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 第29話 永訣の日(1)


 パトリーはキリグート城内へ入った。
 抵抗も非難もむなしく。
 そして、とある部屋へ入れられた。
「さあどうぞ。車椅子です」
 車椅子に座ると、パトリーはすぐさまリュインから離れた。
「そんなに警戒しなくてもいいのですが。……殿下がお会いになるのには、時間が掛かります。その間、この部屋のものを見て回るのも楽しいでしょう。無礼を働いたお詫びのようなものです」
 パトリーは部屋の中を見回す。
 まず扉の方に視線を向けたのだが、
「ああ、無駄骨を折らせるのも悪いので、先に言っておきますが、扉には全て鍵がかかっています。おまけに扉の外には武装した兵士達がいますからね。手荒なことはなさらないように。そうすれば、逃げ出す前に、こちらへ伝わりますよ。あと、見れば分かるとおり、窓もありません。とりあえず、迎えを寄越すまで、ここで静かにしていてください」
 と、リュインは釘を刺した。
 パトリーは口元をかたく引き絞り、周囲を見る。
 一見するに、この部屋は美術館か博物館のようだ。
 初めてパトリーがこの城に来たときに案内されたような普通の客間ではない。
 目の前のリュインに注意を払いながら、見回す。
 歴史的に古そうな皮の鎧が一着飾られている。小さな棚があり、本が数冊ある。そして壁には三枚の絵画――
 その絵を見たとき、パトリーは驚きのあまり声が出なかった。口を開けて、その絵を凝視する。
 なぜ、なぜ彼が、彼の絵が、こんなところに……。
 彼女のその反応に、リュインは楽しそうに微笑む。
「この部屋の名前を教えて差し上げましょう。ここは『オルテスの間』と言うのです」
 パトリーの目の前に、オルテスが座っている肖像画があった。


 キリグート城は広い。パトリーがいる部屋とは別の場所で、皇太子へ献上品が送られていた。
「……輝くようなその御髪に合わせ、作らせたものにございます」
 膝をつき、差し出されたものは、絢爛なドレス。宝石がいくつも縫い付けられてある、水色のもの。
「ダニロフ公は、殿下のお美しさを損なわぬものとなるよう、仕立屋に特に強く言ったそうでございます」
 ドレスを差し出す者の隣で、ダニロフ公からの書を読む使者。
 アレクサンドラは献上されたそのドレスにそっと触れる。縫い付けられたダイヤモンドは、彼女の姿を映す。
「……とのことです」
 使者の言葉は終わり、彼は読んでいた紙をしまおうとした。
 アレクサンドラはその紙を上から取った。あっ、と使者が声を上げた。
 指先でつまみ、彼女は黙読する。
「読んでいない箇所があったではありませんか」
 アレクサンドラの静かな言葉に、使者はびくり、と震えた。ドレスを持っている者も。
「『親愛なるアレクサンドラ皇女へ』――」
 皇太子は二人を見下ろす。
 ただひたすら頭を下げている使者には彼女の表情は分からない。いや、頭を上げようとも思わない何かがある。
 アレクサンドラと使者の間に緊張を呼ぶような空気が生まれている。 
 扇を置いて、アレクサンドラは使者へと手を伸ばした。
 しかし、伸びた手は押さえられる。
 腕をつかんで皇太子を取り押さえたのは、リュインだった。
 そのまま彼は使者へ向かって代言する。
「皇太子殿下はドレスを喜んでいたと、お伝えなさい」
 使者は圧迫感から解放されたように、顔を上げる。アレクサンドラは再び扇を手にし、口元を覆って何も言わなかった。
 ははっ、と、ドレスを置いて、使者たちは出て行った。
 侍女がドレスをしまおうとするのを、アレクサンドラは引き止めた。
「そのドレスはこのテーブルに置いておきなさい。それと、あれを取ってきなさい……」
 不思議に思いながら、侍女はその通りに動く。
 アレクサンドラは長椅子に優雅に座る。赤く染められた羽根の扇で、ゆっくりと扇ぐ。
 微笑みながら、彼女はリュインに問う。
「遅かったようですね。……それで、彼女は?」
「連れてきましたよ。場所を探るのに苦労しましたが。今は、『オルテスの間』にいます」
 その場所を言うと、アレクサンドラは、意外そうな、楽しそうな顔をした。
「『オルテスの間』! つまりあの方は、オルテスの正体を知っていたというのですか?」
「いいえ。何も知らないようでした。だからこそ、見せてみるのも面白いのではないかと」
 声に出して、彼女は上品に笑う。
「確かに面白いでしょうね。あそこにあるものを見れば、オルテスのことが全て分かる。何も知らない者があそこにあるものを見て、どんな反応をするでしょうか。わたくしですらにわかに信じられなかった、荒唐無稽で嘘のような、オルテスの過去を。あれこそ、生きる魔法の証」
「そう……もしかしたら、信じないかもしれませんね」
「可能性は多分にありますよ」
 アレクサンドラは立ち上がる。
「そうとなれば、話は別です。あそこで全てを見て、全てを知るのには時間が必要でしょう。会って話をするのは、しばし待ちましょう。ちょうどすべきことができましたし」
 隠す扇の裏で、口元は笑みの形だ。
「会ったとき彼女がどんな顔をしているか。見ものですね」


