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 第38話 偽りの王子(2) 


「ケートとパトリーさんは、友達だったんじゃな。どこで知り合ったんじゃ?」
 取引は無事成立し、前払い金を除いた金額は、ケートヒェンが支払った。
 パトリーとテオバルトとケートヒェンは歩きながら会話していた。
 彼の言葉に、彼女たちは顔を見合わせる。
「シュベルク国で。あたし達はシュベルク国出身で、共に貴族の娘でしたから、とあるパーティに出たときに。……そうだ、ケートヒェン、あなたミラ王国の伯爵様のところに嫁いだんじゃなかったの?」
 パトリーが問うと、ケートヒェンは少しだけかげりを見せながら、微笑む。
「ええ。ニファー伯爵家に」
「じゃあ、今はニファー伯爵夫人よね」
「やめてくださいな、パトリー。今まで通りケートヒェンと呼んで」
 ケートヒェンは友達らしいたわむれのように、パトリーの肩を押す。
「そうね……ケートヒェン、で、どうしてここに?」
「ニファー家がこのレジスタンスに援助を行っていますのよ。その関係でここに。……と言っても、私はミラ王国の代表みたいなもの。ミラ王国は密かに、ハリヤ国打倒のためのこのレジスタンスを援助していますの」
 政治的なことを考えると当然のように思われた。
 このハリヤ国の北方、国境線を越えたところにあるミラ王国。隣接しているがゆえ、常に戦争を吹っかけてくるこのハリヤ国を危険視しているだろう。
「では、ニファー伯爵様は?」
「……夫は……今、ここにはおりませんわ」
 ミラ王国にいるということだろうか。妻だけこんな危険な場所に残すことに、パトリーは顔をしかめた。
 それを見て、ケートヒェンは首を振る。
「パトリー、誤解しないで。私は好きでここにいますのよ。夫のせいではありませんの。むしろ私が無理を言った形になってますのよ」
「そう……なの? 婚家でひどい扱いを受けてない?」
「ええ」
 ためらいもなく頷く彼女に、パトリーは安堵した。
「そっか、そっか。それならいいんだ」
 幸せならそれでいい。
 パトリーはケートヒェンと昔、結婚に夢見ていろいろと話をした。シュベルク国から遠く離れミラ王国の見知らぬ人へ嫁ぐ不安も、聞いていた。
 それが今、うまくやっているなら、それでいい。
 ふと、隣を歩く男を見上げた。長く大きい葉を持つ高い木の影となり、表情はよく分からない。
 そう言えば無視したような形で女二人で話し込み、王子に失礼なことをしてしまった。あわてて、聞こうと思っていた話題を投げかけた。
「――ところで、テオバルト様。シュベルク国の第三王子、ランドリュー=ノア=シュベルク皇子が、この国で捕虜となったと、そういった話は聞いておられませんか?」
 急にきな臭い話となって、テオバルトは戸惑っていた。
「捕虜? シュベルク国皇子……ああ! 聞いとる、聞いとる」
「本当ですか! 何か、どんな小さな事でもいいですから、情報はありませんか?」
「そうじゃのう。ここから西にあるチーマの城に捕らえられとると聞く」
「チーマの城……。他には、何かお聞きになってはいませんか? せめて生きているかどうかくらい……」
「ううむ、それは聞いておらんなあ、まだ……。なんじゃ、やけにその皇子のことを聞きたがるんじゃな、パトリーさんは」
 パトリーはしばしの逡巡の後、静かに告白した。
「あたしは……ランドリュー皇子の……婚約者なんです」
 テオバルトは口をあんぐりと開けた。ケートヒェンは目を見開いた。
「パトリー……そうだったんですの!?」
 どうやらミラ王国ではシュベルク国皇子の結婚の話題は流れてなかったらしい。
「それは……辛いじゃろう」
 辛いと思う資格は、パトリーにはないと思った。
 パトリーは立ち止まり、ぺこりと頭を下げた。
「取引はありがとうございます。今後の取引も、パトリー貿易会社をひいきにしていただければ。それではあたしはこれで……」
