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 第24話 ダンスを踊りましょう(1)


 真っ白なテーブルクロスの敷かれた向こうで、老婦人が満足そうに微笑んでいる。
 目の前にあるのは、柔らかい子羊のソテーのオレンジソースがけ。それが運ばれる前にはトマトのスープ、サラダ、などといった前菜が並んでいた。皿の横にはスプーン、ナイフ、フォークが、正しく並んでいる。
 この後に登場する食事も想像がつくほど、正しい。今まで並べられたものは全ておいしく、これから並ぶものも間違いなくおいしい。
「そもそもこのような正しい料理の形式は、我がグランディア皇国で生まれたのですよ。伝統で我が国に勝る国はありません。我が国は冬に閉ざされることが多い。だからこそ、順々にできたての料理を運び、熱いうちに料理を食べるという形式が出来上がったのです」
 湯気の上がる子羊のソテーを前に、パトリーはにこやかに肯いている。
「やはり、グランディア皇国は奥深い文化が多いですね。伝統、格式で勝る国は、他にありません。あたしも世界を見てきましたが、やはりどこも浅いです。母国シュベルク国でも、グランディア皇国に憧れを持つ人間は少なくありません」
 その誉め言葉に老婦人はますます笑みを深くする。
 老婦人はグランディア皇国首都キリグートの近辺に所領を持つ、伯爵家の実質的当主。ポランスキー夫人だ。
 パトリーとマレクは、その彼女の昼食の招きに預かっていた。
 なぜ招待されたか、というと、パトリーの会社と契約を結んでいるためである。ポランスキー夫人は会社にとって重要な取引先の相手だ。他の社員も招待されたが、皆断っていた。格式高すぎて、それに恐れをなして。マレクも本当は行きたくなかったらしいが、副社長として行かざるをえなかった。
 マレクは皿が出されるたびにびくりと大きな体を震わせ、常時冷や汗がだらだらと流れている。パトリーに何度も何度も視線を寄越し、フォークやら何やら、いろいろと指示を求めている。
「ところで……本日話したいのは、契約のことなのです」
 にこやかにしていたパトリーは、その言葉を聞いて真面目な表情になった。
「私ももう年ですから、全て息子に任せようと思うのです」
「確か……お二人、お子様がいらっしゃるとお聞きしていましたが……」
「よく覚えてくださいました。ええ、確かに二人、息子がおります。どちらも四十を越えて、いい大人です。長男のスペシネフに継がせようと。ですから、契約の話も、新たに息子と話してほしいのです。もちろん、今後も似たような条件で契約しようと思っている、と息子とも話しております」
 パトリーはほっとしたようだ。
「スペシネフは……もう少ししたら領地から帰ってくるでしょう。しばらくお待ちいただいて構わないでしょうか」
「はい、こちらに問題はありません。契約の書類も持ってきてあります。それに、こんな美味しい食事を頂いて、文句のあろうはずがありません」
「ほほほ。コックを誉めておきましょう」
 気分よく笑うポランスキー夫人。
 ドォン、という爆発音が聞こえたのは、そのすぐ後だった。
 思わず音のあった方向の窓を、一斉に皆が見る。
「なっ、何ですか!!」
 ポランスキー夫人が顔を真っ青にして、唇を震わせた。
 爆発音は、小さい音ながらも連続して続いている。
 急ぎ駆けてきた侍従は、ポランスキー夫人に耳打ちした。
「トトレーベン! あの、馬鹿息子が……っ!」
 ポランスキー夫人の顔は、青から赤へと変わった。お年を召しているため、体が心配になるほど、ポランスキー夫人の怒り様は半端なものでなかった。
 パトリーもマレクも、思わず身構えていたのだが、連続する爆発音にだんだんと心配になってきた。爆発音は少し遠くから聞こえてくるから、危険が迫っているということではないようだ。
「事故ですか?」
 パトリーは立ち上がって、窓の外を見た。
 黒い煙が遠くで上がっている。
「ええ……自業自得の、です」
 嘆息するポランスキー夫人に、
「事故でしたら、人手は多いに越したことはないはずです。あたしも手助けしてきます」
