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第31話 夜明け(1)
「こんな時間には面会は無理に決まっているでしょう」
どう見ても不愉快そうに、眠たげに看護婦があしらう。
「お願いです。無事かどうかを確かめるだけでいいんです」
ノアは頭を下げて頼んだ。イライザもだ。
看護婦はしぶしぶ、特別にですよ、と念を押して、病院を案内する。
かなり暗くて、そして不気味なほど静かだ。
ノアたちも看護婦にわざわざ声をかけなければ、密かに侵入できそうなくらいに暗い。
パトリーの病室に案内された二人は、窓から中を覗き見た。
「いない」
呆然とノアは呟く。
看護婦はそれを聞いて、慌てた。
確かめると、隣の隣の部屋にいたというオルテスもいないという。
慌てているその看護婦を置いて、ノアたちは病院を出る。
「絶対、何かあったんだ。どこに行ったんだ」
「可能性としては、城でしょうか」
「けれどこんな時間に、そんな理由で城に入れてくれるわけがない」
かなり暗い。夜明けまでまだ時間がある。
そんなとき、イライザが空を見上げた。
「殿下、あれを見てください」
「え……? あれはもしかして……」
ぼんやりと壁が光っている。
「光栄だと思ってくださいね、パトリーさん。この聖窟に、ただの外国人のあなたが入れるなんて」
アレクサンドラは手を大きく広げて微笑む。
そこは城の北に位置する山の、ふもとにあった洞窟だ。
パトリーは後ろ手に縛られ、座っている。車椅子は洞窟の外だ。さすがに洞窟内まで車椅子では入れないから。
そこにはアレクサンドラとパトリーの他に、司教たち聖職者と鎧の兵士達がいた。
「かつてはここに聖具がそなえられていたと言いますが、今ではあの祭壇だけ。聖具自体は城の宝物庫にあるのです。何と言っても、グランディア皇国の皇王継承のために、必要なものですから。聖具を持つ者こそ皇王だ、と規定されている以上、盗まれでもしたら大変でしょう」
アレクサンドラの解説は無視して、パトリーは冷たく言う。
「こんなところまで連れてきて、何をするつもりですか」
「わかりませんか? あなたには参列者として、この式を見てほしいのです」
「式?」
アレクサンドラはにっこり微笑む。
「わたくしとオルテスの結婚式です」
「なんですって!?」
面白そうに彼女は笑う。
「大丈夫です。わたくしたちに愛など存在しませんから。オルテスは皇王に即位しますが、愛人を持つことくらい、許容範囲ですよ。どうぞよろしく、愛人さん」
「あ、愛人って! 愛人ってあたし!?」
「あなた以外に誰が。ねえ、パトリーさん。あなたはオルテスと共に暮らし、共に旅をしたそうですね」
「……何だかその言い方だと誤解を招きそうだわ」
パトリーは複雑そうな顔をした。
「わたくしにはオルテスが執着する人物なんて、想像もつかなかったものですから。ね、だからあなたに協力してほしいのですよ。あなたに悪い話ではありませんよ。皇王の愛人ともなると、わたくしと比べるともちろん劣りますが、待遇はいいはずです。仲良くしましょう」
首を絞め、剣をつきつけた人物がよく言う、とパトリーは思った。
「あなたはここで何もしなくていいのですよ。オルテスが来ても、ね。ただここで、わたくしとオルテスの結婚式を見ていただければ。わたくしだとて、こんな湿気があるじめじめした場所で結婚などしたくないのですが、これは皇族の決まりごとでもありますし」
「オルテスがあなたと結婚するはずがないわ」
「だ、か、ら。あなたにここに居てほしいのです。縛られて、何をされるかわからない状態で、ね。オルテスは屈辱に燃えるでしょう。あの彼が、自らわたくしの横に立ち、空々しい誓いの文句を口に出す。自ら、ですよ。考えるだけで楽しいでしょう?」
パトリーは己の置かれている立場というものが理解できた。
「……そ、そんなこと、オルテスが、あたしのためにそんなことまでするはずがないでしょう。誤解ですよ。あたしとオルテスは何もないのだし……」
