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 第32話 後悔の末(2) 


 グランディア皇国首都・キリグートは、表面上は平静な様子である。ノアはあれ以降、城に近づいていないので、キリグート城内部のことはよくわからない。
 ノアとイライザは、この街に来たときからずっと、同じ高級ホテルに泊まっている。そこでも滞りないホテル業務が行われている。
 一階の待合室で、二人は呼び出した人物を待っていた。
「お待たせしましたかな」
 後ろからの声に、ノアはゆっくりと振り返る。帽子とステッキを手にしているウィンストン卿だ。
「外に出て、話をしよう」
 ノアはそう促して、三人は外に出た。赤レンガの舗装された道をゆっくりと歩く。隣を立派な馬車が通り過ぎる。
 そうして、パトリーがもうすぐ退院することを話し始めた。
「ほう、それは喜ばしいことですな。歩けるようになるということも、また喜ばしい。自分でバージンロードを歩くという経験も、一生に一度のことですからな」
 しわを刻んだ顔で笑むウィンストン卿に、ノアは多少の憤りを含ませて言う。
「そんな冗談の話をするために呼んだわけじゃないことはわかっているだろう。パトリーはまだ何も知らない。納得するはずがない」
「殿下もしつこいお方だ。散々議論されたでしょう。退院したら、セラで結婚。シュテファン殿もそれで納得なさった。納得していないのは殿下お一人です。パトリー嬢が何も知らないというのなら、多少手荒な方法で人を使う必要がありますな。ふむ」
 とウィンストン卿は考え込む。
「手荒って、何だよ。どうしてウィンストン卿も、シュテファンみたいな乱暴な説得方法しか取らないんだよ。なあ、おれの考えは間違っているのか? パトリーに納得してから結婚してほしい。悲しんでもらいたくない。そう考えるのは間違っているか?」
 ウィンストン卿は淡々と述べる。
「そうなさりたいなら、殿下が説得すればよろしいのに」
「簡単じゃないから、待ってくれ、って言っているんだ。ウィンストン卿はパトリーを知らないから……」
 結婚なんてしたくない、と言っている彼女。おまけに一度、結婚を申し込んで、冗談だと思われたこともある。あれは傷ついた。
 どうしたってノアの納得する形となるには、時間が必要だ。
「まったく、殿下は本当に……肉を切らせることがお嫌いですなあ……」
 ウィンストン卿はしみじみとした様子で、遠い目をする。
 ノアはその言葉の意味を聞こうと口を開いたとき、前方から少し高い女の声がした。
「あら、ノアじゃないの」
 少し楽しそうなそれは、パトリーのものだった。
 パトリーはいつもの男装で、両手に松葉杖を挟んでいる。
「なっ! 何でパトリーがこんなところに……」
 パトリーはちょっとむっとした。杖を巧みに操り、近づいてくる。
「なあに、いっつも病院で寝ていなくちゃいけない? この街には支店もあるから、いろいろ仕事で動かなきゃいけないことだってあるのよ。書類だけじゃないしね、仕事は。それに歩くにしたって、いつも病院の周りだけだと飽きちゃうもの」
 パトリーは立ち止まっていた一行の前に立つと、ウィンストン卿へと顔を振り仰いだ。その視線を感じ、ノアは紹介する。
「あの、こちらはウィンストン卿。で、彼女は、あのパトリー=クラレンス」
 どこからどこまで紹介すればいいのか迷った挙句、名前だけ紹介した。何かまずいことは言わないように、とウィンストン卿に視線を向けたが、その視線の意味を彼が分かったかどうかはさだかではない。
「はじめまして。紹介の通り、パトリー=クラレンスと言います。パトリー貿易会社の社長をつとめさせていただいています。衣服類、食料など、わが社で取り扱っている貿易品でご入用ありましたら、ぜひ当社をご利用ください。あ、これ名刺ですので」
 ウィンストン卿は、パトリーの営業トークにたじろいだ。名刺を受け取り、はあ、と気の抜けたような声を出す。
 ノアは思わず額を押さえた。
