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第29話 永訣の日(3)
話はそれで終わっていた。ページの下半分が白い。
パトリーは疑問、疑惑を解き明かそうとして、読み進めていた。
しかし、これは何の解決にもならなかった。むしろ、わけがわからなくなるだけなのだ。
物語ではないのか、と思わずにはいられない。
一度深呼吸して、次のページを開く。
すると、古代グランディ語のページはなく、現代語だけで書かれていた。
『冒頭でも述べたが、これはオルテス=グランディの主観的な見方に基づく証言である。
客観性を求めると、別の読み方が必要だろう。
たとえば、最後の、彼が後ろ向きに、水か氷に落ちるあたりであろうか。
彼は、最後に聖具が光っていた、と言うが、無論そのようなことはあるまい。これは当時の人々に根付く、聖具への宗教心にも似た信仰ゆえのことであろう。そこには魔法への恐怖と信仰の関連もあるに違いない。彼の父、ヴァシーリー皇王が、最後にそれへ加護を頼る発言をしていることも見逃せないことだ。
その光は、彼の一種の思い込みと捉えてもおかしくあるまい。
当時の人々の考え方を知る上では、また、これは資料となろう。
そして、この証言の信頼性ではあるが、かなり高いと思われる。
文献による調査研究によると、当時ヴァシーリー皇王、ルクレツィア皇女、オルテス皇子、さらには魔法軍将軍リュイン、オルテス皇子付きの部下・ヨナス=ポランスキーが、この皇国暦65年の冬、キリグートにいたことは確かである。(役職名は、その年当時のものとした)。
更に、文献からも、オルテス皇子がこの年、『事故死』とある。そして死体の発見が出来ず、草原に埋葬できなかったとも。
その『事故死』の内容は、発見されている文献には、まったく書かれていない。それもまた、彼、オルテス=グランディの証言の信憑性を高めるであろう。
――考古学者兼言語学者、ルース=ユーギン』
もう、内容理解は諦めた。
これを噛み砕いて誰か、パトリーに教えて欲しいものだ。どこが解説になっているのだ。
実在の人物を使って書かれた物語なのだろうか。たまに、そんな物語もある。
そう諦めかけたが、見逃せなかったのは、年号だった。
「皇国暦……65年……?」
年号というのはややこしい。国によって多種多様に作られている。国によっては、数年に一度、号を変えてしまう国まであるのだ。
数多すぎて全ての国の全ての年号を覚えているはずがない。しかし、『皇国暦』というものに、パトリーは一つだけ心当たりがある。
パトリーの頭の中で何かがはじけた。
唐突に、理解しようとしていた。
とたんに食い入るようにその解説文を見直す。
「……皇王……リュイン……『当時』……キリグート……」
いくつもの単語を拾い上げる。
しかし、いやまさか、ありえない。
パトリーは少し馬鹿らしくなって、首を軽く振る。けれど、顔は青ざめたまま。
必死に思い出そうとしていた。あの男は、あの男は、何と言っていたか。
数ヶ月前だ。おぼろげにしか思い出せない。
『みんな亡くなりました』
思い出せ、思い出せ。これはとても、重要なはずだ。
『誰の死に目にも合えませんでした』
『死後でさえ、どうしようもなかった』
リュインはそう言っていた。オルテスは、誰の死にも立ち会えなかったのだ。
なぜ。
『彼の父上の力は強く』
力とは? 力とは権力? いや違う気がする。この本の話が本当なら、オルテスの父はただオルテスを閉じ込めたり、追い払うだけで終わるはずがないような人物に見えた。そこには殺伐とした死のにおいが付きまとう。
だから、別の力ではないのか。
だってそれは、不老不死の魔法使いが言っていたのだ。そこに引っ掛かりがある。
『おれという存在を全て抹消して』
『おれがおれでありえる場所を、うばったのさ』
彼自身は、自らの父がしたことをそう言っていた。
オルテスがオルテスでありえる場所……。
つい昨日までなら、分からなかったかもしれない。オルテスが望む場所を分からなかったかもしれない。
けれど今、パトリーの頭の中では一つの答えを指し示す。
荒唐無稽な答えを。
皇子。魔法使い。冬。氷。水。年号。キリグート。
そして、『最後の日』
最後の日の、聖具の光と闇。魔法。
パトリーは思わず、服の中にあるものに、上から触れた。オルテスから借りた、妹の形見。蒼い石。
「まさか……」
パトリーは魔法を信じたいと思っている。それは、信じている、というわけではない。そう、これは魔法ではないのかもしれない。もう少し現実的な話なのかもしれない。
けれど、彼がいつの、どこの、どういう立場であったのか。
それだけは確信した。
次々とピースがはまってゆく。
古代グランディ語が書けた彼。現代語が書けなかった彼。考古学の論文を書けた彼。古い婚礼衣装を知っていた彼。
パトリーは思わず、壁にかかった三幅の絵画を見る。これは全て、オルテスの絵だったのだ。
