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 第30話 過去(1)


 『終わりの日』の本は、短い解説文の後には何も書かれていなかった。
 パトリーは焦るように本棚から他の本を全て取り出し、ちょうどいい高さのテーブルの上に置く。
 『終わりの日』の本だけが特殊だったらしい。他の本は全て、表紙に番号が振られている。
 深夜のせいか、音はない。窓から見える光景も、ただ暗い闇だ。
 ランプの灯りの近くで、『1』と書かれた本を開く。
 車椅子を鳴らして、前のめりになって読み始めた。
 それはルース=ユーギンの、日記のような10年間の随想録であった。

    *     *

 ――とある元老院議員に案内された場所は、城内の外れにある塔だった。
 石造りの灰色の塔を登り、扉が開かれたところに、ベッドに横たわっている男がいた。側には数人の医者。
 男は意識があるようで、おれへと顔を向ける。
 顔色は悪く、今にも死にそうな様子であったが、瞳の力は強い。死んでたまるか、という気迫が感じられた。額には汗があり、藍色の髪の毛がへばりついている。
 おれは近づくと、緊張しつつ、初めの言葉を言った。
『はじめまして』
 発音に気をつけて言ったそれに、男は驚いていた。通じた、ということだ。
 だがこの状態では会話もままならないだろう。返答は求めず、自己紹介をすることにした。
『おれの名前はルース=ユーギン。ルース、と呼んでくれ』
 何度もおれは、ルース、と連呼する。
 男は頷いて、だらりとしていた手を上げた。そして、おれの肩を指差す。
 死に掛けていた男から、初めての声があった。
『こいつは?』
 おれは肩へ視線を向ける。
『この鳥は、ベンジャミン。おれが飼っている。ちなみにメス鳥だ』
 肩の上で、大人しくベンジャミンは鳴く。
『ベンジャミン』
 たどたどしく、男は復唱する。そして再び手をだらりと下ろす。視線はベンジャミンへと注がれている。
 人間よりも鳥に心を奪われている様子に、こほん、とせきをした。
『おれはあんたの世話をすることになった。生活習慣とかいろいろ違うだろうが、困ったことがあるなら言ってくれ。まあ、できることだけな。ここで、この古代グランディ語が通じるのはおれだけだ。だから他の人との言葉の……』
 おれは言葉に詰まった。『通訳』という単語を度忘れしてしまっていたからだ。読むのと、自分で文章を考えるというのでは、やはり違うものだ。
『言葉のすりかえ……いや、言葉同士を変換する……言葉の意味を教える……』
 男はしばし怪訝な顔で見る。
通訳するヴィアン・ルリィド?』
 男が言った言葉に、手を打つ。
『そう! ヴィアン・ルリィド! おれは通訳する仕事も担っているんだ。ご覧の通り、完璧というわけじゃねえけどさ。というわけで、よろしくな』
 おれはなるべくにこやかに笑う。
 男はしばらくじっくりと観察していたが、小さく頷き、こう言った。
『よろしく。知っているだろうが、おれの名はオルテス。グランディア皇国皇王ヴァシーリーの息子。言葉も通じないような奴らばかりの国で、名乗っても仕方ないかもしれんが。グランディ族を知るものが一人でもいるのなら、おれへの扱いをよく心得ておくんだな』
 オルテスは睨みつけるようにおれを見上げる。文献が正しければ、まだ15歳の少年だ。
 ここがどこでいつなのか、彼は何も知らず、誰からも聞かされていないらしい。
 自分が誰かに誘拐でもされたとでも思っているようだ。瀕死にしたのも、おれたちのせいだと思っているのかもしれない。
 しかしおれはここで説明する気はない。上から教えてもいいと言われていない。
 彼が睨み続けたまま、出会いは終わった。


 彼は何とか、回復した。
 何度か死に掛けたが、医師団は誇りをかけて、生かした。