「……パトリー嬢、ですな。お噂はかねがね。ぜひ一度お目にかかりたいと思っておりました」
 パトリーはそれを聞いて、ノアへ顔を向けた。何を言ったのだ、と顔が語っている。
「大貴族クラレンス家のご息女なのでしょう。儂もシュベルク国の貴族の末席におりましてな」
 どこまで話すのだろう、とノアははらはらしている。
「まあ、シュベルク国の……お会いするのは初めてですね」
「そうですな。あの国も狭いようで広いものです。それに儂も国を行き来しておりましてな。機会がなかったのでしょう。これを機に、仲良くさせていただければ。そうです。どうぞ儂の名刺も」
 パトリーは名刺を受け取る。
「こうして友好を深めたいところなのですが、残念です。儂は実は、しばらくしたら、シュベルク国へ帰らねばなりません」
 それはノアも既に聞いていた。
 パトリーが退院し、ノアとパトリーをセラに送る手はずが整えたら、シュベルク国へ帰ると。それがスケジュールぎりぎりの期限だそうだ。
 結婚式に出席できないのは残念ですな、と言っていた。
「退院し、ご帰国なされたとき、さまざまなこと、ご相談がありましたらぜひ儂を頼りなされ」
 ノアはその含まれた意味を理解している。
 だがパトリーは何も知らず、首をかしげている。
「あの、でも、退院しても、あたしは多分すぐには帰国しないです。仕事の関係で、ここから南へ下ってタニア連邦へ行く予定です」
「いいえ。あなたはシュベルク国へ帰ります」
 きっぱりと言ったそれは、予言めいて聞こえる。決定、結論だ。
 思ったとおり、パトリーは戸惑っている。
「……儂も忙しいので、それではこれで。またお会いするときを、楽しみにしておりますぞ」
 ウィンストン卿は帽子を取って軽く頭を下げ、そのまま反対方向へ、歩いていった。
 ノアの隣を通るとき、彼は小さな声で囁いた。
「納得させたいのなら、殿下が納得させねばなりませんぞ」
 ノアは小さく、息を吐いた。

「ご立派な紳士だったけど、ちょっとよくわからないことを言う人ね」
 姿が見えなくなってから、そうパトリーは感想をもらした。
「パトリー……話があるんだ。イライザ、ちょっと離れていてくれ」
 素直に、イライザは離れた。
「どうしたの? イライザにも聞かせられないような話?」
「……パトリーと二人で話したいことだから……」
 しばらく杖の音と靴の音が響く。
「ねえ、確認したいんだけどさ、パトリーは今でも皇子と結婚したくない?」
「変わらないわ。むしろ、以前より断固とした決意があるわよ。あんな兄の思い通りになってたまるものですか」
 憤然と、考える素振りもなくパトリーは答えた。
「……シュテファンのことは置いておいて、それでも結婚したくない?」
 今度はパトリーは怪訝そうにする。
「あたしが結婚する理由がどこにあるのよ。会ったこともない人が相手で、仕事ができなくなる束縛の地位。何より結婚には不幸が目に見えている。結婚する利点が見当たりはしないわ」
「…………。じゃあ、知っていたら? 会ったことがあって、決してパトリーを不幸にしたくないと思っている男なら?」
 ええ? とパトリーは驚いている。
「結婚が不幸でなかったら? その未来が幸せなものだったら? 仕事はできないかもしれないけれど、代わりに相手が愛していたら? 仕事よりも充実した何かがあったとしたら?」
 ノアは必死だった。
 何とかパトリーの妥協点を知りたかった。
「思い描く限りの最上の生活があっても? それ以外に不満な点は何? それも改善するように、努力するとしたら?」
 どこかで、それならばいい、と一言でも聞けたなら、ノアはそうするように努力するつもりだった。
 ノアは隣を見る。
 すると、そこには冷たい眼差しのパトリーがいた。
 まるでシュテファンのようなそれに、思わずノアは竦んだ。
「パトリー……?」
 彼女は杖を使って、前を行く。明らかに、隣を歩いていたときよりも早いスピードで。
 慌ててノアが追う。
 どうして、とノアが問うても、パトリーは答えない。
