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 第30話 過去(2)


 おれが見ているところでは、オルテスが悲しみに沈む姿は見たことがない。いつもひょうひょうとしていた。
 彼は勝手に壁の内側で生えている木の枝を切り、剣のように形をそろえた。それを使って、毎日剣の訓練を始めた。
 今は時代が違う、高い身分の人間が体を鍛える必要もない。そう言ったが、オルテスはやめなかった。
 議員へと、腕の立つ人間をよこせ、と彼は言い出した。本当の剣は駄目だったが、これには許可が下りて、彼は毎日のように騎士達と試合をし始めた。
 驚くことに、彼はとても強かった。腕っ節のいい騎士を呼んでいたはずだが、オルテスはほとんど負けなかった。
 剣術だけでなく、言語も積極的に学び始めた。どうやら、自分の見ている前で、知らない言葉で話されるのが不快らしい。
 彼は言葉を耳で聞き、覚えていった。
 国だって、彼を囚人のように扱いたいわけではない。だから、そこそこの自由は、許可を得れば手に入れられた。
 街に下りて、庶民の暮らしを見たり、店に入ることも何度かあった。ヨナス=ポランスキーの子孫であるポランスキー家の人々に、素性を隠して会ったこともある。しかしその後、彼はもう会おうとはしなかった。
 そうしているうちに、彼はこの世界に適応していった。
 彼が発見されてから5年後。
 オルテスは話すだけなら、現代語をなめらかに言えるようになった。書く方は、全然出来ない。
 5年の軟禁生活中、彼がここを出たいと上に掛け合うことはたびたびあった。全て却下されてしまったが。しかし、その却下に対して、おれへ八つ当たりのように怒ることはなかった。多分、心の奥ではいろいろと思うこともあっただろう。
 彼の生活は静かだ。ときおり外へ出るが、大抵塀の中。塔では古代グランディ語の本を読み、ベンジャミンとじゃれあっている。
 そんな日々も、終わりがやってくる。
「新たな発明の中で、おれは紅茶というものが好きだな」
 夕食後のティータイムで、オルテスはそう言った。秋の夜長に、紅茶は合う。
「それはおれの淹れ方がうまいからだぞ」
 おれがそう言うと、オルテスは軽く笑った。
 飲み終わると、いつもより早く彼は眠りについた。いつもはこの後、古代グランディ語の本を読む習慣だというのに。
 おれも部屋に戻って眠ると、深夜、大勢の足音がした。階段沿いにある部屋からおれが出て見ると、騎士達がオルテスの口をふさぎ、連れ去ろうとしているところだった。連れ去るそれを食い止めることは、おれには不可能だった。
 連れ去っていった人には、見覚えのある人間も複数いた。オルテスの剣術の相手となっていた騎士だ。
 翌日の朝、オルテスは戻ってこなかった。おれは朝早く、城で、上司でもある元老院議員に、昨夜の事の次第を述べた。議員は頷きながら、重苦しい様子で告げる。
「あれはな、多少手荒であったが、国のためなのだ」
 おれが説明を求めると、ためらった後に彼は教えてくれた。
「よいか。オルテス皇子というものは、ただ考古学的価値があるだけではないのだ。医学的にも価値がある、と、国立医師団が言ってきおった。考えればそうじゃろう。氷漬けの後、生きていたなど、前代未聞じゃ。550年の間、体の働きはどうだったのか、ひどく興味があるという。
 それにな、それを調べることで、人間の肉体の仕組みがどうなっているのか、深く知ることができるやもしれん。そして、人間の老化の仕組みが解明され、それを食い止めるすべを知ることができるやもしれん、と」
 しわくちゃの顔で議員は言っていた。彼もまた、長生きをしている部類に入る人間だ。
「人間の夢が、皇子の体に秘されている可能性がある。誰が追究せずにいられようか」
 議員は言葉を切った。
「そういうわけじゃ。しばし、あの皇子は医師団の預かりとなる。ユーギン、お主にしばし休暇を与える。ここ五年、ろくに休んでおらなんだろう。ゆっくり体を休めよ」
 おれの小さな非難は聞き入れられなかった。塔にオルテスは帰ってこなかった。おれはどこへ行く気にもなれず、その塔で待っていたのだが。
 日にちが経つと、我慢が出来なくなってきた。
