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第34話 知らぬは(2)
オルテスとリュインとの話が終わり、オルテスはホールにある一つの支柱に背を預けていた。
「考える時間はいくらでもどうぞ。これは脅迫ではないのですから、するもしないもあなたの自由ですよ」
リュインは手のひらを見せて、オルテスに委ねるような仕草をした。
「一つ聞く。これはおれとリュインと、二人の間での約定だな? あの皇太子が介在することはないな?」
「はい。この話に皇太子殿下は関係ありません。殿下はこの話の内容を知っておられるだけです。あくまでわたくしとオルテスとの話です。『不老不死の魔法使い』の名にかけて約束します」
「…………」
オルテスは少し俯き、長い藍色の髪がさらりと落ちる。
「そう言いながら、またおれを騙して、うまい汁を吸おうとしているんだろう」
「さあ。確かにこちら側としても利がなければ、こんなことをしようとは思いませんよ。殿下にとって、今はとても重要な局面を迎えているのです。非常に難しい。打つ手は全て打ちます。あなたにこれを頼むのは、一つの賭けです。わたくし達の陣営にとって。だからこそ、前報酬を用意して、大サービスの報酬を約束している。オルテス、こんな機会はめったにありませんよ」
リュインは人を食ったような笑みを浮かべつつ、オルテスの反応を見ていた。
オルテスはこの場で返答を出すつもりはない。する、とも、しない、とも言うつもりはないので、極力平然としていることにした。
迷っていることを、悟らせるつもりはなかった。
リュインはそんなオルテスの横顔を片眼鏡の奥から見る。
そんなとき、二階から二人分の靴音が近づいてきた。ホールにある階段の二階から、二人の女はオルテスとリュインを見下ろす。
アレクサンドラとイライザだった。
オルテスは思わず小さく舌打ちする。
「話は終わりましたか?」
言いつつ二人の女は降りてくる。
はい、と簡潔にリュインは答える。満足そうにアレクサンドラは首肯し、一階に降り立った。
「ところで、実はわたくしはランドリュー皇子との友好の証として、オルテス、あなたを殺すことにしました」
簡単に楽しそうに言うアレクサンドラに、オルテスは横目でリュインを見る。
「どういうことだ? 今の話はなかったことにしたいわけか?」
「言ったでしょう。今の話はわたくしとオルテス、二人の約束です。皇太子殿下とは関わりがありません。殿下があなたを殺したい、というのは、殿下の考えです」
「なら、今の話はどうなる」
「オルテスが生き残れば、約束はなかったことにはしませんよ。せいぜい死なないでくださいね。ただし、わたくしはあなたの生存に手を貸すつもりはありませんよ」
リュインは音もたてずに後ろへ下がる。アレクサンドラは階段の前で立ち止まっていたが、イライザは前に出た。
ホールは円形で広い。二階部分を支える柱が端にあるが、中央部はさえぎるものは何もない。
「おれを殺すのに、イライザを使うわけか」
「利害が一致したのですよ。わたくしは今、あなたを殺したい。ただし、あなたを殺すことのできる手駒はない。イライザさんは、あなたを殺したかった。ただし、ランドリュー皇子の見えない場所で。そんな場は今までなかった」
イライザは近づいてくる。オルテスも足を進めた。
ノアの素性を知ってから、イライザは常に、と言っていいほど、オルテスに殺気を向けていた。
いつ彼女が剣を抜くのか、と旅の間思っていたが、そんなことはなかった。
殺気を向けるだけだったので、ただの牽制かと思っていたが、殺す場所がなかったということか。
「こんなところで再戦を果たすとは、思っていませんでした」
イライザが言いながら、背に背負った剣を抜く。
オルテスも宝剣をすらりと抜く。シャンデリアの光に、白くきらめく。
「……おれとしては、そこまで恨まれるようなことをした覚えはないんだが」
「恨みはなくとも人を殺すことは多々あります」
それもそうだ、とオルテスは呟いた。
アレクサンドラは階段で二人を見守り、リュインも二階と支柱の影にいて、手を出すつもりはないようだ。
誰の邪魔も入らない。
以前のように、誰かを守ってのことでもない。
純粋な、殺すための戦い。
二人の覇気はふくらむ。
瞬間、剣がぶつかり、剣花が散った。
二人の戦いは熾烈であった。