そこにかかった戦場の絵は臨場感がない。けれど、実際には血なまぐさい、生と死の狭間。過去の戦人の、さまざまな志の場。
パトリーは、彼の生きていた世界の場所を、知った。愕然とした思いで。
「オルテスが皇子だって? そんなばかな」
ノアは笑い飛ばそうとした。
シュテファンとウィンストン卿は興味ないのか、部屋に戻っている。
「いいえ。本当に、オルテス様は皇子なのです。奴隷制を敷き、異母であれば近親婚が成立し、皇王の権力が絶大に強い国の……」
ハッサンの言葉に、ノアは目を見開く。
そんな国、聞いたことがない。
目に見える奴隷の解放はどこでも進んでいる。近親婚なんて、どこでも禁止である。一人の権力者の力が強い国も、どんどんとなくなってきている。
ノアは多くの国の権力者の家系や、制度を比較的知っていると思っていたが、どこも思い当たらなかった。
あまり情報が伝わらない、中央大陸東部の辺境の国家であろうか。
「グランディア皇国の皇子なのです」
それこそ、信じられないことだった。
制度だって全然違う。
それに、この国に、どんな出自であれ皇子なんて生まれていれば、皇太子となっている。アレクサンドラが皇太子であることが、皇子なんていないと証明しているのだ。
「……現在の皇王陛下のお子ではありません」
「それでは、先の皇王陛下の?」
「いいえ。それよりも前です」
ノアは眉をひそめる。それよりも前となると、何十年も前に亡くなっていることになるからだ。アレクサンドラの子供であるはずはないし。
「それよりも、それよりも、ずっと前です。第三代ヴァシーリー皇王のお子です」
ハッサンは真面目な顔を崩さずに、続ける。
「年代に直すと、彼が生まれたのはグランディア皇国暦50年。……約550年前となります」
ノアは思わずイライザと顔を合わせる。何とか笑おうとした。
だけど、ハッサンは固く真面目な顔を崩さなかった。そして、一言も冗談だとは言わなかったのだ。
「……は、はは……」
こういうのがグランディア皇国のジョークなのだろうか。
頭に手を回し、あらぬ方向を見る。
「国立医師団の、氷漬けによる不老不死の研究、という論文を知っていますか」
それでもハッサンの口調は険しい。ノアは突然の話題転換に驚きつつも、それなら知っている、と頷いた。
グランディア皇国国立医師団による論文だという。氷漬けにすることで、老化を防ぎ永遠の命を手に入れる、とか。研究の結果、とある条件下、氷漬けされることで仮死状態となるという。そして老化が止まる。ただ、意識のあるようにすることは不可能だと。そこを何とかするのが今後の研究方針だとか。
そんな、荒唐無稽で笑ってしまうような研究だ。
「まさか、不老不死だとでも言うんじゃないよな?」
ノアは嘲笑するように言う。
「違います。あの方はこれから老いますし、いつかは死ぬ。不老不死だと言われているのは、皇太子殿下の側近、リュイン様だけです。そしてリュイン様も、氷漬けで不老不死であるなんてことはありません。あくまで、あの不老不死研究における不老不死とは、かつてないことを達成する為の目標なのです。
……ただ。誰が、根拠なく本気でそんなことを研究すると思いますか。そんなことを考えても誰もが笑うでしょう。誰だって本気にするわけがないではありませんか。そんなものに、年間数億も国が金を出すと思いますか? 何の証拠もなく、ただの思いつきであるのなら、そんなことまかり通るわけがないではありませんか。いかに魔法の国と言われているとはいえ、国からの援助は簡単ではありません。
――氷漬けされたことで生きていた者、それも助け出してみると、皇国暦65年の15歳当時の姿のまま、生きていた者がいない限り。そう言った意味で、氷漬けであった限り、あの方は不老不死でした」
ノアは唖然としている。隣にいたイライザも言葉がないようだ。
「もう少し、わかりやすく話しましょうか。オルテス様は、皇国暦65年当時、グランディア皇国の皇子でした。しかし、不慮の事故で、氷漬けにされた。文献では亡くなったということにされている。そして誰にも気づかれることなく、約550年、氷漬けにされたままだった。
しかし、例にない暑さであった10年前、山奥の湖の下から発見された。ミイラ化せず、その当時のまま、まるで蝋人形のように、氷の中にいた。救出し、最高峰の治療を試みた結果、オルテス様は回復なさった。その後、彼の素性が明らかになったのです。これが厳然たる事実です」
ノアは笑おうとした。手には嫌な汗が滲んでいる。
ハッサンの言う真実は、ノアには到底受け入れられないことだ。まだ魔法など迷信を信じていた100年前ではあるまいし、現代人がそんな話を信じるわけがない。
「そっ……そんなこと不可能に決まっている……っ!」
ノアは混乱しつつも、頭の中にある医学の知識を動員させた。肯定できないなら、反論するしかない。
「だって……確かに、体が単純な生物なら可能かもしれない。けれど、人間の体は複雑なんだ。それが、氷漬けにされて、生きているなんて。とっくに凍死して、ミイラ化している……はずだ。……それも、何百年だって?」
