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 第41話 チーマの城(1) 


「パトリーといいます。本日から、よろしくお願いいたします」
 ぺこり、と頭を下げると、おそるおそる目の前の女性を見た。
 人二人分あろうかという横幅の女性は、このチーマの城のメイド長である。
「ではさっそく、料理を手伝ってもらうよ」
 パトリーは緊張しながら、白いエプロンと紺色の清潔感あるメイド服を着て、調理場へ行った。
 ところが。
「あーんた、一体どういう家で育ったんだい! てんでできないじゃないか!」
 一日働かせなくてもわかるほどの、パトリーの腕であった。
「裁縫もダメ? じゃあ、あんた何しにここに来たんだい」
 このままでは早々にクビになる……あせりつつ、パトリーは己でできることを考える。
「え、っと、掃除、掃除ならできます!」
 パトリーはほうきを持ち、広大な城の中、廊下、客間などを掃除することになった。
 家事はだいたい苦手であるが、掃除だけは人並み程度にはできる。そこを努力で補い、必死にほうきで掃き、壁や置物をふき、何とかメイド長に認めてもらえた。
 城は思った以上に広かった。
 四角形の城内は無論のこと、多くの人々が生活している。多くの部屋がある。
 パトリーはだんだんと仕事や城に慣れてきながらも、ノアの情報は手に入れられなかった。
 しかし、思いがけないところで情報を入手する。
 一日で全城内の掃除はできないものだから、順番にしてゆくこととなる。南の塔を掃除すれば、次の西の塔、という具合に。
「では今日は北の塔ですね」
 パトリーがそう言い、掃除用具を持ってゆこうとすると、同じ掃除仲間が首を振った。
「今日は東の塔だよ」
「え、時計回りではないんですか?」
「北の塔は特別なんだよ。あそこは頻繁には掃除をしには行っちゃだめだって、お達しがあるんだ」
「……何が、あるんですか?」
 秘密だよ、とこそこそと同僚はいう。
「どうやら誰かを捕らえているらしいんだ。罪人だったら、地下牢に押し込めればいいのにね」
 パトリーは、へえ、と相槌を打ちながら、服の下に汗が流れるのを感じた。
 もしかしたら、そこにいるのかもしれない……。
 しかし、この目で確認しなければわからない。テオバルトが言うように、パトリーのようなスパイへの、おとりである可能性もあるのだ。
 北の塔へ行くのは、食事やいろいろな雑務に必要な一握りのメイドと、軍隊の中でも特別な人たちだけだという。
 その一握りのメイドになれれば、比較的簡単に内部情報を探れるだろうが、入ってすぐのパトリーにそんな役目を回らせてくれるとは思えない。
 ただ静かに、北の塔の掃除の日が来ることを、パトリーは待つことにした。
 毎日毎日、朝から晩まで掃除の日々が続く。
 こうした日々をすごしていると、外部の情報、レジスタンスの情報や、海上を軍艦が侵攻し始めているであろうシュベルク国の話が聞けないのが、つらいところだ。
 それでもパトリーは、ノアの安否を知るため、静かに日を待つ。
 そしてその日の朝も、慣れた様子で掃除用具を手に、行こうとしたところだった。
「すまんのう、メイド長さん」
 使用人部屋に、見たことのない老人が現れた。
 背は完全に曲がり、杖で立っている、背の低いおじいさんである。髪の毛は完全に白く、あごひげもまた白くて長い。
「どうしましたか、ムツィオさん」
 メイド長は気楽に彼の前に立つ。
「わしのあの部屋の、模様替えをしようと思ってなあ。一人、手伝いがほしいんじゃ」
「……そうですねえ。重い家具を運ぶのでしたら、力の強い男の方がいいでしょうね」
 メイド長は何人かの使用人を見つつ、選んでいると、ムツィオは、いやいやいや、と骨のような手を振る。
「そんな大層なことをするつもりはないんじゃ。ちょっとした掃除のようなものじゃから……そうじゃ、そこの娘一人でいいんじゃよ」
 と、パトリーを指差した。
 でもねえ、とメイド長は難色を示す。
「この子はこの前入ったばかりで、ムツィオさんの管理なさっているものの価値も知らないでしょうし、少し不安ですよ」
「重要なものは触らせるつもりはないんじゃよ。それとも、その子は掃除ができんのか?」
「いえ、掃除はできますよ」
「ならいいじゃろ」
 来なさい、と、ムツィオはパトリーを促す。
 パトリーはメイド長をちらりと見ると、行きなさい、と言うように頷かれたので、彼についていった。
 城は基本的に四角形であるが、東の角だけは違う。
 角の塔からぽこりと部屋がつきでているのだ。
 パトリーは城内のいろいろな場所を回ったが、その部屋に入るのは初めてであった。
 部屋には、不思議なものが置いてあった。鎧、剣、皿、紙、何かの箱が大量。それらが立てかけられたり、壁にかけられていたり、棚の上においてあったりしている。
「絶対に、どれにも触るんじゃないんじゃぞ」