「ちょっと、待って、パトリー」
 立ち去ろうとしたパトリーをケートヒェンが引き止める。
「まさか、チーマの城に行こうと言うつもりですの?」
 そのまさかである。
「やめなさい」
 低く真面目な声で、テオバルトが言い放つ。
「チーマはいまだレジスタンスの解放が進んでおらんのじゃ。シュベルク国人のパトリーさんが考えもなく行ったところで、危険すぎる。そもそもハリヤ国は情報を下まであまり流さん。近くまで行っても情報は入らない。それならばこのレジスタンスにいたらどうじゃ。皇子の情報は必ず手に入れよう」
「そうですわよ、パトリー。それならこのレジスタンスにいた方がいいですわ」
 パトリーは心底心配しているケートヒェンの顔を見ると、立ち止まってしまった。
 少し警戒心を顔に出して、テオバルトを見上げた。
「……ノア……ランドリュー皇子の情報を手に入れる、なんて……どうしてですか?」
「簡単なことじゃよ。おらんとこのレジスタンスは、どんどん各地で解放を進めておるんじゃ。チーマは国内でもかなめの城。解放しようとしておる場所でもある。それには、皇子の情報も大きな情報じゃ」
 それにの、とテオバルトは続ける。
「ランドリュー皇子はシュベルク国の皇子とはいえ、そのお母上はこの国出身。つまり半分この国の人間のようなものじゃ。繋がりがないとは言えん相手、おろそかにはできん。だからこれからも、せめて生死だけでも情報を得ようと努力する。な、悪いことは言わん。ここにいなさい」
 テオバルトは黒目がちな真面目な目でパトリーを見た。
 パトリーはどうにも説得される自分の気持ちを実感した。言っている内容に頷いたこともある。だが何より、この人が持っている、人を説得する力を感じた。
「でも……あたしはシュベルク国人で……それでもいいのですか?」
 テオバルトは豪快に笑う。
「あっはっは。そんなこと、気にせんよ」
「ありがとう、テオ」
 ケートヒェンが言った言葉に、パトリーは耳を疑った。
 王子に対し、その略した愛称は……。
 そう思っていると、別の半裸の別の男が現れた。
「テオ! ちょっと来てくれ!」
「おう」
 テオバルトはその男と共に、走っていった。
 パトリーはぽかんと見ていた。どれも王子への対応とは思えない。
 呆気にとられているパトリーをケートヒェンは見て、くすりと笑う。
「驚いていますのね、やっぱり」
「あの……王子様、なのよね」
「ええ、みんな分かってますわ。でも、らしくないでしょう?」
 パトリーは思わず頷いてしまった。
「テオは……王子様とは言っても、農民の娘との子で、いわゆる落し子ですの。王子という己の身分も全然知らずに育ったそうですわ。自分の素性を知ったのは、お母様がお亡くなりになる直前。死の間際、知らされたそうですの。証の聖剣と共に」
「聖剣……」
「ええ、いつも厳重に保管され、私もめったに見られませんの。そして、レジスタンスに入って……当時のレジスタンスのリーダーは、旧レーヴェンディア王国の第一騎士団の団長さんでしたの。随分とお年を召しておられて余命幾ばくもないと分かったとき、次のリーダーが必要だということになり、テオと決まりましたのよ。団長さんのお墨付きをいただき、テオは王子であると発表され……」
 その後は言葉を続けず、ケートヒェンは駆けてゆくテオバルトを見た。同じようにパトリーも目を向けると、彼の周囲にどんどんと人が集まってゆくのを見た。
 スバリオはレジスタンスの影響下に置かれ、いるのはレジスタンス側の人ばかり。テオバルトの周囲にいる人々は、きらきらした顔で親しい友のように彼に何かを言っている。
「本来反政府運動で軍を養うと、食糧が足りなくなり、領とした場所の町や村から徴収します。けれど、この国はほとんどの人が食糧に窮していますの。自らも貧しい農民の子として育ったテオは、餓死させるような強制的な徴収をよしとせず、こうしてパトリーの会社から食糧を買うことにしましたの。……本当は財政の面からとても厳しいのですが。そういった行動が、人々を惹きつけ、奮起しようという気になるのですわ」