ノアはぎこちなく笑うが、ハッサンは険しい顔を緩めていなかった。
「だからこそ、国立医師団も目の色を変えていた。いつまでも執着していたのですが……。いいや、これは置いておきましょう」
ハッサンは軽く首を振り、話す。
「論文をよく読みましたか。厳しい条件によっては、氷漬けにされても死なず、仮死状態になる、と。解凍後、生きていると確認されている、と」
ノアは額を手で押さえる。そして軽くうなる。
「待ってくれ、もう少し、待ってくれ。頭がおかしくなりそうだ……」
「おかしいことはありません。確かに、これが彼の肉体が異常なのか、それとも外部条件によるものか、それははっきりしません。成功例は一件だけなのですから。こんな話、今まで聞いたこともないでしょう? 他に成功例がないというだけで、この件がどれだけ特異かわかるでしょう」
「それはそうだ……。でも、そんなこと、それも信じられない長期間、あるはずが……。俺は夢を見ているのか?」
ソファに深く腰を沈めて顔を背けるノアを、イライザはたしなめた。
「そうだ。何であんたはそんなことを知っているんだ。もしかして俺をかつごうとしているんじゃ……」
「助け出された後のオルテス様が、普通に生活を送れると思いますか。言葉が通じたと思いますか」
それはそうだ、とノアは思った。大学で学んだが、そのころなら古代グランディ語が使われていたはずだ。それに、普通に考えても生活様式が違うだろう。
「それこそ、彼がオルテス皇子であると証明したものです。書かれた字の筆跡、伝えられているグランディ族の作法、そして口からつむがれる古代グランディ語。当時の人間しか知りえないような話す内容。さまざまな事象を総合して、彼は第三代ヴァシーリー皇王の皇子にして、第四代ルクレツィア女皇の兄であると、断定されたのです。
まだ疑うのであれば、考古学の最近の発展具合を調べてください。ここ十年、飛躍的に研究が進んでいますから。特に発声における古代グランディ語、550年前の生活様式について。彼自身も、古代グランディ語で論文を書いています」
ノアはもはや、否定する材料を持たなかった。
少しうなって、何も言えずにハッサンが語るのに任せた。
「……オルテス様とのコミュニケーションをとるために、古代グランディ語に詳しい考古学者、言語学者が必要だった。ちょうど、古代グランディ語の発声を的に絞って研究していた、新進の学者・ルース=ユーギンという若者がいました。彼を、オルテス様の世話係としたのです。
私はユーギン君に考古学を教えた師です。その関係から、詳しい話を知りました。本当はオルテス様のことはトップシークレット扱いです。有力な考古学者、国立医師団、大貴族、くらいにしか、知らされていません」
だから私が話したことはだまっていてください、とハッサンは念を押す。
ノアはふと、その学者の名前が気になった。あの派手すぎる鳥と同じ名前だ。
「彼の存在がかなりデリケートな問題をはらんでいることはわかるでしょう。国にしても、彼は突然現れた黄金時代の皇子です。誰が彼を政治的に利用しないでいられるでしょう。だから、彼のことは秘された。考古学的にもかなり興味のある素材です」
それと、とノアが口を挟む。
「医学的にも、興味が出ないわけがない」
ノアは医学を学んだ人間として、あの論文の意味が解りはじめた。
こんな、格好のサンプルはない。解明されれば、医学的にかなりの進歩となる。そう、それこそ不老不死も夢ではないかもしれない。
氷の中での状態を知れなかったことが悔やまれるだろう。氷の中で、彼の心臓は動いていたのか。意識はあったのか。脳の状態は。その他、肉体は。冷凍前後で肉体に変化はあったのか。
ノアは医学に熱中しているというわけではないが、興味がないわけではない。
考えているノアを、ハッサンは悲しそうに首を振る。
「そう、確かに、そうです。医学的に見て、彼は重要でした。医師団も興味を持った。けれど、彼らは……行き過ぎた。まともな頭とは思えないくらいに……。だからあんな酷いできごとが起こって……」
沈痛な面持ちでうなだれるハッサン。
ふと、ノアは思った。
グランディア皇国の皇子であり、秘されていたとはいえ城にいたのなら、なぜ、オルテスは外へ出てきたのだろう。別に悪い待遇ではないだろうに。
このハッサンは、オルテスが現在行方不明だと言っていた。
オルテスが氷から発見されたのが10年前。
その10年間に、何があったのだろうか、と。
別の場所でパトリーもまた、オルテスの10年を知ろうとしていた。
ただパトリーの頭に浮かぶのは『現在』のオルテスだ。剣の腕が非常に強く、猜疑心が強い、厳しいまなざしの男だ。
その『現在』が、不安にさせる。安穏とした日常を送っていたとは思えないのだ。
ある程度の覚悟を決めて、パトリーは別の本を取り出し、知ろうとしていた。
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