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第35話 童話の終わり（１）
タニア連邦には、夏に大規模な祭りを行う習慣がある。
祭りはタニア連邦の各地で開催されているが、当然のことながら首都ファザマでのものが最も有名で、最も大きい。そして国一番を決めるための大会でもある。
祭りと言っても独特で、メインイベントは弓射、子供の競馬、そしてパトリーにはよくわからない格闘技である。
パトリーはノアと共に、その格闘技を見学していた。場所は首都・ファザマ。
あまり布のないぴっちりとした服装で、二人の男が組み合う。背中などが地面につけば、負けのようだ。ただ、手のひらなどはついてもいいらしい。
国有数の戦士の行うものだけあって、どの勝負も迫力がある。
「うわ、すごい。足をつかんで投げるなんて……」
「ああっ、負けるな負けるなっ」
熱中してパトリーとノアは見ている。
ちなみにオルテスは弓射を見に行っている。
一勝負が終わり、パトリーとノアは、ほう、とため息が漏れた。次の対戦まで、しばし休憩時間がある。
二人は観覧する場所から、人のあまりいない草原方面へ歩きながら、先ほどの格闘技の話をした。
「熱中するものね、こういうのを見ると」
「そうだね。初めて見たけど、いやー激しいものだよ」
「さっきの技が目に焼き付いているわ。確か、足をつかんで……」
と、パトリーはノアに向き合い、彼の足をつかもうとした。
「ちょっとちょっと、パトリー！」
「ええと、確か右足をつかんで……」
「そんなの、パトリーにできるわけがないじゃないか」
かちん、とした。
「ふうん、じゃあ試してみようじゃないの。勝負よ、ノア」
ノアがあしらおうとする前に、パトリーは見よう見まねの技を仕掛けた。
そして……。
しばらくすると、草の上に倒れているノアがそこにいたのだった。
「ほうら、どう？」
ノアは呆然としながら、起き上がる。
「う、嘘……」
「何が嘘よ」
「おれって、女の子に負けるくらい弱かったのか……」
勝負は、パトリーがノアの隙をねらい、一瞬で決着がついた。
だから力の問題ではないのだが、ノアはそう思い、自分の弱さに愕然として、考え込んだ。ノアが剣を使えず、パトリーが使えることも一因である。
「もう一度！ もう一度、勝負しよう！」
「いいわよ」
と、今度は真っ正面から、パトリーとノアは組み合った。
そのときになって、ノアは自分がどういう状態かに気づいた。
顔も体も近すぎる。先ほどの選手の戦いを思い出す。この格闘技は、さきほどのように一瞬で勝負がつくことでもなければ、密着した状態になることもかなり多い。近いだけで、いろいろ刺激的だというのに……。
「ちょ、ちょっと。だめ。だめだよ、これ」
うろたえながら、ノアが手を離した。
「自分から言い出しておいて」
パトリーは格闘技と勝負への熱ゆえか、気づいていない。
「何しているんだ、そんなところで」
怪訝な顔で近づいてきたのはオルテスだった。肩にルースが留まっている。
オルテスは、かなり近づいている二人を見ていた。
「あ、オルテス。今ね、ノアとあの格闘技をしようとしていたのよ。審判でもしてくれる？」
オルテスは一度目を見開き、パトリーを見た。パトリーは純粋に勝負に燃えるような目をしている。
次に、ノアを見た。ノアは挙動不審な様子を隠せなかった。
「本気でしようとしていたのか？」
オルテスは目を細めて詰問するようにノアに問う。即座に、ノアは後ろめたく、首を横にぶんぶんと振った。
「何よオルテス、邪魔しないでよ」
「あのな……」
オルテスは思わず、頭が痛い、と言わんばかりにこめかみに指先を当てた。
ファザマでは久しぶりに移動することのない家屋の宿屋に泊まる。
タニア連邦に入ってから、パトリーたち一行は、移動式家屋の遊牧民にお世話になっていた。そして独特の乳製品を食したりして、どこか東方的な文化を楽しんでいた。
パトリーはというと、そういった生活を楽しんでいたのは確かであるが、困りごともあった。
情報である。
タニア連邦は社会主義国家ゆえに、新聞などの情報が規制されている。貿易会社の社長ゆえに、各国の情勢は重要である。
それらは鳥を用いて他国から仕入れているが、やはり、情報量としては不足している。
そこが不安に思いながら、パトリーは表に出すことなく、旅を楽しんでいた。
祭りの終わった夜、ファザマの宿屋でオルテスが部屋の扉をたたいて声をかけてきたとき、パトリーは新聞を読んでいるところだった。
情報規制が敷かれた新聞とはいえ、情報は多いに越したことはない。
