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 第34話 知らぬは 


 旅をして、さまざまな地に行く生活をしていると、思わぬ再会をすることがある。
 しかし、それが嬉しいかどうかは、別問題だ。


「どうやら足も治ったようですね。喜ばしい限りです。わたくしが医師団に治療させる、と約束して、反故にしてしまったことは、少し気になっていたものですから。とにかくも、こうしてあなたが健康となって再会できて、嬉しいですよ」
 と、羽根の扇で扇ぎながら、微笑む。
 目の前にいるのはアレクサンドラ。国内を逃亡中の、美貌の皇太子であった。
 パトリーは自分の顔が引きつるのを感じた。
「殿下におかれましても、無事でようございますね。……けど、突然武装した兵士達に馬車を取り囲ませ、その中にいたあたし達を無理やり連れてくる、というのはいささか、礼儀を欠いておられませんか?」
 丁寧に言いつつ、パトリーが穏やかな心でいられないのは明白だった。
 そこはグランディア皇国の小さな町。その町の中で、最も立派な館の、一階のホールであった。
 パトリー、オルテス、ノア、イライザが横に並んで立っている。
 その四人を、武装した兵士達が囲み、逃げられなくさせている。
 キリグートを出発してから、パトリーたちの旅は比較的平穏なものであった。
 オルテスとノアの不仲による問題はあったが、順調にタニア連邦へ向かっていたのだ。
 そして、遠く南に見える山を越えればもうタニア連邦だ、というところまでたどり着き、ほっと一安心して、とある町に入ったところ、こういう目にあった。
 今までのことからも、パトリーがアレクサンドラに好印象はなかったが、今回のことで、もっと印象は悪くなった。
「こんなところにおられたのですね……噂では、セラ方面に潜伏していると聞いていましたが」
「人の噂とは当てにならないものでしょう?」
「別にあたし達はあなたの邪魔もするつもりはありません。開放していただけませんか」
 パトリーの隣にいるオルテスは終始無言だ。
 それは関心がない、というより、話したくもない、といった雰囲気を出している。
「まあ、悲しいことです。何の用事もなく、わたくしが呼び寄せたと思っているのなら。ねえ、リュイン」
 そうアレクサンドラが言うと、後ろから、ひらひらと服をなびかせる男が登場した。
「そうですね。殿下は、あなた方一行が来られることを、楽しみに待っておられましたのに」
 リュインはまるで和やかな談笑の場に立っているかのように、頷く。
 彼はパトリーたちにぐるりと顔を向けると、ある場所でぴたりとそれを止めた。
「オルテス。話があります」
 リュインは他には目をくれず、オルテスに視線をやる。
 オルテスからは、彼の片眼鏡の奥の瞳の色までもしっかりと見える。冗談を言う顔ではない。
「あなたにとって、害のある話ではありませんよ」
 一歩前に出て小声で言うリュインに、オルテスは、つ、と切れ長の瞳を細める。
 それを見て、アレクサンドラは手を叩き大きな音をたてた。
「男同士の話に、他の人間は野暮と言うものでしょう。さあ、パトリーさんたちはこちらへ」
「えっ?」
 抗議する暇もなく、パトリーとノアとイライザは武装した兵に囲まれた。そしてパトリーとノアは二階に連れて行かれ、イライザは別の場所に連れて行かれた。
 その間、ノアと引き離されたことで特にイライザが暴れた。が、アレクサンドラが脅すような事を言い、大人しく別の場所に連れて行かれた。
 オルテスはそれらを見て、四人と兵士達が立ち去り、足音も何の音もしなくなるまで、黙っていた。残ったのはオルテスとリュインのみ。
「さて、さっそく本題に入りましょうか」
 ゆっくりとオルテスは明るく言うリュインへ振り向く。
「オルテス、あなたにはハリヤ国へ行ってもらいます」


 パトリーとノアが連れてこられたのは、低いテーブルをソファが囲んでいるような、典型的な客間だった。
 横長のソファに座らされたパトリーとノア。悠然と一人がけ用のソファに腰を下ろしたアレクサンドラをパトリーは睨みあげた。
「恐い顔をしないでくださいよ。ねえ、パトリーさん、あなたとは仲良くしたいと思っているのですから」
