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 第28話 川の流れ(2)


 夜が訪れた。
 ノアたちは来なかった。訪問した方の館に泊まっているのか、ホテルに泊まっているのか。遅くなったから来なかったのかもしれない。
 低い鳥の鳴き声が聞こえる。
 この病院には入院している人は少ないらしく、静かだ。消灯時間前ですら静かだった。
 パトリーの部屋にルースはいない。オルテスが連れて行ったのだ。
 そのオルテスはというと。同じ病院にいる。
 もちろん部屋は違うが、隣か、その隣の個室にいるらしい。動けないパトリーには分からない。
 車椅子を城に置いていたもので、人の手を借りなければ動けない。改めて、車椅子の便利さが分かるのだった。
 はぁ、と一人ベッドの中でパトリーはため息をついた。
 小さな部屋で、そのため息はこもるような気がした。
 車椅子のことではない。オルテスのことだ。
 オルテスは大体のことは話してくれた。けれど、後々考えてみると、よくわからないことは多い。
 そもそも、アレクサンドラ――つまり皇太子との結婚が持ち上がる、ということは、それなりの家に違いないのだ。家族が皆いない、というのなら、その家を継ぐのはオルテスではないのだろうか。それにそんな家で字が書けないという環境も想像できない。自由気ままに金なしでオルテスは旅をしていたこともおかしい。
 考えれば考えるほどわけがわからなくなってくる。
 何か、根本的なところを理解していないというか……。
 ふと顔に、微かな風を感じた。
 窓はしっかりとしまっている。すると、あとは扉だけ……。
 少しだけ体を起こして見ると、扉がほんの少し開いている。暗くてよく見えないが。
 確かにきちんと閉まっていたはずなのに。
 月は雲に隠れて、明かりはないに等しかった。その月が雲から垣間見えたとき。
 何者かのシルエットが室内に、ぼんやりと浮かび上がっていた。
 パトリーは全てを緊張させた。
 オルテス……のわけがなかった。彼なら扉を叩いて入ってくる。緊急のときなら、扉を音もたてずに開けて中に入る、なんてまねはしない。――不審者には違いない。
 傍らにある剣に手を伸ばす。かちゃ、と音をさせ、つかむことができた。
 男のシルエットは暗闇に溶け込んで把握しづらかった。ひらひらと服は翻り、輪郭がよくわからない。男かどうかも分からない。
 まさか、幽霊なんてことは……ないはずだ。
 そのぼんやりとしたシルエットは近づいてくる。ますますパトリーは剣へ力をこめる。
 暗闇から冴えた月のような銀色が浮かび上がる。
「……お久しぶりです」
 その影は、優雅に頭を下げた。
「その声は……」
 パトリーは剣への力を抜く。
「リュインさん……」
 そこにいるのは、リュインだった。
 『不老不死の魔法使い』。グランディア皇国の高官。オルテスの義弟。ミラ王国のカデンツァで出会った男。
 そのときと同じような、東風の異国的な服を身にまとっている。
 彼が頭を上げると、右眼の片眼鏡がきらりと光った。
「夜分遅くにすいません。女性の部屋に入るのは失礼かと思いましたが、急な用件で。取り次いでくださる方もおられないようでして」
 ちょっと困ったようにリュインは笑っている。
「……いつ、グランディア皇国へ帰国されたのですか?」
「つい昨日ですよ。何とか外交の仕事も終えました」
「オルテスなら、この部屋ではなくて……」
 リュインは首を横に振る。それに合わせて、頭に巻いている布も揺れた。
「今回は、あなたに話があるのです」
 あたし? とパトリーは訝しがった。
 パトリーとリュインに直接的なつながりはない。オルテスの義弟、ということだから、てっきりオルテスに用事だと思っていた。
「ええ。わたくしは皇太子殿下のしもべですから。殿下の使いで参りました。……城で、車椅子を預かっているのです。それをお返ししよう、ということなのですが……。申し訳ないのですが、城へ取りに来て欲しいのです」
