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 第19話 輝ける新月(3)


 パトリーの部屋を出たノアは、少しだけ難しい顔をして、自分の部屋に入った。
 中にいたイライザは、その表情に気づき、問いかけた。
「何かありましたか、パトリーさんに」
「うん……病気のことをね、話したんだ」
「病気……やはり、ただの病気ではなかったんですね」
 ノアはイライザを意外そうな顔で見た。
「どうして気づいたんだ?」
「殿下の看病がずいぶんと手厚かったですから、もしかして、と」
「そうか、俺のせいかな。パトリーも、気づいていたようでさ。全部話して、って言われたから、話せることは話したけど……」
 その裏の意味をイライザは察して、言葉を継ぐ。
「話せないことは話さなかった、と」
「……そう」
「よろしければ、話してくださいませんか。看病のことなど、私も気をつけるべきことがあれば、知っておいた方がいいかと思いますが」
「……この奇病は、症状がゆっくりと進むものだから、突然発作で亡くなる、ということはない。でも、発症からこれくらい経つと、本来症状はもっと重い。それを薬草や煎じた薬で和らげている。だから、食後、薬を渡してパトリーが飲み忘れないようには注意してくれ」
「はい、わかりました」
「あと、体になるべく負担はかけさせないことだな。本当は馬車も使いたくないんだ。けど、そうでなきゃキリグートへ行けないし……」
「あの、今さら言うのもどうかと思いますが、セラから船でシュベルク国やミラ王国へ向かう、というのはだめだったのでしょうか。その方が、早く医者に見せられたと思うのですが」
 きっぱりとノアは言う。
「だめだ。中央大陸で最も医学が進んでいるのはグランディア皇国なんだ。その次が、エリバルガ国。ミラ王国は、ちょっと遅れている。シュベルク国は論外もいいところだよ。島国なせいか、全然最新の医学情報が入っていないらしいね。考えるとしたら、グランディア皇国首都キリグートか、ミラ王国首都テベのどちらかしかない。エリバルガ国へ行けない以上ね。ミラ王国のテベとなると、キリグートへ向かったほうが早い。『凪ぎの海』があるからね。医学の進歩具合からも、速さとしても、キリグートが一番なんだよ」
「そうなのですか……。では、キリグートへ到着すれば、もう安心なのですね」
「それがそうでもない。このエリバルガ国の奇病は、本当に症例が少ない。教科書にも、珍しい病気として載っていたし。かなり優秀な医者じゃないと、多分治してもらえない」
「なるほど……まだ問題はあるわけですね」
 ふう、とノアはため息をついた。
「けどさ、そんなことパトリーに言ったって不安にさせるだけだろ? どうしようもないことなんだし。かなりしつこく聞かれたけど、何でも話すわけにはいかないさ」
「一つよろしいですか? パトリーさん、治らない、なんてことはありませんよね?」
 ノアはきっぱりと言う。
「治るよ。このまま体を安静にして、キリグートに辿り着いて、いい医者を探し出し、きちんと治療を受ければ。治療法のない病気ではないんだ。ただ症例が少なすぎるから、奇病と呼ばれるだけで」
 イライザはほっとした。
「それはよかったです。最悪もしや、もう治る見込みのない病気では、と勘繰っておりましたが、外れたようで……」
「そうだったら、俺はこんなに冷静ではいられないよ。多分焦って、死に物狂いで治る方法を探して、何にも手につかない。パトリーに隠しているのは、本当は薬がないと症状がとても重いってことと、キリグートの医者のことだけだよ」
 しっかりしている様子のノアに、イライザも安心した。
「じゃあ、俺も寝ようかな」
「あ! お待ち下さい」
 ベッドへ向かおうとしたノアは、振り返る。
「私を、罰しないでよろしいのですか?」
 ノアは静かに、何かを求めるようなイライザの瞳を見つめた。
「何もしない」
 そして同じく静かに、返した。
「ですが、私は殿下を裏切りました! 私は……セラへ辿り着く前から、セラで殿下とパトリーさんの挙式があることは、予測できていました。けれども、私は殿下に何も申し上げませんでした。部下として、失格の行動です」
「……イライザ。何度も言うけど、言うよ。俺は、イライザを罰しない。怒ってもいない」
 苦い表情のイライザに、落ち着かせるようにゆっくりノアは言う。
「俺とパトリーが同じ場所を目指すことを指示された。それから推測して、俺たち二人が結婚するように言われるであろうことは、本当は俺も予測できてなきゃいけなかったんだ。イライザがそれを俺に言わなかったからって、誰もイライザを責めない」
「ですが……!」
「わかってる。イライザはいつも、俺のことを第一に考えてくれる。だからこそ、俺には何も言わなかったんだろう? 俺とパトリーが結婚するために。言われてたら俺、動揺しすぎて何するかわかったものじゃなかったからな」
 はは、とノアは笑う。
「笑い事ではありません!
