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 第26話 引かれる手に(2)


 日が昇った。
 長い、長い日の始まりだった。
 足の動かないパトリーはイライザに手伝ってもらって用意をしていた。さすがに相手は皇太子。パトリーは貸衣装屋でなるべく立派なドレスを借りて、着ていた。
 準備が終わったパトリーは、大分緊張している。
「そ、粗相のないようにしなきゃ……! よく考えたらあたし、皇族に会うの、初めてだったわ……」
 ノアは苦笑しつつ、緊張で強張っているパトリーの肩を叩いた。
「リラックスして、リラックス。ほら、仕事の大事な取引相手だとでも思えばいいんだよ」
「……そう言うノアは、慣れているみたいね。ノアって、本当にすごい貴族出身なのね。いえ、疑っていたわけじゃないの。何だか、そのグレードが思ったより高くて……。だって、皇太子殿下とお知り合いなんて、並みの貴族じゃありえないもの……。それにしても、美しい方だったわ」
 朦朧とした意識であったが、アレクサンドラの顔はよく覚えている。娟麗な美人。やっぱり、ほんの少しオルテスと似ている気がする。
「うん、そうだね。昔会ったときも綺麗な人だとは思ってたけど」
 簡単に同意するノアを、車椅子に座っていながら見上げた。
「ふうん、昔から知り合いだったのね。あ、まさか、ノアの本命の女性って、皇太子殿下だったりして?」
 ふざけて笑いながら言ったパトリーであったが、ノアの顔を見ると不快そうな表情だった。すぐ身近だから、その表情の細部まで見えた。
 ノアは少し離れた。
「……気づきたくないから無意識に気づかないようにして無自覚に言っているのか、それとも、解っていて俺をかわすためにそう言っているのか、俺にはわからないけどさ……。パトリーのそういうところ、俺は嫌いだよ……」
 驚いて、パトリーは反射的に言ってしまった。
「ご、ごめんなさい……」
「何が? 何を謝っているつもりなんだ? 俺が何を怒っているのかもわからないんだろう? それなのに、適当に謝らないでくれよ……」
 ノアはそのまま、部屋を出て行った。イライザも付いて行く。引き止める言葉も思い浮かばず、パトリーのひき止めようと伸ばした手が行き場を失った。
 ばさ、と飛んで、ルースがパトリーの肩に降り立った。


 何かを言いかけたイライザに先んじて、ノアは言った。
「わかってる。わかってるよ、俺が悪いって……でも、俺だって、腹が立つときだってあるんだよ……」
「子供っぽいことです」
 率直なイライザの言葉は、ノアに、ぐさ、と刺さった。
 扉を出てすぐの廊下。言ってしまって、それが我が儘で身勝手な発言だと気づいたから、居た堪れなくてノアは出てきたのだった。
 それにイライザはため息をつく。
「ねえ、殿下。少しパトリーさんの立場で考えてあげてください。もし私が、殿下がパトリーさんを想うくらい、それ以上に深く殿下のことを想っていたらどうします? はっきりと私が好意の意思表示をしなくても、殿下は私の素振りで、『もしかしたらイライザは俺のことを好きなのかも』とたまに考えるでしょう。でも、毎回『まさかそんなことはない』と、打ち消すでしょうね。その気持ち、わかるでしょう? パトリーさんもそれと同じようなものだと思いますよ」
 ノアに言葉はなかった。
 言っているイライザの表情はいつも通り淡々として……。
 ノアの視線に気づいたのか、イライザは苦笑する。
「何て目で見ているんですか。これはあくまで例えです。おねしょをいつまでしていたか知っているような相手は、範疇外ですよ」
「なっ! そ、その話はするな、って言っただろっ!」
 ノアは真っ赤になって、さも面白そうにイライザは笑う。
 パトリーの部屋の扉が開いた。パトリーが車椅子でノアを見上げた。言葉を言いあぐねているらしいが、ノアは廊下の先に目を向けた。
「……さ、もう城へ行こう」
 何かを言おうとしていたパトリーはその言葉を全て飲み込み、ええ、と答えた。


「久しぶりですね」
 その微笑に、オルテスも微笑して返した。
「これはこれはご機嫌麗しゅう。1年ぶりくらいか。何にも変わってないようで何よりだ、皇太子殿下」
 アレクサンドラは微笑を崩さない。
 その二人の表情だけ見たら、まるで親しい間柄の人間が、再会を喜び合う図だ。あくまで表情だけなら。
 アレクサンドラは扉を閉めさせて、座っているオルテスの側へ近寄る。
