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 第31話 夜明け(2) 


 オルテスはいとも簡単に答える。
「教えてやっただけだ。『皇太子殿下が、おれと結婚したがっている。今夜中にでも、そうしようとしている。そうなったら、皇太子が女皇となるのは確実だ。あんな女が女皇となったら、ダニロフ公は、反対派もろとも殺されるぞ』ってな」
 アレクサンドラはエペを向けようと、構え始めた。
「おれに剣を向ける暇があったら、逃げた方がいいんじゃないのか? 今度こそ、あんたは死ぬ」
 アレクサンドラは恨みの混じった瞳を向けつつ、階段へ走った。
 鎧の騎士、司教たちも後を追う。
 パトリーはオルテスへ近寄った。
「オルテス。肩の傷はどうなの?」
「これくらい、軽い」
 言葉通りにパトリーは受け取れなかった。パトリーが服を破って包帯代わりにしようとしたところ、オルテスは止めた。
「そんなことをしている暇は、おれたちにもなさそうだ。兵士達が来る前に、逃げ出さなくては」
 オルテスは肩を押さえつつ、剣を龍の巻きついた鞘に収めた。そしてパトリーをかついで、階段を上った。
 けれど、オルテスの足が途中で止まった。
「あの女……最後まで、余計なことを……」
 オルテスの横から前を見ると、出口は岩などで埋められていた。
「出口、塞いで行っちゃったの!?」
「穴一つ、見えないな……」
「全部どかすのは、時間がかかりそうだわ。その間に、兵士とか来ちゃうんじゃない?」
「そうだな、どかし終わった後に、そこで兵士達が待ち構えてました、というのはまずい。別の出口がないか、探そう」
 それを聞いて、パトリーには一つ心当たりがあった。
「あの広い場所に、穴が一つあったわ。もしかしたら、そこから……」
 オルテスは首肯して、階段を降りた。
 再び大きな空間に出て、パトリーは祭壇の左にある穴を指差す。オルテスはそこに向かう。
 穴は、人が簡単に入れる大きさである。身長よりも高い。横幅も広い。
 ただ中は、暗すぎる。大きな広間では、水晶や光るコケで明るいのに、穴の中は、ただ漆黒の闇が広がっている。
 穴へ一歩でも入ると足下には地面がない。手を伸ばすが、届くどころの話ではない。
 オルテスが石を拾ってきて、その穴へ落としてみた。耳を傾ける。しかし、どこかにぶつかる音はしなかった。
「この下に降りるのは無理だな」
「けれど、奥ならどうかしら」
 下はどこまで落ちているかわからない。しかし、目を細めてみると、目の前の穴の奥に、さらに穴の道が見えた。その奥はどうなっているかわからないが。
「この底なしの谷を越えて行くかどうか、ってことだな」
 ふと、振動を感じた。兵士達が近づいている。
 パトリーはオルテスに顔を向けた。彼の表情は真剣で、同じことを考えているのがわかった。
「行くしかないわね」
「しかないな」
 かといって、パトリーは歩けず、飛び越えることは不可能だ。
 パトリーはふと、祭壇を見た。それを橋代わりにして……と考えていると、
「パトリー、丸くなれ」
 とオルテスが言い出した。
 パトリーは言われるままに、膝を抱いてみる。
「頭も下げて、抵抗を少なくするんだ」
 パトリーは頭を下に向け、できるだけ小さくなって見た。
 どうしようというのだろう、とそのままの姿勢で思っていると、オルテスがわき腹の辺りをつかんだ。
「ちょっ、く、くすぐったいっ。な、なにを……」
 頭を上げかけたが、オルテスはそれを止めさせた。とにかくそのままの姿勢で防御に徹しろ、と言われ、パトリーはわき腹の辺りをつかまれ持ち上げられながら、黙っていた。
 パトリーが動かずにいると、オルテスは前後に揺らし始めた。
 ブランコのように、前後のふり幅が大きくなってくる。
 パトリーは動けないながら、額から冷や汗が出てきた。
 ……以前から、とんでもないことをする人だとは思っていたけれども……
 パトリーはこれからどうなるのか、完璧に予測がついていた。
ぶんぶんと振り回し、前へ来たところで、オルテスは手を離す。
パトリーの体は、びゅん、とぐるぐる回りながら飛ばされた。足の合間から、底なしの谷が見える。
