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 第17話 選択肢


 ノアはシュテファンに促されたソファに座る気にはなれなかった。いらいらとあたりをうろつく。
「いったい、どういうことなんだ。シュテファンさんは、パトリーと約束をしたんだろう? パトリーが約束どおりに箱を運び、俺との結婚はなかったことにする……違ったか?」
 シュテファンはゆったりとソファに腰を沈める。
「そんなことまでご存知でしたか。殿下は大変お腹立ちになったでしょうが、申し訳ございません。……今さら、結婚をなしにするなどできるはずもないでしょう? 皇家との縁組を断るなど、臣下たる者に、できると?」
「待て。そもそも結婚を強く希望したのは、そっちからだったよな? 婚約取り消しをしても、俺は何も言わないよ。いいことに、婚約は公表されてない。そっちが撤回すればすむ話じゃないか」
 シュテファンの表情に嘲笑するかのようなものが浮かんだ。
「殿下。ことは、もうそれだけのものではありませんよ。いくらこちらがゴリ押しで進めた結婚だろうと、殿下自身が許そうとも、皇家との縁組を拒否して、宮中のどこに居場所がありますか。そして、たとえ公表されてなくても、皇子の結婚が、洩れないとお思いですか。シュベルク国では、ずいぶんな噂になっております。あの田舎では、祝賀ムードですよ。もはや、断ることなど論外です」
 ノアは息を飲んだが、険悪なものを含んで吐き出す。
「あんたが、流したんだろう」
「さあて」
「パトリーには、最初から結婚を断る道はなかったということか? それならなぜ……約束なんて、賭けなんてしたんだ」
「パトリーに、『断ることなどしない、できない』、と言い、素直に大人しくなる女だとお思いですか。それよりも、多少とも断れる可能性がある、と言った方が犬のように大人しくなる。本当に、期限内にここまでたどりつくとは思いもしませんでしたがね」
 シュテファンは葉巻を取り出し、マッチで火をつける。
「パトリーは、いま、どこにいるんだ」
 こうなればパトリーが捕まっていないとは考えられない。
 シュテファンはノアをちらりとも見ず、その問いには答えなかった。


「な、何ここ」
 パトリーは、見知らぬ部屋で目覚めた。
 天蓋つきのベッドに、自分はいた。
 部屋にはベッドのほかに何もない。窓には格子がつけられている。
 パトリーはずきんと響く首の後ろの痛みに、何があったか思い出す。
 ――図書館へ行き、ハッサンへと箱と指輪を届けた。そして話の途中で、首を重いもので殴られて……。
 パトリーは思い出すと、腹が立ってきた。
 本当は、右眼はもう完全に治っていたのだ。念のため、と包帯をまいていたのだが、取り外していれば、右の死角から殴られる前に、避けることができたかもしれない。
 もう二度と、こんなことがないように。パトリーはスカーフと包帯をはずした。
 鏡が見たいところだが、鏡はない。
 見回すと、裕福な家の部屋のようだ。
 よくわからないが逃げ出そうか、とベッドから降りようとしたとき、自分の異常にようやく気づいた。
 なぜか、ドレスを着せられていたのだ。赤い、ミラ王国のあたりで流行の、足首まで隠れるタイプのドレス。
 おまけに、頭にはかつらをかぶせられている。赤黒い、同じ髪の色で、腰の辺りまで長い。
「な、なによこれ……」
 眠っている間に誰かに着替えさせられたということだ。想像するでも、鳥肌が立ってきた。
 そのとき、扉が開いた。
 現れた人物に、パトリーは目を丸くした。
「どうして、あなたがここに……?」