「……外国人のあたしが言うのもどうかと思いますが、皇王位を諦めるつもりはありませんか? 皇王陛下のお子なのですし、ダニロフ公も悪くは扱わないと思いますよ」
「本気でわたくしにそのようなことを忠告しようとは思っていませんよね」
 はあ、とパトリーはため息をつく。
「わたくしの野望は変わっていませんよ。絶対的権力を有した女皇として君臨すること。所詮、貴族でしかないあなたには分からないでしょうけれども」
 あの洞窟から逃げ出して彼女が諦めているとは思っていなかったが、パトリーは残念だった。この分だと、権力と地位を諦めることはないだろう。
 嬉々としてアレクサンドラは言葉を続ける。
「元老院議員も貴族共も農奴も商人も、国民全てが完全に忠誠を誓いひれ伏し、わたくしの言葉が全てを動かす国……素晴らしい世界です」
「そんなことあるわけないでしょう」
 パトリーの冷たい言葉に、アレクサンドラは羽根の扇を動かすのを止める。
「そんな国あったとしたら、考えることをやめてしまった人間たちの国でしょうね。世界を知らないんですか。エリバルガ国は、国王の遊蕩に怒った国民によって、革命騒ぎ。ミラ王国だって、議会を開いて国民の意見を聞くように動いている。あなたの考えは時代錯誤すぎる。そう諫言した人は、今まであたしの他にいませんでしたか?」
「そのような発言、わたくしの判断としては、自分の利権を手放したくないばかりの言葉にしか聞こえませんでしたね」
 耳を貸すつもりはない彼女に、パトリーは諦めた。
 商人としても、パトリーは国というものに対して、ある側面、不満がある。貿易を営んでいる身としては、関税の問題は大きい。ある国では、国が茶を独占販売していたこともあった。
 国のためと言えばそうかもしれないが、普通の商人が扱うことを禁止する、ということは、違う気がするのだ。
 そういった商人や農民の意見を聞いてほしい。それは間違ったことだろうか。
 それもまた、アレクサンドラに言ったところで、『自分の利権を欲してのこと』と言われるのがオチだろう。
 アレクサンドラは立ち上がる。思わず身構えるパトリーとノアである。
 しかし、彼女は二人の座るソファの後ろを通って、窓際に立つ。
「所詮、あなたには分かりませんよ。なぜ、世の中がそのように動いているからといって、わたくしがそう動かなくてはならないのです? なぜ疑問に思わないのです? 国民全てが仲良く話し合って、皆が納得する政策を執る――それは素敵な理想郷ですね。しかし、それほど現実は甘くありません」
 アレクサンドラは国を憂いているような表情で言う。そう見えるだけで、実際にそうかは別問題だ。
「国民には学がありません。字も読めず、農作物を育てる一生を送る人間を政治の世界で力を持たせば、どうなることか。目の前の利益につられた、日和見的な政策しか執れないでしょう。かつて、直接選挙の議会により政治を行っていた都市国家がありましたが、そんな国も、諸々の理由で滅んだ。政権が安定しないこと、それに学のない人間が国の政治に介入することは国の弱みとなる。――わたくしだとて、何も考えず権力を持とう、と言っている訳ではないのですよ」
 アレクサンドラの言葉には一理ある。けれど、とパトリーは反論する。
「けれど、だからって、あなたが頂点に立つ理由にはならないわ。女皇となるためにオルテスと結婚しようとして、いろいろなことをしてきた。そんなあなたの言葉に、頷くわけがないでしょう。方法からして間違っている。一理あっても、正しいかは別問題よ」
 アレクサンドラは窓からきつい陽光を受けながら、パトリーへ顔を向ける。
「……どこまでも、わたくしの言うことに納得してくれないようですね」
「当然でしょう」
 パトリーは背筋の伸びたまっすぐの姿勢で、顔だけアレクサンドラへ向ける。
 陽光はパトリーの元まで伸びて、彼女の何も曲げようとしない決意の表情を照らした。
「……何なら、剣で思い知らせてもいいのですよ」
 アレクサンドラはしずしずと歩き、鎧の兵からフェンシング用の剣、エペを受け取った。
 パトリーは腰にある自分の剣に手をかける。
「もうやめてください」
 ノアがこのとき、この部屋に来てから初めて声を出した。少し辛そうに、搾り出すように。
「皇太子殿下、あなたがオルテス……パトリーに、したことは、とても残念でした」
「わたくしも残念です。あなたとの友情が壊れたことは。信じていただけないかもしれませんが、本当ですよ。あなたとは末長く友人としていたかった」
