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 第39話 不貞の女(1) 


 ハリヤ国の夏はパトリーにとっては耐え難い。あまりに暑く、虫の量も多い。
 大きな虫が飛び交う中で、パトリーはじっと黙って座り、とある老人の話を聞いていた。
「チーマっちゅうのは、難しい土地でなあ」
 パトリーが一時的に在籍するレジスタンスには、リーダー・テオバルトの考えに賛同して集まった人間が多い。
 パトリーの前にいる老人も同じだ。彼は、ノアが捕らえられているらしいチーマ出身だということで、パトリーはわずかでも情報を得ようと、話を聞いていた。
「チーマの城の城主様は、お貴族様でな」
「貴族って……確かここハリヤ国は軍制で、レーヴェンディア王国の貴族制度は廃止されたんじゃ……」
「名目上はな。だけどなあ、ハリヤ国誕生時、国中は二分、三分して、あっちとこっちが手を結び、こっちとそっちが手を切り、と、もう訳がわからん内乱状態だった。そんな中で、チーマの城の城主様は、かなり運がよくて、現在のハリヤ国側についたわけでな。そのおかげで、名目上は将軍だか大佐だかの称号を得たが、現実は昔と変わらず、貴族的にチーマの城の城主様をやっているわけだ」
「……その城主様、というのはどういった人なんですか?」
 老人は、ぷっと吹き出して、笑い始めた。
「それがなあ、とんでもない肝っ玉の小さい男でなあ。極度の怖がりさね。ハリヤ国のことも信用していねえ。いつ首を切られるか、ってびくびくしてるのさ。おかげで、城にはハリヤ国の軍人は極力入れていねえ」
「じゃあ、どういった人が城にいるんですか」
「他国からの亡命者さ。仮にもハリヤ国側の城主様なんだ、反政府的な人間を入れるわけにはいかねえ。となると、そこらへんが妥当なんだろうな。シュベルク国やミラ王国の国外追放になった連中や、亡命してきた連中を側近にして、毎夜毎夜、震えているんだとよ」
「シュベルク国の……」
 ノアはシュベルク国の皇子である。
 シュベルク国から国外追放と処されたり亡命したりする人は、シュベルク国に好感情は抱いていないだろう。彼らが力を持っているなら……。
 つまり、ノアが狙われ、捕虜とされる理由がある……。
 老人はノアのことや捕虜の話などは知らなかった。
 パトリーは頭を下げ、テントを出た。
 夜空は星が大運河を作って、眩しいほどだ。
 パトリーはレジスタンスに入ってから、こうしてチーマのことについて知っていそうな人に、片っ端から話を聞いている。
 チーマの城についての情報は得ているが、ノアのことはほとんど聞けない。
 それでも諦めるわけにはいかない、と、パトリーはまた明日話を聞こうと自分のテントへ戻る。
 その途中で、ばったりオルテスと会った。
 パトリーとオルテスは共にレジスタンスにいるが、近くのテントで暮らしていないので、以前ほど一緒にはいれなかった。
 そのせいか、どこかぎこちなくパトリーは話しかける。
「こんな夜に、忙しい事ね。昼は歩きづめだっていうのに」
「そっくりそのまま返すぞ」
 レジスタンスは一カ所にとどまってはいない。新たな地域を解放するため、組織の人間は昼は歩いて移動している。
 オルテスの顔に疲労の色は見えないが、代わりに少しだけ落胆の色が見えた。
 彼は聖剣ハリヤを探している。パトリーと同じように、いろいろな人にそのありかや形状を知っている人がいないか、聞いて回っているのだろう。
 落胆の色があるということは、さっぱり情報が手に入らないと推測できる。
 パトリーはほっとしてしまった。
 オルテスはむっとする。
「人の不幸を笑うわけか」
「や、そんなつもりじゃ……」
 二人は横に並んで歩き始めた。
 まだ起きている人が多いせいか、声や物音はよく聞こえる。丘の上に密集したテントの合間を縫って、二人は歩く。
「そちらも、かんばしくないようだな」
「………。本当はここにはいない、と聞く方が嬉しいわ。実は今もタニア連邦にいて、安全で無事でいてくれた方が……」
 しかしそんな情報はまったくない。戦争にまで発展するようになって、それでも無意味に姿を隠すようなノアではない。
 オルテスとパトリーが重い雰囲気で歩いていると、あ、とオルテスが声を上げた。
「あそこにいるのは……」
 オルテスの左辺へ、パトリーも目を向けた。
 テントよりも遠くの丘の上に、二人が座っていた。男女だろう。星を見ているらしい。
 二人が顔を見合わせて、何かを言っている。
 その二人を見て、パトリーは声が出なかった。
 テオバルトとケートヒェンである。
 顔を近くで見合わせて、寄り添いながら、親密そうに笑っている。
 二人は妙齢の男女だ。ただ、ケートヒェンはミラ王国のニファー伯爵の妻である。
 パトリーはこの事態に、顔が強張った。
 何となくといった風情で見ているオルテスへ、パトリーは頼んだ。
「お願い、オルテス。このことは絶対に誰にも言わないで」
 深い興味はなかったのか、オルテスは簡単に頷いた。
「ひとの恋路に口を出すのは、趣味ではないしな」
 パトリーは友人として、そうもいかなかった。


 レジスタンスは軍隊のようなものである。集団で行動し、集団で食事をとる。そのため、食事の用意は大変なものだ。夕食と昼食もだが、朝食の用意は多くの人の手をつかう大仕事である。