双方ぎりぎりでかわし、二人は致命傷を与えることなく、戦いが続いた。いや、深い傷を受ければ、それがすなわち、死となることは明白だ。
イライザは少し体を引く。オルテスは誘い込まれ、深く入り込みすぎた。イライザはその隙を狙い、剣を振る。
「はあ!!」
それはオルテスの鼻先をかすめる。
オルテスは思わず身を翻し、剣を下から斜めに振り上げる。
さっとイライザは飛びずさる。そしてオルテスが少し近づいたところ、彼女は横になぎ払う。
「やめろ! イライザ!」
二階からの、ノアの声だった。
しかし、イライザはなぎ払うことをやめない。オルテスはそれを剣でわき腹の前で防ぐ。
イライザはクロスするように、もう一方の剣で上から振り下ろそうとした。
「イライザ!」
ノアの叫び声が響く。
瞬間、上から何かが落ちてきて、二人の戦う横の地面に、ぎぃん、と突き刺さった。
思わず二人は注意を向ける。
突き刺さり震えているのは、抜き身の剣である。
「二人とも! これ以上続けるのなら、あたしが割って入るわよ!」
二階からのパトリーの喝破に、イライザは冷静になったのか、振り下ろそうとする手を止めた。
パトリーとノアは二人でぱたぱたと走って、階段へ向かう。
「つまらないですね。ああ、目の前でオルテスが倒れ伏し、惨めに助けを乞う様を見てみたかったものですが」
結果が面白くないようで、アレクサンドラはぱしぱしと扇を手に叩く。
「ふん。絶対に助けるつもりはないと分かっている相手に、誰が乞うか」
荒い息の中、静かに返したオルテスに、アレクサンドラは赤い瞳を向ける。
姿は似通った二人であったが、どちらも憎らしいと思っている。
アレクサンドラが執拗に殺したいと思うのは、一度プライドを傷つけられたためだけではない。性格・行動が最悪に合わないためもあるのだ。
オルテスはオルテスで、妹と酷似した姿の女が、今まで散々なことをしてきて、かつ癇に障るようなことしかしないことに、苛立ちを募らせる。
二人は冷ややかな視線の応酬をしながら、今までのことを思う。
顔も見たくない口も聞きたくないできるなら殺したい、と、今まで二人とも思っていた。
しかし、二人は殺せない。オルテスが強すぎて。アレクサンドラが妹と似すぎていて。二つの理由で二人を殺すことは不可能だ。
そう理解すれば、もう会わないことが最善であると、ようやく今、二人は結論づいた。
そうしているうちに、パトリーとノアは階段から降りてきた。
「オルテス! イライザ!」
パトリーは心配そうに二人に駆け寄る。
戦闘が終わった様子に、パトリーは、ほっと息を吐く。
オルテスもイライザも荒い息で、額に汗が浮いている。服もところどころ切れているが、大きな傷は見当たらない。
「無事ね……ああ、よかった……」
ノアは階段を降りたところで、手すりの近くにいたアレクサンドラに、激情を抑えて丁寧に言う。
「皇太子殿下、俺の部下を使い、勝手なことはなさらないでください」
「これはあなたのためだと言うのに」
「俺のため? 違うでしょう。殿下がオルテス憎さに、俺をだしにしただけでしょう」
ほほほ、とアレクサンドラは笑う。
「何のことやら」
ぎり、とノアは歯をかむ。しかし、一度深呼吸して、何とか抑えた。
「とにかく、俺はオルテスの死なんて望んでいません。ですから、友情の証として、そんなものもいりません。分かっていただけましたか。そう誤解されたのなら、それは殿下の早とちりです。友人として、誤解は解いておきたいのです」
そこまで言われれば、アレクサンドラは頷くしかない。
「なるほど……わたくしの早とちり、と。それならそうしましょう」
「それと、我々は急ぎの旅です。こうして招待していただけたのはありがたいのですが、そろそろおいとましたいと思います。殿下が密かにここへ避暑しに来ていることは、我々の誰も申し上げるつもりはありません。出発させていただけると嬉しい限りです」
ノアは最大限の暗喩と丁寧語を駆使し、アレクサンドラに、『何も言うつもりはないから、解放してくれ』と言った。
アレクサンドラはちらりとリュインと顔を合わせ、ゆっくりと頷いた。
「それはそれは。お急ぎのところを引き止めて、悪いことでした。どうぞ皆さん、出発してください」
パトリーたちもこの会話を聞いていた。パトリーは微妙な顔を崩さなかったが、気まぐれでも何でも、ここから逃げられるのに越したことはない、と思った。
パトリーは二階から投げた剣を引き抜き、振り向きもせず扉から出たオルテスの後を、追った。
