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 第34話 知らぬは(3) 


 そこに残ったノアとイライザ。
 ノアはイライザに背を向けたままだ。
 もう夏と言っていい季節だ。太陽は天頂よりは傾いた位置でありながらも、強く照らしている。
 パトリーの言うことを、ノアに守る気はなかった。
 自分でも驚くくらいに厳しく、ノアは詰問した。
「どうして俺の言うことを無視した」
 イライザは答えない。
「俺は止めた。それをイライザ、聞いていたはずだろう。あえて、無視したんだな? オルテスを殺そうとして」
 前を向くノアの視界には、走ってゆくパトリーの姿がある。一度は歩くこともできなかったパトリーが走っている姿は、ノアには喜ばしい。
 しかし、イライザのこととは別だ。彼の表情は硬い。
「俺が……血なまぐさいことを嫌いだ、って分かっていてやったんだよな。殺そうとしたんだよな。どうしてオルテスを殺そうとしたんだ。ここ最近、様子がおかしいと思っていたけど、オルテスと何かあったのか? それは俺やパトリーと関係があるのか?」
 ノアは振り向いた。
「俺のためか? まだオルテスが信用できなくて、それで……。イライザ、お前が何をどう考えているのか、言うんだ」
 少し目を伏せ、沈黙を守っていたイライザは、顔を上げた。
「知ってもよろしいのですか?」
 確認を求める言い方に、ノアは少しひるんだ。
「私がオルテスさんをどのように捉えているか、ほぼ確実なそれを、知ってもよろしいのですか?」
 イライザは意味もなく、事前にこんなことを言う人間ではない。
 喉を鳴らし、ノアは泰然として聞くことを決めた。
「言うんだ」
「……それならば、畏れながら。先日、オルテスさんに、殿下の素性が知れてしまいました」
 泰然とすると決めてすぐにも関わらず、ノアは驚いてしまった。
「俺の素性って……まさか、全部、か?」
「はい。私のせいです。簡単な誘導尋問に引っかかってしまったばかりに……」
 悔しそうに、イライザは唇をかんでいる。
「それで、俺の身を案じて、オルテスを殺そうと……?」
「いいえ」
 ノアは首を傾げる。
「以前から、彼が、殿下にとって害のある人間だとは思っていました。素性が知られたのは、きっかけにすぎません。むしろ、彼は素性をばらすことは、十中八九ないでしょう」
 ノアにはわからないことである。
 知られたとしても洩らさないというのなら、害はないことになる。
「じゃあ、どういうことだ? もっと実際的に俺の身が危ないって思ったってことか? それとも、俺じゃなくてパトリーの身か?」
「パトリーさんは安全ですよ。オルテスさんは彼女の身を危うくすることはありません。これは、私が彼と出会ったときから、分かっていることでした」
 ノアは訝しがる。
 出会ったときは、ノアにはただただ怪しくて危険性の高い男としか思えなかった。素性も知らなかったものだから。
 それが、イライザは最初から分かっていたというのは不思議だ。
「どうしてパトリーが安全だと?」
「最初に出会ったとき、私とオルテスさんは戦いました。その戦いのとき、オルテスさんは常にパトリーさんを守っていたからです。暴走した馬から下りるときも、気を失っていたパトリーさんを抱えて下りた。私がパトリーさんに向けて攻撃をしても、全てその攻撃を防いだ。一度、パトリーさんを落としたふりをしても、その後、算段をつけて取り返していた。……それを見て、パトリーさんを必ず守る男だと、私は確信しました。戦いのさなか、必ず守り通すというのはなかなか難しいと、私は身をもって知っています。それを、オルテスさんは自らが怪我を負っても、し通したのです」
 ノアは口を挟まず、それを聞いていた。
 立派なことだ、と喜ぶ気にはなれなかった。