 パトリーは正面から、横から、斜めから、その絵を眺めた。
 しかしやっぱり、その肖像画はオルテスのものだ。
 椅子に座り、つまらなさそうな顔をしている。ただ服装や、背景の場所は立派なものだ。どこかの城の立派な身分の人みたいだ。
 三幅の絵画のうち、中央にあるのも、オルテスの肖像画だ。
 それは左の現在のオルテスの絵より、少し若いオルテスだった。髪の長さは肩を越したくらい。瞳はぎらぎらと輝いて、背筋はぴんとして立っている。
 そして右の絵。その絵だけが異質だった。
 まず肖像画ではない。戦場の絵なのだ。右と左に軍隊があり、向かい合っている。
 おかしいのはそれだけではない。どう見ても、年代的にずいぶんと古い。紙も痛んでいるようだ。
 写実的要素はなく、兵隊もみな同じような顔、同じ向き。軍隊も超至近距離で向き合っている。こう言ったら悪いが、皆死んだような目をしている。
 どちらも民族服を着ているが、パトリーにはどこの国の民族か分からない。
 右側の軍の長は少し太った髭の男。
 左側の軍の長は自ら剣を頭上に上げ、軍を鼓舞している。髭がないから、若いのかもしれない。
 誰もが小さく描かれているから、表情なんてほとんど分からない。
 オルテスの二枚の肖像画は分かるのだが、この戦場の絵は異質だった。
 この部屋は何なんだろう。
 そう思いつつ、パトリーは見て回る。
 掛けられた痛んだ皮の鎧。棚の上に置かれたぼろぼろの服。
 そして、本。
 本棚には数冊本がある。これは新しい。印刷された本ではなく、一冊一冊手書きの本だ。
 一番取りやすい本を手にとって見た。
 表紙には何も書いていなかったが、ページをめくると、『最後の日』と書いてあった。
 宗教関連の本だろうか、とパトリーは思った。
 その下には、注意書きのような文が並ぶ。
『これは、オルテスから十年かけて聞き出した、彼にとっての『最後の日』の記録である。』
 それを読んで、パトリーは目を留めた。文章は続く。
『十年間で断片的に聞き出した話を、私、ルース=ユーギンが、時系列順に整理した。
 注意して欲しいのは、これはあくまでオルテス=グランディの主観的な見識であることだ。
 簡単な解説、説明は、後に載せておく。
 右ページが古代グランディ語、左ページが現代グランディ語で書き記しておいた。』
 この本は何なのだろう……そう思いながら、パトリーはページをめくる。
 『最後の日』とは何のことなのだろう。あの鳥と同じ名を持つ、この著者は誰なのだろう。グランディという姓を持つオルテスは、何者なのだ。
 さまざまな疑問がわき、パトリーは左ページの現代語を読み始めた。
 そして、パトリーは知って行くこととなる。
 衝撃的な、『最後の日』を。




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