パトリーは立ち上がってオルテスを出迎えた。何か話があるようであった彼だが、パトリーの持っている新聞に視線を下ろした。
「……新聞か。ハリヤ国の情報はあるか？」
「ハリヤ国？」
ハリヤ国と言えば、パトリーとオルテスが、シュベルク国を出て初めて入国した南国である。軍国主義の、厳しい国だ。
訝しがりながらも、パトリーは該当箇所の記事を読んだ。
ハリヤ国は南方三国――ヴァイア＝ジャハ国、ナリダ帝国、アヴァダ国――との戦争をかなり有利に進めている。南方三国が降伏するのは時間の問題だ。
「あと、新聞に載っていない情報としては、ハリヤ国ではレジスタンス活動が大きくなっている、って話があるわ」
「新聞に載っていないのに、よく知っているな」
「まあね。ここのタニア連邦とハリヤ国は仲がいい方だから、あまり書かれない話よ。ハリヤ国は厳しい国だから、建国時からレジスタンス組織はあったのね。それが最近、かなり勢いを増している。このままではレジスタンス組織にハリヤ国が倒されることもあり得るそうよ。国の中がぐちゃぐちゃしているから、レジスタンスの情報はあまり入らないのだけど」
「内乱、か……」
パトリーは、現在革命軍と国王軍の戦いが激化しているエリバルガ国のことを思い出した。
同じようなことにならなければいいが、と思う。
「それにしても不思議ね。オルテスがハリヤ国のことを知りたいなんて」
「不思議とは失礼だな。いろいろと情報が必要なのさ。それはそうと」
オルテスは声の調子を変えた。
「パトリーはもう少し、自分が女だということを自覚した方がいいぞ」
最初、パトリーは何を言われたのか分からなかった。
『女だということを自覚した方がいい』？
会社のことで、女なのだから家に入れ、と言われたことがあった。そういう意味か、と思い眉をつり上げたところ、オルテスは続けた。
「その気もないのにノアをことさらに挑発すると、自分に跳ね返ってくるぞ」
「え？ ノア？」
「あいつに襲われても知らないぞ、と言っているんだ」
言われた意味を理解して、パトリーは大きく笑った。
「あはは、何言っているのよ。そういうのはノアに失礼よ」
オルテスは気楽そうなパトリーに、ため息をついた。
そして次に、彼はパトリーの足を払った。
思いもしなかったことに、自然とパトリーの体は倒れてゆく。倒れた先は、ベッドの上だった。持っていた新聞がパサリと落ちた。
目を白黒させるパトリーに、少し黄ばんだ天井が見える。
起き上がろうとする前に、上に乗ってくるものがあった。
オルテスである。
彼はパトリーの顔の横に手をついている。藍色の長い髪が落ちてきた。
そのまま、どちらも動かなかった。
いや、パトリーは動けなかった。
彼女には今現在の状態がよく分かっていなかった。それを理解するのに、時間がかかった。
最初、手違いで倒れてしまったと思った。
しかし今、彼女のすぐ上にオルテスがいる。
パトリーの思考は、そちら側へ行かないよう、必死に理由を考える。
オルテスもアクシデントで倒れ込んでしまったとか。
それにしては、さっさとどいてくれると思うが。
パトリーは必死に理由を考える。
膠着状態を破ったのは、オルテスの言葉だった。
「今、自分がどういう状態におかれているのか、分かっていないのか？」
オルテスはパトリーの顎に手をかける。
パトリーの、無理やりにでも別方向に考えようとする思考を、現実に向き合わせようとする。
考え続けて指一本動かせず、オルテスを見上げることになった。
オルテスの顔は影になっていて、どんな表情かは分からない。エメラルドの瞳に目が吸い寄せられる。藍色の長髪はパトリーへ落ちていたが、彼も動かないので、ほとんど揺れることはない。ランプの灯に髪の毛が透けている。細い糸のようで、癖のない長い髪は女性的とも言える。
しかし、そこにいるのは紛れもない男である。パトリーは女であり、彼は男である。
パトリーは縛められているわけではない。口をふさがれているわけでもない。
それでも、指一本動かず、言葉一つ出なかった。
双方手を伸ばせばどこにでも触れられる距離。
パトリーはこの状況が分かっていたからこそ、何もできなかった。
オルテスの手がベッドの上から離れてゆくとき、パトリーは緊張した。思わず息を詰める。
けれども彼はすっとパトリーの上からどいた。そしてそのまま、部屋を出て行ったのである。
パトリーは起き上がらず、そのままの姿でベッドに仰向けになっていた。
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