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 第30話 過去(3) 


 彼はあえて、何も悟らせまいとした。考古学的な質問には全て何も答えない。医学的な質問は無論だ。生活態度から気づこうとするが、それすらも悟らせまいとした。
 つまり、この時代の人間の生活に近づけようとしていた。
 内面は決して悟らせまいとする。近づく人間は疑って掛かる。
「何だ、最近紅茶ではないのか」
 コーヒーを出したおれに、オルテスはちょっと残念そうだ。
「ん、まあな。いいじゃないか。コーヒーだってうまいだろ」
「そうだな」
 微妙に、以前の生活とは違う。
 そして国立医師団も、まだ諦めたわけではなかった。
 それから数度、再びオルテスの体を研究しようと計画された。
 ある計画は成功し、ある計画は失敗した。
 塔での生活は、どこかぎくしゃくしたような、静かな日々が続いた。
 オルテスが救出されてから七年。
 そんな静かな生活の中、ある人物が舞い込んできた。
 夏のある雨の日だった。
「本当にいるなんて。あら、本当にわたくしの顔と少し似ているのですね」
 皇太子殿下だった。後ろに、リュインを引き連れて。
 雨のために予定が中止となり、きまぐれにこの塔に足を運んでみたのだという。
 おれが見る限り、確かにアレクサンドラ皇太子とオルテスの顔のつくりは似たところがあった。
 600年の血の開きがあれば他人も同然だと思うが、近親婚を繰り返しがちな皇族ゆえに、顔の近似もありうるのかもしれない。
 オルテスはというと、アレクサンドラ皇太子が現れてから、ずっと目を見張り、何も言えない様子だった。何かに驚いているようだった。
 おれはオルテスに説明する。もはや、通訳は必要ないが、こういった説明はおれの仕事だ。
「この方は、アレクサンドラ皇太子殿下。皇王陛下の、ただ一人のお子」
「…………。皇太子……。アレクサンドラ……そうか、そうだな、こんなところにいるはずが……」
 何か小さな声で、オルテスは呟いている。
「それで、後ろにおられる方が、リュイン様」
「リュイン……? こいつが?」
 眉を寄せるオルテスに、おれとリュイン自身も苦笑している。オルテスの顔は、見たことのない人物をお前の知り合いだと言われたような、納得できないようなものが浮かんでいた。
「まあ、国的には、あんたが会っていたやつと同一人物、っていうことになっているんだから。関係的には、義兄弟ってことになるのかな」
 おれはオルテスに説明する。リュインは苦笑しつつも、何も言わなかった。オルテスは怪訝そうな顔を崩さず、二人の来訪者を見ている。
 かつかつとアレクサンドラ皇太子がオルテスに近づく。座っていたオルテスの顎の下に黒い扇を入れ、上へ顔を上げさせた。
「あなたの話は聞いていましたけれども、顔の作りも似て、髪の色も同じ。まるで兄妹みたいですね。実際には、あなたはわたくしの下の立場ですが」
 オルテスは無造作に、その扇を払った。
「下……?」
「そうです。わたくしは皇太子。かつて皇子だとしても、あなたは今では、何の身分もない人間です」
 歌うような調子の皇太子殿下は続ける。
「わたくしに頭を下げ、靴をなめ、絶対の忠誠を誓えば、あの生体実験を止めさせてもいいのですよ」
 その言葉に、オルテスの顔が強張った。
「研究としては、止まると困るのですが。だってあの国立医師団は究極のところ、皇族、ひいては皇王陛下、わたくし皇太子のためにあるのですから。わたくしも老いず、美しいままでいられる方法があるというなら、誰をどうしようと構わないのですからね。しかし、あなたがわたくしへ忠誠を誓い、老いない以上の利を見せてくれれば――つまり、わたくしが女皇へとなるのに尽力するというのなら、止めさせても構いません」
「……あの生体実験を知っているのか」
 アレクサンドラ皇太子は扇の裏で笑い始めた。
