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 第27話 不信(1)


「一体どういうことなのよっ!!」
「話は後だ!」
 オルテスは走り出して、パトリーも必死に車輪を回して追った。
 オルテスはアレクサンドラへ一瞥し、そのまま走って行った。
 パトリーはさっぱりよくわからなかった。ずっと心配していた相手が、こんなところにいる。それも、兵士に追われて。
 おまけにオルテスに付いてきて、自分は何をしているんだろう、とパトリーは混乱のうちに思わなくもなかった。
 けど、何よりも、オルテスが怪我もなく無事なことにほっとしているのだった。
 必死に追っていたパトリーだが、やはり遅れてしまった。それに気づくと、オルテスはパトリーの後ろへ回り、車椅子を押し始めた。
 兵士達は追ってくる。
 巨大な城内でパトリー自身もどちらが出口かわからない状態で、オルテスは迷いなく進む。これはもしや適当ではないか、と嫌な予感がしたが、あまりに速く移動させられているので、言うに言えない。車輪がギュルン、と音をたてている。
 そうこうするうちに前からも兵士がやってきた。オルテスは、ちっ、と舌打ちする。
「戦うの?」
 そう問いつつ、パトリーはスカートをそろりと上げた。そこには剣が隠されていた。
「いや、得策じゃない」
 オルテスはすぐ横の扉を開けた。パトリーを中に入れると、すぐさま扉を手近にあったテーブルや椅子でふさぐ。
「ここ、出口なんてないじゃないっ!」
 そこはさきほどまでパトリーがいた客間とよく似ていた。扉は一箇所しかない。その扉も、ドンドン、と音がしている。これでは袋小路だ。
 オルテスは迷いなく窓へ近寄り、立て付けの悪いそれを押し上げた。
 そこから、まず先にルースが飛び出した。
そして軽々とオルテスは飛び、向こう側へ降りた。さあ来い、とばかりに手を振っているが、近くに寄ったパトリーは困惑してしまった。
「車椅子だと、出られないわよ……」
 高さは車椅子に座るパトリーの肩ほど。
 オルテスは身を乗り出して、パトリーの脇の辺りをつかんで乱暴に窓の外へ持ち出した。それは乱暴で、座っていた車椅子は部屋の中で、がしゃん、と倒れた。
 パトリーは抗議の声を上げる間もなく、いつの間にか、オルテスの背におぶさっていたのだった。
 部屋の中では、扉が開かれた音がした。
 そのままオルテスは走る。
 目が回るような気分のパトリー。
 どうやらここは、表の壮大な庭園ではないらしい。塀が近い。だが目まぐるしくオルテスが走り回るので、全然自分のいる場所がわからない。オルテスはよく、迷いもせず走るものだと思う。
 オルテスより高い視界を手に入れたパトリーは、遠くで兵士が集まっているのがかすかに見えた。
「! オルテス! 兵士が跳ね橋の方に集まってる!」
 何をするのかは容易に想像できた。跳ね橋を上げて、この城内から出られないようにするためだ。
 パトリーは他に出口を知らなかった。それはオルテスも、らしい。
「走っても間に合わない……。確か、あっちに厩舎があったな……」
 オルテスは急に方向を変えて、走った。厩舎はすぐに見つかった。けれど、兵士達に見つかってしまった。彼らはやってくる。
 厩にいた馬丁はさっさと逃げ出した。
 一番近くにいた馬は、鞍も手綱もつけてない裸馬だった。
「さあ乗れ」
 え、とパトリーは思わずオルテスに顔を向けた。
 無理やり引っ張り出してきたその裸馬は、普通の体格の、乗りやすいわけでも極めて大人しい様子でもないのだった。つまり普通の馬で、オルテスが引っ張るだけでブルンブルン、と暴れるような。
「こ、こんなのに、どうやって乗るのよ……! 鞍も、何もないじゃない……!」
「つべこべ言ってる時間はないぞ」
 そう言われたって、立つことすらままならない足。おぶってもらっている現状のパトリーに……。
 戸惑ってどうしようもないパトリーにいらいらとしたのか、背負っているパトリーを無理やり馬の背に乗せた。
「え、ええっ、きゃ、きゃあっ!」
 馬は乗った途端、暴れだす。手綱もなくて、それを操る方法など皆無だ。へっぴり腰にパトリーはその馬の背に必死に掴まるしかないのだった。足を開いているから、ドレス姿ではかなりみっともない。
 ひょい、とその後ろにオルテスも乗る。
 どうやって操るつもりなのか、と、かなり格好の悪い姿勢のままでパトリーが顔だけ動かして見てみると、オルテスは馬のたてがみをつかみ、首の辺りを持った。
 ぐい、と引っ張り、馬は仰け反り、いななく。
「少し乱暴に行くぞ! しっかり掴まっておけよ、パトリー!」
 オルテスはたてがみを手綱代わりにして、馬を走らせた。
 しっかり掴まれ、って、どこを!? とパトリーは思いつつ、滑る馬の体を掴んでいることしかできなかった。
 馬は上下にかなり揺れた。
 口を開いて何かを言おうものなら、間違いなく舌をかむ。
 思った数倍以上の揺れとスピードに、パトリーは顔が引きつってくるのだった。
 馬車とは違う。風は音をさせてパトリーをかすめ、揺れると時折、体が浮く。文字通り、馬から体が離れるのだ。それは恐怖だ。
「足だ、馬を挟むように足に力を入れろ」
 オルテスはそうアドバイスするが、そんな余裕などどこにもない。
 大体、こうやってアドバイスできるオルテスが異常だとしか思えない。その余裕さが異常だ。
 馬は全力疾走し、跳ね橋へと向かう。
 跳ね橋はガガガガガ、と音を立て、今、上り始めてしまった。
「橋が上ってる!」
 橋を上げる装置のあたりに兵士がいる。装置をぐるぐると回転させて、今現在も上らせている。
 馬から下りて、剣でそいつらを蹴散らすのだろうか、と思いきや、オルテスは馬のスピードを上げさせた。
 パトリーは頬がぴくりと震えるのを感じた。
 まさか。いや、まさか。
 馬は向かう。上りかかった跳ね橋に。
「無茶よ!!」
 舌をかむ可能性を考えても、パトリーには言わずにはおれなかった。
「橋はあんなに上がってる!! 飛び越せられないわよ!!」
「黙ってるんだ。いいか、舌をかまないようにして馬にしっかりと掴まっていろ!!」
 オルテスはパトリーの言葉を無視し、たてがみを強く握る。
「おれを信じろ」
 跳ね橋はどんどんと迫り来る。橋は上がる。馬は走る。上りかけた橋を駆け、寸前で、
 ダンッ!!
 馬は跳んだ。
 青空の下、まるでペガサスが太陽を目指すかのごとく。
 見ていた兵士がどよめく。
 跳躍した瞬間、パトリーは自分の体が馬から離れて行くのを感じた。
 さっと顔が青くなる。
「――っ! きゃああああああ!!」
 だん!! 今度は重い音と共に、馬は向こう側へ渡りきる。
 パトリーは何とか、馬にしがみ付いていることができた。
 けど、その顔は蒼白で、寿命は多分、数年分縮んだ。
 降り立っても馬は止まらない。城を振り返ることもなく、パトリーたちは広場へ走ってゆく。
 その後を、ルースが飛んで追いかけた。


