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 第20話 揺れ動く心、現実(1)


 イライザの眠りは浅い。護衛のためにノアと同じ部屋で座りながら、何枚も毛布をかぶって眠っている。何枚も毛布を重ねるのは、グランディア皇国では昼夜の寒暖の差が激しいためだ。
 その彼女が、ばち、と暗闇の中、目を覚ました。
 すばやく立ち上がり、後ろに背負っている双剣に手をかけ、ノアの前で気を張る。
 気配に気づいて、ノアも目を覚ました。ぶる、と身を震わせたノアは、今にも剣を抜こうとしているイライザに小さな声で問う。
「賊か?」
「……隣の部屋から、悲鳴が聞こえました」
「隣? 隣ってまさか……パトリーの部屋か!?」
 イライザは周囲に気を配りながらうなずく。
 ノアは靴も履かずに、パトリーの部屋へ走った。イライザのとめる間もない。
 夜中、ノアはためらうことなく、パトリーの部屋の扉を開けた。
 暗闇の中、泣きじゃくるパトリーの声が聞こえる。
 ノアは駆け寄った。ベッドに座って泣いているパトリーの背をなでて、落ち着かせようとする。もちろんノア自身も混乱して、慌てて、
「どうしたの、パトリー、どこか痛いの? 盗賊が入ってきた?」
 はやる気持ちを必死に抑えつつ問う。パトリーは首を横に振るばかり。
「誰かに……襲われた……わけではないようだ、ね。パトリー、どうしたの? ゆっくりでいいから話してみて」
 パトリーは首を振ってばかりだった。しかし、ぽつりぽつり、と話し始めた。死神が、暗闇が、と。
 支離滅裂な話を統合すると、悪夢を見た、ということだった。
 ノアとイライザはほっとした。けれども泣きじゃくるパトリーをほっておくことはできず、その後2時間ほど、パトリーをなだめ続けた。


 ノアはおかしいな、と思い始めていた。
 何が、というと、パトリーのことである。最近、精神が不安定だ。
 落ち着いているときは落ち着いているのだが、落ち込んでいるときはすごく落ち込んで、楽しいときはあまりに明るい。
 セラからの旅は、三週間経つ。
 がらがらと馬車の車輪が回る。パトリーはひじをつきながら窓から山嶺を眺め、思いついたようにつぶやいた。
「ランドリュー皇子……どうしてるかしら」
 油断していたノアは、ぶっ、と吹き出した。
「な、ななな、何、急に!」
「ええ? ちょっと……最近、考えていてね……。あたしがセラに誘い込まれて結婚しそうになったのだから、もしかしたら、セラに皇子がいらっしゃったのかしら、と思って。同じ街で、どこかですれ違っていた可能性もあったのよね」
「…………」
「あたしが逃げ出したことで、どんな風にお思いになっているかと考えると……」
 はあ、と深いため息をつくパトリーに、視線を合わせずノアが言う。
「……そんな、気にすることないと思うよ。うん」
「そういえば、ノアは皇子の友達なのよね。一度聞いておきたかったの。ランドリュー皇子ってどんな方?」
「ど、どんな? どんな……どんな……」
 ううん、と、うなってノアは考え込んだ。それを見てイライザは笑いをかみ殺している。イライザの様子には気づかず、パトリーは勢い込んでノアにうきうきと言う。
「やっぱり皇子なんだし、カボチャパンツのようなもの、はいているのよねっ!」
 それを聞いた瞬間、ノアは固まった。固まった口から、何とかその単語を搾り出して反復した。
「カ、ボチャパンツ……?」
「そう! それで白いタイツをはいて。頭はカールさせて、王冠かぶって!」
 ノアは頭を抱え込んだ。
 イライザは肩を震わせて笑っている。
「パトリー……あの、大分間違っているよ……?」
「え? 絵本とかで見た皇子様はそんな格好だったわよ?」
「あの……あのね……」
 まさかそんな姿だと誤解したことが理由で結婚を渋ったのではあるまいか、とノアは一瞬考えた。ちなみにノアの姿は、一般的な貴族が着るような、軽妙洒脱な服装である。光物はピアスのみで、変に目立つようなものではない。決してカボチャパンツとタイツなどではなく、ズボンをはいている。頭は一筋三つ編みが長く垂らされているが、時代遅れのカールなどさせていないし、王冠もかぶっていない。
「パトリーさん……皇子と言えど、そんな格好はさすがに……」
「えええ! していないの?」
