構わん。そう、あの聖剣ハリヤだって知っておるわ!」
「聖剣ハリヤ……?」
 オルテスがムツィオに顔を向けた。
「そうじゃ。あいにくとありかは知らんが、レーヴェンディア王国時代、一度この目で見たことがある。形は目に焼き付いておるわ!」
「どういった形だ」
 オルテスがそう問うと、少し意地悪そうな顔をして、ムツィオは長いあごひげを撫でる。
「それは教えられんなあ。この城とこの資料が守られる代償なら構わんが。さあ、などと答えるお前さんにはなあ……」
 ちっ、とオルテスは顔をしかめる。
「それにしても、最近聖剣ハリヤブームなのかの? 今皇子を助けに向かっているあの娘も訊いていたが……」
「娘って、パトリーのことか」
「そうじゃ。ところがのう、訊いたと思ったら、他の人には教えないでくれ、と言うんじゃ。わしはもちろんつっぱねたがの。考古学、歴史学的情報を意味もなく隠匿する趣味はない。知りたいやつがおるなら、代償を払ってくれれば、教えてやるわ」
「他の人には教えるな、と……」
 オルテスは棚に背を預けた。
「そうじゃ。それにしてもお前さんの……。お、おいっ! そこは貴重な手紙が……」
 ムツィオはいろいろと言っていたが、オルテスはそこにもたれ続けた。

 しばらくして、扉が開く。
 走ってきたばかりの、パトリーたち一行である。
 ところが肝心のノアがいない。
「お、皇子はどうしたんじゃ?」
 焦ったようにムツィオが尋ねる。
「……部屋から、出なかった……。どうしても。部屋に入ろうとしたら、自殺するって……。そうやって脅されて、塔を出て……大声を出して兵を呼ばれて、もう一度塔へ行くことはできなかった……」
「な、なんじゃと!?」
 パトリーは悄然としている。
「本当か?」
 疑いを含ませてオルテスがそう言った。パトリーが顔を上げた。青い。
「嘘だって、いうの?」
「どうして捕らわれているノアが、出て行きたくないなんて言うんだ」
「わ、わかんないわよ! でも事実、ノアは本当に……」
「本当に生きていたのか?」
 何を言うのだ、という顔をして、パトリーはオルテスを信じられないものを見るように見上げる。
 これには他の黒ずくめが対した。
「皇子は生きておられました。我々も見て、声を聴きました。本当に、なぜか、部屋から出ようとなされず……」
「ふうん」
 オルテスの答えはそれだけである。
「オルテス……何なの?」
「別に。……作戦は失敗だとしても、イライザの身体は危険だ。さっさと戻るぞ」
 オルテスはパトリーに背を向ける。
 黒ずくめが二人がかりで、イライザを持ち、隠し穴へ入ってゆく。他の黒ずくめも入り、オルテスがパトリーを先に行くよう手だけで促すと、彼女は首を振った。
「行けない。ノアはまだ、捕らわれているんだもの。このまま帰るわけにはいかないわ」
 ムツィオは部屋の隅で呆然として、ぶつぶつと言っていた。
 オルテスは冷ややかな目でパトリーを見る。
「勝手にすればいい」
 そこにはパトリーが聞いたことのない、切り捨てるような凛然とした響きがある。
 オルテスは今まで、パトリーのいろんな決断に、その通りにすればいい、と言うことはあった。そこにはどこか見守るような、にじみ出るような優しさがあった。
 けれど、今の言葉には、どうでもいいといった冷たさしか感じない。
「オルテス……? どう、したの……」
 パトリーはおじけづく。
「勝手にしろと言っているんだ。もう知るか」
「…………」
 パトリーはショックを受けながら、言葉が出ない。
 喉の奥が震える。
 見捨てられた。
 そう感じた。
 とうとう。
 ついに。
 隠し穴へ入る前、オルテスは振り返った。
「裏切ったのはパトリーだろう」
 パトリーは意味を理解しきれなかった。
 彼は部屋の隅で呆然としているムツィオにちらりと視線をやる。
「あのじいさんが聖剣ハリヤの情報を知っていると知り、おれに隠そうとしただろう」
「そ、れは……」
「おれがどれだけ過去へ戻りたいか、一番知っていたパトリーがこんなことをするとはな。……おれはもう、誰も信じられない」
「だ、って、それ、は……」
 オルテスは傷ついたように顔を歪ませる。
「パトリーだけは、信じられると思ったがな」
 だって、それは……。
「もういい。おれは勝手に聖剣ハリヤの情報を手に入れる。もうパトリーには関わらない。そっちはそっちで、勝手に愛するノアのために奮闘していればいい」
 オルテスは背を向ける。
 パトリーは思わずオルテスの服の裾をつかんだ。
「だ、って……行ってほしく、なかったんだもの!」
 パトリーは自らの想いを忍ぶことができなかった。
「過去に行かないでよ。ここにいてよ。……あたしは、オルテスのことが、」
 好きなのよ、とパトリーは告白した。
 オルテスがゆっくりと振り返る。
 言葉を繰り返す。何度言っても、言い足りないくらいだ。
 パトリーは彼の答えを待つ。うつむきながら、待った。
 しばらく動かなかったオルテスは手を伸ばし、パトリーを強く抱擁した。
 息がつまりそう。
 けれど苦しくはない。
 自分の頬の隣に、オルテスの頬がある。つま先で立ち、精一杯背を伸ばすようにする。
 オルテスは重く、耳元でささやいた。
「すまない」
 パトリーの眼前が、何も見えない霧ほどに真っ白になる。
 彼は身体を離す。長い藍色の髪が流れ、惜しむこともなく、自然とはなれる。
 顔を向けずに背を向け、隠し穴を降りてゆく。
「……オルテス……!」
 呼び止めても、振り返ることもなく、何もことばも返さず、そのまま、彼は去っていく。
 隠し穴には元のように彫り込まれた丸い石がはめ込まれ、何もなかったようである。
 音は聞こえなくなる。
 パトリーは、もう動かない丸い石に手をつき、爪を立て、体を丸くさせる。しばらくしてから、彼女から嗚咽が聞こえ始めた。




   Back   Next



TOPNovel「だから彼女は花束を抱える」Top