 世話をする、といってもそれほど苦労はなかった。医療関係は医師が行っていた。
 オルテスに会うまでは、服を着替えさせたり、靴を履かせたりしなければならないかもしれない、と覚悟していたが、それは杞憂であった。
 彼は自分のことは大抵自分でできるようだ。世話係なんていらないくらいに。
 オルテスのために、当時の服を何着か作らせた。残っている少ない文献資料のとおりに。
 しかし彼は眉をひそめて、
『そんな儀礼用の服より、お前の変な服のほうがましだ』
 と言って、おれの服をむしりとり、以後、わざわざ用意された当時の服を着ることはなかった。
 確かに、絵として残っているものは、やはり普段とは違う服なのだろう。構造的に、あれほど飾りがついていたら、動きにくそうだとは思っていたが。
 食事は、当時の料理を再現できなかった。いろいろな問題が重なって。
 それでも彼は毎日食べていて、食事に関して文句は一つもないようだ。誉め言葉もないが。特殊なことと言えば、おれに毎回毒見させていたということだろうか。
 彼は塔に軟禁されている。
 彼の行動範囲は、塔と、その付近だけだ。壁で覆われており、彼を絶対に外に出すな、と命令が下っている。
 その代わり、彼の手足を拘束することはない。
 彼は貪欲に、ここの、おれの生活習慣を学び、吸収しようとしていた。
 生活習慣だけでなく、言語もまたそうだ。
 他の人――医師や考古学者――が来るときは、おれは現代語と古代グランディ語を通訳する。それを聞いて、オルテスは現代語も学び始めていた。
 向学心に溢れている、と言えばいいのだろうか。
 ここがどこか、オルテスの身に何が起こったのか、はまだ言わなかった。
 観察するに、彼は十代の若者とは思えないくらい、冷静さと思慮深さがあった。観察するおれに対し、なぜ観察しているのかを考えている。
 一年経つと、彼はすっかり健康体となっていた。塔の周囲を走り回り、体力を付け始める。
 彼とおれとの関係は、友好的とは言い難かった。彼にとって最も友好的なのはベンジャミンだろう。この鳥と相対しているときは、いい表情をしている。
「お久しぶりですな、わしのことは覚えておらんでしょうが」
 とある日、とある元老院議員が塔にやってきた。
 オルテスは正面の椅子に座り、おれは横に立って、通訳をする。
『いや、覚えている。おれが臥せっていたとき、何度かやってきていただろう。名前は聞かなかったけれども』
 オルテスの言葉を通訳すると、元老院議員は驚いていた。
「他の元老院議員と連れ立って来ておったというのに……」
 軽く頷き、オルテスはつまらなさそうに言う。
『記憶力はいいと自負している。それより、元老院議員と言ったか?』
「ん? ああ、この国のな」
『この国って』
 おれがそれを通訳すると、こともなげに議員は口に出す。
「グランディア皇国に決まっておろう」
 おれが通訳する前に、オルテスが立ち上がった。
『……どういうことだ』
 その問いは、議員だけでなくおれにも向けられていた。
 古代グランディ語というのは、現代グランディ語と深いつながりがある。簡単に言うと進化した存在だ。だから、現代語と共通点はある。動詞にしても、そして名詞にしても。
 グランディア皇国。
 それはほとんど変わりない名詞なのだった。
 疑問に答えろとオルテスの目は射抜く。
『ここが、グランディア皇国だと?』
 おれは通訳もできず、後ずさりするだけだった。議員は首を傾げる。
「なんだ。まだ自分の立場を知らなんだのか」
 問いから逃げ出そうと、体ごと逃げようとしたが、オルテスは逃がすはずもなかった。
 すぐに後ろから羽交い絞めにされた。彼は鋭く詰問する。
「もう一年も経つ。お前の口から説明してやれ」
 傍観者然とした議員に言われ、おれは諦めて、オルテスに説明することにした。