 私は……臣下、失格です……」
「だから、全部、わかってるよ。臣下失格なことをしてでも、俺のために何も言わなかったんだろう? 泥は全部自分でかぶるつもりでさ。騙すような結婚になることもわかっていたから、自分が全部悪い、って言うつもりでさ。俺には何にも責任がないように、って。騙されたような結婚に俺が怒ったら、その怒りをぶつける対象になろう、なんてことも考えて」
 イライザは言葉がなかった。ノアは、水平線のようにまっすぐにイライザを見ていた。
「でも、あのシュテファンは予想外だったんだろ? さすがにあそこまでされると、ってことで、積極的介入はしなかった。結婚はしてほしかったけど、俺が兵士たちに襲われているのを見て、それどころじゃなくて……。後はなし崩しに、一緒に逃げ出した。どう? イライザ、違うか?」
「殿下……どうして、おわかりに……」
「わかるよ。どれだけ一緒にいるんだ。考えれば、さ」
 イライザはまっすぐなノアの瞳に、自分の浅はかさと羞恥のあまり、顔を伏した。
「申し訳ございません……」
「だからいいんだって。全部、わかっているよ。俺のため、ってことはわかっているんだ。怒るわけがないだろう?ウィンストン卿がラブレターの偽物を作ったのも、俺を皇子としてスムーズに結婚させる為で、イライザがセラで結婚式があるってこと黙ってたのも、結婚によって俺がシュベルク国内で揺らぎなく皇子としてあるためで。わかってるんだ。俺のために考えてくれている、ってことは。怒れるはずも、罰するはずもない。そりゃ、皇子ってことは嫌だけどさ……」
 苦笑して、ノアは一つ大きなあくびをした。
「ああ、もうねむ……。もう、この話はなしだからな。この十日、何度も何度も、罰しろ罰しろ、ってさ。もう絶対言うなよ。じゃあ、俺、寝るよ」
 お休み、と言って、そうしてノアは寝床についた。
 置いてけぼりのイライザは、先ほどと少し違う、複雑な表情をしていた。
 ノアの言っていた通りのことを考えていた。元レーヴェンディア王国貴族の娘を母に持つノアは、エリバルガ国に留学に出されたとおり、シュベルク国では不安定な立ち位置にある。シュベルク国で有数の力を持つクラレンス家の娘と結婚すれば、状況はよくなるはずだ。そのために、セラで結婚することになるだろうと予測できていても、黙っていた。
 恥ずかしい限りのことだ。恥ずべき臣下だ……。
 そんな自分のことよりも、引っかかるのはノアの対応のことだった。
 全てを許し、理解する。
 あれほど嫌がっていた『皇子』としてのノアのために、動いていたというのに。自暴自棄に「そこまで勝手なことされるなら『皇子』なんてやめようか」、なんて再び言い出すかもしれない、とまで考えていた。
 けれど、一言『皇子ってことは嫌だけどさ』と言うだけで、感情的なことは言わない。
 ウィンストン卿が偽のラブレターを書いた、という告白の手紙を読んだ後も、感情的なことは言わなかった。
 全てを許し、理解する。嫌がった『皇子として扱われる自分』さえも。
 イライザは、もしかして殿下は諦めたのだろうか、と考えた。
 無意識のうちに、『皇子である自分』を諦めたのかもしれない、と。嫌だ嫌だ、と言うことに疲れ、何も変わることのない現実に。けれどそれは自分を受け入れ認めたわけではなく、ただ『諦めた』にすぎない形で……。
 『皇子として』、と強く言ってきたのはイライザとウィンストン卿だ。エリバルガ国へ留学し、シュベルク国内で皇子として扱われたことのないノアなだけに、ことさらに強く言ってきた。それが行き過ぎた形で、ノアは『皇子』が嫌になった。
 ノアが『皇子である自分』を認めること。それはイライザが望んでいたことだった。
 けれど、こんな無意識的な諦めのようなもので、本当にいいのだろうか、と、何か一抹の不安がよぎった。


 時間は同じ頃。
「どういうことかね!」
 男たちが集っていた。どれも中年以上の男性で、野次のような苦情を、一人の男に言っていた。胸に溜まるものを発散させるかのように。
 言われていたのもまた、男だった。けれども、年齢は飛びぬけて若い。と言いつつも、20代の後半であるが。
「ですから、申し上げたとおりですよ。ランドリュー皇子とわが妹パトリーの結婚は、延期です」