 と、パトリーは扉の方へ歩く。ポランスキー夫人は、よろ、と立ち上がって、慌てて止めた。
「お、お待ち下さい。あれは、我が家のことで……」
「赤の他人がでしゃばるのを嫌うのはわかります。でも、あんな大事故で生死がかかっているような状況で、そんなことを言っている場合ではないでしょう!」
 そうパトリーは啖呵を切って、走っていった。
 慌ててマレクも追おうとした。ポランスキー夫人も行こうとして、年ゆえに人の手がなければろくに歩けない状況。マレクが彼女の歩く手伝いをして、パトリーにしばらく遅れた。


 事故現場は、草むら。そろそろ収穫の時期の豊かな畑に囲まれた、少し変わった広い場所。一つ大きな小屋があり、発火元はそこでなく、草むらの中央だった。どこから運んできたのかいろんな機材が周囲に置いてある。
 鉄くずの巨大な何かから、黒い煙が上がっている。何人か周りに人がいて慌てて走り回っている。
 走ってきたパトリーに、四十ほどの男がへらへらとした表情で寄ってきた。もみあげが特徴的で、鼻の高さなどは典型的なグランディア皇国の人間だ。
「あ、ポランスキー家から、救援ですか。いやー、面目ない」
「火事ですか!? 怪我をした人は……」
「ん? 私の腕の火傷くらいですかね。ほら、ここの小さなコレ」
 と、硬貨ほどの大きさの火傷を示す男。パトリーはほっとして、
「じゃあ、あれを消し止めるだけですね」
「いやいや、ところがあれは危険でね。エンジンが爆発してもおかしくないんですよ。素人に手を負えるものじゃない。だから今、消火隊を呼んでますから、近寄らないでくださいねー」
 パトリーは拍子抜けしてしまった。
「……あ、そうですか。じゃあ……あたしができることは、ないようですね……」
「わざわざ来てもらって悪いんですが。……ん? ここらの人じゃありませんね? あなたのような男装をした女性は、見たことがない。もしかして、外国の方? へーえ、南では男装するのが流行っているんですかな?」
 と、男はじろじろとパトリーのつま先から天辺まで見回す。
「は、流行っているわけでは、ない、です……」
 観察するような男からちょっと離れながら、パトリーは視界の隅で、消火隊がやってくるのが見えた。
「おー、ようやく来た。まったく、高い保険に入っているんだから、さっさと来ればいいのに。前よりも遅い」
「……もしや、こんな事故は何度もあったのですか?」
「日常茶飯事ですよ。やっぱりね、自動車を製作する、というのは難しいものですからね」
「自動車!? 自動車って……あの、馬なしで動く車!? 蒸気で動くとか……」
 目を輝かせたパトリーに、男はそれまでと違った、興味深そうなまなざしを向けた。
「へぇえ……。よく知ってる……。どこで知ったんですか?」
「前に一度、セラで。そんな車の見物会みたいなものがあって……。動いているのは見たことがないんですけど、図書館につっこんで燃えていたのは見たことがあります」
 パトリーは消火隊が水をかける大きな鉄くずのようなものを、きらきらとした目で見た。あれが車か、と、まるで魔法のじゅうたんを見るような気持ちで。
 男は大声で笑った。
「あっははは! なんだ、それか。それなら、私の車だ」
「あなたの!?」
「ああ、あのときは命からがら、助け出されて……図書館にも悪いことをしたよ。損害賠償はたっぷりしたけどね。あれは、ハンドルの不具合が原因でしてね。ハンドルと車輪を連動させる部品の……と言っても、わからないか」
 パトリーは曖昧に笑った。そのパトリーが、がくん、と足をついた。
「どうしましたか?」
 男が手を差し出して、力を入れてパトリーは立ち上がる。
「い、いえ……ちょっと、気を抜いただけで……」
 消火活動が終わりを迎えようとするころ、
「トトレーベン!」
 と一喝があった。発言主はポランスキー夫人。マレクに肩を借りて、ステッキを向け、額には汗の玉が浮かんでいる。
「お前は、お前は何度、何度こんなことをすれば気が済むのですか! 自分の年を考えたことがあるのですか! 嫁ももらわず、年がら年中、わけのわからないものを作って、何度も何度も事故を起こす! 今回はお客人にまで、こんな恥知らずなことを知られて!」