「知っている? この城で起こったことを、何も知らずにわたくしが暮らしていたと? わたくしがあの実験を命令させた、とは想像もつきませんか?」
 オルテスは目を見張った。いまだ少女と呼んでいい皇太子は、微笑んでいる。
「だって、役に立たない人間を養っておくより、ましでしょう? 少しでも皇太子の役に立てて、あなたも本望でしょう」
 おれは声も出なかった。オルテスが殴りだすのではないか、と見ていたが、彼は冷静に見えた。ごろごろと鳴る雷。雷の光に、一瞬、微笑みすらしているオルテスの顔が鮮明に浮かぶ。
「ふうん……なるほど、あんたが元老院のじいさんを動かし、そしてあの腐った医者を動かした、というわけか」
「ええ。わたくしは皇太子ですから。元老院議員もわたくしの命令を聞く義務があります」
「変わったものだ」
 オルテスは嘲笑するように言った。
「あんたみたいな子供が皇太子になれるんだから、この国も変わったな」
「なんですって?」
 双方共に、剣呑な瞳である。
「頭を下げなさい」
 皇太子殿下が命令した。
「皇太子の命令です。この国では、誰一人逆らうことを許しません」
 おれはうろたえながらも、見ていることしかできない。オルテスは目を細めて、しかし動こうとするそぶりは微塵も見せなかった。
「まさに外見と血筋だけしか誉めるところはないわけだな。出生ゆえ皇太子だが、中身が皇王の器だ、なんて話は出ないのだから当然か。そして、皇王の子供に生まれたからって喜んでいるとは、皇太子殿下サマもおめでたい」
 嘲弄するようなオルテスに、アレクサンドラ皇太子の持つ扇が震えた。
「どうせ今の皇王だって、おれの時代の皇王とはまったく違い、元老院や貴族に動かされているのにすぎない。名ばかりの飾り物の王だ。あんたが皇王になるときだって、同じように傀儡にされるんだ。そんな飾り物の地位ごときで鼻高々とは、まったくおめでたいな」
 痛烈な言葉を、オルテスは続ける。彼は怒りで熱くなりつつ、口元の笑みだけは崩さない。しかしまなこは見開かれ、皇太子を射殺しそうだ。
 ごろごろと雷は鳴り続け、音は近づいてくる。
 圧倒され、おれは彼を止められなかった。
「いいか。自分の立場すら客観的に見れない能無しの傀儡のガキごときに、下げる頭はおれは持たない」
 バシンッ、と音がした。オルテスの頬を、皇太子殿下が扇で殴ったからだ。ふわりふわりと黒い羽根が浮く。
「頭を下げなさい!」
 皇太子殿下はおれやリュインへ振り向く。その表情は、見たことのないものだった。
「頭を下げさせなさい!」
 おれには命令を拒否する権利は持っていなかった。所詮おれは俗物である。オルテス曰く『飾り物』であろうと、国で二番目の地位の彼女に、逆らうことはできない。おれとリュインはオルテスの後ろへ回り、抵抗するオルテスに頭を下げさせた。
 しばらくそうしていると、足元にふわふわ漂っていた黒い羽根が落ちてきた。雷の音が止まる。雨の音だけが響く。
「……言ってやる。絶対に、あんたが権力を得るのを助けやしないし、ましてや忠誠なんて誓わない」
 顔だけ上げたオルテスは怒気を含んだ声で毅然と言う。
「あんたも、こうやって形だけ頭を下げさせて喜べるとは、よくもそれほど簡単な頭を持っていられるな。次はどうする? 靴でも舐めさせるか? ふん、そうやって無理やり忠誠を誓わせようなど、よく言えるものだな。そんなことを命令しなければならないほど、あんたには自然と忠誠を誓う部下がいないのだろうな。当然だろう。そんなことを命令させることの浅ましさ、醜さすら、自分では分からないのだろうから。いくらでも笑ってやるよ。あんたが統治する国の国民は、本当に可哀想だってな」
 オルテスは自分の憤りや怒りを率直にぶつけやしなかった。代わりに、皇太子の一番耳が痛いことを、傷口を抉るように吐き捨てる。その方が、相手に強いダメージを与えると、分かっているようだった。……それだけ、彼は憤っていたのだ。
 そんな言葉に皇太子が怒るのも、また当然だった。
