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 第38話 偽りの王子(3) 


 二人は部屋に招き入れられた。
「これが聖剣ハリヤじゃ」
 その剣は眩しかった。黄金に輝く鞘、宝石のちりばめられた外観。
「詳しく見せてもらってもいいか?」
「……渡すわけにはいかんが」
 オルテスは近づき、剣の鞘や柄を食い入るように見つめた。
「ほれ、ここにあるんが、レーヴェンディア王国の紋章じゃ」
 柄の細工を丹念にオルテスは見る。
 パトリーは心配になる。彼は聖剣ハリヤを手に入れるために来たのだ。このまま奪い取ることも……。
 だが、予想に反して、オルテスは簡単に離れた。
「もういい」
「? いいって……」
「これは、聖剣ハリヤじゃない」
 まるで油断していたところを背中からぶすりと刺されたかのような驚愕が、場を支配し、空気が凍り付いた。
「な……何を言ってますの! あれは聖剣ハリヤですわ! 紋章だって……!」
「紋章があるから、おかしいんだ。聖剣ハリヤは600年以上前からあった。たかだか歴史300年の王国の紋章なんてあるはずがない。もし後になって上から彫られたとしても、そこには不自然さがあるはずだ。だが、あの剣はそもそもその紋章があることが前提のような作りをしている。それに……これはあまり自信がないが、どこか新しすぎる」
 ケートヒェンは口をぱくぱくさせる。
「偽物だ、って?」
 パトリーが訊くと、彼は頷いた。
 静寂が部屋を包む。あっはっは、とテオバルトが豪快に笑い始め、沈黙を破った。
「なるほどのう。紋章が証明すると思っておったが、あるからこそおかしいんじゃな」
 パトリーは笑い続ける男を見た。
 聖剣ハリヤが偽物だという。……するとつまり……彼は、誰だ?
「これが偽物だということはともかくとして、本物の聖剣ハリヤのことを何か知らないか?」
「そんなもん、あったら自分で手に入れる。300年以上前の品だってことすら知らなかったんじゃからな。う〜む、もう少し詳しい情報を手に入れるべきじゃったか」
「あなたは……誰なの?」
 王子だという証明がないのなら。
 テオバルトは黒目がちの目を輝かせ、にっと笑う。
「父親は知らん、ただの農家の子じゃよ」
「テオ……」
 ケートヒェンがそう呟くと、テオバルトは悲しくて申し訳ない顔をした。生き生きとした表情をする彼であるため、その感情は純朴に表面に現れた。
「騙しておってすまんかったのう。亡くなる直前の前のリーダーと相談して決めたことだったんじゃ。ハリヤ国の人々を惹きつけ、レジスタンス運動を大きくするために。……いずれはばれるとは思っておったんじゃ。おらはどうなろうとも、覚悟はできておる。ケート、おらをどうしたい?」
 ケートヒェンは胸の前にある両手を握りしめたかと思うと、首をぶんぶんと横に振った。
「テオ、私たちがあなたについてきたのは、何よりあなた自身に惹きつけられたからですわ。私は、あなたがどんな出自でも、関係ありません。このレジスタンスは、あなたがいなければならないのですわ。みんな、手の届かない高い位の人についてきたのではありません。みんなに目を向け、一人が泣けば一緒に泣き、一人が喜べば一緒に喜ぶ、そんなテオを慕っておりますのよ」
「ケート……」
 テオバルトの瞳が潤んだ。
「うう……おら、おら……」
「泣くのはみっともありませんわ、ほら……」
 ケートヒェンはハンカチを差し出すと、パトリーとオルテスに目を向けた。彼女が言う前に、パトリーが機先を制した。
「分かっているわよ。このことは言わない。ね、オルテス」
「言う理由もないからな。おれが求めているのは聖剣ハリヤとその情報だけだ」
 ケートヒェンはほっとして、テオバルトはわんわんと泣いた。

