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 第27話 不信(3)


 が、信じられないことに、パトリーはイライザの足を掴んだ。掴むどころでなく、邪魔するように絡まり、動けなくさせたのだった。
「だめ……!! やめて……!!」
 何を言っているのか、と思い、目の前の男を見ると、彼は剣を降ろし、鞘に収めていた。更に、男はノアの上から立ち上がったのだった。
「知り合いか」
 男が問いかけたのは、いまだイライザにすがり付いているパトリーだった。
 パトリーは顔を少し向けて、頷いた。
「ノアも、イライザも、今まで一緒に旅してきた人よ」
 立ち上がったノアは、不信感を露わに、イライザの後ろに立ちながら、男を睨んでいる。
「ノア、イライザ、違うの。この人は、この人が、オルテスなのよ」
 聞いた覚えのない人物の名に、イライザは警戒を解かなかった。だが、ノアは、はっと顔を上げた。
「前に……旅してた、って奴か」
 うんうん、と、パトリーがうなずいた。
「誤解よ。オルテスは、兄の手下じゃない。意識を失ってたあたしを、城からここまで送ってもらっただけなの」
 パトリーは、今度は男へ顔を向ける。
「オルテス、この人たちは敵じゃないわ。あたしの心配をして、ただ誤解してしまっただけなの。だからそんな目をしないで」
 オルテスとか言う男は、ついと空を見上げた。すると、その空からルースという鳥が降りてきた。その鳥が、男の肩に留まった。
「本当みたいだな」
 ノアはほっとするように息をついたので、イライザも拾って双剣を収めた。
 パトリーはようやく、イライザを開放した。パトリーは這ってすがり付いてきていたので、ドレスは汚れている。
 どうやら近くに車椅子はないようなので、肩をかついで立たせようとしたところ、オルテスが不用意に近づき、パトリーの額に手を当てた。
 パトリーはびっくりしている。
「さっきから思っていたが、熱があるようだな」
「そうだ、パトリー。どうして城から出てきたんだ? 医師団には会えなかったのか?」
 ノアがそう問いかけると、パトリーは困ったような顔をしてちらりとオルテスを仰ぎ見た。
「その……オルテスが、城で逃げていて……そのまま……一緒に逃げてきちゃって……」
 ノアは疑わしい目つきをオルテスに向ける。
「城から逃げてきた? 一体何をしたんだ」
 オルテスはノアの質問に答えるそぶりはなく、パトリーに尋ねた。
「何だ、医者を探していたのか」
「そうだよ、それも優秀な医者を、だ。せっかくツテを用意して城まで行ったのに……」
 答えたのはノアだった。無視されたので、むくれている。
「ごめんなさい、ノア」
 ノアはしゅんとなって頭を下げるパトリーに慌てた。
「違う、違うよ。パトリーを責めようと思って言ったんじゃないんだ。そりゃ、前に一緒に旅した人が現れれば、付いて行くのもわかるよ。ただ、この、オルテスが、ぶち壊しにした、って言いたくて……」
「おれのせいだ、と言いたいわけか」
「そうだよ。とりあえず、早く城に連絡を取らなきゃ。ええと、釈明をして――」
 ノアは顎に手を当て考える。
「優秀な医者が必要なんだな?」
「だから、そう言っているだろ! ああ、この件で、機嫌を損ねてしまっていたら……」
「ノア、本当にごめんなさい。皇太子殿下への謝罪の手紙は、あたしも書かせてもらうわ」
「皇太子?」
 後ろから挟む声に、ノアは愉快ではない顔をして振り向いた。
「さっきからうるさいな! 何なんだ、問われたくない事情があるなら、さっさと行けばいいじゃないか」
「ちょっと、ノア。そんな言い方しないで」
 かばうパトリーに、ノアは不愉快そうな顔がさらに不愉快なものとなった。何か言いかけたノアのその前に、オルテスが言った。
「優秀な医者に診てもらいたい、というなら、知っている奴がいる」
 三人は、きょとん、とした。
「前に医師団にいた奴だ。ややこしいことをしなくても、おれの頼み一つで治療できるだろう」
 ノアは疑いの目を向けたまま、手を振った。