「一体今までどこにいたのですか? もう、ずっと探させたのに……」
「それよりこのおれの状況を説明してほしいんだが。リュインから、あんたがおれの願いを叶えてくれる、と聞いて、わざわざやって来たというのに。その相手にこの対応とは、あんた、こういう趣味があるのか?」
 オルテスも微笑を崩さない。そのオルテスは椅子に縛られている。手も後ろに回され、全く動けない状態だ。
「さあどうでしょうね。楽しそうではありますよ。――冗談はさて置いて。オルテス、わたくしが求めていることはわかりますね?」
 かつかつ、と歩いて、オルテスの周りをゆっくりと回るアレクサンドラ。
「わたくしとの結婚です」
「あんたもしつこいな。そんなにおれに惚れたのか?」
「ええ、あなたの誰よりも濃い血筋に。確かに、乱暴な手を使って呼んだのは悪いことでした。しかし、一度逃げた方を、来ると言っているとはいえ、信用しにくいのが当然でしょう。ねえ、わたくしの心を解っているのでしょう?」
 アレクサンドラは白い右手をオルテスの頬に這わせた。オルテスの視線はそれでもただ真っ直ぐだ。
「いくつか質問がある。おれの願いを叶える、と言う話は嘘か?」
「嘘? いいえ、本当ですよ。あなたの望みどおり、皇王の座を授けましょう」
 そのとき、オルテスの視線がアレクサンドラへ向けられた。
「わたくしと結婚して、あなたと二人で共同統治しましょう。真実を国民全てに明かせば、あなたなら、文句を言う人間はおりません。ダニロフ公が次代の皇王などと言う話も、簡単に消えるでしょう。わたくしが女皇、あなたが皇王として。
 ねえ、オルテス。わたくしも反省したのですよ。わたくしはあなたに一度結婚を遠まわしに打診して、あなたは逃げましたね。なぜ逃げたのか、わたくしなりに考えてみました。簡単なことでした。結婚したところで、あなたは女皇の夫という身分を手に入れるだけで、あなたはずっと望んでいた皇王の座を手に入れられないのですから」
 アレクサンドラは左手もオルテスの頬に這わせる。顔も近づけ、唇が重なるか重ならないかの場所で、囁く。
「わたくしが同情するのはあなたくらいのものでしょう。あと少し、あと少しで皇王の座が手に入る……そんなところで、全てを失ってしまったのですから。そして、考えもしない相手に、その座は回って。本当に同情しますよ。わたくしなら、とても耐えられないでしょう。だから、わたくしはあなたの望みを叶えてさしあげましょう。過去を水に流して。共に、この国の頂点へ……」
 アレクサンドラはオルテスに唇を重ねた。彼女の指はオルテスの頭の後ろへ回す。二人の同じ色の藍色の髪が混じりあい、どちらがどちらかわからなくなる。
 長いような、短い時間。
 唇を離したとき、アレクサンドラは、オルテスの全てを見透かすようにオルテスの表情、瞳を間近で観察する。
 それにオルテスは気づきながら、
「残念だな」
 と、疑問を呼ぶような言葉を言った。アレクサンドラは首をかしげた。
「手が自由なら、もう少し楽しませてやれるんだが」
 アレクサンドラはくす、と笑う。
「猛獣を檻に繋がず自由にして触れるということは、勇気でなく短慮、無謀と言います。今の、わたくしたちの時代では」
 二人は微笑みあっている。
 その二人はどちらとも、その微笑の裏にあるものを覗こうとしていた。どちらがそれに成功したのかは判らない。
「ふうん。もう一つ質問だ。おれの剣はどこにやった? あれはちょっと気に入っている。このまま盗ろうというわけではないだろう?」
「それなら、隣の部屋に保管しておりますよ。全てが終わったら、返して差し上げます」
 アレクサンドラはオルテスから離れ、部屋から出ようと扉を開けさせた。縛られているオルテスには見えない。
「あともう一つ。最後の質問だ。おれを捕らえた奴ら、あいつらはあんたの部下か?」
「いいえ、残念ですが。一時的に金で雇った者ですよ。あなたを捕らえるためだけに雇ったので、もうここにはいません」
「それは本当に残念だ。手合わせしてみたかったものだ」
 アレクサンドラはそのまま、扉を出て行った。
 オルテスは動けずに座ったままだ。部屋にいるのは、オルテスの世話をするように、と言付かった侍女のみ。命令されているのか、部屋を整えながらも、オルテスには近寄らない。声もかけない。
「おい、すまないんだが、飯を用意してくれ」
 オルテスが突然言ったことで、侍女はびっくりしている。