 ぽかん、とパトリーはポランスキー夫人の怒りの言葉を聞く。男は、弱ったな、という様子でポランスキー夫人をなだめようとしている。
「母さん、これは偉大なる科学の進歩のためなんだよ」
「お黙り!」
「そうだ、母さん。母さんに渡そうと思っていたものがあったんだよ。母さん、足腰が弱って、一人ではろくに歩けないだろう。だから、蒸気自動車の開発の傍ら、発明したんだけど……」
 トトレーベンは小屋の中から椅子を取り出した。
 それはただの椅子ではなかった。車輪二つ、側部に備え付けられている。
 パトリーが見る限り、面白いものだと思った。後ろに取っ手があり、別の人が押すこともできる。車輪を回せば、足を使わずとも動ける。なるほど、足が動かない人に便利そうだ。
「これなら移動しやすいだろう。どうだい、さあ、使ってみてよ」
「いい加減になさい! お前は、お前は、どこまで私に恥をかかせるつもりです……! 発明、発明、発明……! 新しいものばかり飛びついて、古き良きものを顧みることはない! まだ古代の魔法研究を行う方が立派だと、わかりませんか! グランディア皇国人として、情けない思いです! わけのわからないものばかり!」
「話を聞いてくれ、母さん。蒸気自動車だって、これからの世界を動かすはずなんだ。いつかこれは馬車に代わって、世界中を走り回るだろう。馬よりも早い速さで、四等馬車を持つよりも、これを持つことがステータスとなる時代が来るんだ」
「トトレーベン……これ以上私を怒らせて、憤死させたいの」
 ポランスキー夫人は後ろを向いて、帰ろうとした。
 パトリーたちも彼女についていき、トトレーベンは肩をすくめていた。
 ぜえぜえと辛い様子で歩くポランスキー夫人を見ると、さきほどの椅子を使った方がいいとパトリーは思った。
「恥ずかしいところをお見せしました」
 心底恥じている様子で、ポランスキー夫人は隣のパトリーに言った。
「あの阿呆は次男のトトレーベンです。いつもいつも蒸気自動車だとかわけのわからないものを作っています」
「発明家……なんですね」
「ええ。あんな子に育てたことを、後悔しています。あれにはグランディア皇国人としての美徳が全く備わっていないのです。いにしえからの知恵をばかにして、新しい胡散臭いものばかり飛びつく。……最近の若者は、かつて我が国が魔法を使って国土を広げた歴史をも、笑い飛ばしているとか。嘆かわしいことです。古きを重んじないということは、波打つ血、先祖の功をも否定することです。古きを忘れて、何があるというのでしょうか。
 トトレーベンが『眠れる皇子の伝説』や『戦場の魔法使い』といったグランディア皇国の古き伝統的な御伽噺すら知らなかったと知ったときには、育てた乳母を叱り飛ばしましたが……もう、あれには何も期待していません」
 パトリーは全てに同意してなかった。けど、何度も相槌を打っていた。
 パトリー自身としては、新しいものが好きだ。新たに生まれたものをいくつも見ると、時代を動かすうねりを感じることがある。今までと違う、これからは違う、と。変わってゆく明日に希望が見出せるのだった。知るということは素敵だ。
 古きものが大事だという考えもわかる。特に、ここがグランディア皇国だから、屈指の歴史を持つ国だと、それが誇りとなるのだろう。
 だが、子を否定する姿を見ると、心の中がうずいた。
 兄のこと、兄の言葉を思い出し、胸をかきむしりたくなるのだった。兄の言葉は、今もパトリーの中で鮮やかに毒々しく残っている。多分一生消えうせず、許すことはできないとパトリーは確信していた。


 館へ戻ると、そこにはポランスキー夫人の長男・スペシネフが帰っていた。
 次男のトトレーベンと顔の輪郭ともみあげが似ていた。口ひげがわさわさとあるので、見分けはつきやすい。
 スペシネフはパトリーの手をとって、口付けた。パトリーは手を離そうとしたが、スペシネフはねちっこくパトリーの手をつかんでいた。
「パトリー嬢、ですね。お近づきになれて光栄です」
「え、ええ……私も嬉しいです。早速ですが、契約の話を……」