 人々に囲まれながら笑顔で何かを言っているテオバルトを見ながら、彼はエリバルガ国で会った革命軍とは違うのかもしれないと、この国の人が彼に期待する気持ちが分かった気がした。


 暑い……。
 パトリーは深夜、目を覚ました。うだるような暑さは、深く眠れさせてくれない。蠅や虫が飛び回る音が苛立たしい。
 レジスタンスのテントで、ケートヒェンと一緒に眠っていたが、どうにもこの暑さにまだ慣れない。
 隣でケートヒェンは豊かな黒髪を広げ、すやすやと眠っている。彼女は大分、ここの気候や生活に慣れているようだ。……シュベルク国での深窓の令嬢そのままの生活を送っていた彼女とは、大きく違う。
 パトリーとケートヒェンが最後に会ったのは、二年前だった。そのころすでにケートヒェンはミラ王国のニファー伯爵家に嫁いでいたのだが、当時は彼女の親が病気ということで、一時帰国したのだった。
 そのときはパトリーもいろいろとごたごたしていたもので、ろくに話も出来なかった。
 片膝を立てて、頬をころりと預ける。しばらくとりとめもないことを考え続ける。
 パトリーの紫水晶の瞳が、テントの隙間からの月の光に輝いた。
 ……捕虜とされる、ということは、かなりきつい生活を送ることとなる。生死の保証はまったくないのだ。
 パトリーはノアが今、どれほど辛い目にあっているだろうか、と胸が苦しくなる。せめて、せめて生きていて……。
 そのまましばらく沈思していると、ふとオルテスのことも思い起こされた。
 あれから別れて、どこへ行ったのだろう。
 キ、と鳥の鳴く声があった。
 別段不思議なことではない。かなり強い通信手段である以上、鳥に手紙を運ばせるのはよくある。ここがレジスタンスであるため、夜中でも鳥を使うだろう。
 しかし、パトリーはその鳥の声を聴いて、訝しんだ。
 鳴き声に聞き覚えがあったからだ。
 鳥の声なんてあまり覚えられるものではないが、しばらく一緒にいれば聞き分けられる。
 そう、その声はルースの鳴き声だった。
 パトリーは上に羽織り、剣を手にしてテントから出た。ケートヒェンを起こさないように、静かに。
 テントはいくつも張り巡らされている。寝言やいびきが聞こえてくる。寝静まっている中で、テントを横切る影があった。
 パトリーは追いかけた。
 すると、影はレジスタンスが使っている大きな建物へ入っていった。
 一足遅れて到着したパトリーは、一階の灯のついた部屋から、声を聴いた。
「……いや、まだ起きておったから構わん。で、おらに話ってなんじゃ?」
 テオバルトの声である。パトリーは窓際に近寄る。
「聖剣ハリヤのことだ」
 思った通り、そこにはオルテスがいたのだった。
 ランプのはかなげな灯に照らされた顔が、揺らいでいる。
「……具体的にはなんじゃ?」
「まず、見せてもらいたい」
「構わんよ」
 なんとも簡単にテオバルトは承諾し、隣の部屋へ行った。
「そこで何見ているんだ」
 行ったと同時に、オルテスはパトリーへ視線を向けた。ばれていたのかと、パトリーは思い切って窓から顔を出した。
「……どうするつもりなの」
「確かめるだけだ」
 何を、と問おうとしたところで、後ろから心配そうな声で呼ばれた。
「パトリー、こんな夜中に、何をしていますの?」
 走ってきたらしきケートヒェンである。
「気づいたら隣にいなくて……心配しましたのよ」
「ご、ごめん」
「おんや、なんじゃ、ケートにパトリーさん。こんな夜中に奇遇じゃのう。暑くて寝られんかったのか?」
 テオバルトが隣の部屋から戻ってきて、窓の外にいるパトリーとケートヒェンの姿に目を丸くした。




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