 議員は今日の用事を諦め、帰っていった。
 客間でなく、塔内の狭いおれの部屋に案内すると、おれは説明し始めた。
『言うとおり、ここはグランディア皇国だ』
 オルテスは足を組みながら椅子に座り、真剣に聞いている。
『少しは……あんたも思ったことあるんだろうと思う。窓から見える山麗とか、城とか、見たことがあるはずだから』
『ああ、よく知っている山に、似ていると思っていた。あくまで似ている、だがな』
 500年あれば地殻変動、土砂崩れなどで、多少山の形が変化してもおかしくない。
『なんだ? つまり誘拐してきたのは他国ではなく、自国の反対派というわけか? おれが誘拐された一年で、元老院議員も変わったのか』
 おれは大きく首を横に振る。
『違う……違うんだ。あんたには、ショックなことだろうと思うぜ』
 俺は悪態をつくように、現代語でつぶやく。
「ちくしょう。こういう役回りは嫌いなんだ」
『何だ?』
『いや、なんでもねえよ。とにかく、納得してもらいたいのは、ここがグランディア皇国ということだ。そして、おれたちが誘拐したわけでないことも』
 オルテスは嘲笑するように吐き出す。
『一年間もこの塔に閉じ込めておいて、よく言うな』
『確かに閉じ込めている。けれど、それはあんたが考えている理由とは違うんだ。なあ、あんたはここへ来る前ヴァシーリー皇王と決闘した、と言っていたよな。その後、いつの間にか、ここにいたと。違うんだ。あんたは決闘のとき、アクシデントで壁が崩れてそのまま落ちていった。そしてそのまま……氷漬けになったんだよ』
 オルテスの表情は変わらない。
『氷漬け? 確かにあの冬は、特別寒すぎたからな……。そうやって意識を失っていたおれを、チャンスだとばかりに誘拐したわけか。どうだ、身代金でも取れたか?』
『だから違うんだ。ああ、もう。あんたは氷漬けのまま、ずっと眠っていた。ずっと、ずっとだ』
『ずっと、ってどれくらい』
『……約550年だ』
 オルテスの表情に、さすがに動揺が走った。おれはオルテスが何も言えないのをいいことに、早口で説明を進める。
『もう、グランディア皇国は600年の歴史ある国なんだ。魔法も忘れ去られている。科学の時代だよ。そして領地もずっと狭くなって、千鳥湾の北あたりにしかない。言葉も違う、生活も違う。去年の夏、あんたが氷漬けにされているのが発見された。それを助け出した。ただその……、いろいろ問題があるから、世間には公にできない。だから、ここに閉じ込めている』
 オルテスは黙っている。青い顔で、黙っている。座りながらおれを見ず、どこか遠くを見ている。
一度素早く瞬いて、オルテスはぽつりと言った。
『冗談だろう』
『誰がこんな疲れる冗談言うんだよ』
 即座におれは返す。再び沈黙が訪れる。おれは自分の机から、いくつか本を取り出す。
『見せてやるよ。これは当時の歴史書なんだ。ほら、ここ。――皇国暦65年、冬。オルテス皇子、不慮の事故で亡くなる――。古代グランディ語で書かれているだろう? ちょっとかすれているが』
 オルテスはその一行を凝視していた。何も言わず、何も言えず、凝視していた。青い顔で、悲しみも怒りも見出せないような、こわばった顔で。
 それから夕食時も、何も言わなかった。就寝時までも、何も言わなかった。
 次の日の朝。開口一番、オルテスは言った。
『信じられない』
 ため息をつきつつ、おれは再び、根気強く説明を始めた。
 説明が終わると、今度は、証拠が不十分だと言い出した。
 おれはさまざまなものを見せた。新たな地図、歴史年表。それも捏造だと言い出した。この塔の中に居続けさせられているから、なんでも捏造できる、と。
 おれは国の上の連中に掛け合い、オルテスを街へ連れ出すことにした。