 問い詰められつつもけっして焦ることなく言っているのは、シュテファンだった。
「殿下の結婚が延期だと!? 前代未聞だ! こんな直前に!」
「シュテファン、いったいどういうことだ」
 その場には、シュテファンの父、つまり、パトリーの父であり、クラレンス家当主もいた。
 父親に向けるようなものでない、冷たい表情を崩さぬまま、シュテファンは説明する。
「結婚を行う予定のセラ教会の修築が、思いがけず長引くそうです」
「それにしたって、延期など!」
「ほう、では皇子にあるまじきセラ教会以下のぼろぼろの教会ででも結婚を行えと、そうおっしゃいますか。確かに、結婚に教会の大きさは関係ありませんな。しかれども、皇子ともあろう御方に、そのようなことをさせられると? 皇家の御方に、そのような心苦しいことを? ひとかけらでも皇家に忠誠心を持つ人間なら、とてもとても、そのようなこと、できますまい」
 う、と誰かがうめいた。皇家への忠誠心、なんてものを出されれば、否定はできない。
「し、しかしだな……セラ教会以下とはいえ、他にも立派な、皇家の結婚にふさわしい教会があるだろう」
「何をおっしゃいますか。皇子にはセラ教会で結婚することは、事前に伝えられているのですよ? そこで、それ以下の教会で結婚するように頼めますか。アラン派は、離婚が認められておりません。つまり正真正銘、相手が死ぬということを除き、生涯ただ一度の結婚式を、臣下たる我々が、『さっさと結婚して欲しいから』などという理由で?」
「そのようなこと、申しておらん! 殿下としても、待たされるよりも早く結婚をされたいのではないか、とおもんばかったまでのことだ。……そもそも、殿下はどこにおられる?」
 シュテファンは、ぴくり、と反応した。
「殿下は……セラにはおられません」
 なんだと、という声が、ざわざわと聞こえる。
「実は殿下には、この度のセラ教会の修築が長引くこと、お先にお知らせしておきました。結婚まで時間があるのなら、と、グランディア皇国をお忍びでお巡りになるようです」
 ざわめきは先ほどよりも大きくなる。
「勝手なことを!」
「何をおっしゃいますか。早急にお知らせすべきこと、と未来の義兄として殿下にお知らせしただけのこと。ここにいる誰より先にお知らせせねばならぬお方でしょうに。皆様、先ほどから各々おっしゃっていますが、一番残念に思っているのは私ですよ。ご存知でしょう。この結婚を一番望み祝福していたのが私だということは。幸せな結婚、幸せな家族としての付き合い、そして何より、産まれる男の子、それをどれだけ望んでいるか。私の口惜しい思いに比べれば、取るに足らないことばかりではありませんか。……もはや異論、ございませんな」
 シュテファンは睨みつけて黙らせた。
「そうそう問題はないでしょう。婚約すら、発表されていませんからね」
「本国では、大変な噂になっているではないか」
「噂は噂。正式な日取りなど、庶民が知るはずもない。それが延期されたとして、それすら気づきませんでしょうよ。問題はありませんな。渦中の人である殿下が冷静に受け止めたというのに、我ら貴族が慌てるのは見苦しいものですからな。修築の進み具合を考え、改めて日取りを考えましょう」
 ソファに座っていたシュテファンは立ち上がる。有無を言わせず散会、という具合だった。
 残った男たちは、いまだおさまらない気持ちをぶつけあう。
「こんなことになるのだったら、シュベルク国本国での結婚を通せばよかったわ!!」
「そのシュベルク国の教会が問題を起こしたから、海を渡ってセラ教会で挙式をするということになったのだろうに。皇子殿下がアラン派総本山たるセラ教会で結婚することを、貴公も喜ばれたであろう」
「つつがなく行われたなら、の話だ! シュベルク国の教会なら、犯罪を行った教会以外にも、あっただろうに……。ほら、あの事件以降、皇帝陛下が日曜に通われるようになった教会なども……」