 アレクサンドラは少し悲しげに目を伏せる。
 パトリーからすれば、自分のしたことを忘れたかのような白々しい表情に見えた。残念と言いながら、全て彼女自身が壊したというのに。
「いいえ。これからも俺は、友人でありたいと思います」
 ノアの発言に、パトリーは驚いた。
 真剣で真摯なまなざしは、冗談には思えない。
 アレクサンドラも驚いている。
「わたくしのしたことを知って、それでもそう言うのですか……?」
「はい。あなたのしたことは許せない……けれど、だからって全てを否定するのは間違っていると、俺は思っています」
 パトリーは少し首をかしげた。
「……パトリーはどう思うのかわからないけど、俺はシュテファンが嫌いだよ。けれど、妹であるパトリーを嫌おうとは思わない。クラレンス家を嫌おうとも思わない。そして、嫌いだけど、彼自身の決断を実行しようとする行動力と狡猾さは、誉めるべきだと思う。やっぱりすることは嫌いだけど。そうやって、俺は嫌いだから、って、全てを嫌うのは間違っていると思うんだ。嫌いな奴でも、いいところや凄いことがあれば、それをそうだと素直に思いたい」
 ノアの信念に似たものに、パトリーは僅かに目を見開く。
「皇太子殿下。俺はあなたに会ったときから、あなたが将来女皇になることを信じ、そして引き下がろうとしないことを、羨ましく思っていた。俺にはできないことです。そういう気概が持てない。まぶしいと思いました。そう思ったことを、なかったことにしようとは思いません。そして、あなたがパトリーへ危害を加えようとしたことも、忘れるつもりはありません」
 ノアはパトリーに顔を向ける。
「パトリーに、怒るのをやめるように、と言うつもりもないよ。パトリーの感情はパトリーだけのためにあるんだから。でも、俺はいがみ合い憎み合うだけでありたいと思いません。そんなの不毛だ。俺は殿下とこれからも、友人であることを望みます。俺は殿下へ憎むことも怒ることもしないと決めました。それが国のためになるでしょう」
 パトリーには少し理解できないことだった。
 ノアはアレクサンドラを許そうというのだ。
 それは使命に動かされてのことのようにも見えた。彼に与えられた使命に。国のため、なのかもしれない。
 許すこと。それは立派で、パトリーはふと、兄のことが頭をよぎった。
 アレクサンドラはエペを下ろして、少し崩れた微笑を浮かべた。
「……本当に、我が国にあなたのような存在がいないことが、悔やまれますよ」
「俺のような人間は、どこにでもいるものです。ただ、殿下が知らないだけです」
「そうですね。……それでもあなたと友人であって、良かったと思います。謝罪しましょう。ランドリュー皇子の婚約者に行ったことを」
 アレクサンドラはパトリーへ体を向けた。そしてドレスのすそをつかみ、少しだけ頭を下げた。
 パトリーはそれに戸惑いながら、ノアへ顔を向けた。ノアはいいんだ、と言っているように頷く。
「わたくしも望みます。あなたと……かの国と、友好関係にあることを」
 アレクサンドラは近づき、ノアは立ち上がった。二人が握手を交わすところを、パトリーは少し離れて呆然としながら見ていた。
 まるで政治の、外交でもしているようだ。
 よく解らないがともかく何とかなった、と、ほっとしたのはパトリーの間違いだった。
 手を離すと、アレクサンドラが妖艶に微笑んだ。
「そうですね、友好の印として……オルテスを殺しましょうか」
 パトリーとノアはぎょっとして、空気が緊張した。
「なっ!」
「いいのですよ。あの男が邪魔だというのは分かっています。結婚がつつがなく行われるための、一つのお祝いです」
「何を言っているのよ! 意味が分からないわ」
 アレクサンドラはパトリーの混乱を解こうとはせず、微笑みながら扉へ向かい、部屋を出る。
 扉が閉められ、鍵がかけられた。
「少々お待ちくださいね。長い時間はかけさせませんよ。わたくしが帰ってくるときには、もう終わっているはずですから」
 扉の外から笑うアレクサンドラの声がして、扉の前から立ち去ってゆく靴音が消えていった。
 パトリーとノアは顔を青ざめる。
「何とかここを出て、止めないと!」




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