 馬車で共に乗って、いろいろと説明をする。建築物にしても、当時からあった古いものもある。そして当時の技術では建築できない建物もある。オルテスは黙って、建物や道歩く人々を見ていた。そして話される現代語を聞いていた。
 それでもなお、納得できないようだった。
 おれは何度も何度も、現在の社会情勢、そして550年のおおまかな歴史を説明する。新たに発明されたもの、新たに考え出された技術、新たな政治思想、人権思想、否定された迷信。
 まるで大学の教授にでもなった気分で、現在の世界を説明し尽くした。――余談ながら、こういった教育は後も続けられた。
 それでもオルテスは納得しない。そうして一ヶ月も経っていた。
 おれは一ヶ月に及ぶ説明に疲れながら、最後の最後、『オルテスの間』へ案内した。これもまた、許可を得て。
 キリグート城は改築を繰り返された城とはいえ、オルテスにも馴染みある場所でもあったはずだ。しかしオルテスは懐かしいとも何も言わない。
 『オルテスの間』へ案内すると、博物館員よろしく、展示物を説明する。
『ほら、これ見覚えあるものだろ?』
 おれは皮の鎧を指し示した。
 それはオルテスが着ていた皮の鎧であった。当時はしっかりと手入れされていたであろうそれは、今では無残だ。それが年月なのだ。
 オルテスは鎧に手を伸ばす。そして裏を覗き込んだ。
『……何が見えるんだ?』
『…………。彫られた、おれの名前だ』
 オルテスは鎧から離れた。
『他におれが身につけていたものは置いていないのか?』
 おれは部屋を案内する。そして低い棚の上を指した。
『これが服。ぼろぼろだけどな。そして、これが身につけていた飾り。蒼海石のお守り』
 オルテスは他に目を向けず、石を手にとった。硬いその石は、つややかだった。
 ぐっと彼は握りしめる。
 深い、深いため息が彼の口から洩れた。自嘲しているかのような笑い声が、その口から吐き出される。小さな声で、何かを言っていた。
否定することを諦めたのだと、ようやく全てに納得したのだと、分かった。
彼は苦しげに顔を上げる。
『一つだけ、訊きたい。あの後、親父は、ルクレツィアは、ミリーは、ヨナスは、どうなったんだ』
 おれはすらすらと答える。伊達に考古学者ではない。
『ヴァシーリー皇王は、その後引退した。ルクレツィア皇女に皇王位を譲ったんだ』
『ルクレツィアに?』
 オルテスは驚きに眉を上げる。
『そう。グランディア皇国史上、初の女皇にして、現在まで唯一の女皇だ。魔法軍将軍リュインと結婚して、ゼルガードという男の子を産んだ』
 オルテスは怪訝そうな表情だ。
『リュインと結婚? あのルクレツィアが……。それに子供……』
『リュインという不老不死の魔法使いなら、現在もグランディア皇国で務めている。まあ、今は魔法なんて信じられていないし、あんたが会っていた人とは別人だと思うぜ』
 別人だと聞いて、彼は興味を失ったようだ。
『制度的にはルクレツィア女皇がトップに立っていたけれども、後ろにヴァシーリー元皇王が控えていたことは、誰の目にも明らかだった。だから政治としては大きな変化はなかった。女皇の息子ゼルガードが成人するかしないかで、ヴァシーリー元皇王は』
 おれは少し詰まって、息を吐くように続けた。
『病死した』
 オルテスは、表面上は動じた様子もなかった。
『年だろうからな』
 冷たくそう反応していた。
『それから10年して……ルクレツィア女皇も病死した。そのままゼルガード皇王が即位。けれど、彼はすぐ、暗殺された。ちょうど男の子が生まれたばかりだったから、その子が即位。実質的には元老院によって政治は動かされて……』
『もういい。ミリーは、ヨナスは』
 おれはちょっと困って、視線をずらした。
『ヨナス=ポランスキーなら、調べて見た限り、あんたが死んだとされて以後、ルクレツィア皇女の下についていたはずだ。彼女が女皇となってから、さまざまな功績が認められ爵位をもらった。彼の子孫は今も古い貴族として、キリグート近郊に領地を持っている』