「そうですねえ。そのときはあなたを、憂さ晴らしにでも殺しましょうか」
まるで食事を取ろうと言っているかのように軽々と、アレクサンドラはささめく。
パトリーの心臓がきゅっと締め上げられている気分になった。
「大体、オルテスはどこにいるんです」
「さあ。リュインが逃がしてしまったそうですから。もともと、彼を捕らえられるとは思っていませんでした。あくまで目的はパトリーさん、あなた。わたくしの考えはオルテスも分かっています。パトリーさんを助け出すためには、ここへ来なければならない、ということもね。まあ、夜明けまでは待ちますが、それまでに来ないのであれば……」
ちらり、とアレクサンドラがパトリーを見下ろす。
殺す。
言外に、そうほのめかしている。
パトリーは焦った。
洞窟の中は明るいが、外の様子がわからない。今が夜明け前なのか、まだ深夜なのか。
パトリーは生命の危機に震えながら、ここを脱出する方法を考えていた。
オルテスを待つつもりはなかった。やってきてしまったら、それこそ取り返しがつかないことになる。むしろ来ないことを望んでいる。
後ろ手に縛られた縄は、どうしても邪魔だ。そして足が動かない以上、這って進むしかない。祭壇の横に座らされているパトリーは、出口まで遠い。
洞窟へは、階段のような細い道を降りてきた。
それ以外に出口は、と、辺りを見回す。
すると、祭壇の左方にある壁に、穴が開いていた。
穴の奥は暗い。目を細めて、奥を見ようとする。穴の奥に、何かが見えた気がした。
体をずらして、近寄って見ようとする。
「何を見ているのですか?」
上からアレクサンドラが言ってきた。
しまった、と思ったのは一瞬で、パトリーは覚悟を決めた。
「あの穴。もしかしたら、誰かが入ってこれるのかな、って」
「穴ですって?」
アレクサンドラは穴へ近寄っていく。護衛する鎧の兵士達も、聖職者達も。
パトリーは全力で、這って入り口へ進みだした。
摩擦でいろいろなところが痛い。それでも全力で、進む。
階段の前に来たとき、
「あっ!」
とアレクサンドラの声が上がった。
階段を上らなくては。その一心で、パトリーは体全体を使って、上り始める。
アレクサンドラたちの近づく足音がする。
できるだけ登らなくては。
上半身の力を使い、パトリーは上る。
そのとき、ようやく後ろ手の縄が切れ、手を使って登る。
壁も地面も、洞窟の中は一種異様である。水晶のような地面に、きらりと何かが光った。
刹那、パトリーは振り向いて、アレクサンドラの剣を防ぐ。
アレクサンドラは驚いていた。
「あなた、どこでその剣、手に入れたのですか? 持っていた剣は取り上げたというのに」
そう。
パトリーの手には、細い短剣があった。
アレクサンドラのエペとパトリーの細剣が交差し、ぎりぎりと拮抗を保つ。
ふと、アレクサンドラはパトリーの左腕のすそを見た。男物のジャケットのすそから、千切れた包帯が出ている。
「なるほど、包帯の下に隠していたというわけですね。なかなかやるではありませんか」
別に、こんなことを考えて隠していたわけではない。
この細剣はシュテファンからの箱の中に入っていたものである。
一度盗まれた後、我が身から離さないように、と左腕の包帯と一緒に巻いていたのだ。
パトリーはアレクサンドラの攻撃を耐え、少しでも出口に近づけるように、攻撃の合間を縫って、登る。攻撃を防ぎ、登り、防ぎ、登り、を繰り返す。
「往生際の悪い! 大人しく捕らわれのお姫様役をしておいでなさい!」
アレクサンドラは忌々しそうに言いながら、攻撃を繰り出す。しかし、細い通路では素早く何度も攻撃することは難しい。
捕らわれのお姫様など、冗談ではない。
パトリーは、幽霊と、誰かの足を引っ張る自分、というものが大嫌いなのだ。
それがオルテス相手だというのなら、なおさらだ。
前に別れたとき、足手まといになりたくなくて別れたという側面もあるというのに。
再会してこうでは、自分が許せない。