「私のように殿下へ忠誠を誓っている人間ではありません。何の誓いもなく、彼はパトリーさんを守っている。だからこそ、害がある、と私は思いました。彼がパトリーさんをどう思っているのか、それは私には分かりません。しかし、身を挺して守る、ということは、難しいのですよ。主君でもない、家族でもない他人を。本当に、オルテスさんはパトリーさんをどう思っているのでしょうね。ただの気まぐれで、親切心ゆえのことなら嬉しいのですが」
 イライザの言わんとしていることが、ノアにも分かった。
「殿下、私は殿下のためなら何でもするつもりです。殿下の目的のためにも、それは同様です。殿下がパトリーさんと結婚したい、と思っているのなら、それの害となるであろう男を、殺すことも厭うつもりはありません」
 ノアは瞑目する。
「……イライザの言うことはわかった。けれど、殺すことを許すつもりはない」
「殿下」
「絶対に許可しない。人を殺すなんて方法は、俺は絶対に許可しない。俺のためでも、それはいけない。それは違う。イライザ、誓え。俺の前でも俺のいない場所でも、絶対に、オルテスを殺そうとしないと」
「殿下」
「誓うんだ」
 ノアに譲る気はない。彼女が誓うまで、いつまでもこの場でにらみ合っているつもりであった。
「……わかりました。私、イライザは、どのような場であっても、オルテスさんを殺そうとしません。誓います。……これでよろしいですか?」
 自嘲気味に、イライザは思う。結局、臣下である自分はノアに逆らえない、と。
「けれど、話は覚えていてください。もし殺したくなったときがあれば、いつでも私へ申し付けてください。絶対に、遂行してみせますから」
「しないよ」
「……人間、特に色恋沙汰で切羽詰れば、無我夢中でできることをするものですよ」
 ノアは答えずに、再び前へ向いて、歩き始めた。


 町は静かだ。アレクサンドラの連れてきた兵達に占領されているような状況で、町の規模に合わないくらい兵は多い。壁で囲まれているため、町への出入り口は大きな門一つしかない。
 そこで検問があるものだから、出入りする人間は、全て把握されてしまう。そこでパトリーたちは捕らえられ、アレクサンドラのいる館に連れて行かれたのだ。
 パトリーたちの乗ってきた馬車はそこにある。
 走ってきたパトリーはオルテスの横に行くことができた。
「もう、早いじゃない、さっさと進んじゃって」
 と、息を整えながら、隣の男の顔を見上げる。
 オルテスはぴりぴりしているようだった。
「……怪我はないの?」
 そのとき初めて気づいたように、オルテスは視線を向ける。
「ない」
 きっぱりしたものだ。オルテス、イライザ、双方共に怪我がないのは、幸いだ。
「あー、それにしても、再会するとは思わなかったわね。びっくりしちゃったわ」
 明るく、空へ突き抜けるような声でパトリーは言った。
 わざとそう言ったパトリーに、オルテスも少しだけ顔を上げる。
「まったくだな。天下の皇太子殿下様が、こんなところで。――そうだ。パトリーとノアはあの『扇マニア皇太子』に閉じ込められていたんだろう?」
 その称号は嬉しくないだろうなあ、と思いながら、パトリーは頷く。
「なら、どうやって出てこれたんだ」
「え? そりゃ、実力行使よ。扉には鍵がかかっていたから、コレを使って」
 と、パトリーは自分の剣を示す。
「木製の扉でよかったわ。もう、とにかく壊すだけ。でも、人一人通れるくらいにするには、意外と時間がかかっちゃったけど」
 オルテスはその図を想像しているように、視線を上に向ける。
「後であの『顔だけ皇太子』が怒っているかもしれないな」
 その称号もどうだろう、とパトリーは思った。
 確かに彼女の外見は美しい。その美しさは、危うさから来ているのだろう。
 殺す、ということを簡単に言い、そして、これ以上ないくらいの陶酔感まじりの笑顔で言うアレクサンドラ。