「ばからしい。皇太子殿下の手を借りれば、現在の医師団の医者に治療を受けられるっていうのに」
「だが、時間はかかるだろう。これから、出て行ったことの釈明、謝罪をして、相手の許しを得、それから治療……時間がかかるんじゃないか? なるべく早く治療を受けたいのだろう」
「あんた、よくもそんなことを言えるな。自分のせいだ、ってわかっているのか?」
「そうだな。おれの責任だろう。だから、こうして知っている医者を用意しよう、と言っているんだ」
「……パトリーには悪いんだけど」
 と、ちらりとノアがパトリーを見た。
「俺はこいつを信用できない」
 少し楽しそうな顔でオルテスはノアを見た。ノアは不信感を隠そうとしなかった。二人の間の空気は悪い。
「もういいわ、もう。ノア、皇太子殿下に謝罪の手紙を書きましょう」
 判断者たるパトリーの結論に、オルテスは眉をひそめ、ノアは笑顔になった。
「けど、もう医師団の医者からの治療は受けない。釈明し、謝罪して、なおも医師団で治療を受けたい、って言うのは、厚かましすぎると思う。だから悪いんだけど、オルテス。知り合いの医者がいるというのなら、紹介して欲しいの」
 今度は、ノアの眉がひそめられ、オルテスはうなずいた。そしてオルテスは離れてどこかへ行った。ノアは納得できない様子で、イライザの肩で支えられているパトリーに言う。
「待って、ちょっと待ってよ、パトリー。だって、あいつの紹介する医者がパトリーの病気を治療できるかは分からないんだよ」
「一度その医師に診てもらえば判るでしょう。治療できないというのなら、厚顔を承知で、皇太子殿下に頼んでみましょう。医師団に頼るのは最後の手段よ。自分がしたこととはいえ、失礼すぎたと思うもの。ノアの顔を潰した結果となったことは、本当に申し訳ないと思っている。だからこそ、これ以上ノアの立場を悪くするような、恥の上塗りは避けたいの」
 できる限り頭を下げるパトリーに、ノアは首を振る。
「俺の顔なんて……」
 そのときオルテスが戻ってきた。裸馬を連れて。
「どうやら、暴れまわった挙句、裏路地に入って抜け出せられなくなっていたらしい」
「さっそく行きましょうか。で、どこにある病院なの?」
「どこ? 知らないな。医者の名前しか知らない。ワディム=ビリュコフだ」
 パトリーは呆れた。
「医院の場所も知らずに、紹介できるなんて言ったの? ねえ、本当に本当に大丈夫……」
 と、文句を言い連ねようとパトリーはしたが、隣でむっつりと黙っているノアを見て、
「……ああ、もう、さっさと探させましょう」
 と、言葉を切り上げた。ノアの表情には不信感がありありと表れていて、吼えない分、その不信感がかなり深く根ざしてしまったと分かったからだ。
「あのう……お客様……」
 躊躇いがちに声をかけたのは、ホテルの従業員だった。帽子をいじりながら、
「ご用意させていただいた馬車は、いかがいたしましょう……」
 と、馬車を指差した。
 よく見ると、あちこちで人が見ている。当然だろう。突然街中で剣戟が始まったのだから。その空気に押されて、ホテルの人間も声を掛けられなかったのだろう。よくも兵を呼ばれなかったものだ。……いや、もしかして呼ばれているのかもしれない。
 とりあえず、馬車に乗り込むことになった。イライザと一緒にひょこひょこ進むパトリーに、からかうように馬上からオルテスが声を掛けた。
「どうだ、もう一度馬に乗るか? もう一度、全力疾走してやろうか」
 オルテスは自分の座っている前のあたりを軽く叩く。パトリーの顔は引きつって、思い切り首を振った。そして、彼女は手伝ってもらって馬車に乗り込んだ。
 扉を閉めて、御者に尋ねた。
「すみませんが、ワディム=ビリュコフという医者を知りませんか? 場所は知らないのですが……」
 御者は少し考えるようにして、ああ、と手を打った。
「ビリュコフ医師ですか。数年前に医師団を脱退して、細々市民を相手にやっているっていう?」
「知っているんですか。場所はわかりますか?」
「確か、街外れのクラン川沿いだったよ。そこに行きたいのか。それならすぐだよ」
 と、御者は馬に鞭打って、走り出した。
