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 第38話 偽りの王子(1) 


 食糧とパトリーたちを乗せた船はシュベルク国を出て数週間経って、ハリヤ国へ到着した。
 そのころにはノアが捕虜とされたことは公となり、それに抗議してシュベルク国が宣戦布告していた。
 パトリーの会社の船は密やかに、夜が明けたか否かという時刻、ハリヤ国のとある港へつけられた。
 そこで食糧を馬車に積み替え、運ぶ計画だ。取引現場まで少し遠い。
 ここからがかなり危険なところであった。ハリヤ国軍にレジスタンスへの援助物資だと知られれば、どうなることか。
 できるだけ馬車を小分けにして、さまざまなルートを通して取引現場へ運ぶ手はずになっている。
 取引現場とは、スバリオ。かつて会社の支店があった町、というのは皮肉と言うのか、何と言うのか。
 パトリーは荷が積まれた最後の馬車に乗り込み、その小さな町へ向かった。オルテスも、ルースも共に。しかし二人に会話はあまりなかった。それがおそらく最後の旅であると分かっていても。
 ――ハリヤ国は南国である。夏の真っ盛り、かなり日光が厳しく、ジャケットなんて着ていられない。あまりの暑さに特に昼間は意識が朦朧としかかる。外を見ても、道の左右両方に枝が天辺にしかない高い木が並び、しかも区別がつかないようなのがずっと続き、朦朧とさせるのを助長する。
 それはパトリーだけでなく、オルテスも、ルースさえも。
 そして馬を操る、御者さえもだった。
 朦朧として眠っているのか起きているのかよく分からない状態のとき、
「う、うわああああ!」
 という御者の叫びで、パトリーの意識がパチン、と覚醒した。
 馬車が思いっきり揺れる。
 中に積まれている荷もドドド、と崩れる。間一髪、パトリーは倒れてくる小麦袋から回避できた。
 馬の鳴き声が聞こえ、馬車が止まった。
「……な、何が……!」
 ハリヤ国軍か、とパトリーは緊張する。オルテスは周囲に注意を払い、宝剣に手をかけている。ルースが荷馬車の中を飛び回った。
 オルテスがまず先に荷馬車から降りた。パトリーもそれに続く。
 動揺しすぎている御者の視線の先に、馬の近くで倒れている少年がいたのだった。
 まさか、轢いてしまったのか。
 パトリーは青ざめながら急いでその少年の元へ駆け寄る。
 少年を助け起こそうと手が彼の肩に触れる直前、その少年はむっくりと起き上がった。
「だ、大丈夫ですか。怪我は……」
 少年は砂のついた半ズボンを払って、立ち上がる。見る限りでは外傷はなさそうだ。彼は明るく笑った。
「ああ、ごめんよ。あんまり暑くて、ぼけっとしちゃったみたいだ。馬車が前から来ているのも気づかないなんて」
「いえ、こちらこそ……。どこか痛いところは?」
「大丈夫さ。ピンピンしている。直前で避けたからね。馬にもぶつからなかったし」
 パトリーはようやくほっとして、立ち上がった。そして深々と頭を下げた。
「本当に、本当に、申し訳ありません」
「いいって。……って、あれ? もしかしてお姉ちゃん……カフスボタンのお姉ちゃんかい?」
 パトリーは顔を上げた。
 そして、あっ、と声を上げた。後ろにいたオルテスも眉を上げていた。
「前に、一晩お世話になった家の……」
 その少年は、パトリーが春先にボートでハリヤ国へやって来た際、水をもらい、朝夕の食事まで世話になった家の、一番上の息子であった。
 確か年は十には届いていなかったが、前に会ったときより、身長は伸びている。少年は相手がパトリーだと知ると、腰を低くした。
「……元気だったのね。よかった。他の弟妹は?」
「うん、元気にしてる」
「あのカフスボタンは換金していないの?」
 そうパトリーが問うたのは、少年の服が以前と同じでぼろぼろのものだったからである。
 パトリーは一晩世話になったお礼に、そのとき翡翠のついたカフスボタンを渡していた。換金すれば、服ぐらいは新しいものを楽に買える。