 パトリーは合点がいった。姿勢を正す。
「あ……! はい。わかりました。殿下には本日のこと、失礼なことをしてしまい申し訳ありません、とお伝え下さい。車椅子は明日にでも……」
「いいえ。今すぐ来て欲しいのです」
 パトリーは眉を寄せる。
 いくらなんでも、こんな夜中に。
「馬車は用意しております。皇太子殿下はなるべく早く、あなたと直接話がされたいそうです」
「け、けれど、いくらなんでも……」
 リュインは近づき、ベッドの横に立つ。腰を曲げて、囁くように言った。
「パトリーさん……殿下の強いご要望なのです。ここで断るのは得策ではありませんよ。おっしゃっているのは皇太子殿下なのですから。……シュベルク国第三皇子の婚約者、というあなたの立場を考えた方がよろしいですよ。へたをすれば、国際的な問題になるやも……」
 パトリーは目を見開いた。
「それは……脅迫ですか?」
「いえいえ。めっそうもない。ただ皇太子殿下は、次の女皇になるべきお方。些細なことが国同士の誤解を生むというのは、歴史的によくあることです。問題は、皇太子殿下がすぐにあなたを城に呼びたい、ということだけです。簡単でしょう。明日にでもすればいいとわたくしも思うのですが、配下の者は主の命に従うのが仕事でもありますし……」
 わたくしも困っているのです、そう言いたげにリュインは肩をすくめる。
 パトリーは再び、剣を強く握った。
「――わかりました。すぐに向かいましょう。けれど、服など、ちょっと準備があります。すいませんが、少し部屋を出てください」
 リュインは素直に部屋を出て行った。
 パトリーはドレスではなく、男装の服に着替える。服や荷物はホテルから持ってきていた。
「用意はできました」
 そう言うと、再び音もたてずに扉が開いた。
 今度はリュインだけでなく、別の男達もいる。
「心配なさらないで下さい。わたくしの部下です。あなたを運ぶために用意しておきました」
 リュインはパトリーの服装に目を留める。
「すいません、今はちょっと、これしか服がないので……」
 パトリーはそう嘘をついた。
「それと、剣も、持っていないと落ち着かなくて」
 パトリーが胸の前で固く握るのを見て、リュインは少し考えてうなずいた。
「仕方ありませんね」
 パトリーはリュインの部下達に持ち上げられた。
 その動きは、驚くほど静かだ。いや、あえて静かにしているような……。
 勝手に運ばれるパトリーは、後ろから付いてくるリュインに訊く。
「あの、オルテスはいいんですか」
「ええ。今回はあなたを呼ぶように、との命令ですから。あの人は関係ありません」
 何かおかしいような気がした。
 オルテスはアレクサンドラに無理やり城へ運ばされた、と言っていた。オルテスの『願い』を叶えるために。それが誤解だったから、彼は逃げ出したのだ。
 逃げた訳を聞きたいと思わないのだろうか。ついでにでも。
 扉が静かに開けられる。
 物音一つ立てないように、パトリーは運ばれてゆく。
 廊下には灯り一つない。進む先も、後ろも、暗闇に覆われている。
 突然、進行方向の後ろから、剣のぶつかり合う音が響いて聞こえた。
 キキッ、という、鳥の鳴き声も。ルースの鳴き声だ。
 あれは、と問おうとしたが、リュインの部下達は足を速めた。
 病院の玄関も、暗い。看護婦も誰もいない。扉だけが、ほんの少し開いている。
 外へ出ると、パトリーは少し乱暴に、馬車の中に押し込まれた。
 胸の中で、何かを間違えてしまったような気がした。
 ルースの鳴き声。剣戟の音。
 あれはもしや、オルテスの身に……。
 馬車は二台用意されていた。パトリーの馬車とは違う馬車へ向かおうとするリュインの服のすそを、パトリーはつかんだ。
「待ってください。一つ、一つだけ確認させてください。リュインさんは、オルテスの義弟なんですよね?」
 パトリーの顔は青かった。心臓が、嫌な感じに高鳴っている。