 ムツィオは強く念を押す。
 部屋はそういったものがあふれて置かれていたので、立つ場所にも困る。
 ムツィオは奥へ行くと、蜘蛛の巣がはったような椅子を二脚用意して、ひとつに彼は座った。
「座りなさい」
 パトリーは壊れないかな、と思いながら、もうひとつの椅子に座った。
 部屋は、グランディア皇国のキリグート城にある、『オルテスの間』に似ていた。古い小さな博物館である。
「ここはチーマの城の歴史じゃ」
 満足げにムツィオは部屋を眺めている。
「何百年も昔の鎧や剣、やりとりされた手紙を保管しておる。感じぬか? ここには歴史の空気が息づいておる」
 ムツィオが大きく息を吸う。パトリーもつられて、深呼吸した。
「わしは、ここのボンクラの城主や軍隊やハリヤ国がどうなろうと、構わん」
 過激な発言に、パトリーはぎょっとする。
「じゃが、この『歴史』だけは守りたいと思っておる。ここに置かれたものだけではない。この、何百年立ち続けているこのチーマの城も、じゃ。だから、わしはお前さんの支援をするんじゃ」
「あ、なたは……」
 ムツィオはにやりと笑う。
「ただの歴史学者のジジイじゃよ。それとも、レジスタンスのスパイの一人、と言った方が早かろうかの?」
 パトリーは息を呑みつつ、前のめりになり、小さな声で問う。
「……あなたが、あたしのサポートをしてくれる、という方なのですか。ノア、ランドリュー皇子の情報を、何かご存知ないですか?」
「わしもここの保管が仕事じゃから、城の中のことはあまり詳しくない。しかし……わしは見た。夜中、馬車がこの城に入ってくるのを。城門前の橋は降りるし、城門は開くしの、あきらかにこの城の馬車じゃった。ところが、その馬車の中で、誰かが暴れておった。離せ、とか、いろいろ叫んでいた。馬車の中の別の誰かが言った。『皇子なのだからお行儀よくなされよ。あなたの護衛も別々ではあるが同じ城にいるのだから』と」
「……そ、それで……」
「それだけじゃ。あとは、北の塔に誰かがいるらしいという話はあるが、ようあそこまで行かん。地下牢の可能性もある。あそこも何人か、今も罪人がいたと思うしの……」
 パトリーはぐっとこぶしを握る。
「北の塔を探るのが、先決ですね」
「そうじゃの。皇子の居場所がわかれば、あとは、レジスタンスの何人かを城内に呼び、救出すればよい」
「できるのですか?」
「まあのう。わしはハリヤ国の歴史学者として、いろいろツテを使えば外に出ることもできる。それも、この城が戦争状態になる前なら、じゃ。さすがにレジスタンス側と戦争状態で、そんなことはできん。だから、なるべく早く、救出しなければならん」
「はい。必ず……」
「うむ、頼んだぞ。皇子が救出されれば、レジスタンス側も戦争がやりやすくなるそうじゃ。そうなれば、このチーマの城が壊されずにすむかもしれん。わしは現代の政治思想なんてどうでもええ。ただ古い歴史的に重要なものさえ守れれば」
「だからレジスタンスのスパイに……?」
 パトリーは、すごいおじいさんだと思った。
「わしはのう、昔の貴重なものが壊れてゆくのを見たくない。貴重なものが戦争でなくなることは、あまりに多すぎる。何百年守られていたものが、一瞬でなくなる――あれは世をはかなみたくなるものじゃ。だからの、わしは古き貴重な品が守れるのなら、なんでもする。この城を守るためなら、歴史学的に知っておることなら何でも言う。たとえば、とある城の隠し扉の場所だって言う。現在行方不明で探しているような古き宝の情報も、知ることなら何でももらす」
 最後の言葉に、パトリーはぴくりと反応して、思わず言ってしまった。
「行方不明の古き宝の情報って……たとえば、聖剣ハリヤの情報も?」
 言ってしまい、パトリーはしまった、と思った。
 何を言ってしまったのだ。これで、もし、肯定の答えを聞いてしまったら……。
「おお、場所は知らんが、形は知っておるぞ」
 肯定を、聞いてしまったら……。知っている人間がいるのなら……オルテスは……。
 パトリーは口を押さえる。
「けれど、それはこの歴史学的資料の数々と、チーマの城が守られてから、の情報じゃ。今簡単には話せん」
 ただで情報は与えんぞ、とムツィオは指を振る。
 パトリーはぎこちなく、こわばった顔でかすかに笑い、次の瞬間には、まじめで青い顔となった。
 そして、他の人にはその話を教えないでくれ、と頼んだ。
 けれどムツィオはつっぱね、パトリーはスカートの上に置いたこぶしを握りしめた。


 パトリーの掃除の日々が続く。
 焦りがないわけではなかったが、パトリーは機がくるのを待った。
 そして、北の塔の掃除の日が来た。
 パトリーは念のため、細剣を隠し持ち、同じ掃除仲間と共に、向かう。
 北の塔自体は、南・西・東と同じ作りである。四角い城の角に当たる場所に、突き出るように高い、丸い塔。
 パトリーたちは一階から掃除し始める。そこでは何もなかった。