 アレクサンドラ皇太子はもう一度、扇でオルテスを打った。何度も打った。
 羽根は舞って、半分以上、飛び散った。
 皇太子殿下は荒い息をする。
「満足したか?」
 打たれたところは赤くなっていたが、それでもオルテスは、笑って見せた。
「――リュイン! 帰ります!」
 皇太子殿下はドレスを揺らし、部屋を出て行った。オルテスの拘束を解いて、リュインは立ち上がる。
 おっとりとした笑顔で頭を下げ、リュインは出て行こうとした。彼の後姿に、オルテスが呼び止める。
「リュイン! お前が『不老不死の魔法使い』なら、過去へ行くすべを知っているか」
 オルテスの言葉に、リュインは黙考した。
「いいえ」
 そう答えて、彼も部屋を出て行った。
 おれはオルテスの拘束を解いて、少し離れた。
 オルテスは何も言わず、出て行った扉を睨みつけているようだった。
「あんなこと言って……あの実験が続いてもいいのか?」
 ため息をつくようにおれが言うと、嫌に神妙に、静かにオルテスは話し始めた。
「おれにはな、昔から譲れないものがある。人間として生きる、ということだ」
 窓に雨が打ちつけられ、がたがたと鳴っている。
「ただ生きればいいってものじゃない。従順な家畜になって長生きさせてもらおうなんて、思ったことはない。いくら住み心地のよさと安全が保障されたとしてもな、おれの心を拘束するというのなら、おれはそれを拒む。そんなものは死んだも同じだ。おれがおれである限り、おれはあいつに忠誠なんて誓わない。無理やり頭を下げさせられたとしても、自分から頭を下げるなんて真っ平だ。
 ……だからってあんな医者共を許す気もないし、実験を受けることを受け入れるわけじゃない。どちらか選べ、と言われても、選ばない。どっちだってごめんだ」
 オルテスの高潔な言葉に、おれは何も言えなかった。所詮おれは上からの命令に従う、俗物だからだ。
 おれは550年前、この国が世界帝国として広大にあった理由が分かった気がした。
 これは一つの推理に過ぎないが、彼のような岩のように堅く芯の通った強い精神を当時のグランディ族が有していたとしたら、それは一つの力だ。今のこの国にある、表面や自らの地位ばかり取り繕う腐心は彼にない。
 彼の精神を無理やり屈させることは、あの生体実験をもっても不可能だった。
 鉄の武器の力もあったが、この精神の力強さに、当時の周辺民族は服従せざるを得なかったのかもしれない。今おれが敵わない、と思ったように。
 オルテスの横顔が、雨の降る窓からの明かりで、白さが浮かび上がる。
 一転、明るい顔をして、オルテスは振り向く。
「喉が渇いた。コーヒーを淹れてくれ」
「う、あ、ああ」
 おれは部屋を出て、一階にある台所へ走る。そして湯気立つコーヒーを運んできた。
「それとな。これから元老院のじいさんとの対応とか、あの女の対応は、お前に任せる」
「え、ええ? おれぇ!?」
「ああ、もう会いたくもない。勝手に城ででも話してくれ。とにかくここへは連れてくるなよ。……リュインだけは別だが」
「嫌なことはおれ任せかよ」
「そうだ」
 きっぱりと言われ、おれは肩をすくめた。
 その後、おれは散々嫌がったのだが、話すうちにそうなってしまった。
 それからの日々は、決して楽しい日々ではなかった。
 生体実験の計画は、おれが知るだけで24回。その一つ一つに、オルテスにはさまざまな感情があったと思う。
 その計画につき合わされ、墳墓のありかを聞くことも何度もあった。上とオルテスとの間に挟まれ、立場を取った。
 そうしているうちに、オルテスはあの医者達だけでなく、考古学者も嫌いになったらしい。
 墳墓の場所は、決して彼は明かさなかった。
 生活しているうちに、彼のここを出て行きたいという意思を感じた。それも無理ないことだろう。
 生活の中での彼のよりどころは、ベンジャミンだった。