 国立医師団の研究所へ行く許可を求めたが、聞き入れられなかった。元々入ることに厳しい場所であった。
 研究所へ入ることができたのは、許可を求めてから、大分日数が経過していた。
 国立医師団の研究所は、城の北に位置している。入ると、どこかひんやりとしている気がした。無機質な、同じような通路を通った奥の部屋に、彼はいた。
 ベッドが一つ、背もたれのある椅子が一つ。明かりはランプが一つで、暗い。よくわからない医療用具が周囲に沢山。窓一つない部屋。ベッドに横たわる人影。
 おれははじめ、彼だと分からなかった。
 まるで死んだように、横になっている。目隠しをされ、口も縛られ、手足には傷口がいくつもある。その手足には強く縛られたような、うっ血した跡もある。口は少し半開きで、唇は乾いている。頬はこけているように感じた。異常な震え、痙攣もある。
 それがオルテスだと気づいたとき、おれは息を飲まずにはいられなかった。
 あまりにも、無残な姿だった。明らかに何か薬物を飲まされ、抵抗できないように縛られていた様子がわかる。捕まってから今まで、どんな目に遭っていたのか。まさに廃人。人間の尊厳を踏みにじられた姿だ。
 のどの奥から、何か怒りに似たものがせり上がって来る。
 彼は目隠しをとっても、瞳は虚ろで何一つ動かさなかった。本当に死んでいるように見えた。
「オルテス」
 おれは呼びかけた。
 それでも彼は何一つ動かない。
 後ろから、小太りの医師団員が無造作にオルテスの体を起こす。そして物でも運ぶようにして、背もたれのある椅子に座らせた。それでもオルテスは動かない。
「まさか死んでいるんじゃないだろうな」
 焦り交じりのおれに、小太りの医師団員は鼻で笑った。
「ここをどこだと思っているんだ。世界最高峰の国立医師団だぞ。しっかり生かしているさ。それより、あんたはあんたの仕事をしてもらわなくては」
「仕事?」
「聞いていないのか? 元老院議員からのお達しだよ。この被験者から、墳墓の場所を聞きだせってさ」
 この男の物言いには不快さが生じたが、頭の中で、墳墓のことを考え始めた。
 議員の指しているのは、おそらく、皇国初期の皇王たちの墳墓のことだろう。
 グランディア皇国は、初期は遊牧騎馬民族的な習慣があった。墳墓のこともそうだ。彼らは、絢爛な墳墓は建築せず、財宝と共に草原に埋められたという。
 現在では場所はわからない。
 しかし、当時の世界帝国の規模を考えると、共に埋められた財宝は小国の国家財産を軽く上回ると言われている。
 オルテスが知っているとしたら、初代皇王サッヴァ、二代皇王ポリカールプの二人の墓。当時からして英雄視されていた二人だ。直系の孫、曾孫であるオルテスが場所を知っていてもおかしくない。
 しかし、オルテスの現在のひどい様子を見ると、そんなことを聞く気にはなれない。胸が何かにさいなまれる。
「あんた、医者だろう。こんなことをしていいのか」
 小太りの男は笑う。
「これも未来の医学の発展のためさ。犠牲は必要なものだ」
 犠牲。そう言い切るこの男に、吐き気がしそうだ。
「それよりあんたはいいのか、ユーギンさん。元老院議員様からの命令なんだぜ。命令を拒否すれば、どうなることか……」
 おれは答えずに、沈黙した。
「とにかくさっさと終わってくれ。まだ研究は終わっていないんでね。何だったら協力してやろうか。ほら、ここに、何でも素直に吐いてしまう薬がある」
「やめろっ!」
 男が薬のビンを出す。おれは男を押しのけた。オルテスの前に、膝をつく。オルテスの隣で、小太りの男はにやにやしている。
「……オルテス……。すまん、初代皇王サッヴァ、二代皇王ポリカールプの墳墓の場所を……教えてくれ……」
 オルテスに反応はない。
「こんな状態で、こう言うおれをどう思っているか……わからねえけど……、すぐに教えてくれれば、これ以上何もさせないから」
 オルテスの腕をつかんでゆするが、人形のように簡単にゆれる。意思が感じられない。
 隣にいた医師団員が、おれを押しのけた。
「人の善意は受け取るものだぞ」
 おれは部屋の隅に押しのけられ、男がオルテスの前で薬を飲ませようとビンを開けた。
 そのとき、かすれた声が聞こえた。