「なぜ……ここへパトリーを連れてきたんだ。結婚をするのは、シュベルク国でだろう? こんなところまでやってきて、それで、騙されていたなんて知ったら、パトリーは……」
 パトリーは必死に、ここまで来ようと努力していた。どんなときでも。
 騙されたと知ったとき、パトリーはどう思うか……。
「殿下はシュベルク国のことを、本当にご存知ない。シュベルク国の、最大の問題は、宗教問題であることはご存知でしょう。アラン派とファルツ派……。皇家の者は全てアラン派であるきまり。
 シュベルク国において、そのアラン派の最大の教会が、大規模な犯罪を行っていたことが露見しました。数年前です。大問題となったのですが、シュベルク国のことなど、中央大陸にはあまり知られないようですね。
 犯罪のあった教会で、皇家の人間が結婚などできません。かといって、シュベルク国内のアラン派教会には、あとは小粒のものばかり。結果、アラン派総本山たる、このセラ教会と話し合ったところ、ランドリュー皇子の結婚は、セラ教会ですることが決まりました。
 他国での結婚に反対を唱える人も多かったのですが、アラン派総本山たるセラならば、としぶしぶ承知しました。――第3皇子だから、という理由もあったでしょうがね」
 ノアは葉巻の煙の向こうにいる男を、見るのも嫌になってきた。
 窓の外の、今にも沈みそうな夕日を見つめる。
「駄々をこねるパトリーを無理やり連れて来るより、自分から行くようにしむけた方が楽でしょう。ああ、一つ殿下にすまないと思うことは、この旅でパトリーに怪我をさせたことですね。それが原因で、だから抱きたくないというのなら、安心してください。他に女を作っても、パトリーが正妃であるなら構いません。ただし、子はほしい。その点は、多少、我慢してほしいものです。不満があるというのなら、他に女を紹介しますよ」
 我慢の限界だった。シュテファンの前まで歩き、ノアはテーブルを叩く。
「あんた、本当に妹のこと、何だと思っているんだ!」
 シュテファンの葉巻の煙が一度ゆらぐ。すぐに元の通りになる。シュテファンの表情は何一つ変わらない。答えようともしない。
 それに腹が立つ。
「怪我ぐらいでそんなこと言うほど、俺はあんたのように冷たくも、馬鹿でもない! 信じられない。何であんたは、仮にも妹の夫になろうという相手に、女の紹介なんてできるんだ」
「殿下は、パトリーのことを心配していらっしゃいますね?」
 暗い笑いを含んだような唐突な言葉に、ノアは一瞬ひるんだが、
「ああ、そうだよ。あんたよりは心配しているよ!」
 と叫んだ。
 こんな兄を持つパトリーが、あわれでならなかった。
 シュテファンは満足げに、少しうなずく。
「……そこまで殿下に気にかけていただけるとは、パトリーも幸せです。お二人の結婚に、問題が一つだけあります。それは、ここまで来た以上、パトリーが結婚を認める可能性は低く、大人しくならないということです。結婚まで日にちはまだあります。それまで大人しくさせるのも難しい。ですから――」
 シュテファンはノアをその冷たい目で見上げる。
「ですから殿下、パトリーを無理やり手篭めにしていただきたい」
「……――!?」
 ノアは絶句した。
 隅で口を挟まずにいたイライザでさえ、顔色が変わり、言わずにはおれなかった。
「シュテファンどの、何を言ったのか、お分かりですか……?」
「分かっている。私は、妹を無理やり抱いて、大人しくさせてくださいと頼んだのです」
 ノアには、一言も声が出なかった。
 あまりのことに……、あまりにもあんまりなことに、思考がついてゆけなかったのだ。
「殿下とパトリーが、偶然にも共に旅していると聞いたとき、そうしてくださっていれば話は早かったのですよ。しかし、思いの外、殿下は紳士でいらしたようですね。逆に私は、その気も起きないほど、気に入らなかったのかと思ったものですが」
「そ、そんなこと、当然のことだろっ!」
 ようやく、ノアは声が出た。
 シュテファンは立ち上がる。
「パトリーの元へ、案内しますよ。ついてきてください」
 歩き出すシュテファンに、ノアは躊躇する。
 シュテファンは不機嫌そうな顔で振り向く。
「ついてこなければ、パトリーには式まで会えませんよ」
 それは、最悪のことだ。しかし、ついて行けば……。
 しかし、しかし、このままだとパトリーの様子もわからない。何としても、一度は会わなければならない。
 ノアはシュテファンの後ろを行くことにした。
 ついてこようとしたイライザに、シュテファンは、
「殿下の守りならば心配はない。この館にいる限り、誰も殿下に手出しはできない。それとも、イライザどの。クラレンス家当主代理たる、この私を疑うか」
 シュテファンはイライザよりも身分が高い。年に似合わぬ威圧感は、あまりにも強い。
 少しひるんだイライザに、ノアは、大丈夫だから、という意味をこめてうなずいた。
 イライザを置いて、シュテファンとノアはウィンストン卿別邸を進む。
 突然、「殿下は」、とシュテファンは話し始める。
「殿下は、どちらがいいと思いますか? 結婚式当日まで結婚をしたくないとごね続け、相手を知らず、当日真実を知り、絶望のうちに結婚するのと。今、相手を知り、もう逃げられないと知り観念し、結婚式当日まで淡々と日々を過ごすのと。どちらがいいと思いますか?」
 ノアはパトリーのことを思った。
 どちらかしか道はない? どちらにせよ、多分パトリーは、結婚すれば笑わない。もう、今までのようには笑えない。
「どちらも、いいわけないだろう……!」
「ええ、そうですね。もし、このまま殿下を殿下と知らずに結婚して、パトリーは疑わずにおれるでしょうか。結婚後も、『本当はまったく結婚を望んでいなかったのではないか』、とパトリーは疑うでしょうね。今まで身分を明かさなかった以上、嘘の上に成り立つ友人関係しか築かなかった以上、そして手を出さなかった以上。結婚は避けられません。その上で、今、無理やりでも情があると示されることが、今後のパトリーの一筋の救いとなるでしょう。――そう思いませんか」
 知るか、とノアは吐き捨てた。
「では、このまま何も知らずに、当日に知るのも面白いかもしれませんね。ずいぶんと気まずい生活が待っておりますよ」
 千鳥湾の『入り口』で聞いた、パトリーの過去の話を思い出す。
 確かに。彼女が、『自分には愛を向けられていない』、と思ったまま結婚するのは、彼女にとって最悪なことだろう。婚約者に他に妻子がいた過去を踏まえ、一度愛のない結婚と思い込めば、パトリーはもう立ち直れない絶望の淵へ行く。後で自分がどんなに取り繕っても、取り繕えない気がする。
 しかし、今、無理やりに、なんてことは、それこそ最悪な手段だ。
 だったら、どうすればいいのだ。
 ノアには、どうすればいいのかわからない。どちらがいいのかわからなかった。
「私は皇家との縁組が滞りなくすめば問題はありませんから、殿下に選択肢をゆだねますよ。あなたの思うとおりになさってください」
 シュテファンはある扉の前で止まった。
「ここに、パトリーはいます。殿下が部屋に入れば、私は行きます」
 ノアは、シュテファンが見つめる中、震える手でドアノブに手をかける。
 どちらも、いいわけない……。
 どちらがいいかなんて、わかるわけがない……。
 ドアノブを、ゆっくりと回した。