悲鳴を上げる暇もない。
ぐるぐる回転しながら、パトリーは向こう岸へ飛ばされた。
そのとき、背中をしたたかに打った。
「大丈夫かっ」
「うう……大丈夫じゃないわよっ。あたしを物か何かだと思っているのっ!?」
 パトリーは起き上がって、手を上げた。
「それだけ言えるなら、大丈夫だな。パトリー、そこをどけ。隅、そう、端に寄っていてくれ」
 オルテスの方のいる穴は、明るいからよく見える。そのオルテスが穴から離れた。
 しばらく沈黙。パトリーにとっては長い時間だ。それを待つと、靴音をさせ、オルテスが走って近づき、飛んできた。
 ずささああ、と、すぐ横を着地するオルテス。
 よかった、とほっと肩を撫で下ろしたとき、振動音が聞こえてきた。明るい大きな空間の方からだ。兵士達が何かをしているに違いない。
「どうする? ここで様子見る? 兵士達がいなくなるまで」
「隠れるには、もうちょっと奥へ行った方がいいだろう。もしかしたら、別の出口があるかもしれないからな」
 それに、とオルテスが何かを言いかけてやめた。
 予想がつく。ここまで兵士達が追ってくる可能性もあるのだ。そうなると、なるべく遠くへ行った方がいい。
 幸い、この先もずいぶんと道は続いているようだ。
 パトリーはオルテスに背負われて、進むことになった。
 オルテスが歩くたびに、ぱしゃぱしゃと音がする。足元には水が流れているのだろう。
 壁伝いに歩いているが、走ることは不可能だ。あまりに暗すぎる。
 目を細めて前方を見るが、ろくにわからない。
 とある場所で、三つの道に別れた場所に出合った。
「右の道を行こう」
 きっぱりとオルテスが言う。
「その根拠は?」
「風だ。右の道から、風を感じる。どこかで外とつながっているということだろう」
 なるほど、とパトリーは感心して頭を縦に振る。
 オルテスは右方へ歩き始める。足元は慎重だ。どこに穴があるかもわからないのだから。
 水滴の落ちる音がどこまでも響く。二人の息の音も。息はこらえようとしたってこらえられるものではない。
 何となく、気まずい気がした。
「……全部知ったんだろう?」
 オルテスがふいに口にした。
 何が、と問おうと口を開いたとき、分かった。
 彼の過去のことだ。
「……うん。ルース=ユーギンさんの本を読んだ」
「そうか」
 オルテスの表情はわからない。歩くたびに、後頭部の長い髪が揺れている。
「おれから話そうと思っていたんだけどな。適当に」
「話すつもりだったの?」
「再会したとき、もうボロが出かかっていたからな。いろいろと追求されるのも疲れる。そこそこに脚色でもしようかと、考えていた」
「ちなみに、どういう風に話すつもりだったの?」
 脚色して、といっても、なかなか難しいと思うのだが。
「そうだな。おれはとある島の出身で、漂流してこの大陸に来てしまった。潮流の関係で島へは戻れない。そんなところか?」
「本当のところなんて1パーセントもないじゃない! 脚色じゃなくて、作り話でしょっ! 全ッ然、いろいろな疑問に答えられる話じゃないわよ」
 パトリーは自分を負ぶっている青年への見方が変わっていた。それは悪い方向では決してない。悲しい同情とは少し違う。それはオルテスに、あまりに失礼だ。
 彼は強い、と思う。剣も、心も。それは以前から思っていた。
 しかし彼の過去を知った今、強さの裏側にある意地のようなものを感じる。
 彼は一人で孤高の存在のように立っている。過去も、今も、立ち続け、崩れ落ちることはない。どんな時も、自分の全存在をかけ、自分であり続けている。どんな屈辱を受けようとも、彼を貶めることも、望んで彼を跪かせることはできない。
 けれど、ずっとずっと立ち続け、疲れないわけがないのだ。苦しくないわけがないのだ。それでも、その生き方をやめろとは、パトリーには言えない。苦しいことが多かった彼の、それが自我を保つ処世術ならば。
 挫折し、崩れ落ちたとき、彼はどうするというのだろう。これほど張り詰めて自我を保っている彼は、もう二度と立ち上がれないのではないだろうか。