 ベンジャミンが卵を産んで温めている、と言うと、オルテスは見たことがないくらい喜んでいた。そして、その子が無事生まれたらおれにくれ、と言っていた。
 そんなことが、そんな小さなことが、彼の楽しみだった。
 今日、元老院議員に呼び出された。嫌な予感がしつつ聞くと、オルテス皇子の結婚話だという。それをおれから伝えてくれ、と言われたが、ほとほと呆れるばかりだ。
 彼がそんなことに納得するはずがないというのに。相手はおそらく、皇太子殿下であろう。それこそまさに、彼が了承するはずのない相手だ。
 明日、そのことを彼に伝えに行くが、言う前から彼の答えは想像がついている。

    *   *

 本はそこで終わっていた。


「こんな深夜に呼び出してしまって、悪いですね、パトリーさん」
 アレクサンドラはパトリーに微笑みかけた。
 本を読んだ後、しばらくしてから、パトリーは皇太子の部屋に案内された。
「どうでした? あの部屋。とっても面白いでしょう?」
「面白い……? 皇太子殿下、あれは、あの本は、本当のことなんですか。あの本の後、どうなったんですか」
 青ざめた顔でパトリーは目の前の人物を見る。
「あの後、オルテスが城を脱走したのですよ。ねえ、まったく迷惑をかけて。ああ、その著者のルース=ユーギンはそのとき死んだのでしたっけ。そしてついこの前、オルテスを見つけ出して捕らえた、と。本の内容はおおむね本当ですよ。わたくしへの中傷誹謗、罵詈雑言。まったくひどいものでしょう? これだから野蛮な時代の人間は、ねえ」
「ひどい、ひどいって、それはあなたの方でしょう! オルテスが怒るのも当然だわ。逃げ出すのも」
 パトリーの中には、オルテスへの悲しみがあった。何度泣きそうになったことか。どうして彼がこんな目に遭わなければならないのか。彼が何をしたというのだ。
 自分がいれば、何としても止めようとしたものを。そんな無力感もある。
 そして同時に 、アレクサンドラへの怒りも浮かんだのだ。
「あたしはオルテスの言うことが間違っているとは思えません。あなたは、あなたなんかに、皇王になる資格なんてないでしょう!」
 アレクサンドラは、扇いでいる手の動きを止めた。
 正面から向き合う彼女の表情に、パトリーはぞくっとした。
 微笑が、まるで仮面のように見えた。
 細い三日月型の二つの目。その三日月を反対にした形の口。そんな、どこか不気味な仮面。
 その仮面がぴしっ、と音をたてて割れた気がした。
 人形のように動かないアレクサンドラが、突如手を伸ばし、パトリーの首を絞めた。
 パトリーは手をはずそうともがくが、彼女の手の力は強い。爪が食い込む。
「わたくしは皇太子です」
 静かな言葉がある。
「皇王以外の人間に、命令し、服従を命じる存在です。
 誰もわたくしの前に立つ存在はない。なぜなら誰もがわたくしの前では膝を折るから。わたくしへの称賛以外は許さない。心身ともに、全ての人間の運命をわたくしが握る。わたくし以上の存在はなく、わたくし以外に至高の存在たり得ない。
 わたくし以外に皇王に相応しい人間はいない。全てはわたくしのためにあり、全ての道はわたくしのために譲られる。全ての権力はわたくしが有し、全ての人間はわたくしのためにある。この国はわたくしのためにあり、わたくしによって統治されるべく存在する」
 おかしい。この人はおかしい。
 パトリーは苦しいながら、ぞっとする思いでそれらを聞いた。
 彼女には何の表情もない。それが恐い。
「わたくしこそ、女皇になるべき人間!」
 彼女の言葉に熱が入ると同時に、首が絞まる。
「かつての黄金時代のように、絶対的権力を有する皇王として、新たな黄金時代を築く! それを否定する人間、わたくしの女皇への即位を邪魔する人間、わたくしを非難する人間、わたくしの気に食わない人間! 彼らに生きる価値などない」
 パトリーは力なく右手を下ろす。それを見て、アレクサンドラはにっと笑う。
 しかし、次の瞬間、アレクサンドラの表情が強張った。
「離し、て」