 中に入ると、ベッドに誰かが腰掛けていた。
 彼女は赤黒い髪が腰まで流れ、髪と同じ色のドレスに身を包む。
 ノアは一瞬、その彼女が旅に出る前に見た肖像画が重なって見えた。婚約者だ、と言われて見せられた、絶世の美女の絵――。
「どうして、あなたがここに……?」
 声を聴いた瞬間、目覚めたような気分になった。
 何をばかなことを考えたのだろう。パトリーだ、あれはパトリーじゃないか。散々、8割も違うと思っていたのに……。ああ、スカーフを外していたから、見間違っただけだ。
 パトリーは、慣れない様子で、ドレスで駆け寄った。
「どうしたの、ノア? 変な顔しているわよ?」
 変な顔もしているだろう、とノアは自嘲気味に思う。
「水でも飲む……って、この部屋何もないのよね」
 パトリーが苦笑する横で、ノアは部屋を見渡して笑いそうになる。
 何もない。テーブルも椅子も、水差しも。あるのはベッドだけ。
 体がふらつき、壁に寄りかかる。
「ノア。ところで、ここ、どこか知っている? なんだか殴られて、こんなところに連れてこられたようなのよ。服を着替えさせられて、気持ち悪いわ……」
 パトリーは青い顔で自分の体を抱きしめる。青い顔は、本当になんだかずいぶんと青いようだったが、今のノアには気づくことができなかった。
「……どうしたの、ノア」
 パトリーが澄んだ瞳で見上げる。それが美しくて、抱きしめたい気持ちになった。
 なんでもない、と言うことはできなかった。
 夕日は、完全に落ちてしまった。闇が、夜がやってくる……。
 正しい道なんて、わかるわけがなかった。彼女の人生を、今自分の手に握っていると思うと、引き下がることも前に進むこともできなくなった。その選択肢の重さに。いっそ泣いてしまいたかった。
 握らされた選択肢には、彼女が幸せになる道はなかったのだから。
 それでも、何も知らずに彼女は目の前にいて。
 ずるいことに、彼女自身に選んでもらおうと思って、パトリー、と、かすれた声で言った。彼女に任せようと思った。
「パトリーなら、どうする? 自分の手には、誰かの……運命を左右する選択肢を握らされて。その選択肢は、どちらも、彼女にとっては不幸になるだけで……。結局、嫌なことが、先にあるか後にあるかの違いにしかすぎなくて……」
 パトリーは少し笑った。
「簡単じゃないの」
 ノアは、え、と戸惑いながらパトリーを見つめる。
「どちらの選択肢も選ばない。もう一つの選択肢を探すのよ」
「もう、一つ……?」
「そうよ。人生なんて、与えられた選択肢だけじゃないわよ。自分で作り出してゆくものじゃないの。誰かが不幸になる選択肢しかないのなら、他の選択肢を探すしかない。どんなに探してもだめになって、そのときに、その選択肢から選ぶんじゃないの」
 日は沈んでも、街には灯りがともっていて。完全には闇には侵食されていなくて。そうだ、人は、自分で光を作り出せる。
 ああ、そうだ、そうだな。まだ、別の選択肢は探していない。
 選ぶべきは、第3の選択肢なんだ。誰もが、不幸にならない道……。
 しばらくうつむいた彼の顔を、前髪が隠してパトリーにはよく見えない。
 突然ノアがパトリーの腕をつかんだ。パトリーは突然すぎてびっくりした。
「パトリー、ここから逃げよう」
 真剣な瞳に、パトリーはのまれた。




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