 オルテスはそんな彼女を、『醜い』と言ったのだろう。けれど、それは美しいものだった。自分とは遠くかけ離れた心の持ちようゆえの、だからこその美だと、パトリーは分かった。白い雪の中の真っ赤な血のような、不気味さと退廃的な美。真白の雪を赤く染めつくすほどの。
 それは怖い。近寄りがたい。
 美の内実を知ってしまった今、出会った当初のような、憧れのような気持ちは持てない。
 『不老不死の魔法使い』リュインは、よく配下として隣にいるものだ、と思う。
「……そう言えば、リュインさんって、本当のところ、本当に『不老不死』なの?」
「さあ」
「さあって……オルテスが知らなくて、誰が知っているっていうのよ。当時の人と同じだったの? それともまったく別人だったの?」
「前にも言っただろう。微妙な噂が飛び交っているって。確かに、550年前と、姿も声も違う」
 パトリーは目を見開く。
 それはつまり、彼が『不老不死の魔法使い』ではないということ……。
「おい、早合点するなよ。本当に『不老不死』の可能性だってあるんだ」
「え? だって550年前と違う人なら……」
「よく考えろよ。『魔法使い』なら、姿を変えることはわけないはずだ。550年同じ姿、同じ声、というのも考え難い。いくらいつまでも若いったってな」
 パトリーは眉を寄せて、不満顔だ。
「おれだって確かめようとしたんだぞ。いろいろ昔話を聞きだそうとしたりしてな。けれど、リュインは『忘れた』と言うことも多かった。550年前のおれとあいつはそれほどよく話していたわけでもないしな。『不老不死なんて嘘だ』と、おれは子供のとき、550年前のあいつに言ったことがある。今のあいつはそれを覚えていて、カデンツァでおれに覚えていることを示した。普通なら、それが『不老不死』の証拠かもしれない。けれどそれまでに、おれとリュインは昔話をしすぎていた。酒を飲んで、昔話を聞き出そうとして、おれだって昔のことをよく話した。だから、酒を飲んでいたとき、おれ自身が『昔、不老不死なんて嘘だ、って言ったことがあったよな』と言ってしまったのかもしれない。もうこうなれば、確かめようがない。……結局、さっぱりわからない」
 パトリーは頭が混乱してきた。
 「証拠はないんだ。あいつはただの詐欺師かもしれない。けれど、本当の『不老不死の魔法使い』かもしれない。白と黒の狭間にずっといる。これからも、確証を得られることはないんだろうな。まるで信仰のようなものだ。信じる奴だけが信じるんだろう」
 パトリーはリュインの姿を空に思い描く。
 ひらひらとした服を着て、笑みの形を崩さない男。捉えようのない、風のような。
 彼の笑みは、アレクサンドラとは少し似て、少し違う。リュインの笑みの裏には、何かがあると思わせる。奥にあるのは、虚偽なのか、遠い年月なのか、パトリーには分からない。
 カデンツァで会話したことを思い出す。妻は死んでいる、やんちゃな息子も死んでいる、そう言った彼が、詐欺師であるとは思いたくない。
 ただ存在が遠い。それは確かだ。
 白黒はっきりつかない話を続けても不毛だと思い、パトリーは別の話題に切り替えた。
「ああそうだ、イライザのこと、怒らないでね」
 オルテスは目を細めてパトリーを見る。
「イライザはノアのためなら何でもするのよ。だから、仕方なかったんだと思う」
「……仕方ないとはおれには思えないが」
「うん……実際に戦ったオルテスにそう言われると、あたしも否定できないんだけど……。けど、仲良く旅したいじゃないの。ノアとそんなに仲がよくないのは分かっているわ。悲しいけれど。それでもせっかく一緒に旅しているんだもの。やっぱりね、まだそんなに一緒にいないから、オルテスには分からないのよ。あたしたちだって、最初は敬語使っていたし、中身だってよく知らなかったわけじゃない。今はこんなで。やっぱり月日は大事よ。知ってゆく時間は大切だわ」