『ミリーは』
 覚悟を決めて少し低い声で、端的におれは言った。
『わからない』
『わからないってどういうことだ』
『何にも記録が残っていないんだ。だいたいあんたが口に出すまでは、歴史上に存在すらしていなかったんだ。わかるだろう? 当時の厳しい身分制度。奴隷の一人がどうなったかなんて、誰が書き記してくれるっていうんだ。それが600年後まで保存されるような本に。当時の貴族の娘や妻でさえ、名前が記録されていないことも多いんだぞ。いわんや奴隷が』
『ヨナスなら、何か記録している可能性だってあるだろう』
『ポランスキー家へは師に頼んで調べてきてもらったさ。けれど、前に火事によって、古い書物が燃えてしまったそうだ。600年、きちんと保管されて本が残るなんてこと、奇跡に近い。そして歴史的に名が残るのも、ひどく難しいことなんだぜ』
 オルテスは口を噤んだ。他の感情を打ち消すかのような、行き場のない怒りが彼を覆いつくしている。
 おれはなだめるようにゆっくりと言う。
『あんたの家族、知り合い、みんな亡くなったというのは悲しいことだろうけれどな……』
『悲しい?』
 彼は片方の眉を吊り上げて、寝不足で充血した眼で睨むようにおれを見る。おれは思わずすくんだ。
『そんな話を聞いて、悲しいと思うわけがないだろう。ああしてこうして天寿を全うしました、そんな報告を聞いて。誰かの死を感じるという現実感がまったくない。涙一つ出やしない。悲しみより……恨みの方が大きいさ』
『恨み? 誰に』
『決まっているだろう。親父にだ』
 おれは、決闘時のアクシデントでこうなったことを思い出した。
『これは事故だろう。誰も憎くてこうなったわけじゃないんだぜ』
『いいや。これは親父が引き起こしたのさ』
 嫌にきっぱりとオルテスは言う。
『あのとき……親父は、聖鏡シャーリングス、聖杖アランへ、力を貸すように頼んだ。そして、聖鏡は光り、聖杖は闇を放っていた。あの聖具を利用して、親父はおれをこうさせたのだろうさ。憎かったのだろうな。親父はそういう奴だ。たてつく奴は誰でも憎い。それも自分の息子ということで、憎しみは倍増だろう。殺しても殺し足りない、殺すよりももっとひどい目に……そう考え、聖具を利用したのだろう』
 おれは慌てた。
『そんなわけがないだろう! 聖具はただの鏡とただの杖だ。今も保存されているが、そんな現象起こすはずがない。魔法だってありえないっていうのに』
『……お前は見ていないから言うんだ。あの最後のとき、まぶしいほど光り輝いた聖鏡。まがまがしいほどに闇を撒き散らした聖杖。あれを見ていないからそう言うんだ。魔法だって何だって、600年後科学的に否定されるというのならまやかしに過ぎなかったのだろう。だが、人の言葉は信じられなくても、おれは自分の見たものを信じずにはいられない』
 思い込んでいる彼に、おれは反論せずにはいられなかった。
『それは錯覚だ。あんたの思い込みだ。父親に対して決闘を申し込むという、一種の後ろめたさが見させたものに過ぎない』
『後ろめたさ、な。言いたければ言えばいい。おれはおれの信じたいものを信じる』
『自己中心的だな』
 苛立つようなおれの言葉に、オルテスは軽く笑った。そう笑う表情は、内包するものを隠してしまうようにおれには思えた。
 彼はひとしきり笑うと、扉へ向けて歩き出した。石を手に持ったまま。
 おい、と止めようとしたところで、彼は振り向く。
『これはおれのものだ。おれに所有権があるはずだ。勝手におれの服やら何やら展示しておいて、これまでも奪い取ろうってか』
 堅い意志を覗かせる緑の瞳に、おれはため息をついて、了承した。すると満足したように、彼は頷いた。




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