 窓からオルテスに伝えた。オルテスの乗る裸馬は後ろからついてくることになった。
 そのときになって、イライザはごそごそと動き出す。肩の辺りの傷の手当をし始めたのだった。
「イライザ! 今までその傷に、耐えていたの?」
 慌ててパトリーもその手伝いを始めた。
「大丈夫か。深い傷か?」
「いいえ。この程度なら、すぐに治りますよ。しばらくは右での動作に若干遅れが生じるでしょうが。この程度の傷なら、あのオルテスさんも負っていますよ」
 はっとした顔でパトリーは窓から後ろを見た。見ると、オルテスは変わった様子なく、馬を操っていた。
「治ったなら、もう一度、戦ってみたいものです」
 イライザは少し楽しそうに言った。それを見てノアは不可解そうな顔をする。
「もう一度戦いたいだなんて、よく思えるなあ。傷を負わされたなら、腹が立つものじゃないのか?」
「誤解してのことだと分かり、納得していますから。それよりも、決着を付けられなかったことが残念です。今度は、誰の邪魔のない場所でしたいですね」
「止めなかったら大変なことになっていたじゃないの」
「そうだよ。俺だってどうなっていたことか……。けれど、そう言うからには、勝つ自信があるというわけか?」
 イライザは手当てをし終わって、服を整えた。
「さあ……勝てるという自信があるような相手と、戦いたいとは思いませんね。ただ、剣を交わして、くせというか流派というか、そういったものは少しわかりました。彼が習ったのはおそらく、かなり古い型です。グランディア皇国か、タニア連邦か……どちらかの、歴史的に古い型です。そこに我流のアレンジが加えられています。そのくせを利用すれば、勝てなくもないと思っています」
 パトリーは一度戦ってそこまでわかったイライザに、次元の違いを感じた。やはり、剣に生きる者は、普通の人間とは違う。
 パトリーはふとノアの表情を見た。ノアは押し黙ったまま、何かを考え込んでいる。それを見て、パトリーは何も言えなくなっていた。
 そんな二人を見て、イライザは何もしない。何も言わない。
 しばらくしたら、パトリーは眠り始めた。よく馬車で眠れるものだ、とイライザとノアは思った。
 馬車の中はとても静かで、だけど主従の二人が考える対象は同じだった。


 ワディム=ビリュコフ医師は読みかけの雑誌をつまらなさそうに机に置いた。医学論文の載っている雑誌。そこにはグランディア皇国国立医師団による、『氷漬けによる不老不死の可能性』という論文が掲載されている。
「ふん、こんな論文……。どうなっても知らないぞ……」
 吐き捨てるように言うと、あくびを上げるビリュコフ。丸い顔の彼は眠たげだ。
 医師団を退いてから、比較にならないほど暇になった。庶民相手とはいえ、治療費を相応に取るために、人はあまり来ない。たまに、そこそこ金を持っている重病人などが来る。それくらいの、寂れた病院を経営していた。
 だが、そんな暇な医者業でもビリュコフは面倒だと思っていた。
 医師団をやめたときに、もう医師もやめようと思った。しかし、他に技能がないために、衣食住のために、医者を続けている。だから、かつては持ち合わせていた医学の進歩のため、未来の人類のため、といった熱意はない。
「おい、昼食の時間だから、これから一時間は休憩だ」
 ビリュコフは太鼓腹を撫でて、陰気な看護婦にそう言った。看護婦は部屋を出て、扉の前に『休憩中』の札を出しに行く。
 妻の用意した昼食のパンを手に、ビリュコフは窓から見えるクラン川を見る。
 今日は釣りでもしようか、そうぼんやり考えていると、困ったような顔をして看護婦が現れた。
「あの……すぐに診て欲しい、という人が……」
「休憩だと言っただろう。一時間後に来いと言っとけ」
 役に立たない看護婦だ、とビリュコフは思った。けれども看護婦はなおも言い募った。
「そう言ったんです。けれど、なんだか難しい病気とかで、すぐにビリュコフ先生を呼んでくれ、って言うんです。患者も含めて四人も来ていて、出て行ってくれなさそうで……」
 うんざりした様子でビリュコフは重い腰を上げた。
 玄関口には四人いた。