 パトリーは剣を抜いた。
 車椅子の後ろに隠していたのだ。
 アレクサンドラは手を離す。ようやく、普通に息ができた。喉の辺りを押さえながら、パトリーは剣を向け、彼女に離れるように促す。
 周囲に人の影はない。パトリーを呼んだときに、彼女が人払いをしたのだ。
「黄金時代ですって……? 絶対的権力? 今はそんな時代じゃないわよ。まさに歴史に逆行している。あなたは自分が皇王に相応しいと言う。けれど、そんなこと、あなたが決めることじゃない。この国の人が決めることでしょう。あなたのために国があるんじゃない。国のために、皇王や皇太子があるんでしょう」
 そう。皇王に誰がなるのか、本当に大切なのは、血筋や、制度ではない。女ということでもない。
 パトリーは、この人でなくダニロフ公を次の皇王に据える、という動きをした人々の気持ちが解った。
 アレクサンドラは、あまりに、危険すぎる。
 パトリーは後ろへ下がる。片手で車椅子を動かし、近くの扉の前へと移動する。ノブを回す。しかし、開かない。何度がちゃがちゃと回しても、開かない。
 焦ってそのドアへ顔を向けたパトリーに、囁くような声が響く。
「皇太子が退くとでも?」
 瞬間、パトリーの顔の横を、何かが通った。
 ズガン、という音をさせ、壁に突き刺さる。
 それが引き抜かれる。アレクサンドラは、手に細長い剣を携えている。練習剣のようだ。いや、そうではない。それはエペだ。フェンシング用の剣である。
「皇太子たるもの、これくらい使えなくては」
 そう言って、彼女は突き刺すように、凄まじい速さで打ち込んでくる。
 壁際にいるパトリーには、剣で守り続けるのは苦しい。
 さらに、車椅子というのも、防御の難しさを上乗せしている。剣を握り守っている間は動くことが出来ない。
「ふふふ、苦しいようですね」
 アレクサンドラは、パトリーの胸の中心に突きこんだ。足が動かないパトリーには、防御のしようがなかった。
 エペがパトリーの胸に突き刺さる。
「か、は……」
 パトリーは前かがみになった。
「死んでしまいましたか」
 簡単に彼女は言う。エペを抜く。すると、おや、という調子で声を上げた。
「血がついていない……何か胸に仕込んでいたのですか」
 パトリーは胸を押さえる。触れると、服の上から石を感じた。オルテスから預かった、形見の石である。
 それでも胸の中心に打ち込まれた衝撃というものはある。
「勝負は決していますよ。わたくしは、今度はそこ以外を打てばいい。腹でも、足でも。まさになぶり殺しにできる」
 彼女の表情に微笑みが戻ってきた。残酷な微笑が。
「わたくしは何でも出来る。あなたをクラレンス家のシュテファンに引き渡すことも」
 パトリーは顔色を変えた。
「驚いていますか? 皇太子の力をなめないでほしいですね。簡単に調べがつきましたよ。結婚を延期にして、逃げてきたのですって?」
 パトリーの握る剣が震えた。
「どうです? 懇願してごらんなさい。どうかそれだけはやめてください、って」
「誰が」
 アレクサンドラは剣をまっすぐパトリーの喉に当てる。
「剣を捨てなさい」
 パトリーは屈辱的な気持ちで、剣をその場に下ろした。からん、と鳴る。
 アレクサンドラはエペを引いて、再び白い手を伸ばす。首を絞め始める。
「あなたもまた、わたくしを不快にする人間ですね。そういう人間は殺してやりたい。……しかしわたくしも、我慢は知っています。だからこそ、あのオルテスも生かしたわけですし。パトリーさん。わたくしの役に立ってもらいますよ」
 首を絞められ、意識が朦朧とする。
 微笑む皇太子の向こう側。奥の扉が少しだけ開いていた。そこからテーブルが見える。テーブルの上には、ずたずたにされた青い布きれが見えた。
 それは青いドレスだったのかもしれない。宝石か何かが、きらきらと輝いていた。




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