 オルテスの義弟であること。それはここでリュインを信頼する、最大にして、唯一のもの。命綱のようなもの。
「ええ。確かにわたくしはオルテスの義弟です。オルテスの妹・ルクレツィアの夫です。……けれどね、所詮、他人ですよ」
 リュインは微笑む。アレクサンドラに少し似たように。
 パトリーの顔が強張った。
 やんわりとリュインはつかんでいたパトリーの手を離す。
「さあ、キリグート城へ運んでください」
 そう言って、パトリーの目の前で馬車の扉が閉じられる。
 パトリーのどんな抗議も、馬車の中の誰も聞こうとしなかった。
 御者は馬に鞭打って、馬車は闇の中を走っていった。


 病院から離れて、キリグートにあるクラレンス家別邸では、いまだ喧々諤々とした議論が続いていた。
 シュテファンは冷たく睨むような顔をして言う。
「すぐさま殿下にはセラへ赴いていただきたい、と、そう言っているのです」
 かっとなっているノアは怒鳴り続ける。
「行けるわけがないだろう! パトリーが病気だってことは、もう説明しただろう!」
「パトリーがどうしたというのです。殿下はとにかく、セラへお向かい下さい。パトリーのことは、兄のこの私が責任を持ちましょう」
「っ! だから! あんたを信用できるわけがないだろうが! そもそも、パトリーはいまだ結婚を納得していない! 納得していない限り、俺は結婚はいやだぞ!」
 二人の議論に沈黙を守っていたのは、イライザと、ウィンストン卿だ。
 そのウィンストン卿が、大きく息を吸い、一喝した。
「双方、お止めなさい!」
 二人は言い合うのを一瞬止めた。
「このような議論、いつまで経っても平行線ですぞ! 歩み寄られなさい。まず、シュテファン殿。すぐにでも結婚させることは諦めなさい。パトリー嬢が病気だというのなら、無理でしょう」
「…………」
「シュテファン殿。よいか、いくらこの結婚が皇家とクラレンス家とのつながりのためだとしても、無理に嫁入りをさせ、それがためにすぐに病死されてしまっては無意味ですぞ。それくらいお分かりでしょう。たとえもし、いくらクラレンス家が、結婚さえすめば娘がどうなっても構わん、という立場を貫いても。皇家としては、そのような嫁では困るのですぞ。健康状態であること。これは第一義の、皇家としての結婚の不可欠な条件です」
 シュテファンはウィンストン卿の言葉に言葉を詰まらせた。
 その様子に、ノアはほくそ笑む。
「そして、ランドリュー殿下!」
 矛先が自分へとも向いたことで、ノアは逃げ出したいような気持ちになった。
「あなたもあなたです。パトリー嬢が病気のために、キリグートへ来た、というのはまだ許しましょう。しかし、彼女の納得だとか、今さらそのような問題でないことは承知しておるはずでしょう。彼女が回復したら、即刻セラへ戻り、式を執り行います」
 そんな、とノアが声を上げた。
「何が、そんな、ですか。パトリー嬢の納得がほしいのなら、回復するまでに殿下が納得させなさい。そもそもそんな納得、殿下がもう少ししっかりと口説けば、すんだ話ですぞ。殿下が下手な口説き方をしたための結果であって、我々に言われても困りますぞ。女心の一つも掴めないとは……。相手の意思だとか納得だとか口にするなら、女の扱い方を心得なさい。嘆かわしい!」
 その説教に、ノアは顔が赤らむのを感じた。正面でシュテファンがくつくつと笑っていた。ノアはぎっ、と彼を睨む。
「つまり折衷案として、パトリー嬢の回復後、セラでの挙式、ということでよろしいですな? もう夜も遅い。今夜はこれくらいでよろしいでしょう」
 結局、ウィンストン卿が結論を出して、議論は終わった。
 ノアはもちろん納得しているはずがない。だが、夜も遅く、そして叫びすぎて喉が痛い。更に疲れていた。
 これ以上、不毛な議論をし続ける気にはなれない。
 それはシュテファンも同様だったらしい。目の前で葉巻を吸いつつ、顔中にいらいらとしたものが出ている。
