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 第33話 アフタヌーンティー(1) 


 シュテファンはくつくつと笑い続けている。
「飼い犬に手を噛まれたというわけですか」
 シュテファンという男はいつもは周りの空気を悪くするくらい冷たい表情をして、声を出して笑うことはめったにない。しかし、こうして笑い続けることで聞く者が不快になると分かっていれば、いつまでも笑い続ける男だ。
「よくも他人事のように言えますな。結局逃げられたというのに。そもそも、あなたの妹こそ普通の育ちをした女性なら、こんなことにはならなかったでしょうな! 会社の社長で、皇子との結婚を蹴って、仕事を選ぶ? 本当にどういう育て方をしたものやら!」
 腹立ち紛れに目の前のテーブルを叩くウィンストン卿。
 ここがクラレンス家別邸であるという遠慮はない。
 ウィンストン卿は、『これはこれはすいません』と、申し訳なさのかけらもない口調でシュテファンが謝ってくるだろうと思った。
 けれど、ウィンストン卿がテーブルを叩いて顔を上げると、そこには冷たさよりも眉がつりあがり荒々しさが勝った表情のシュテファンがいて、低い声で言うのだった。
「あんたに私の妹の何がわかる」
 ウィンストン卿は驚いた。
 表面を覆う氷の中に隠されていた、燃え滾る熱のようなものを見た。
 ウィンストン卿は報告で、彼は妹を道具同然に思っている、という話も聞いていたから、その発言に驚いて、無礼だと反論することもできない。それとも、身内だからこそけなす、という程度のことだったのか。……いや、聞いた内容では、その程度のこととは思えないのだが。
「何も知らない人間が……。物事や社会を見る目なら、あなたより確実に妹の方が勝っていると、確信できる」
 それはどういうことだろうか、とウィンストン卿は疑問に思う。実は妹を高く見ている、というようにも見えるし、ウィンストン卿を貶すための言葉のようにも見える。真意が妙に曖昧で、ウィンストン卿にはシュテファンが妹に対して、本当はどう思っているというのは分からなかった。
 シュテファンは血が上ったようにかっとなっている。
「ああやって社長をするような妹だからこそ、皇子の妃として推した、というのに。理由すら分からないのだろうな」
 ウィンストン卿は聞き逃せない言葉を聞いた。
「社長をしているからこそ推す? 一体どういうことですかな?」
「……結婚させ、家の格を上げる。そして生まれた子供を操って、政治を動かす。それだけが理由で、妹の中で、パトリーを皇子の相手にしたと思っていたのですか」
 そう思っていた。
 事実、貴族と皇族との結婚は大抵その二つが理由だ。
 皇家と縁続きとなったことで、格を上げる。そして生まれた子、特に男の子に、母方の家として、影響力を行使し、政治に大きな影響力を持つ。
 それが定石なのだ。
「他に何の理由があるのです。貿易会社の社長だから……?」
 どうせ辞めざるを得ない地位が、なぜここで出てくるのか。
 会社へ結婚後も力を行使しようというのか。それとも築き上げた経済界のつながりでもって政治へ力をふるい、皇族として権勢をほしいままにするつもりか。
 考えて、ウィンストン卿はぞわっと鳥肌が立つ。
 冗談ではない。皇族となっても社長でいるなら、どうしたってその会社がひいきされる。確実にシュベルク国でうまい汁を吸うことになる。そんなことは、社会の腐敗の元だ。それも、形だけではなく実質的な経営を行っていた人間がうまいことをしようと思えば、いくらだってできるだろう。
 経済界からの力、というのは侮りがたい。ここ数年で、金の力というものが社会でかなり重要視されている。そこから何をするのか、ウィンストン卿には想像もできない。
「ふん、素直に手の内を明かすと思いますか。それよりもウィンストン卿、あなたは自分の心配をするべきでしょう」
 シュテファンは冷静さを取り戻し始めた。
「キリグートで逃がしたのは、明らかにあなたの失態です。あなたのお好きな皇家がどう思うことか……」
「なっ! 何を……そもそも、シュテファン殿だとて、セラから何度か逃がしているではありませんか!」
「それは認めましょう。身内ですから、知らぬうちに妹に手を抜いてしまったのかもしれません。私に同情の余地はあると思いませんか」
 この男が手を抜いたなどあるものか。反論しようとしたウィンストン卿よりも早く、シュテファンは言葉を続ける。
「しかし、その経験を経て、私は足の動けないうちに、パトリーをさっさと捕らえるべきだ、と提案した。それを却下したのはあなただ。私の善意の提案を無視して、です。私は、しっかりと捕らえられるなら、と諾した。けれど結果はどうです。あなたは殿下にも裏切られ、パトリーに逃げられた。完全にあなたの戦略ミスだ。私はあれほどに、さっさと動けないうちに捕らえろ、と言ったのに。それを諌めたのもあなただ。これの責任が、あなた以外に誰にあると? まあ、殿下にも責任があると訴えたければ、早くシュベルク国へ帰るべきでしょう。このままだとあなたのシュベルク国での地位も危うくなりますよ」
 ウィンストン卿は怒りで顔を赤くした。シュテファンはせせら笑う。思いつくままに、シュテファンに責め立てる罵倒の言葉を浴びせたかった。
 しかし何とか耐え、
「失礼!」
 と言って、ウィンストン卿はクラレンス家別邸を後にした。
 スケジュール的にも、弁解のためにも、すぐさまシュベルク国へ帰国しなければならない。皇帝陛下への弁解の言葉を考える。
 同時に、シュテファンの洩らした、社長だから皇子妃に推した、という話は重要なことだった。
 ウィンストン卿が思うとおりなら、かなり危険である。国としても、伴侶としてのノアにとっても。
 彼がその対処法を考え、実行に移したのはしばらく経ってからだった。 