 何を突然言い出しているのだろう、自分の現状が分かっていないのか、との侍女の考えは顔に出ていた。それに構わずオルテスは言う。
「飯だ、飯。それとも俺を餓死させるわけではないだろう」
「は、はい……。けれども、ナイフは用意できませんので……」
「ふうん、じゃあ、スプーンとフォークだけか」
「はい……。それに、三人の兵士に見られながら、となります」
 オルテスはかすかに微笑んだ。
「……それで十分だ」


 キリグートという町は、古い街だった。セラと同じく、独特の伝統的なホイップ型の屋根の教会や建築物がよく見られる。建築物の鮮やかな色彩はすばらしい。そして、大通りは広かった。川に面して作られたであろう古都は、華やかであれど、エリバルガ国のような質実剛健さもある。夏のせいか、他国からの観光客も多いようだ。
 大きな広場があり、そびえ立つ皇王の騎馬像があり、その向こうにキリグート城が見えた。
 キリグート城は、背後に山々を備え、威圧感は十分にある城だった。横に広い印象だ。背後の山には、頂上が雪に覆われたものも見える。背後に山が控えられ、軍事的に守りのための城だったのだろう。確かこの城も、グランディア皇国初期に建てられたものだったと、どこかで聞いた。
 ノアは跳ね橋のあたりで、東の方角を見た。それは、夢でアレクサンドラが指した塔の方角。
 けれどそこには何もなかった。
 ノアはほっとした。やっぱりあれは夢だったのだと。……あの後壊された可能性もあるが、とりあえず、ノアの中で結論づいた。
 城内でいろいろ煩雑な作法を守り、案内された先はどこかの部屋で。「医師のいる場所までは後に案内します。お連れの方々はお帰り下さい」と言われて、ノアとイライザは帰ることとなった。医学的なことは秘されているのだろう。
 確か、この医師団というのが氷漬けによる不老不死の研究論文を出したところだ。とある厳しい条件下だと、氷漬けされても死なず、うまく解凍すれば生きているという。そんな役に立つのか立たないかわからないようなことを、不老不死の方法として研究している。
 国からの補助で、そんな荒唐無稽な研究をする。その点が不安になるが、この国で最高峰の腕を持つのは確かだ。
「じゃあ、パトリー。さっきのことは……悪かったよ」
「……ノアたちはこれからどうするの?」
「え、ああ、そうだな。しばらく同じホテルに泊まっているかな。明日にでも、また、来るから」
 パトリーはこくん、と頷いて、ノアとイライザが出て行くのを見ていた。
 残ったのはルースだけ。これはノアが預かろうか、と言ってくれたが、パトリーが預かることにした。頼まれたのはパトリーなのだから。
 残されたパトリーは部屋の内部を見た。
 置いてある青い像。花瓶。どっしりとした椅子とテーブルは、よく見ると細かい細工がある。上にあるシャンデリアは豪奢だ。
 窓際に寄ると、彼方まで広がる庭園が見えるのだった。噴水の規模も大きい。
 部屋にパトリーとルースだけが残されているので、静かだった。ルースは大人しくしている。
「嫌い、ね……」
 小さなパトリーの言葉にルースが反応して、キ、と鳴く。
「ああ、何でもないのよ……」
 そのときだった。
 扉が開かれた音がして、振り向いた先にいたのは。
「あ、こ、皇太子殿下……!」
 アレクサンドラはにっこり微笑む。
 今日の彼女はオレンジ色のドレスを着て、白い羽根でできた扇を持っている。
「こんにちは。よく来てくれましたね。わたくしが、医師のいる場所まで案内します」
 そう言うと、着いてきた鎧の兵士が、パトリーの車椅子を後ろから押した。
「そ、そんなっ! 皇太子殿下が自ら、そんなことを……」
 勝手に車椅子を動かされながらも、前を行くアレクサンドラに言うが、彼女は微笑んだままだ。
「わたくしを誰だと思っているのです?」
「え、……グランディア皇国皇太子アレクサンドラ様……」
「そうです。わたくしは、皇太子。この国で二番目に権力を持つ人間です。元老院にもどんな貴族達にも左右されません。どこで何をするのも勝手でしょう?」
 戸惑いつつ、パトリーは口をつぐんでしまった。
 パトリーは苦手かもしれないと思った。どういう人間かうまく把握できない。
 アレクサンドラの歩みは、思ったより早かった。機敏だ。何かスポーツでもしているのだろうか。
 話題がなくて、沈黙が降りた。焦ったのはパトリーだ。
 どう考えても、この場で話題を提供し、相手を朗らかな気分にさせる接待役は自分である。
