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 第23話 戒めの自我(1)


 セラからパトリーが出て、一月が経とうとしていた。
 もう、日の長い夏だ。それでもかほど暑くないのは、ここが極寒の国と呼ばれる場所ゆえ。頻繁に山々を見るが、頂上の雪が溶けそうにないのも多い。
 パトリーと会社の社員たちとノアとイライザが一緒に行くことになって、大所帯はさらに大所帯となった。
 とりあえずパトリーは副社長を二人に紹介した。
「こちらがあたしの会社で副社長をしている、マレク。あまり人とつきあうようなことはしないんだけど、有能な人なのよ。あたしの尻拭いみたいなことさせちゃうことも多くて、頭が上がらないの。会社では……そうね、影のリーダー、みたいな感じかしら」
 マレクは小さく首を振っている。
「表も影も、シャチョーさん、リーダー」
「……まあ、こんな風に謙遜がすぎることが、玉に瑕かしら」
 パトリーは笑って、次にノアたちを紹介し始める。
「こちらはノア。エリバルガ国から一緒に旅した友達よ。イライザは、そのノアの護衛をしてるの。とっても強いのよ」
 マレクとノアは笑顔で握手した。
 マレクは一歩引いているイライザに手を出そうとしたとき、ん? と首をかしげた。そしてイライザをじっと見つめる。
「イライザ……イライザ……?」
 イライザはきょとんとした。
「あの、前にお会いしましたか?」
 マレクは首をかしげ続ける。
「イライザ……あ! ナンバー143!」
 イライザの表情ががらっと変わった。
 いつもの冷静な表情から、こわばったものへ。
 彼女が後ろで担いでいる双剣へ手を伸ばしたとき、
「どうしたんだ? イライザ、知り合いか?」
 と、ノアが尋ねたことで、イライザは伸ばしかけた手を引っ込めた。
 マレクもしまった、という顔で口に手を当てていた。
 パトリーは尋常でない二人の顔を見て、
「あ、あ〜、ノア、他の人も紹介するわ」
 と、イライザをおいてノアを別のところへ連れて行こうとした。
 だが、イライザはついてきた。
「イライザ、もうちょっと話していていいのよ?」
「いえ……私はノア様の護衛です」
 硬い表情でイライザは言った。マレクもその場で、困ったようにパトリーに笑う。それを見て、パトリーは何も言わないことにした。
 野宿の準備をしている他の社員たちの元へ案内しようとしたととき、パトリーは違和感に気づいた。
 イライザが不自然なほどに離れて後ろからついてくるのだ。いつもならばすぐ後ろで、話しかければ伝わる位置なのに。
 ちらちらと後ろを見るパトリーに、呼びかけるようにしてイライザは言った。
「お気になさらず! この位置ならノア様の護衛の任務はできますので!」
 立ち止まっているというのに、イライザは近づこうとしない。
「ノア、イライザはどうしたの?」
「知らないよ。この前から、ずっとこうだ。こっちから話しかけない限り、話しかけてこないし」
「何かしたの?」
「してないよ、何も」
 ノアはむくれている。
 パトリーはちらりと振り返り、イライザの表情を見た。冷静なその表情はその内にある感情を表していない。
 気がかりに思いつつ、パトリーは他の社員たちをノアに紹介した。
 その時ばかりはイライザも近寄ってきた。
 紹介し終わると、すぐに離れようとするイライザに、ノアに聞こえない声で話しかけた。
「イライザ、何かあったの?」
「……いいえ。何でもありません。私のことはどうぞお気になさらず。お二人で楽しくお話下さい。私はしがない護衛にすぎないのですから」
「どうして? どうしてそんなこと言うの? ただの護衛と雇い主の関係じゃないことは、あたしも分かっているのに」
 イライザは眉をひそめた。
 確かにそうだが、何か表面的な言葉だけでない、含むものを感じたからだ。
「どういう意味でしょうか……?」