 馬車は二台、ぽかぽかとした陽気の下、あぜ道を行く。
 そのうちの一台に、四人は乗っていた。
 ペンのすべる音がその中で響く。
 揺れる馬車内で、目をすがめて書類の内容を読み、署名をしたり指示書を作成しているパトリー。
「目が疲れるだろう。こんな揺れているところで凝視していれば」
 向かい側でそれを見ていたオルテスは、気遣いより呆れの気持ちが強い声で言った。
「馬車じゃなくて、宿屋とか落ち着ける場所でした方がいいんじゃないか? セラからの旅のときはそうしていただろ」
 隣に座っていたノアも援護する。
「それじゃ全然時間が足りないのよ。セラからの旅路はあたしが病気だったから、安静にしていて、って言われていたし。でも今は元気になったでしょう。それにこの書類の量じゃ、馬車の中で処理しないと間に合わない。続々とマレクから書類は鳥で送られてくるしね。あー、もう、うんざりするわ。目の中で文字が踊ってる」
 ノアは目を丸くする。
 パトリーが仕事の愚痴を言うのを初めて聞いた。それだけ飽きるほど書類の処理に追われているのだろう。
「それにしても、パトリーにそうやって馬車の中でやられると、馬車の中が狭くなる。ただでさえ大人四人で狭いんだ」
 オルテスに言われ、パトリーは顔を上げた。
 確かに狭いのだ。大人四人というためだけではない。端には干し魚が詰まった袋なども置かれ、狭さを助長している。
 パトリーたちは馬車二台を使っている。もう一台に四人の荷物を置いているのだが、それに入りきらなかった分が、この馬車に置かれているのだ。
 隣のノアとの間に少し隙間があって、そのためにノアが小さくなっているのをパトリーは見て、
「ノア、もうちょっとこっち来てもいいわよ。あたしも詰められるし。ほら」
 と、ノアの腕を引いた。ノアはちょっと抵抗したが、最終的に二人の間に隙間はなく、腕と腕が触れ合っているような現状となった。
「何だ。自分は痩せている、って言いたくて無理して縮こまっているのか?」
 揶揄するようなオルテスに、かっとなってパトリーは立ち上がる。
「失礼ね! 無理なんてしてないって――わあ!」
 と、パトリーはよろけて、オルテスの方へ倒れてしまった。
 パトリーは体のいろいろなところをぶつけながら、何とかオルテスが支えた。
「……自分の体のことも忘れるのか。松葉杖がなきゃ歩けないって」
「ご、ごめん……」
 パトリーはどこに手をつけばいいのか迷いながら、結局馬車の壁に手をついて、力を入れて立ち上がった。
 少しノアは不機嫌ながら、パトリーが座るのを手伝ってくれた。
 パトリーは静かに座りなおす。
「やはり、この狭さは問題ですね」
 イライザが言うと、ノアは考えるように顎に手を当てる。
「じゃあもう一台馬車を用意する?」
「だめ! 絶対だめよ、そんなの!」
 断固としてパトリーが反対する。
「四人の旅で三台も馬車使うなんて、常識外れもいいところだわ。どこの皇族のパレードよ。荷物を減らせば済むことじゃないの。ちょうど近くに市場があることだし、いらない荷物を売りに行きましょう。あたし達が乗るのも荷物も大型の一台で済むくらいにね」
 荷物の大半は、ノアたちのものである。パトリーから買った干し魚もまだ残っている。
「じゃあそうしようか。俺も旅の生活に慣れてきたし、いらないものも区別がつくようになってきたし。干し魚も……」
「何言っているのよ。干し魚は残すべきものよ」
「え」
「保存食料としても美味しいものじゃない。それ以外からで考えるのが当然よ」
 ノアとしては、干し魚はにおいや庶民性から何となく好きではないのだ。しかし、強固にパトリーにそう言われ、肩を下ろした。
 干し魚のにおいに満ちた馬車は、市場に向かった。