「何なら見送りもしましょうか?」
アレクサンドラのからかい混じりの言葉に、ノアはぶんぶんと首を振る。
「い、いえ。もう、結構ですから」
「まあまあそう言わず」
と、すぐさま逃げたがっているノアの後ろにぴったりとついて、肩に手をかけ、耳元に囁いた。胸が当たることに、ノアは慌てた。耳に息がかかる。
「ランドリュー皇子。わたくし、あなたを本当に気に入っていますよ。だからアドバイスをさせてください」
思わずノアは顔だけ後ろに向ける。アレクサンドラの声は小さく、ノア以外は聞こえようもないくらいだ。
「女を手に入れるためには、男が強引になることも必要ですよ。――これが、本当の友情の証としての、あなたへの忠告です」
アレクサンドラは離れた。ノアは思わず、体ごと振り向く。
微笑み手を振るアレクサンドラを、ノアは睫毛が震えながら凝視した。
瞬きしたとき、ノアは体を翻し、扉から出て行った。
イライザも追った。
パトリーが館から出たとき、思わず大きく息をついた。
正直なところ、もうあの皇太子とは会いたくないな、と思った。
商売のことも考えるなら、女皇にもなってほしくない。少しだけパトリーは反省している。
ノアくらい丁寧にして、けんかを売るようなことを言うべきではなかったと。
政治と経済は関係があるのだから。
それでも、言いたかったのだ。
統治者、もしくはその座に近い人間に、パトリーは会ったことがない、と思っている。
そういった人間が、ただ自分の権力だけを考えているというのに、悔しさを覚え、思っていたことを言ってしまった。
エリバルガ国の革命の惨状を知っているだけに。
修行が足りないものだ、とパトリーは空を見上げた。
オルテスは振り返りもせず、町の入り口、馬車が置いてある方向へ向かっている。
彼までの距離は大分開いている。走ろうか、と思っているとき、後ろから呼ばれた。
振り向くと、ノアだ。
「どうしたの?」
ノアの様子が少しおかしい。俯いていたが、いきなり顔を上げると、
「俺、パトリーのこと、軽く見ているわけじゃないからね!」
「……何の話?」
「だから、皇太子殿下と友人でい続ける、というのは、決してパトリーを何とも思っていないというわけじゃなくて……」
ああ、とパトリーは理解した。
「そんなこと思うわけがないじゃない。ノアには立場というものがあったんでしょ? あたしこそ、ノアの対応を見習わなきゃ、って思っているのに。ノアも大変ね。何も怒れず、友達でいよう、と言うなんて」
「……立場上、いろいろな人との関係とか、外交とか、そういうことはいろいろ、制約があるから」
パトリーは思わず口元を緩めた。
ノアはそんなパトリーに怪訝そうな顔をする。
「何? 急に笑顔になって」
「だって、ノアが自分のこと言ってくれたじゃない」
ノアは虚をつかれた。
「あ、別に、素性を知りたい、ってことはもう思ってないわよ? でも、こうやって知らなかったことを知れたら、嬉しいのは確か」
ノアは、楽しそうに言うパトリーを見つめる。紫色のパトリーの瞳は、純粋な輝きでノアを見ていた。
ノアは思わず、パトリーの手をつかんでいた。
パトリーは自然と、つながった手に視線を落とす。手首の辺りをつかんでいるノアの手。それはパトリーが思ったより、大きな手だった。
ふとパトリーはどうでもいいようなことを考える。オルテスの手と比べて、どちらが大きいか。
そんなことを考えていたから、すぐ近くにあるノアがどんな表情で見ていたか、パトリーは気づかなかった。
館の扉からイライザが出てきた。
「あ、イライザ」
パトリーはもう一方の手を高く上げて、自分たちはここにいると示す。同時にノアは手を離した。
彼女が近づいてきたところで、パトリーは心配そうに尋ねる。
「イライザ、怪我はない?」
「はい」
簡潔な返事に、パトリーは胸をなでおろす。
そのとき目の端に、遠くまで行って小さく見えるオルテスの後姿が見えた。
「ノア、イライザを責めるのはだめよ。あたしたちが捕まっていたから、イライザも皇太子の言いなりにならざるを得なかったんだろうし。じゃあ、ちょっと先に行っているわね」
もうノアの話も終わったと思い、パトリーはそう言い含めて、オルテスの方へ走っていった。
さっさと行ったもので、ノアは引き止められなかった。
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