 ノアはパトリーの前に出て、二つの松葉杖をつかんで立ち止まらせた。
「放して、ノア」
 声すらも冷たいように聞こえる。
「待ってよ。話を聞いていた?」
「ええ、ええ。よーく、分かったわよ。そこまでして、あたしとランドリュー皇子を結婚させたいのね」
 確かに、それは事実だ。だがパトリーとノアには認識のズレがある。
「ああしたら結婚するか、こうしたら結婚するか。それって、あたしの意思を無視して、どれくらいの待遇だったらあたしが知らない皇子相手の結婚に折れるか、って確かめているのよね。それってさ、お金を提示されて、どれだけの金額をもらえれば意思に反したことでもどんなことでもするのか、って聞かれているようなものよ。かなり不愉快。あたしの意思とか、人間の尊厳とか、無視した発言よね。これくらいだったら、って答えて、ノアは満足? あたしをそういう風に屈服させたいの? 屈服させるのを見るのが楽しいの? ふざけないでよ、あたしだってプライドがあるわ」
 押し殺したような息をつくパトリー。
 ノアにとっては自分との結婚に納得してほしいゆえの言葉でも、パトリーにしたら、見知らぬ他人ととにかく結婚しろ、という意味にしか取れない。
「……もし実際に、これこれこういう条件の結婚話、って持ち上がったのなら、あたしは真剣に考えるでしょう。あたしも皇子との結婚をそんな風に考えた。最初っから嫌だとは思っていたけど、皇子の妃になることと、自分の仕事や未来をと、天秤にかけて何度か考えた。そして、あたしはしたくない、って今も結論を言ったわよね。大体、相手が愛しているだとか、そんなこと皇子自身の自由でしょう。それだったらいいわよ、ってあたしが言ったら、ノアはどうするの。ランドリュー皇子に『愛しているふりだけでもしてやって』って頼むの? ……本当に、冗談じゃないわよ。そうやって騙されて、相手に別に好きな女性と子供でもいるとなると、もっと許せないことになるわよ」
 目の前のパトリーの気迫に、ノアは押される。
 パトリーは今、過去のことも脳裏によみがえりながら、言い放つ。
「……そこまでしてランドリュー皇子と結婚させたい、というノアの気持ちはわかったわよ。改めてあたしの結論を言うわ。皇子と結婚する気はない」
 ノアは弁解をしようと思った。
 さまざまなこと。そんなふうに怒らせるつもりはなかったこと。本当に結婚してほしくて、そのためなら何でもしたいから言ったに過ぎないこと。本当は――
 けれどその前に、パトリーはノアがつかんでいる松葉杖から手を放した。くるりと後ろを向くと、何も持たずに、歩き始めた。
 止める間もなく、しばらく歩くと、パトリーは転んだ。
 松葉杖をかついでノアはその横に膝をつく。
「パトリー、危ないよ。松葉杖返すから」
 そうノアが言っても、パトリーは受け取らなかった。手を貸す、というノアの手を取ることもなかった。
 隣にずっとノアがいたけれども、パトリーはノアに頼らなかった。
 そうして、何度も転びながら、長い距離、病院まで戻っていったのだった。


「ノア、しょげかえっていたぞ」
 とぼとぼと歩くノアとイライザを、オルテスは窓から見ている。ベッドで書類にサインしているパトリーに、オルテスは言った。
 パトリーはまだ不機嫌な顔で、黙々と署名し続けている。
 窓から風が入り込み、軽い暑さをやわらげる。
「だって、ノアったら、いくらあたしとランドリュー皇子を結婚させたいからって……」
 いくら皇子の友達といったって、大きなお世話だ。
 それとも、深い友情で結ばれていると、そこまでしたくなるものだろうか。
「ノアが? パトリーと皇子との結婚を結びつける? ……あのノアが?」
 オルテスは首をかしげて、何かを考え始めた。
「そこまでするなんて、二人はきっと大親友なんでしょうね」
 その言葉に、オルテスは更に首を傾げるのだった。




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