「いいや、したよ。でもね、急にお金を使うと、うちがお金を持っている、って周りに分かって、いつ強盗にあうか分からないからね。どうしようもないときにだけ使うことにしているんだ。使ったのは一度だけだよ。一番下の弟が病気で死にかけてね。カフスボタンのお金は、本当に助かりました」
 パトリーは薄い微笑を顔に浮かべる。
「それはあたし達が世話になったお礼代わりよ。あたしにお礼を言うことじゃないわ。泊まらせてくれたご両親にお礼を言いなさい」
 パトリーは、いい機会かもしれない、と思って少年に尋ねてみた。
「……シュベルク国第三皇子が捕虜となった、という話、どこかで聞いたことない?」
「捕虜……? ごめん、よくわからないや」
 パトリーは落胆を隠した。
「でも、島国シュベルク国、っていうのは最近よく聞くよ。なんでもうちの国にけんか吹っかけてきて、騙し打ちでうちの国の多くの人を殺したって言うよ。南の国との戦争が終わったと思ったら、次はそこと戦争するんだろうね」
 感情のあまりない、淡々とした言葉だった。
 シュベルク国が騙して多数の人を殺した、という事件なんて、聞いたことがない。
 だがパトリーは驚かない。
 先日ハリヤ国と南方三国との戦争の際も、ハリヤ国は似たような事件があったとでっち上げて、国内の世論を動かし、戦争へ持って行ったのだ。
 今回も同じような情報操作であろう。
 ノアのことも嘘であれば良かったのだが、ノアの居場所が杳として知れないのは事実だ。もちろんイライザも。
 シュベルク国皇家には、皇族と連絡が取れる特別な鳥を持っているのだが、その鳥ですらどんなにノアの元へ手紙を運ばせようとしても、そのまま戻ってくるという。
 ノアは現在行方不明で、そして捕虜になっている可能性はかなり高く――生きている保証もない。
 捕虜となったとしても、庶民レベルでは情報が回っていないのだろう。
「そう……じゃあ、レジスタンスのこと、何か知らない?」
 そう訊くと、少年の表情が生き生きとした。
「レジスタンスなら、知ってるよ! すごいんだよ、僕たちを押さえつけている軍の連中を倒していって、この国に自由を取り戻そうとしてくれているんだよ」
 少年の目はきらきらと輝いている。
 パトリーは、エリバルガ国の名ばかりの革命軍と似たようなものだろうと思って、冷静だった。
「でも、最近まであまり話に出ない組織だったわよね」
「うん。こんなに大きくなったのは、リーダーが替わってからだ、って言われてる。今のリーダーは、なんと王子様なんだよ」
「王子様?」
「そう。ハリヤ国は、十五年前までレーヴェンディア王国って名前だったんだ。その最後の王様の子どもらしいよ。その人がリーダーになってから、レジスタンスは僕たちにも伝わるほど、どんどん大きくなってる。きっとこの国を救ってくれるんだ」
「へえ……王子、ね……」
 なるほど、それなら人は集まるだろう。
「リーダーはその死んじゃった王様とそっくりなんだって。頭が良くて、体も大きくて。それで、何だったかな、聖剣を持っているんだってさ」
「聖剣だと?」
 今まで黙っていたオルテスが、口を挟んだ。少年は少し戸惑っている。
「どういった剣で、どんな名前か、聞いたことがないか?」
「え? よく知らないよ。戦場で持っているとか。あ、確か名前が……そう、確か、聖剣……ハリヤ、そう、聖剣ハリヤ、って言うんだ」
 空気が凍った気がした。
 パトリーはおそるおそる、オルテスの方へ振り返る。
 彼は口角を上げて少し笑っていた。
「いきなり大当たりか」
「ちょ……オルテス……」
 パトリーが呼び止めても聞いていないかのように、オルテスは馬車へ入っていった。そして出てきたときには、彼は自分の荷物を全て持っていた。
「どうやら、ここで別行動となるな。じゃあ」
 オルテスはたったそれだけの言葉で、ルースを連れて去っていってしまった。


 その後、パトリーの乗る馬車は、運良く、何事もなくスバリオまで到着した。
 取引現場の大きな倉庫ではすでに他の馬車が到着して、小麦袋が運ばれていた。
「あ、社長、ご無事で」
「ええ。他の馬車は?」
「みんな無事です。冷や汗ものでしたが」
 パトリーは安堵の息を吐く。
「それで……レジスタンスの代表者の方はどちら?」