「もう、しらばっくれなくてもいいのに。いつも一緒にいて、いつも何でも理解しているような感じで。あなたたち、好き合っているのでしょう?」
「何ですって!?」
 イライザが声を荒げた。
「ちょ……誤解がすぎますよ! パトリーさん!! ノア様は……!」
「どうしたんだ?」
 声を荒げたイライザに、ノアが声をかける。
「……っ! とにかく、それは誤解です! 迷惑ですから、そんなこと考えないでくださいよ!」
 イライザはさっさとその場を去った。
 憤然と立ち去ったイライザを、ノアとパトリーは顔を見合わせながら、眺めていた。
 

 パトリーの言ったことは、事態を悪化させたらしい。
 イライザはノアと目も合わせなくなった。もちろん話もしない。何か言われても大概が、はい、いいえ、のどちらか。何故、何、どこ、といった質問は、端的に答えるか、むっつりと黙る。距離は離れるばかり。
 露骨なそれらの拒否行動に、ノアはついに怒った。
「何だよ! 俺に何か言いたいなら、はっきり言えよ! そんな遠回りなことせずに!」
 晩飯の準備の為、木の枝を拾いに森の少し入ったところで、後ろからついてくるイライザに叫んだ。
 パトリーは止めるべきか迷った。イライザは少し考えていたが、答えない。
「あ、そう! もういい! イライザ、護衛の仕事はクビだ!」
 あまりに急な言葉に、パトリーはフォローを入れようとしたが、ノアは宣言したっきり、森の奥へと進む。
 一度だけ、イライザの方へ振り向いて、
「もうついてくるなよ!」
 と怒りながら大股でがさがさと音をさせて歩いていった。
 パトリーはちらりとイライザへと振り返りながら、ノアの方へ走った。
「ノア!」
「……パトリー、病気なんだから戻って休んでて」
「今は調子がいいのよ」
「そういう行動は……」
「今はそれより、ノアとイライザのことでしょう!」
 むっつりとした表情のノアは黙った。
「クビだなんて! 今すぐ謝って、ただの冗談だ、って言ってこないと!」
「……イライザはどうせ、俺の護衛に辟易したんだよ。だから、あんな態度を……」
「そんなわけないじゃない! それはノアが一番よく知っているでしょう!」
「じゃあどうして! 何故あんな態度を取るっていうんだ!?」
 パトリーはうなだれた。
 自分のせいだ。何がいけなかったのか分からないが、十中八九自分のせいだ。
 ちょっと前から、二人がそういう関係だと考えていたのは本当だ。いつも一緒で、ただの護衛とは思えないほど親密で、何でも話せるような関係で。明らかにそういう関係だと思ったのだ。それに気づかなかった自分が、迂闊だと思ったほどで。
 指摘したのが拙かったのか。もしや、まだお互い気持ちは確かめ合っていないとか……?
 そもそも、パトリーはイライザのことはよく知らない。ノアを大事に思っていて、命がけで守ろうとするのはわかるのだが、彼女の背景は知らないのだ。たとえば家族や、国や、これまでの人生など。彼女はそういうことは語らない。ノアも話さないが、イライザが話さないのとは事情が違うようだ。
 名門の騎士の家出身で、子供のときからノアを守っていたのだろうと思っていた。だが……マレクが知っていたということは……。
 そこで、パトリーはそれを考えることをやめた。これ以上推測すると、イライザの奥深くまで、勝手に入り込むことになりかねない。
 直面している問題は、イライザが離れているということだ。そして、更に離れた。ノアとイライザ、二人の詳しい関係や心の機微がよくわからないが、とにかく、自分の発言が悪化させたのには違いない。
「あたしのせいだわ……イライザに、余計なことを言ってしまった……」
「余計なこと?」
 ノアは問いかけてくるが、パトリーには言えなかった。同じ轍を踏むつもりはなかった。それに、何となくではあるが、ここで二人を恋人同士だと思った、とノアに言おうものなら、イライザに言うよりもとんでもないことになりそうな気がしたのだ。
 さやさやと深緑の葉が揺れるばかりだった。