 次の日、いつものように日の昇る前から、朝食の準備が始まった。
 ケートヒェンも参加して、山のような野菜を切っているところだ。
 小気味よく包丁の切る音が続く中で、
「あたしもやるわ」
 とパトリーが横に立った。
 包丁をとろうとしたところで、ケートヒェンはパトリーの手を止めた。
「パトリーに包丁なんて持たせられませんわ。危なっかしくて。するなら、そちらの鍋をかき回してくださいな」
 パトリーはちょっとむっとしたが、素直に鍋の方へ向かう。
 再び包丁で切る音が規則的に響く。
「ねえ、ケートヒェン。……旦那さんと、うまくいっていないの?」
「……なんですの、急に」
「相談には乗るわよ。あたしができることなら……」
「何もありませんわ。問題なんてありませんもの」
「本当に?」
「本当に」
 パトリーは顔をゆがめて、悲しそうにケートヒェンを見る。
「ならテオバルト様とのことは何なの」
 ケートヒェンの包丁の手が止まった。
「旦那さんともうまくいっていて、テオバルト様ともうまくいっている、って言いたいの?」
「パトリー……」
 パトリーはただの誤解だと思っていた。二人一緒に星を見ていたくらいでは、いくらでも別の理由が考えられる。
 けれど、ケートヒェンは狼狽している。パトリーの言うことを笑い飛ばしてもくれなかった。
 それを見るのが、パトリーは悲しかった。
「……ケートヒェン……あなたはニファー伯爵夫人でしょう? 旦那さんがまだ知らないというのなら、間に合うわ。二人の間がこじれているのなら、あたしだって手助けするわ」
「………。関係ないですわ、パトリーには」
「何」
 急にケートヒェンはかたくなになった。
「私のことにも、テオとのことも、パトリーには関係ありませんわ。口出ししないでくださいません?」
「ケートヒェン……関係ないってなによ。友達じゃない。手を貸したいのよ」
「それが迷惑だと言うのですわ。私のことは私と、テオが考えていますわ」
 彼女は自分の夫のことを言わなかった。夫婦の間に決定的な何かがあったのだと、パトリーは悟る。
「……いつまでも続くわけがないでしょう? 旦那さんのことはどうするの? あたしは思わないけれど、社会的に外から見れば、ケートヒェンは不貞行為をはたらいていることになるのよ。テオバルト様とのことも、せめて別れてからにした方がいいわ」
「だから! 迷惑なんですわ! 私のことですのよ! ……まるで正義の使者のような口ぶりですけど、パトリーだって不貞をはたらいているんじゃありませんの!?」
 突如、言葉の刃はパトリーへ向けられた。今度はパトリーが狼狽する。
「ランドリュー皇子の婚約者なんでしょう? それにも関わらず、オルテスさんという男と仲良くするのは、皇子に対する裏切りではありませんの? それとも、結婚さえしていなければそれでいいって問題ですの?」
 パトリーの顔から表情が消えた。
「あたしは……オルテスとは何もないわ」
「どうだか」
 ケートヒェンは疑わしげに横目で見る。
「本当に、オルテスとは、やましいことはしていない。……オルテスはきっと、欠片ほどもあたしにそんなことは思っていないのよ!」
 怒ったように言ってしまったパトリーは、どれに対して怒っているのか。疑うケートヒェンにか、話をそらされたことにか、それとも、オルテスと本当に何もないことに悔しさを持ってしまった自分にか……。
 二人の女の間に、気まずい空気が流れた。
 そんなとき、他の女達がたくさん現れ、二人はそれ以後会話することはなかった。


 太陽は昇り、天頂近くへ訪れた。
 レジスタンス軍は西へ進む。
 昼食の休憩時間がとられた時、パトリーはケートヒェンと話をするべきかしないかで迷った。
 彼女が遊びで他の男と付き合うような女ではないとは分かっている。だが、真剣だというのなら、それはそれで問題だ。
 ニファー伯爵に告げるつもりは毛頭無い。パトリーはどこまでもケートヒェンの味方だからである。
 だからといって、このことが伯爵に明らかになれば、ケートヒェンがまずい立場に立つのは明白だ。
 そのせいで離婚となり、実家に帰されれば、実家でも辛い思いをするだろう。
 説得しようにも……あの様子では、話を聞きはしない。うまい説得方法を思いつかないパトリーは、だから話をするべきかで考えてしまっていたのだ。
 岩に腰掛けて考えていると、パトリーの目の前に、この件の重要人物が現れた。
「今、話はいいんかな? 大切な話があるんじゃが」
 テオバルトである。何の悩みもなさそうな顔で現れた。
 パトリーはむっとした。誰のおかげで、友は窮地に立っているのか。実際二人の問題だとしても、心痛なんて無縁だとでも言いたげな呑気そうな顔で当人が現れると、むかむかして糾弾したくなってしまう。
 勢いよく立ち上がり、一言いってやろうとした。だが、先にテオバルトが話し始めた。
「ランドリュー皇子のことなんだがのう」
 パトリーは怒りの熱が急にひき、臓腑が引き締まるような気がした。
「の、ノア、ランドリュー皇子の……!?」
「そうじゃ。いろいろと調べたところ、ランドリュー皇子は本当にチーマの城で捕虜となったらしいんじゃ」
「そ、それで! ノアは無事なんですか!?」
「……捕まっているようじゃが、生きている。護衛の女も」
 パトリーはへなへなと岩に座った。
 生きている。生きている!