「な、なんて無茶をするのよ……!」
 街を走り、二人は追っ手を撒いた。
 さすがに馬は全力疾走でなく、パトリーも乗ることに少し慣れて、話すことができた。
「無茶じゃないさ。できると思ったからしたまでだ」
 はあ、とため息をついたパトリーの後ろ背に、ルースが降り立った。ちなみにパトリーの姿勢は変わらず、へっぴり腰で馬に沿ったもので、格好は悪い。おまけにドレス姿だからもっと格好悪い。
「ルース。きちんとパトリーの元へ行けていたようだな」
 と、オルテスはルースへと撫でるために片手を出すが、ルースはその指を突っついた。途端にしかめっ面となるオルテスである。
「そうよ。一体どういうことなの? あんな血の手紙出して、何があったの?」
「ああ……あれは時間がなくてな。厳しい追っ手がいて……まあ、とにかく、そのときはかなり危険だったから。こいつだけでも、と思って」
「……かなり疑問点はあるんだけど、それじゃあ、どうしてこの城で追われていたの?」
 オルテスは難しい顔をした。
「捕まったのを逃げ出してきたからな」
「捕まった? あの城に!? 一体どんなことしでかしたのよ……」
 国に関わるようなとんでもないことに違いない。
「まあ、とにかくいろいろあったんだ。話すと長くなるし、話していなかったことまで全部話さなくてはいけない。かなり面倒で、おれだってどこから話せばいいのかわからん。とりあえず今は、保留にしておいてくれ、全部」
 そう言われて納得出来る者は少ないだろう。
 けれども、仕方ないわね、と、パトリーは笑って、その通りにしようと思った。
「それにしてもパトリーは変わらないな」
 パトリーは思わず、オルテスへ目を向けた。
「変わらない?」
「そうだ。懐かしいほどにな」
 どこが、だろう。パトリーは思う。
 だってオルテスは、車椅子に乗っていた自分を知っていて。それだけでも大きく違うのに。
 知らないだろうけど、左腕の火傷もまだ残っていて。病気もあって、体はぼろぼろで。
 いろいろとあって。後悔があって。騙されたことがあって。辛いこともあって。存在価値を否定されたこともあって。
「どこが、よ……」
「全部だろう。そうだな、強いて上げれば、体が軽くなったのか?」
「……は……?」
「だめだぞ、どうせダイエットでもしたんだろう。変なことに拘らずに、食えるときに食っておけよ。肉でも野菜でも。倒れてからだと遅いぞ。肉食え、肉」
 パトリーは、くす、と笑った。
「変わらないなあ、オルテスも」
「そうだろ? おれは変わらないさ。パトリーもな。おれはおれ、パトリーはパトリーだろ。どんなことがあっても」
 それはパトリーの瞳を滲ませるのに十分な言葉だった。
 あの手紙に書かれたこと、それがオルテスの真実の気持ちだと分かって、それで十分だった。
 もう何もいらなかった。
 その言葉を聴くために、このキリグートに来たのかもしれない。
「ありがとう」
 小さく言った言葉は、多分オルテスに聞こえていた。けれど問いかけることなく、茶化すことなく、少し微笑しているように見えた。
 ここにオルテスがいる、と、パトリーはようやく安堵できた。




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