「しているのは、さすがに儀式などのため、年3、4回ですよ」
「イライザ――!!!」
 ノアは真っ赤な顔をしてイライザに迫った。
「本当のことではありませんか」
 イライザは食って掛かるノアを少しも気にしないかのように笑っている。
「だからってなぁ!!」
 真っ赤な顔のノアは小声で叫ぶ。
「? なんだかよくわからないけど、あたしは死ぬまで見れなさそうね。残念だわ。死ぬまでに一度、見てみたかったんだけどな……」
 目を伏せたパトリーを、ノアは何度目か、不審に思った。


 その日の宿は、谷の村だった。山々に囲まれた川沿いの村で、風が常に音をたてていた。
 パトリーはノアから受け取っていた薬を片手に、ため息をついていた。
「パトリーさん、ちょっとよろしいですか?」
「はい?」
 入ってきたのは、イライザだ。パトリーの持っていた薬を目にとめると、
「体の方は……大丈夫ですか?」
 と尋ねた。
「ん? ……ええ。ノアのおかげでね」
 静かな空気が流れた。窓をガタガタと揺らす風の音だけが、その場を支配している。沈黙に焦ったのはイライザだった。パトリーはぼんやりとしていた。
「あの……その、パトリーさん……。最近、何か、ありましたか?」
 おずおずと言うイライザに、パトリーは少し目を見開いた。
「もしかして、あの新聞のことですか?」
 あの新聞……それは、パトリーがわざわざシュベルク国から仕入れた新聞だった。高級紙ではなく、三流紙の、根も葉もない噂記事に混じってのものであったが、ショックを与えるのにじゅうぶんなものだった。
 内容は、パトリーとランドリュー皇子の結婚が『延期』となった、というもの。
「『中止』ではなく『延期』となっていた、という記事……その記事が本当だとすれば、裏で動いたのは、間違いなく、シュテファンどのでしょう」
「やめて」
 パトリーは顔を背けた。
「彼は結婚を諦めた、というわけではないようですね。どうにかして、もう一度結婚させるチャンスを狙っているのでしょう。もしかしたら、追ってきているのかもしれませんね」
「噂にすぎないわ。三流紙の記事にしかなかったのよ? 他の貴族が読むような高級紙では、一行たりとも載っていなかった」
「それはそうでしょう。そもそも婚約すら正式に発表されたものではありませんからね。確かに三流紙のみですが、私は信憑性があると思いますよ。シュテファンどのなら、『中止』でなく『延期』としかねない。パトリーさんの意見も、ランドリュー皇子の意見も差し置いて。あの人なら……。ノア様も同じ意見だと思います。
 そもそも、どうしてパトリーさんがシュテファンどのと約束をして、それを守られると思ったのか、それすら不思議でなりませんよ。私はたった一度しかお会いしていませんが、あの人ほど言動一つ信用できない人はありませんでしたよ」
「あたしだって……あたしだって、わかっていたわよ……! 兄妹だもの、16年、兄妹やってきたのよ。冷徹な人だって、わかっているわよ。でも、兄妹なのよ。一度は怒ったわ。でも三週間、冷静になって考えれば考えるだけ、思い出を思い出すだけ、シュテファン兄様が約束を破ったことが、信じられなくなったの。姉様たちを不幸せな結婚をさせた人だってことは知っていても、どうしても、信じられないの。そこまでして、あたしの意思をまったく無視して、ただ家のために結婚させようだなんて……」
 パトリーはうつむいて顔を押さえた。
 かつて満月の夜、微笑んだ兄が。その兄が、本当に裏切ったのかすら、疑わしく思えてきたのだ。
「それこそまさしく、私にはシュテファンどのがパトリーさんの意思をまるっきり無視して結婚させようとしていたようにしか見えませんでしたが」
 現実を見ないように見えるパトリーに、イライザは鋭い言葉を緩めなかった。
「パトリーさんは一度もセラでシュテファンどのに会わなかったから、そんなことを言うのでしょうね。あんな発言を聞いて、今と同じことは到底言えませんよ」
「……ねえ、ずっと気になっていたんだけど、どうしてノアとイライザはセラでシュテファン兄様と会って、話をしたの? シュテファン兄様とどういうつながりなの?」
 イライザは口ごもった。
「それは……何度も言ったでしょう。ノア様の安全に関わることですから、素性などについては言えないのです」