 きょろきょろと見回す。
 倉庫では小麦袋を運んでいる男達が歩き回っているが、代表者らしき人物はいない。
「おんや、もしかして会社の社長さんて、おなごじゃったのか」
 小麦袋を肩に担いで運んでいた男が、ふいに足を止めて、近づいてきた。
 会社の社員ではない……ということは、レジスタンス側の人間だろう。
 その若い大柄な男は上半身が裸であった。パトリーは思わず後ずさる。男の裸なんて、育ちのために見慣れていない。
 ところが男はパトリーの様子に頓着することなく、かなり近づいたかと思うと、パトリーの手を取り、がっちり痛いくらい強く握手する。
「おお、おお。今回のこと、ありがたくて涙が出るくらいじゃった」
 男はぶんぶん手を振っていたかと思うと、おもむろにパトリーを抱きしめたのだった。
「ぎゃっ!」
 パトリーは思わず叫んだ。
 若い男は驚いて、体を離す。パトリーは物騒な目で、持っていた剣を抜きかける。
「しゃ、社長! 落ち着いてください! その方はレジスタンスの……」
 必死に部下が止める。
 しかし、パトリー基準では、初対面の女に上半身裸で突然抱きしめてくるなんて、変態認定される。
 男も慌てている。
「お、おい、ちょい、待ちんさい。悪かった、悪かったて。おら、田舎育ちでの、おなごの扱い方は母ちゃんくらいしか慣れておらんのじゃ」
「そんな言葉で……」
 剣を抜ききり、向けようとする。
「社長! その方は、レジスタンスのリーダー、テオバルト様です!」
 泣き叫ぶような部下の言葉は、血の昇っていたパトリーですら、ぴたりと止まらせた。
 レジスタンスのリーダー?
 それはつまり……王子……?
 昇っていた血が一気に凍り付くくらい冷え込んだ。
 パトリーは剣を取り落とし、その場で跪拝しようと膝をつく。
「そんなことしなくてもいいんじゃ」
「そ、そんなわけにも……。ただ今のご無礼、どうかお許し下さい……」
 パトリーが頭を下げると、男は困ったように頬を掻いた。
「立ちなさいて。そういうの慣れていないんじゃ。ほら」
 テオバルトはパトリーの腕をつかんで、強引に立たせた。
「おらも悪かった。な、どっちもどっち。おらに頭下げるために、ここまで来たのじゃねえんじゃろ?」
 にっ、と笑うテオバルト。
「そ、それにおかれましても、どうしてあなた様がここに……。レジスタンスの代表者が来る、とは聞いていましたが、もしやあなたが……」
「かたっくるしいのう。なあに、ウチは本当に食糧が足りなくて困っておったからな、おらが自分でお礼を言いたかったんじゃ」
 パトリーは拍子抜けしてしまった。
 彼女の思い描いていた王子像とはかなりかけ離れている。ノアを少し丁寧な感じにして、カボチャパンツでカールした頭で王冠をかぶったようなのを想像していたのだが。
 彼は金髪を無造作に頭の上でひとくくりにし、黒目がちな瞳には幼さがかいま見える。肌は小麦色で、よく焼けている。あまり目を向けないようにしているが、上半身もよく焼け、筋肉がかなりついているようだ。体つきは大きい。
 これではただの田舎の好青年だ。疑問に思いつつ、話を進める。
「……では、取引の方を……」
「そうじゃそうじゃ。おーい、ケート、金の話じゃ、来てくれ」
 テオバルトは遠くに誰かを呼んだ。
 現れたのは、女性だった。
 水色の淡い色合いのドレスを着て、髪はスカーフで覆われている。
 近づくにつれ、顔かたちが分かってくる。黒と言うより茶色に近い瞳であり、細い通った鼻、口紅の塗られた薄く赤い唇がある。
 パトリーは首を傾げる。既視感があるのだ。
 思っていると、その彼女がくすりと笑った。
「友達の顔を忘れましたの? パトリー」
 少し低く、落ち着いた声音。
 パトリーは思わず一歩、二歩、近寄った。
「まさか……ケートヒェン? どうしてあなたがここに……」
 彼女は髪を覆うスカーフを外す。すると黒々と豊かに波打つ髪が広がった。
「本当に久しぶりですわね、パトリー」
 友は目を細めて微笑んだ。




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