「まあまあ、それほど急がなくてもいいでしょう。それより、どうでしょう。今夜、うちではダンスパーティを開くのですが、参加なさいませんか?」
 スペシネフはまだパトリーの手を触っている。動く指に不快感がありながら、パトリーは顔に出すことをこらえた。
「ダンス、パーティですか……」
「はい。グランディア皇国でも名高い貴族も呼んでおります。楽しい会となるでしょう。ぜひ、あなたにも参加していただきたいのですが……」
 ねちっこい視線がパトリーをからめとる。
 ちらり、とパトリーはマレクを見る。それは助けを求める目ではなく、マレクの考えを知るためのもの。マレクは黙って静かに見ている。
 パトリーは向き直し、スペシネフににこりと笑った。仮面をかぶったような笑い方だと、パトリーを知るものなら気づいたろう。
「ありがたく、お受けしますわ」


「入っていい? パトリー」
 扉を二度叩いた後、ノアは扉の向こうでそう言った。
「いいわよ」
 扉の向こうにいたパトリーは、女性二人の手を借りて、ドレスの着付けの最終段階だった。それらは全てその女性達に委ねて、パトリー自身は素早く慣れた手つきで書類にサインし続けている。傍らのテーブルには書類が積み重なっている。
 しかしノアの視線は、パトリーのいつもと違った、露出の多いドレスに注がれていた。真っ赤なそのドレスは胸元が開いている。薄く透けるほどの生地を何枚も重ねて、その赤は薔薇のように濃く強烈な印象を残す。左腕の生地の下には、包帯が見えた。まだ火傷が残っているのだろうか。さらに、頭はかつらをかぶっているのか、長い髪を結んでいる。
「それ……どうしたの?」
 ノアの指差す先を頭だと気づき、パトリーはそっと自身の頭を触る。
「ああ、これ? セラでつけられたやつよ。なんだかんだと、持ってきちゃってたのを、利用させてもらってるの。それより、ノア、呼ばせてもらったのはちょっと話があるからなの。……みんな、ちょっと外してちょうだい」
 そう言うと、パトリーの着付けなどを行っていた人たちは部屋を出て行った。
 ここは、ポランスキー家の客間。パトリーに用意された部屋だ。ちなみにノアたちは他の社員たちと一緒に召使の部屋をあてがわれた。
 パトリーは高速で書類にサインして、区切りのいいところでサインし終えた書類を整え、テーブルに重ねる。ノアが見れば、本当に全部読めているのだろうか、と思ってしまう。
 白い首筋は鎖骨から胸元まで露わになっていて、ノアは視線をそらした。そんなノアに頓着せずパトリーは近寄って、こそっ、と囁くように言う。
「あのね……強い薬をもうちょっと、わけてほしいの」
 ノアは眉をひそめた。
「頭痛はまだいいのよ。薬で大分抑えられるから。けど、足が……足の震えがひどくて、ときどき力を入れないと立てなかったり歩けないくらいで……。せめてこの舞踏会の間だけでも、しっかりと立っていたいから」
「辛ければ途中で出ればいいんじゃないのか?」
「そうはいかないの。仕事のお得意先だもの。招待してきたのは向こうだけど、これは接待みたいなものなんだから」
 そこまでする必要があるのか、と思いつつ、ノアはしぶしぶ頷いて、後で持ってくると言った。それを聞いて、パトリーは安堵したように、椅子に座った。
「よかった。あたしが倒れたら、他にいないしね」
「あれ? マレクも一緒に出るんじゃないのか? さっきも昼食招待されていたじゃないか」
「ん〜それがね。さっきの昼食で怯えちゃって……。もともと、うちの会社はこういう外交はあたしの役回りだからね。マナーとかが厳しいのはマレク、すっごく苦手だから。マレクほど嫌いじゃないけど、今回はさすがにあたしも憂鬱だわ……」
 ノアはきょとん、とした。
「どうしてさ。俺は好きだけど、舞踏会。最近出てないから、パトリーが羨ましいよ」
 全てを照らすシャンデリア。その下でくるくる踊る男女。煌びやかな衣装。ウィットに富んだ会話……。陽炎のような儚い、夢のような世界……。
 パトリーは何かを言いかけて、少し苦笑気味に微笑んだ。




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