 マレクは荷馬車の中にいた。
 運ぶ荷のチェックだ。片手に荷の内容が書かれた書類を見つつ、暗い荷馬車の中できちんと正確にあるか確かめていた。
 一瞬、マレクの背後でぎらりと何かが光った。
 後ろから振り下ろされる剣。マレクは身近にあった布を手にとって広げて投げた。後ろの人物は、一文字に布を切る。切れたその隙間から眼が見えた瞬間、マレクへと布ごと剣が振り下ろされていた。
 ガッ、という音がして、剣は防がれた。布を投げた隙に手に取った、棒によって。
 マレクの目の前にいるのはイライザだった。
 イライザは二つの剣で切りかかる。相手に休む暇を与えない、すばやい動きで。
 素人業ではない棒術で、防戦一方で退いていくマレク。
 手近にある酒のビンを取ると、イライザめがけて投げた。
 イライザが顔をそらさないはずがない。紙一重でかわしたとき、イライザの体が崩れ落ちた。マレクが足をすくったのだった。
 イライザは片手で手をついた瞬間、もう片方の手に持っていた剣を、至近距離のマレクめがけて突き刺すように投げた。
 これもまた、紙一重でマレクの顔の左の奥にあった木箱に剣は突き刺さる。マレクの頬に一筋傷ができる。必然的に右へ動くマレクへ、イライザは勢いよく、片手で支える不自然な体制のまま、蹴りを入れた。マレクの顔は左の剣へとぶつかり、
「ぐぅっ」
 と、マレクはうめいて、頬と口から血を流した。
 イライザは立ち上がる。
 マレクは口元をさすりながら、剣の突き刺さった木箱を見た。
「……高い酒、もったいない……」
 剣の突き刺さった木箱からは、中から液体が漏れ出し、ぽたぽたと落ちている。
「なぜ、その剣を抜かないのです」
 発したイライザの声は、荒い息を抑えるように努めた静かな声だ。
 イライザはもう一本の剣を手にして、すぐさま切りつけることも突き刺すこともできるように構えている。マレクはこれを抜かなければ身が危ないことを自覚しつつも、立ち上がってもその剣を抜かなかった。
「剣、もう持たない」
 イライザはマレクの眼を見つつ、慎重に自分の剣を抜いた。
 マレクはイライザに背を向けて、破損したものなどを調べ始める。
「なぜ。私を殺すのでしょう」
 マレクは首を振る。
「あなたは、組織の手のものでしょう。裏切り者に死を与えるのは掟だったと思いますが」
 マレクはまたも、首を振る。
「狙いは何です。こんなところで副社長? ……パトリーさんを殺すつもりですか」
 マレクは首を振る。
「もう、ない。もう、組織ない」
 イライザの纏う張り詰めた空気が、少し揺らいだ。
「いつ、どうして」
「二年前。……抗争があった。ほとんど死んだ。生き残った、みんな、ばらばら。組織、もうない。だから、ナンバー143……イライザ、安心」
 イライザはずるずると体を落として、座り込んだ。
「組織が、ない?」
 不思議だとイライザは思った。今こそ喜ぶべきときだというのに、自分の内からはそんな感慨は沸き起こらなかった。木の葉が池に落ちて生じる波紋ほどの揺らぎも、イライザの心の内には生じない。よかった、とも、ああ、とここで言うのも、まるで演技するような気がした。
 黄ばんだ布に覆われた荷馬車の中は、黄ばんだような陽光が差す。
 二人は影の部分にいた。
 座りこけるイライザを尻目に、マレクは荷を片付ける。
「ではあなたは何をしているんです」
「パトリー貿易会社で、副社長」
「……これはまた、全然違う職種ですね」
「……二年前、シャチョーさん……パトリーに、拾われた。……だから……。イライザは?」
「ノア様の、護衛です」
 マレクは振り返って、動物のような丸い目で、笑った。
「面白い道」
 それはあなたのことでしょう、とイライザは思いつつ、影の中で、まぶしく日のあたる方向を見ていた。目を細めて、そして一度目を伏せた。




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