「もう十分、知ったと思うぞ」
 揶揄するオルテスに、パトリーは軽く睨み上げる。
「問題があったり、何かあるなら、あたしに言ってよ。間に入るから。……もうほんと、人と人との関係って難しいわよね。みんな仲良くするのが一番なんだけど」
「それは違うだろう。おれは少なくとも、あの『笑いっぱなし皇太子』と仲良くするなんて、我慢できない」
「いや、あの、そのあだ名はさすがによしましょうよ。……うーん、人間関係はやっぱり難しいわね」
 アレクサンドラと友人であるノア。我慢が出来ないと言うオルテス。
 どちらがいい、というわけではないのだろう。
「そもそも、まるで人事のようにおれたちの人間関係とか言っているが、パトリーだって中心にいるだろう」
「あたし? 何言っているのよ。一番蚊帳の外よ、あたしは。それでいろいろと人間関係に口出しする程度で満足しているんだから、渦潮の中央に引っ張り込まないでよ」
 しっし、という動作をするパトリーの手を、オルテスがつかんだ。
「知らぬは亭主ばかりなり、か。おれを渦潮に引っ張りこんでいるのはパトリーの気がするがな。まあいい。イライザのことも、今日のことは忘れることにしよう、パトリーの顔に免じて」
 オルテスはパトリーの手を胸の辺りに引き寄せる。
 すぐ近くで、二人の目があった。長い睫毛の下にある紫の大き目の瞳と、切れ長の目の中にある深緑の瞳。
 なぜか焦ったような気持ちで、パトリーはつかまれた手をぶんぶんと振って、振りほどこうとする。
「そ、れ、は、嬉しい、ん、だ、け、ど。手、解いて、くれ、ない?」
 ノアのよりも大きくて、剣を使い続けているせいか、皮が厚い手。冷たいその手は、放してくれない。
「放してほしいか?」
 何か代償でも求めるのだろうか、とパトリーは見上げる。
 そこにはからかうような笑顔があると思った。しかし見上げた先には、どこか寂しげな表情があったのだ。
「は、なして」
 思わずパトリーが言うと、オルテスはぱっと放した。
 まじまじと見るパトリーに、オルテスは放した手を、ポケットの中につっこむ。
「何だ。放して、って言ったのはパトリーじゃないか」
「そうだけど……」
 パトリーは拍子抜けしていた。
 どうせまた代わりに、新しい剣がほしいとか、今夜はいい宿に泊まりたい、だとか言うかと思ったのだ。
「忘れるなよ。パトリーが、放せと言ったんだ。だからおれは、はなれる」
 謎めいている口調だ。そこにはもう、寂しげな表情はない。
 オルテスはパトリーに体を向けながら、少し距離をとる。横向きにオルテスは歩いてゆく。
 彼は太陽の方角を見る。そちらは南だ。町の壁よりも遠くに山麗がかすかに見え、そこを越えるとタニア連邦だ。
「南に向かうんだな」
「え、ええ。タニア連邦は、ここから南よ」
「ハリヤ国も南だったな」
 え、とパトリーが言う前に、オルテスは歩みを速めた。
 パトリーの前方を行く。馬車の近くまでオルテスが行くと、中にいたルースが飛び出して、彼の肩に留まった。
 そうしてまた、彼らがいつものようなじゃれあいをしているのを見ながら、パトリーは少し心がざわつくのを覚えた。
 けれど、すぐ後ろからノアたちがやってきて声をかけられ、その感覚を忘れてしまった。


 知らなかったのだ。
 この日、オルテスが、リュインから重大な話を聞いていたことなど。
 それが彼にとって、大きな決断を迫ることだったとは。
 そして今なら、彼を止められたということも。
 ……知らなかったのだ。

 パトリーたちがグランディア皇国の国境を越え、タニア連邦へ入ったのは、三日後のことだった。




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