 ああ……。
 よかった……!
 背負い込んでいた重い荷が、少し軽くなった気がした。
「まだ安心するのは早い。皇子は護衛と離れて監禁されておるらしい。生きている、という報告だけで、どういった状況なのかは分からんのじゃ。おらはな、皇子を解放したいと思っておる」
「本当ですか!?」
「まあまあ、話は最後まで聞きなさいて。チーマの城を落とそうと考えておるんじゃが、戦いになる前に、皇子を助け出しておきたい。……いろいろ理由はあるんじゃ。そこでな、チーマの城に、潜入してもらいたいのじゃ、パトリーさんに」
 仰天してしまう。
「え、あたしが、潜入……!?」
「残念ながら、ランドリュー皇子の顔を知る人物というのが、このレジスタンスでは、パトリーさんか、オルテスさんくらいしかおらん。こういった大切な捕虜や人質というものは、その偽物がいることがあるからのう、顔を知る人間に潜入してもらい、連れて逃げるのが一番なんじゃ。悪いんじゃが、メイドとして潜入させる方法しかなくての、オルテスさんには無理じゃ。そこでな、パトリーさんにメイドとして潜入してほしいんじゃ。いや、もちろん、これは強制じゃない。かなり、危険であることは確かじゃ。危険にはならんよう、サポートはするつもりじゃが、それでも危険じゃ。死ぬこともあり得る。……まあ、これは一つの案じゃ。こういった話がある、ということだけ、考えておいてほしい」
「…………」
 パトリーは迷っていた。
 自分には剣の腕もなく、そういった能力はあまりない。ここで自分がやる、と言って、自分のせいで足を引っ張れば、ノアの身を危うくすると分かっているからだ。
「まあ、断ってもおらは別に何も思わん。婚約者のパトリーさんにそういったことを訊く、というのが酷だとは分かっておるんじゃ」
「少し……考えさせてください」
 テオバルトは笑って頷いた。
「よく、よく、考えなさい。ここですぐにやる、と言われたら、おらはまず断った。……ケートにも、叱られるじゃろうしの」
 ケート、という言い方に、パトリーはぴくりと反応した。
「……話は変わるんですが、テオバルト様。ケートヒェンのことを、どう思っているんですか」
 パトリーはしっかりと見上げた。
「あたしは彼女の友人です。真剣にお答え下さい」
 急な問いにテオバルトは戸惑っていたようだが、真面目な顔つきになった。
「おらは本気で、ケートのことを大切にしたいと思っておる。何があっても、絶対に。ケートの友人のパトリーさんには、それは信じてもらいたい」
 パトリーは目をつむった。
 最悪だ。
 どちらもが真剣に想い合っている。
 だが、ケートヒェンは人妻なのだ。
 テオバルトも分かっているだろうが、パトリーは問い詰め確認せずにはいられない。
「テオバルト様……。ケートヒェンがニファー伯爵夫人だと、ご存じで、もちろん言っているのですよね……」
「それはよおく分かっておる。ケートは貴族で、おらはレジスタンスのリーダーで……しょせん身分違いちゅうのは分かっておるんじゃ。それでも……」
 パトリーは岩からずり落ちそうになりながら、叫んだ。
「そんなことが問題じゃないでしょう! ケートヒェンが結婚している、ってことが問題なんでしょう!」
 すると、テオバルトは微妙な顔をした。
 困惑気味な顔で、まじまじとパトリーを見ている。
「……まさか、まだ知らんかったんか? ケートの夫は……」
 夏の熱風がふく。
「もう、二年も前に亡くなっておる」




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