「それは、真っ先に論外となったろうが! 第二皇子がその教会で結婚した後、皇家の伝統に反するだとか、教会の不備やらの教会自体を理由に、第二皇子は離婚、結婚の無効を求めているではないか。屁理屈にすぎぬし、そのような事は十中八九あり得ないが、本当に離婚が認められたらどうする? その二の舞で、第三皇子も離婚が可能、もしくは結婚自体が無効、とでもなれば……。そのような場所で結婚をすることは誰も、特にシュテファンの小僧は承認できんだろう。その点、セラ教会だけは、アラン派が存続する限り、結婚に異議など申し立てられん。……先々のことを考えれば、仕方あるまいな」
「だからと、延期など簡単に納得できん! 海を渡り、どれだけ金が……!」
「おやおや、我ら貴族ともあろう者が、金のことなど……。世俗的な。この程度で苦しいのですかな?」
 笑い声があがった。
 事実、参列するために来た貴族たちは、膨大な金を費やしている。旅費、服、それに延期となればそれまでの滞在費、交遊費……。しかしそれが苦しい、とはなかなか言えないのが、貴族たちなのだ。
 貴族の意地の張り合いなどを背に、扉へ向かおうとするシュテファンに、彼の父は近寄り小さく呼びかける。
「待て、シュテファン。どういう裏がある? そもそも、パトリーはどうした」
 ゆっくりとシュテファンは振り返る。冷たいまなざしは、まるで軽蔑の色を表しているかのようだ。
「……裏など、あるはずがないでしょうに。パトリーのことはお気になさらず」
「気にするな、など……父に対して言うことではないだろう。何があった。パトリーを説得できたのか?」
 不愉快だ、と言わんばかりの表情でシュテファンは言葉を吐き出す。
「心配はない、と言っているのです。口出ししないでいただきたいですね。しばらくセラを離れます。クラレンス家当主として恥ずかしくない応対を頼みますよ」
 何か言おうとしていた父を無視してシュテファンは扉を出た。
 かつかつ、と無駄のない動きでシュテファンはしばらく歩き、別の部屋へ入る。
 そこには妻のシルビアがいた。
「シュテファン様、旅の用意はできました」
 そこには鞄が5,6個積まれていた。シュテファンとシルビアの後ろで、使用人たちが鞄を持って外の馬車へ積めこんでゆく。
「それにしても、パトリーさんが逃げ出すだなんて……おまけに、皇子も一緒に逃げ出して、行方知れず……」
 シルビアはため息をつく。
「皇子は行方知れずではない。皇家専用の鳥なら、皇家はランドリュー皇子と連絡がつく」
「まあ、それなら全部、今までのことが皇家に知られてしまうのでは……婚約破棄なさったことまで皇家が知ったら、大騒ぎで結婚はなかったことに……」
「それは何としても避けなければならない。それだけは食い止める。あの男では当てにならんが、少しは役立つはずだ」
 あの男、とはシュテファンの父のことである。
「シュテファン様。義父様に対してその呼び方はおやめくださいと、何度も申し上げましたよね?」
「私の勝手だ」
 冷たく言い放つシュテファンに、これ以上言っても仕方がない。
「そもそも、セラ教会の修築が長引いているから、『延期』という言い訳ができましたが、修築が終わってしまえばどうするのですか」
「終わらせるわけがないだろう。長引かせる」
 あきれて額を押さえるシルビア。
「何としても、結婚させる。皇子に婚約破棄を撤回させる」
「そんなこと、可能なのですか? 何をなさったか知りませんが、婚約破棄をするなんて簡単に言えることではないでしょう。それを撤回させるなんて、とても難しいでしょうに。婚約破棄が正式なものとなったら、パトリーさんは、どうするのかしら……」
 厳しい顔をしていたシュテファンは、ふと考え込む。シルビアは微細な夫の表情の変化に気づかない。
「結婚を嫌がってましたから、大喜びでしょうね……。もしかしたら、これでよかったのでは……」
 と、シルビアは夫の顔を伺い見たが、心の中でため息をついた。
 シュテファンの瞳は、まだ生きていた。諦めた者の瞳ではなかった。
「さあ行くぞ」
 駆け落ちまがいのことをしている、二人を追って。


 月が輝いていると思っていた。
 けれど朝露のように、気づいたときにはそこにはない。
 予兆だった。全ては。
 月が輝いているはずの場所は、暗黒の闇が広がっていたのだから。




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