 パトリーとケートヒェンは部屋を出て、虫の多い外へ出た。テントへ戻ろうとしたところで、オルテスが周囲を見回しながら言う。
「パトリー、気をつけろよ」
「? 何が?」
「帰り道を」
 パトリーは瞳を揺らしながらオルテスを見上げたが、背を向けた。
「そんな言葉、ずいぶんと優しいことね。どうでもいい相手に」
「どうでもいいって、何だそれは」
「そうじゃない。オルテスにとって、過去以外はどうでもいいんでしょ? 過去が一番、戻ることが一番。それには随分とこだわるくせに、あたしがノアと結婚すると言ったときは、オルテスにとってはどうでもいいように、おめでとうって」
「……それの何が悪いんだ。なら言うぞ。過去へ一緒にくるかと訊いたとき、離れたのは誰だ。パトリーだって自分の地位と立場とノアのことを考えたんだろう、おれをどうでもいいと思ってな」
 パトリーは振り向き、傷ついたように口を開く。
「ノアは捕虜にされたのよ? 何より心配するのは当然のことでしょう。どうでもいいとか、そんなことの前に……」
 彼女は言いかけて途中でやめた。少し離れたところでケートヒェンが二人の様子を見ていたからだ。
 パトリーは気まずそうにしながら、そそくさと走ってテントへ戻っていった。
 ケートヒェンは走り去るパトリーとオルテスを交互に見ながら、パトリーの後ろを追いかけていく。
 オルテスは本当に帰り道気をつけてもらいたかったのだが、あの分では聞いていないだろう。
 実は、外へ出た時、この建物からさっと離れる影を見た。もしかしたら、聞き耳を立てられていたのかもしれない。
 その怪しい人間が分からない以上、気をつけるように、と言ったのだが。
 扉の前に残ったオルテスの肩に、ルースが飛んできて留まった。
 途端にルースはつつきを食らわしてきた。オルテスは呻きながら睨み付ける。
 飯もやっているし、何が不満だというんだ。
 ふっと、オルテスは睨むのをやめる。なんだか無性にばからしく思えた。
「おや、まだ残っておったんか」
 扉からテオバルトが顔を出した。
「そうじゃ、オルテスさんと言ったかいの。うちのレジスタンスに入らんか?」
 にこにこと言うテオバルトに、呆れ返った。
「おれはレジスタンス運動なんて興味ないぞ。そもそもこの国の人間じゃない」
「じゃが、聖剣ハリヤを探しておるんじゃろ?」
 オルテスは目を細めて彼を見た。
「どうせ外国人はハリヤ国の中枢には入れん。それならこのレジスタンスで情報収集した方がいいと思うがのう。おらも情報を手に入れられるよう、努力する。その代わり、腕がよさそうじゃし、少々役立ってもらう」
「それが目的だろう」
「ははは、否定はしない。それにの、聖剣ハリヤがオルテスさんの手に渡れば、おらの聖剣ハリヤが偽物だとばれる確率が下がる」
 オルテスが聖剣ハリヤを手にすれば、それはグランディア皇国へ渡る。そしてあのアレクサンドラは大々的に聖剣ハリヤを持っていることを発表するだろう。女皇の位につくために。
 それを分かっていたが、オルテスはあえて黙っていた。
「それにしてものう、オルテスさんは最初からおらの聖剣ハリヤが偽物だと思っておった節がある。どうしてなんじゃ?」
 オルテスは薄く笑った。
「おれもいろいろと情報は手に入れていたってことだ。聖剣ハリヤの最後に確認できた消息は、十五年前のレーヴェンディア王国滅亡時、最後の王が捕らえられる間際に持っていたということだ。その後、杳としてありかは知れない。あんたが王の子だとしたら、死の間際まで持っていた聖剣ハリヤが、どういうルートであんたまで回ったのか、考えるのが難しい。王の子の証明だとしたら、それこそ王の生きている間に下賜されていたはずだ」
「ははあ、なるほどのう。ウチはあんまりそういうことを考える奴がおらんでの。今までそんなこと疑う人間はおらんかったんじゃが。王様の近くにいた前のリーダーですら、あまり知らんということだったから、誰にも判別がつかんじゃろうと思っておったが……」
「……不思議なことがある。どうしてあんたが、王の子の役をすることになったのか。もっとらしい、、、人間はごまんといるだろうに」
 テオバルトはその発言に豪快に笑い、気にとめた様子はない。そしてあまりにも軽く、彼は口にした。
「簡単じゃよ。おらは本物の王の落とし子だからじゃ」
 テオバルトの黒い瞳が、夜中でかなり暗いというのに、輝いていると分かるほど、きらめいている。
「前のリーダーはのう、レーヴェンディア王国の騎士団長をしておっての、おらの母ちゃんと王様との間に、おらが生まれておったことを知っておった。おら自身が知るのは、母ちゃんの死ぬ間際じゃったが……。そのときにの、レーヴェンディア王国の紋章の入った高価そうな短刀を渡された。それは王様から送られてきた、おらが本当に王様の子だという証の品だった」
「ならなぜ、聖剣ハリヤの偽物を作った。その短刀で十分だろう」
「売っちまったからじゃ」
 こともなげにテオバルトは口にした。ぺろっと舌でも出しそうな様子に、オルテスは気の抜けるような気がした。
「母ちゃんを医者に見せるために、売っぱらっちまった。レーヴェンディア王国の紋章がついておったらハリヤ国に目をつけられると思って、紋章を削り取り、裏で高く買ってくれそうなところに。……それでも結局、母ちゃんは死んじまったんじゃが」
 テオバルトは深い悲しみを表情に出す。
「おら、王様の子だと言われても、困っただけじゃった。王様が父親でも、暮らしを助けてくれたわけでもねえ。母ちゃんはおらを育てるために人一倍がんばって……そして死んでしまった。おらはな、もう母ちゃんのような人を作り出したくないんじゃ」
 テオバルトが話すことを、オルテスは何かを考えるように静かに聞いていた。
「おらはそれから、国というものを考えるようになった。おらはもっと、知識があろうと、農民だろうと、もっと一人一人国というものを考えなければならんと思う。自分が農民だからって、考えなくていいことではないんじゃ。そうやって、みんなで真剣に考え、みんなで知恵を出す制度を作り出せば、きっといい知恵も浮かぶこともあるじゃろう」
「そんなことをすれば、あんたはトップの座を追われることもありえるだろう」
 権力と地位に執着しているアレクサンドラを思い出しながら、オルテスは口を挟む。
「それでいいんじゃよ。レジスタンス活動に都合がいいから、『王様の子』のおらはこうしてリーダーをしとるが、おらより都合のいい、ふさわしい人間がおるならそいつがトップに立てばいいんじゃ。まあ、聖剣ハリヤのことも、いずればれると思っておったし。おらは王様の子じゃない、とされても構わんのじゃ。おらは別に、レーヴェンディア王国を再興する、なんてこれっぽっちも思っておらん。自分の子供が生まれたら、その子に継がせようとも思わん。国のために一番良いことをしたいんじゃ」
 オルテスは聞きながら、息を吐きつつ笑った。
 時代、というものを直に触れた気がした。
 ――そうしてオルテスは聖剣ハリヤの情報を得るため、レジスタンス組織に一時的に入ることになった。




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