 崩れたとき、自分は、どんなことができるだろう。過去を知った上で、立ち続けている彼に、どう向き合うのが一番良いのか。
 パトリーはオルテスを以前よりずっと身近に感じ、そして彼に近づきたいという気持ち、彼のために何かをしたい、という気持ちがあることを自覚した。
それは同情とは少し違う。もっと大きく、ずっとのめり込むような……。
考えていると、後方から大きな音が聞こえてきた。大勢の足音、鎧の音。
 思わず息を飲む。
 音は遠くない。兵士が穴に入るところだろうか。
「急ぐぞ」
 オルテスは極力小さな声で囁く。パトリーも頷いた。
 道は長かった。一本道が曲がりくねり、広くなったり狭くなったり。
 人が通れなさそうなところも何とか通り抜け、パトリーたちは光を見た。
 足元も、オルテスの表情もよく見え始めた。
 急ぎ足でオルテスは行く。その背にあって、パトリーも急ぐ気持ちを抑えられない。
 そこには、穴があった。外界への。
 薄明るい光が降り注ぐ。
 しかしその外界への穴は、パトリーたちのはるか頭上に位置しているのだった。
 背負われているパトリーが手を伸ばしても、届きそうにない。
「な、なにそれ……」
 オルテスに降ろされたパトリーは、座りながら頭の上を眺めた。
 もう深夜は越えて、夜明け前らしい。外はほのかに明るくなっている。
 周囲はパトリーたちが来た道以外、壁で覆われている。階段状になって外へ出られやすくなっているわけでもない。
「さてどうするか、だな。確認するが、パトリー、足はどうなんだ?」
「震えのせいかなにか、立つことは不可能よ」
「さわると痛む、とかは?」
「そういうのはないわ。怪我しているってわけでもないし、感覚は普通なのよ」
 オルテスは壁際の壁を、ぐるりと触れる。
「……これしかないな。パトリー、肩車するぞ」
「え。ええ? 誰が?」
「おれたち二人しかいなくて、後誰がいる」
「それは……オルテスがあたしを担ぐ、ってこと?」
「反対の役割は無理だろう。おれがパトリーを担ぐ。パトリーは手を精一杯伸ばして、一番高い壁につかまるんだ。そして何とか腕力でもって登り、外へ脱出だ」
「腕力、ね。でもそれじゃあオルテスはどうするのよ」
 オルテスは緑の瞳で見つめる。睨むでもなく、意思を持って。
「そこはパトリーにかかっている。穴を脱出して、縄のようなものを近くで見つけてくれるか、人を見つけるか」
「待ってよ。あたし歩けないのよ? 這って進めば動けるけど、絶対的に行動範囲が狭いわ。オルテスが先に脱出して、外であたしを救助するものを見つけてくれれば……」
 オルテスはうんざりした様子で首を振る。
「立てないパトリーに肩車してもらってか? パトリーは潰れる。肩車する意味がないだろう。外でのことは、パトリーを信じるしかないな」
 パトリーは背筋を伸ばして見上げた。
「あたしを信じていいの?」
「……もういいんだ。パトリーを疑うのにも疲れたしな。裏切らないって分かっている相手を疑い続けるのは、思ったより苦痛だ。パトリーはおれを見捨てない。おれの心では、もうそれは確定事項になってる。そういうのはつまり、パトリーを信じている、ってことになるんだろう。ルースを送ったのだって、突き詰めれば、パトリーを信じているという意識が働いていただろうし。それでもなお、信じたくない、と言ったら、おれの中で矛盾が生じてしまう。もう誰も信じたくない、と思っていたがな。あんたみたいなのは、例外中の例外だ」
 パトリーは嬉しさで思わず口元を緩める。
 彼の言っていることは変な理屈だ。前から言っていたけれども、よくわからないところもある。
 そんな理屈は置いておいて、自分を信じる、と言われるのはたまらなく喜ばしい。
 オルテスはパトリーを肩に座らせる。そして慎重に立ち上がる。
 止まったところで、パトリーは手を伸ばす。
 けれどあと少し、というところで、掴みやすそうな出っ張った壁に届かない。精一杯背を伸ばすが、あと少しのところで手に触れない。
「あと少しなのにっ……!」
 最大限開かれた手の先が、触れるか触れないかだ。




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