「いいか、これから休憩なんだ。一時間後に来い」
 顔色から察するにおそらく患者であろう女。その隣にいる一人の男が何かを言いかけて口を開いた。けれど言う前に、すっと別の男が前に出た。
 その男の顔を見た瞬間、既視感を覚えた。
 二十代の、藍色の長い髪の男。鋭い緑色の瞳。かすかな笑みの口元。
「久しぶりだな。ワディム=ビリュコフ」
 その口元からの言葉に、ビリュコフの体に電流が走った。
 その声。そうだ、彼は……彼は、オルテス=グランディ。
 『……ワディム=ビリュコフ』かつて彼は言った。殺意をもって、そう言った。ぞっとするような、飢えた狼のようなぎらぎらとした瞳で睨んで。
「あ、ああ、ああああああ……!」
 なぜ彼がここにいるのか。こんなところにいるのか。
 震えながらビリュコフは後ずさった。
 オルテスは簡単に近づいた。ビリュコフは下がる。しかし、そこには壁があった。逃げられないようにオルテスは顔の横に手を置いた。
「久しぶりに会えたというのに、悲しいな。今日来たのは、パトリーというそこの少女の治療を頼みになんだ。難しい病気らしいが、医師団にいたお前なら治せるよな?」
 ビリュコフは震えるだけで何も言えなかった。
 後ろから別の男が、病気の説明をした。
 聞くと、エリバルガ国の奇病だという。難しいが、それなら治療法はわかっている。
「なあ、ビリュコフ。お前なら治せるだろう? 医学の未来というやつに貪欲で、それこそ悪魔に魂を売ったお前なら」
 目の前にいる男こそ悪魔だと、ビリュコフは思った。
 けれどビリュコフは何も言えなかった。
 そんな様子を見て、オルテスは手を離した。後ろにいる男や別の女は訝しがっている。
「久しぶりに会えて、言葉が出ないんだな。別のところでゆっくり話そうじゃないか。すまないが、少々話をするんで、その間にパトリーの入院の用意などはしていてくれ」
 看護婦が戸惑っている。
「あの……先生?」
「ビリュコフ。お前はおれの言うことを聞くよな。いや、聞かないなんて言わせない」
 表面上はにこやかなその顔から、一瞬冷ややかな何かが、ビリュコフには感じ取れた。
「あ、ああ! すぐに入院の準備をしていてくれ!」
 裏返ったような声でビリュコフは指示をした。
 オルテスはビリュコフの肩に手を置いて、奥の方へと行った。


 おかしいと思わないわけがなかった。
 今見たものが、古い知人とのただの再会として見られる人間なら、林檎とピーマンの区別だって付けられないだろう。
 パトリーは複数の看護婦の手を借りて、運ばれていく。
 ノアはイライザの顔を見て、オルテスたちの向かった奥へ進んだ。
 一つの扉から、声が聞こえた。
「……今度こそ。裏切れば、殺す」
 物騒なそれは、オルテスの声だった。
「お願いです。私はもう医師団も退いて……妻もいて……」
「だから? そんなことがおれの手を鈍らせると? 簡単だろう? おれの言うことをきいて、裏切らなければ殺さないんだ。それとも、皇太子の下へ駆け込むか?」
「いいえ! いいえ、決して! 神に誓って……!」
 懇願するビリュコフ医師の声には、泣き声も混じっていた。
 ノアは青い顔でイライザと顔を見合わせた。
 どう考えても、だ。どう考えても、オルテスがビリュコフ医師を脅しているようにしか、聞こえなかった。
 イライザは突然、ノアの手を引いて、柱の影へ追いやる。
 そのとき、先ほどまで耳をつけて聞いていた扉が開かれた。そこからオルテスが出てきた。彼は一瞬、ノアたちが隠れている柱へ目を向けた。
 心臓を握られているような気分になって、思わず息を止める。
 だが、オルテスは別方向へ歩いていった。
 ノアの心臓が、どっ、どっ、と音をたてる。 
 もう、信じるとか信じないとかのレベルではない、と思った。こちらの命の危険まで考えなければならない。信頼しているパトリーこそ危険だ。
 彼がいなくなり、動悸を落ち着かせると、ノアはパトリーの部屋に向かったのだった。




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