「じゃあ、シュテファン兄様は何と言ったのか、それくらい教えてくれてもいいんじゃない? そこまで悪印象を与えるような何を言ったのか、教えてほしいわ」
 またもやイライザは口ごもった。
「……言えません」
「どうしてよ。夢もさめるようなことなんでしょう? 聞かせてもらって、何が悪いの?」
「……ノア様とも話し合いました。それだけは、絶対にパトリーさんには言わない、と」
 何よそれ、とパトリーは独り言のようにつぶやいた。
 疎外感やいろいろな感情から、パトリーは涙をぽろりとこぼした。
「結局、あたしは蚊帳の外? 当事者のあたしが何も知らなくて、ノアやイライザの方が知っているような顔してるのね」
「そんなつもりじゃ……」
「あたし、あたし、そんなに信用ない?」
 パトリーは決して何も話さないノアとイライザのことを思った。そして、その背後にオルテスも。
 彼らは皆、肝心なことは話さなかった。完全に、壁ができあがっている。パトリーがそちらへ行くことはない。彼らが信じてくれない以上。そして、時間的な問題からも。
「そんなことは……ないんですよ。ただ……」
 次に言いかけた言葉はパトリーが聞くことはなかった。イライザは言葉を切って、ハンカチを取り出しパトリーに差し出したからだ。
 パトリーは遠慮なく受け取ってふくと、少し気分が落ち着いた。
「本当に、大丈夫ですか? 最近、精神的に落ち着いていない様子ですよ」
「……ええ。わかってる」
 わかっている。自分が死ぬ、とわかっていて、どうして落ち着ける人間がいるのだろうか。いつ死ぬか知れない恐怖。眠る前には、これが永久の眠りになるかもしれない、と思う恐怖。死ぬ前に何かをしなければという焦りと恐怖が同居し、パトリー自身にも、もうどうしようもなかった。
 死ぬ前だからこそ、兄が裏切っていない、と思い込みたかったのだろうか。最期くらい、最期くらい、信じていたい。
 なるべく笑顔の自分をおぼえてもらいたいと思いつつも、頭にはいつも死が横切る限り、表情は凍りつく。
 こんな自分をどうすればいいのか、制御できない。
 イライザは再び泣きかけたパトリーの頭をなでた。
 それにパトリーは息をのんで、目をぱちくりとさせた。
「誰も、パトリーさんを信用していないわけではありませんよ。特に、ノア様は。今、何に頭を悩ませているのかは聞きませんが、時には人に甘えてみてはどうです? 何も言わない私達が言う筋合いではありませんが、ノア様はずっと心配なさっておいでですよ」
「ノアが……?」
 パトリーが顔を上げた。
「はい。ノア様はパトリーさんが落ち込んでいると同じように落ち込んで、パトリーさんが嬉しいと同じように嬉しそうになさる方ですから。私は実は密かに、ノア様とあなたが結婚してくださることを、望んでいるのですよ」
「いやね、イライザったら」
「冗談にしたいなら、今はそれで構いませんけれどね。あの人とは違って、意思を無視するつもりはありませんから。とにかく、ノア様にだけは、少しでも話をしていただきたいのです。パトリーさんの様子に最初に気づかれたのはあの方ですし、心配して、でも何も言えずにいてそんな自分に落ち込んでいるところですから。
 別に、無理に元気にしたところを見せるように頼むつもりはありませんよ。悲しければ悲しい、と。嬉しければ嬉しい、と。そう誰かに言うだけで、心は軽くなるものです。パトリーさんはずっと一人で考え続けているようですけれども、一度心を預けてみてはどうでしょうか。きっと思ったよりも楽になると思いますよ」


 その日の夕飯。
 宿屋の一階で、三人はテーブルを囲んでいた。
 パトリーの体は、パトリー自身からすると今日は具合がよかった。中にいろいろ詰め込まれた揚げたパンと、赤い温かいスープ。スープはこってりとして具沢山で、味からしてその赤さはトマトのためではないようだ。
「ようやく、セラからキリグートへ半分、といったところかな。意外と時間がかかったよ」
 ノアは苦笑しつつも、優雅にパンを食している。
 パトリーはいつになく、じっとノアを見つめていた。
 ……不思議な人物だと、前々からパトリーは思っていた。どうしてここまでしてくれるのだろう、という問いを何度ぶつけようと思ったことか。