「ギャリア・デル・オリティ・アラヴァリ・ルィア」
 オルテスの声だった。それは古代グランディ語。
 久しぶりに聞いた古代グランディ語に、頭の中での翻訳は遅かった。
 男も動作が止まって、おれへと体を振り向かせている。
 訳して意味がわかったとき、もう遅かった。
 おれが叫ぶ前に、オルテスの前にいたその男はうめき声を上げ、倒れた。
 座っていたオルテスが、ゆっくりと立ち上がる。彼は無慈悲に、男の腹を蹴り上げる。
 男は悲鳴を上げる。それを聞いて、数人の医者が駆けつけた。しかし、彼らは部屋の前で止まった。
 オルテスの瞳に、意思があった。憤怒に燃え、殺意に燃えていた。
 目が合えば殺される。そう思わされる瞳だった。飢えた野生動物、狼の。
 先ほどの廃人同様のものとは、比べ物にならない。
「訳してやれ」
 医者達へ視線を向けていたオルテスが顎を上げ、おれへ言った。
 さっきの古代グランディ語のことだろう。
 それは、
「魂への侮辱こそ、殺人より劣る罪悪である」
 という、グランディ族の誓いであった。
 侮辱された人間が、相手へ決闘を申し出るときに言う文句だ。
 オルテスは冷淡に男を見下ろす。
「ワディム=ビリュコフ」
 それにはぞっとするような響きがあった。
「なっ、なぜ、私の名を……っ」
「おれの意識がないとでも思ったか? 全部、全部覚えているさ。何を言い、何をしたか。お前が、お前達が、何をしたか。おれに何をしたか」
 ビリュコフ医師は這って逃げようとする。しかしオルテスは逃がしやしない。
「おれには権利がある。お前を殺す権利が」
 オルテスは横にあった医療用具の中から、鋭いナイフのようなものを取った。
 ひっ、とビリュコフ医師は声を上げた。
 オルテスはゆっくり、そのナイフのようなものを、突き下ろそうとした。
 おれは走る。
「やめろ」
 おれは、その間に割って入った。
「だめだ。ここはもう、あの時代じゃない。このやり方は許されねえんだよ」
「かばうのか」
「そういうことじゃない。あんたにとっては当然のことで、おれもあんたがそう思うのは当然だと思う。でも、それでもこれは、今は許されねえんだ。残念だが」
「どけ。そんなことはもう関係ない。おれは殺す。こいつを殺さなくては気がすまない」
「どかない。それはただの殺人だ。卑しい殺人だ。決して立派な決闘でもない」
 ビリュコフ医師は、下で頭を抱えて、ひぃひぃ言っている。
 オルテスとおれは睨み合った。
 ふと、オルテスは顔を上げ、周囲を見回す。頭を抱えているビリュコフ医師を、目をそらし後ずさりする他の医者を、おれを。設置されている冷たい医療用具を、彼の体を蝕んだ薬を。暗い悪夢が行われた部屋を。
「これが、未来か」
 言葉が落胆の色を交えて、落ちた。
「戦い、戦い、戦い抜いて、夢見た未来か。屍を踏み越え、多くの人間が歯を食いしばって望んだ。こんな、腐ったような奴のための未来か」
 オルテスは笑い始めた。声は響く、皮肉げに。
 そのまま、オルテスは行った。誰にも止めることすらできないような、刃物のような鋭さを全身に出して。
 オルテスは、そのまま城を出た。


 多くの追っ手が国中に差し向けられたが、オルテスは捕まらなかった。
 彼がいなければ世話係もいらないのは道理だ。おれは塔を出て、今までの考古学の研究をまとめていた。
 季節は巡る。長い冬、待ち望んだ春、そして夏。
 数ヵ月後、再び元老院議員に城へ呼ばれた。
 部屋に入ると、
「久しぶりだな、ルース」
 と手を上げる懐かしい人間がいた。
「捕まったのか」
「まあな」
 ソファでオルテスは足を組んで、少し面白くなさそうだ。
「状況はわかったじゃろう。というわけで、ルース=ユーギン君。君には再び、皇子の世話をしてもらう」
 オルテスの正面に座っている元老院議員はおれへ命令する。
「ありがたく、承ります」
 そう頭を下げて、ちらりとオルテスの表情を覗き見る。彼には数ヶ月前の憤怒の気迫はなく、いつもどおりにしていた。
 けれど以前と違う、と、その後の生活で分かった。




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