 市場は人で溢れかえっていた。
 無駄な荷物はスムーズに売りさばけた。
 それですぐに出発するはずだったが、市場は広くて何でも揃っているようなので、他に必要なものも買い揃えることにした。
「胡椒が高いわね」
 と、パトリーは何かを考えながら、いろいろな商品の値段を確かめている。おそらく商売のためなのだろう。
 少し離れてその後ろについてゆく三人。
 彼らは買い物に熱意はないから、退屈そうにパトリーの後を行く。
「ところで、ランドリュー皇子と友人だということだが、どこで知り合ったんだ?」
 急なオルテスの言葉に、ノアは目をむく。
「……が、学校でだよ」
「どこの」
「エリバルガ国の首都・マイラバにある……」
「ふうん」
 ノアは額に冷や汗が流れる。
「皇子はさぞや頭がいいんだろうな。外国で学ぶくらいだ」
「い、いや、そんなことは……」
「…………。なぜお前が否定するんだ?」
 オルテスの全てを透かして見るような鋭いまなざしに、イライザが助け舟を出す。
「ノア様と皇子はとても仲がいいものですから。知らないことがないくらいの大親友で。だから皇子の学力も何もかも、ノア様もご存知なのですよ」
「ふうん」
「な、なんだよ、この前から変なことばかり聞いてきて」
 虚勢を張るようなノアに、オルテスは正面から向かい合った。
「どこの誰とも素性の知れない奴と旅を一緒にするはめになって、探るなというのが無理だろう。探られて痛くもかゆくもない、というのなら、正直に言ったらどうだ」
「お前こそ、知る機会がなければ、自分から素性を明かさなかっただろ! 人のことをよく言えるな」
「ああ、人のことだから言える。自分のことは棚に置くに決まっているだろう。はっきり言うぞ。あやしい。あやしすぎる」
「ほんと、自分を顧みろよ。俺のどこがあやしいっていうんだ。振る舞いや行動には自信がある。素性を言わなくたって、パトリーは俺を信じてくれたくらいだ」
 ノアは胸を張る。
「パトリーを引き合いに出すな。あれは例外に決まっているだろう。大体おれを信じたくらいなんだぞ? 当てになるものか」
「ほら! 自分が一番あやしいって、分かっているじゃないか!」
「あの、ノア様……」
 おずおずと、イライザが口を挟む。
「パトリーさんがいないのですが……」
 瞬間、二人がイライザへ向いた。
 そして見える限り市場を見回す。
「どこに行ったんだ」
「……私もついさっき、いないと気づいたばかりです。これはやはり……」


「まさか、迷子?」
 パトリーは呆然と松葉杖をついて一人で立っていた。
 人々はパトリーの前や後ろを行き交うが、オルテスやノアやイライザは見当たらない。
 ちょっとばかり熱中してしまったと気づいて、顔を上げたときだった。
 そのときには三人ともどこにもいなかった。おまけにここがどこかわからない。
「う、うそ。本気であたし……」
 迷ったのは彼らでなく、パトリーの方だろう。
 そう気づいてしまって、頭の中が情けなさで埋まった。熱中しすぎて迷子、なんて。
 迷ったときの待ち合わせ場所なんてものは決めていない。そもそも四人で歩いていたわけであるし。
 どうしたものか、と困って立ちすくんでいたら、
「もし」
 と声をかけられた。




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