パトリーは懸命に攻撃を防ぎ、階段を上る。
いつまで続くのだ、と思われるほど、階段は長かった。
攻撃を防ぎつつ階段を上る。ある一段、そのときつるっと手がすべってしまった。
その瞬間を、アレクサンドラが見逃すはずがない。
ひゅっ、とアレクサンドラがエペを突き出す。
キィンッ、とそのとき、エペが宙を舞った。くるくる、と回転し、地面に突き刺さる。
「大丈夫か」
パトリーの肩を抱く存在があった。顔を上げると、すぐそこに彼はいた。
「オルテス!」
彼はパトリーの前に立ち、剣を構える。
「ずいぶん姑息な手段を使ってくれるな」
「あら、あなたがわたくしの結婚申し込みを断るからでしょう」
アレクサンドラは、後ろに控えていた鎧の兵士から、同じようなエペを受け取る。
「言ってやればよかったか? おれはあんたが、死ぬほど嫌いだ、ってな!」
オルテスの宝剣とアレクサンドラのエペが組み合わさる。
しかしそれは一瞬で、エペは弾かれた。
アレクサンドラは後ろへ下がり、階段を降りてゆく。何度も剣がぶつかるが、全てにオルテスが競り勝った。
オルテスは追い詰め、とうとう再び大きな空洞へ追いやった。
アレクサンドラは苦しげで、憎憎しげに見ている。
彼女の突きを全てかわし、オルテスは攻撃を緩めない。
剣が押し負けた反動で、アレクサンドラは倒れた。その首に、オルテスが剣を向ける。
「たかがお習い事の剣が、おれに通用すると思ったか」
「……! 殺しなさい! さあ、さっさと!」
アレクサンドラは顔を背け、堂々とそう言った。オルテスは少しためらっていた。
「どうしたというの。わたくしを死ぬほど憎んでいるのでしょう。一気に首でも胸でも突きなさい。生き恥はさらさない。それが皇太子たるわたくしの誇りです」
「……そうしてやりたいのは山々だがな……」
オルテスは何度も、突き殺そうと剣を下ろす。しかし、寸前で剣が止まる。
「その顔だ」
見えない力に阻まれているかのように、剣は少しも前へ出ない。アレクサンドラの顔を見るオルテスの表情は、苦しげだった。
「わたくしの顔がどうしたというのです」
「似ている。……ルクレツィアに。生き写しというくらいにな。冗談じゃない。最低な女が、妹と同じ顔をしているだなんてな」
舌打ちでもしそうなオルテスに、アレクサンドラはしばらく沈黙した。
しかし、微笑みが彼女の顔に浮かんだ瞬間、アレクサンドラは体を不意に起こした。
剣を向けていたオルテスは、思わず剣を上へ上げる。
「あなたはわたくしを殺せない。けれどわたくしは、あなたを殺すのに躊躇しない!」
アレクサンドラはエペを突き刺す。
超至近距離、オルテスは何とか体をねじり、エペは胸ではなく、肩へ突き刺さる。
アレクサンドラはそれを引き抜く。血が飛び散る。今度こそ、とオルテスの体の中心目掛けて、エペを突き出そう、とした。
しかし、それは実行できなかった。
パトリーが、彼女の足に抱きついたからである。
体のバランスを崩したアレクサンドラは、再度倒れる。
「このっ!!」
怒りのままにアレクサンドラがエペをパトリーに突き刺そうとする。しかし、持っていた右手を、オルテスは踏みつける。そしてエペをオルテスが取り上げようとしたときだった。
「皇太子殿下!!」
階段から、猛烈な勢いで降りてきたリュインがいた。青ざめている。
「兵士がこちらへ向かってきています!」
「何ですって!? どこの、誰の」
「ダニロフ公です!」
アレクサンドラは、パトリーを押しのけて立ち上がった。
「なんっ……! ここが聖窟だと分かって、やってきているのですかっ!」
「ええ。ここへ一直線にやってきています。兵士の数は100未満。急いでやってきたようです」
「短時間でそれだけ集められるとは、なかなかやるじゃないか」
驚きのない静かなオルテスの言葉に、アレクサンドラが振り向いた。
「あなた、何を知って……」
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