「あ、あそこに置いてある、大きな壷、すばらしいですね! そ、それにそこに掛かっている絵も!」
「そうですか。城の中と外では印象が違うでしょう」
「はい。外からは城塞のような印象を受けましたが、中でいろいろ見ると、さすが、豪華ですね」
「そう、この城はもともと城塞として建てられたようです。550年ほど前に。それから、代々の皇王が改築を重ね、現在の形となったとか。我が国の歴史は古い。
 ……確かに初期は、野蛮で近親婚まで成立するような未熟な国家でした。しかし、この600年でこの国は成熟しました。この城がそれを象徴しているかのようです。今からわたくしが案内する、医師団の北の研究医療施設も、途中の改築でできたものです。知っていますか? この城は建築後、一度たりとも、他国の軍に攻められたことはないのですよ」
「それは知りませんでした」
「全ては魔法の恩寵ゆえです」
 魔法。その言葉に、パトリーはぽかんとした。
「ここは魔法の国です。この国は魔法使いによって守られているのですよ。だからこそ、かつてこの国は世界帝国とも呼べるほどの領土を手にできた。凍死するほどの寒い冬の年も生きることができた。そして、これからもとこしえにあり続けるでしょう。疑いますか?」
「い、いいえ……」
 アレクサンドラはにこやかに笑う。
 その表情を見て、パトリーはやっぱり、似ている、と思うのだった。
 オルテスのことだけではない。それも少しあるが、誰か、別の人に……。
「ここに飾ってあるものは、どれも国宝級のものばかりです。外側だけが立派で、中が空ではどうしようもないでしょう。しかし、その入手方法は、この国の長い歴史の中で、皇王自ら賭け事で手に入れたり、と、あまり誉められた方法でないものもあります」
 賭け事……。魔法……。その言葉を聞いて、パトリーの頭の中に浮かぶのは、
「……リュインさん……」
 だった。
 そう、アレクサンドラと似ていると思ったのは、彼だった。
 妙に丁寧な話し方、間の取り方、微笑み方。
 それに、アレクサンドラはぴくりと反応した。
「……リュインを知っているのですか?」
 アレクサンドラは立ち止まり、パトリーも止まった。
「は、はい。一度……確か、ミラ王国のカデンツァで……」
「そうですか。あれはわたくしの養育を手がけた者です。今はわたくしの右腕となっています」
 そう言えば、彼はグランディア皇国の高官だと言っていた。皇太子の養育を行って、右腕、となると、本当に高い地位を得ていたわけだ。
「リュインと出会ったときの、詳しいことを聞いていいでしょうか」
「はい。リュインさんとは、確か、オルテスと一緒のとき……」
「オルテス? オルテスですって? あなたはオルテスと会ったことがあるのですか?」
 アレクサンドラの反応はリュインのときよりも激しかった。
 今までの優しげな目の色とは違う。驚きと厳しい観察が混じったような眼差し。パトリーはそう感じた。
 そのとき。
 ガシャン、と、何かが壊れるような音が、前の十字路の右から聞こえてきた。
 すぐさま、鎧の兵士達はアレクサンドラの守りを固める。それはさっきまでパトリーの後ろを押していた兵士もだ。
 一人の男が、その十字路を走って横切った。
 藍色の長い髪の男。剣を手に、コートを翻し、走る男。
 見えたのは一瞬。だけどその姿は、パトリーには見逃すことのできない人のもの。
 それは、オルテスだったのだ。
 パトリーは唖然としていた。
 なぜ? なぜ、こんなところに、彼が……しかも、逃げるように走って……。
 真っ先に反応したのは、肩にいるルースだった。
「キキィッ!!」
 そう鳴いて、飛んだ。はっ、とパトリーは目を覚ました気がした。
「オルテス!!」
 その声に、オルテスは十字路まで戻ってきた。
「パトリーか?! どうしてこんなところで……」
 それは確かに、オルテスだった。間違いなく。別れたときとほとんど変わりない。
 オルテスは怪訝な顔で言いつつ、後ろから追いかける兵士に、ちっ、と舌打ちした。
 ばっ、とオルテスはパトリーへ手を伸ばした。
「来い!!」
 それはとても力強く。光の導き手のように思えた。
 パトリーは、何も迷わなかった。何の躊躇もなかった。
 その手を引くオルテスの元へ向かうため、車椅子の車輪を回した。




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