 誰もが疲れていたので、飲み物を運ばせるようにシュテファンは指示していた。
 ノアには議論とは別に、気になっていることがあった。
「なあ、シュテファン。あんたも病気なのか?」
 シュテファンは不可解そうに顔を上げる。
「前より元気がなさそうに見えるけれど……」
 どこかぼんやりとしていたり、議論でも深く追い立てるようなこともなかったり。
 その指摘に、シュテファンは引きつるように口の端を上げる。
「……殿下には関係のないことでしょう」
 何かあったのだろうか、とノアは考えをめぐらせる。
「そうだ。あの奥さんはどうしたんだ? 見ていないけれど。キリグートには一緒に来ていないのか? あれから別れたのか?」
 シュテファンはゆっくりとノアへ顔を向けた。口角の上がった皮肉げな口元であったが、目は笑っていない。それどころか、氷よりも冷たく、睨みつけるだけで人を射殺せそうな目であった。
「…………。殿下は、私を逆なでするのがお好きらしいですね……。あなたには恨まれているだろうとは思っていましたが、それが仕返しというやつですか……」
 低く、呪っているかのような声音だ。
「え? いや、そんなつもりは……」
 確かに話すと腹が立つし、嫌いではあるが、今の言葉はそんなつもりではなかった。『別れる』というのも、何か事情があって別々の行動をとる、という意味で言ったのだ。
「しかし、私はどんな理由であれ、自分へ向けられた侮辱や敵意へは返礼をしています。それも何倍にして。それが私のやり方でしてね。……今、あなたとイライザどのがここにいる。……足の動かないパトリーを連れてくるのを、邪魔する人間はいないということですね」
 ノアは顔色を変えた。
「おい……! さっき、回復するまでパトリーへは手出ししないと……!」
「そうですぞ! シュテファン殿。先ほどそう結論づいたばかりではありませんか」
「私がどうしようと、私の勝手です。あなた達の言葉に従う義務などない」
 シュテファンは人を呼ぼうと立ち上がる。
「ま、待て! そ、そうだ! パトリーなら、別の男が守っているんだ。オルテスっていう、イライザと同じくらいの腕の奴だ。そうそう簡単に、あんたの思い通りにはならない」
 実際はオルテスは信用できないと思っているが、牽制するためにノアは言った。そもそもパトリーを守るどころか、危害を与えかねないと思っているが……。
 その名を出したことで、シュテファンは人を呼ぼうとしていた足を止めた。
「オルテス……。あの居候か……。確かにあの男がいるとなると……」
 ちっ、とシュテファンは舌打ちをする。
 そのとき、ガシャーン、と派手に何かが割れた。
 それは、中年の召使の足元だった。
 扉を開けたばかりの彼は、持ってきていた茶器などを取り落としていた。
「オルテス……ですって……?」
 驚愕しているその召使は、震える声でそう言った。
「ハッサン」
 シュテファンがその男をそう呼んだ。
「オルテス、オルテス様を、知っているのですか!?」
 ハッサンはノアへすがるように目を向ける。
 ノアはシュテファンに戸惑いながら問いかけた。
「何なんだ? この召使は」
「……セラの図書館の館長だ。考古学者だとか。セラから連れてきている」
「オルテス様が今どこにいるか、ご存知なのですか!?」
 ハッサンはノアの手にすがりつく。
「オルテス……様? 別人じゃないのか? 俺たちが知っている奴は、何の職もないようだったし。ただ剣の腕はすごくて、藍色の長い髪の奴で……」
 ハッサンは激しく首肯する。
「そうです! その方こそ、オルテス様です!」
 シュテファンは不審そうな眼差しを彼に向ける。
「あんたはオルテスが何者か、知っているのか?」
 ノアの問いに、ハッサンは頷いた。
 イライザとノアは顔を見合わせる。
 ハッサンは言った。
「あの方は……皇子です」




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