 そして二階。一つ部屋があったが、その部屋には誰もいない。
 三階。同じく、部屋にも誰もいない。
 そして四階。最上階である。三階の階段を掃除し終え、上へ向かうと、兵士がいた。
「すぐに終わらせろ。部屋には近づくな。廊下のみだ」
「……は、はい」
 部屋は一室である。その扉の前には二人の兵士が武器を持って立っている。扉には窓もなく、部屋の様子はうかがえない。
 外から見たところも窓は一つもなかった。
 パトリーはほうきで掃きながら、何とか中の様子がわからないか、と頭の中が働いている。
 兵士はパトリーたちの様子をぎろりと見ていて、壁にはりついて聞くこともできない。
 扉に近づくこともできない。
 これでは何もわからない。
 こうなれば、この部屋へ来ることを許されたメイドに、何とか話を聴くしかないか、と考える。ただし、それはかなり危険だろう。彼女たちは厳重な警備のこの場所に来ることを許されたくらいだ。すべて絶対に秘密にすることは言われているだろう。そして、その内部情報を尋ねてくるパトリーを、不審がるに違いない。しかもパトリーはまだ新参者なのだ。
 何とか口八丁で、聞くしかない……。
 パトリーがそう瀬戸際の決意していると、部屋から派手な音が聞こえた。
 何かが倒れ、何かが壊れたような音である。
 パトリーのほうきの手が止まった。
 掃除仲間の同僚も驚き、部屋への扉を見る。
 部屋からは、再び派手な音が聞こえた。複数人の怒鳴り声まで聞こえてくる。
 パトリーが呆然と立ちつくしていると、内側から扉が開いた。
 兵士達は、敬礼をした。同僚がパトリーを慌てて引っ張り、廊下の端で、頭を下げさせた。
 扉からは何人かが出てきていた。中には軍服を着た人間もいる。
 彼らは何かを言い合っていた。
 パトリーは頭を下げていつつも、ちらりと顔を上げると、彼らの中に、ヴェラがいた。
「!」
 パトリーは慌てて再び頭を深く下げる。
 どくんどくん、と心臓の音が高鳴りながら、気づかないように、と祈る。
 彼女はパトリーの前を通り、そして通り過ぎていった。
 思わず息を吐く。
 安堵したと同時に、最後尾を行く男がパトリーの前で立ち止まった。
 軍靴が見え、パトリーへ体を向けている。
 パトリーが緊張の内に、おそるおそる顔を上げると、そこには髪の毛の一本もない、厳しい眼差しの熟年の男がいるのだった。
 パトリーの全てを知るような目で観察すると、その男は去っていった。
 そのとき、兵士達によって、扉が閉められようとしていた。
 パトリーは、はっとして、その扉の中を見る。
 するとそこには、頬にあざのできた――ノア。
 パトリーは彼の名を呼ぼうと口を開けた。が、この場ではまずい、と何とか津波のように押し寄せた感情をねじ伏せ、何事も逃すまいと、彼の姿を見る。
 ノアも気づいたようだった。とても驚いていた。
 扉が閉まる直前、彼は首を横に振っていた。
 パトリーはいつまでも、その扉を見続けていたかった。
「ほら、もう掃除はいい。帰れ」
 兵士は、パトリーたちを北の塔から、追い出した。

「はー、すごかったねえ」
 北の塔から出ると、水中から出てきたように同僚は深呼吸する。
「そ、そうね」
「それにしても、あんた何かやったの? 将軍に見られていたようだけど」
「将軍?」
 そう、と同僚は説明してくれる。
 さきほどパトリーを見ていたのは、この城で将軍と呼ばれるヤカール将軍だと。噂では、この城内の実質的最高責任者らしい。そして、彼はシュベルク国出身で、十年前にこの城に来て、すぐに城主に気に入られ、将軍と呼ばれるほどに登りつめたと。
「四十を超えているっていうのに、あの身体はすごいよね。この城の軍の中でも、誰にも負けないんだって。あんまり話をしない人だから、どういう人かはよくわからないんだけど」
「ふう……ん」
 そんな人が、なぜパトリーを見ていたのか。
 まさか……スパイだとばれた……?
 いや、パトリーはまだ何もしていない。どこまでも慎重に、新参者のメイドをしている。わかるはずがない。
「注意深い人という話もあるから、新しく入ったあんたを、覚えようとしたのかもね。もしかしたら、メイド全員覚えているのかも……」
 同僚は笑って、パトリーも笑っておいた。
 しかしパトリーの頭の中にあるのは、扉の隙間から見えた、ノアのことだ。
 頬にあざができていた。部屋の中で大きな音や、怒声があった……。捕まってから、あれが初めてのこととは思えない。ずっと、辛い思いをしていたことだろう……。パトリーは悔しい。どこまでも悔しい。
 イライザも、辛い目に遭っていることだろう……。
 彼らを絶対に助けるという決意を改めて、ムツィオと再び会って話す算段を考え始める。
 救出作戦が開始されたのは、数日後のことだった。




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