 エリバルガ国で初めて出会ったはずなのに、まるで自分の人生に深く関わっている人物のような気がするのだ。ときどき彼の素性を考えるけれども、あと一歩のところでわからない。そもそも貴族だという前提からして、どこか間違えているような気がするのだが……。
 静かに考えてみれば、素性はどうでもいいのだ。それを頑なに言わないことが、悲しいだけで。
 それでも、ノアは優しくしてくれた。死を隠しても他人である自分を看病し、こうしてついてきてくれている。側にいてくれる。
 ……すがるような手を伸ばしても、ノアは握り返してくれるだろうか。
 近づいても、拒否しないでいてくれるだろうか。
 淡い期待と極端な怯えとがパトリーの中に混じり合っていた。
「……? 俺の顔に、何かついてる?」
 ノアが戸惑ったように言った言葉に、パトリーは自分がずっと凝視していたことに気づいた。
 異性の顔をじっと見つめる。
それが周囲にどう思われるか。現にイライザは意味ありげに二人から視線を逸らしている。しまった、とパトリーはイライザの意味ありげな表情を見て瞬時に思った。
「ごっ、誤解! 誤解よ!」
 言ったところで、イライザの目が変わることはない。自分でも、誰かが異性の顔を見つめていれば、そういう誤解をしてそういう表情をする。弁解は逆効果でしかないようだ。
 恥ずかしさのあまり顔を赤くして、それを隠すようにすばやくパトリーは立ち上がって、「先に眠るから」と、食堂を出て行った。
 赤い顔のパトリーと、残ってぽかん、としているノアを、少々満足そうにイライザは見ていたが、
「……パトリーが急にいなくなったけど、俺の顔に、やっぱり何かついてる?」
 と、ノアが鈍い発言をしたもので、イライザはいろいろな言葉を押し殺すために二、三拍ほど黙って、盛大にため息をついた。
 

 本当はそんなに眠るつもりはなかったのだが、ベッドに横たわっていたら数時間眠っていたようだ。
 パトリーが夜中目覚めたのは、鳥の鳴き声の為だった。
 風は更に強くなり常にがたがたと窓を揺らし、部屋自体がきしんでいた。その中で、鳴き声はよく通っていた。
 ぼんやりとした頭を振りながら起き上がると、鳥声は隣の部屋から聞こえた。それは独特な声音で、澄んでよく通る、パトリーの聞いたことのないもの。
 それや風の音に混じって、怒鳴り声も聞こえた。
 イライザとノアの喧嘩しているような声だった。
 その二人だと気づくと、パトリーはぼんやりとしていられなかった。彼らが真剣に怒鳴りあっているなんて、尋常なことではない。
 パトリーは立ち上がって、部屋と部屋をつなぐ扉の前に立った。
 風の音のためにあまり聞こえない。断片だけ。
「…………パトリーさんと共にセラから……のはどうしてですか!?」
 自分の名前が聞こえたことで、ノブへ伸ばした手が止まった。
「これ以上……な言い訳があると!?」
「………ことはない!! 俺は……俺がパトリーと共についてきたのは、ただほっておいて野垂れ死なれたら少し夢見が悪いから! それだけの理由に過ぎない!」
 ノアもイライザに劣らず、叫び返していた。
「本気でおっしゃるのですね!?」
「ああ! パトリーなんてどうでもいいんだ! どこでどうしようとも! 病気だと知らなければ、もうとっくに別れてせいせいしていただろうよ! 何にも関係のない他人なんだから!」
 風の音が少し弱まっていたせいか、ノアの声がよく聞こえた。
 ドアノブに伸ばした手は、ゆっくりと雪が降り積もるように自然に下りていった。
 ……ショックを受ける筋合いではない。
 確かにノアは他人で、何の関係もない。看護を受けて、本当は嫌なんじゃないか、と申し訳なく思ったこともある。
 それがその通りだっただけで。
 ショックを受けることではないのだ。
 ……そう、感情を割り切れたら、素敵だろう。
 とても、素敵だろう。
 それでも、あんなふうに苦痛に思いつつも傍にいてくれたなら、感謝すべきことだ。
 メモ用紙に、少し走り書きをした。本当はもう少し長く書きたかったのだが、震える手はそれを許してくれなかった。
 旅支度は常にできている。それらを持って、パトリーは静かに部屋を出て行った。
 別れの言葉は簡潔だった。
『今までありがとう。さようなら』
 それをノアとイライザが読むのは、まだ少し先のことだった。




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