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 第15話 三文芝居


 ――夢、だ――


 どんどんとひび割れる。細かくひび割れて、さらには親鳥自ら、そのひび割れた箇所を外側からつつき始める。
 卵から、雛が見えた。
 雛は鳴き始めた。
「産まれた……!」
 おれは柄にもなく興奮していた。数時間、この雛が孵るのを待っていたのだ。感動が、胸を襲っていた。
 そのとき、後ろの扉が開いた。
 男が立っていた。薄い赤毛を非常に短く刈った短髪の男。ばつがわるそうな顔をしていたが、そんなことはどうでもよかった。この一大事を報告するほうが先だ。
「産まれたぞ! ベンジャミンの子が、今、産まれた!」
 男は顔色を一変させた。
「ホントかよ!」
 おれを押しのけて、男は雛鳥の姿を見つめる。
 そのそばには、極彩色の派手な鳥がいる。その鳥の名こそ、ベンジャミンという。この雛鳥の母鳥だ。
「よくやったなぁ〜、ベンジャミン、よくやったぞ! えらい!」
「人間の出産じゃないんだ。ベンジャミンは何もしてないだろ」
 苦笑しつつも、おれは笑っていた。
「その雛鳥、おれがもらうって約束だよな。名前はどうしようか――」
 ベンジャミンは短髪の男が飼っている鳥だ。ベンジャミンの子供は、おれが譲り受けると、事前に約束してあった。
 男の嬉しそうな表情は、なりを潜めた。
「……どうしたんだ」
「つい、さっきな、元老院の議員さんからの呼び出しがあったんだけどよ……あんたに、伝言を預かっているんだ」
「じいさんどもから? どうせ、悪い話しかないんだろう」
 吐き捨てるようにおれは言う。
「ああ……悪い、話だな。おそらく。まあ、いい話といえばいい話だけどよ。とりあえず、話を聞くだけでも聞いてくれ。結婚をしろ、とのことだ」
 おれは言葉を失った。
 雛鳥の鳴き声が部屋に響いた。
「おれに、結婚しろだと?」
「ああ……八つ当たりはしないでくれよ〜。直接じいさんに言ってくれ。間に挟まれて、こっちも大変なんだよ」
 男はやりきれないような顔だった。
「おれに、結婚……。誰の差し金だ?」
「じいさんは巧妙に隠してたけどよ……おそらく、皇太子殿下からじゃ、ねえかな」
「皇太子がおれの結婚を打診したとなると……なるほど、つまり結婚相手が……」
「ご明察どおり。美人だし、妥当だと思えよ……って、無理か……」
 軽く言う男に、おれは鋭く睨みつけた。
「妥協できたら、今頃おれはここにいない。まったく……どうしておれはこんなにも結婚運がないんだ。以前は、親父から、絶対に結婚したくない相手と強制的に結婚させられそうになり、ミリーとは結婚できず、そして今回の、じいさんどもからの最悪の結婚の強制……。運がなさ過ぎる」
 事情を知っている男は、あいまいに、「まあな」、とうなずく。
「じいさんどもはじいさんどもで、悪質な嫌がらせを10年も行ってきて、それでおれが好印象を抱くと思っているのかな。本気で叩き切ってやりたい」
 この10年、あの元老院のじいさんどもがやってきたことを思い出すだけで、腹が煮え返りそうだ。
 男はとりなすことを諦めた。
「……じいさん連中も、どうして説得できると思ったのかねえ。ただこちらで断るなら断るで、問題が起こることは間違いねえよ。皇太子の面目丸つぶれになるわけだし。どうするんだ?」
 気を使いがちなこの男に、おれは口の端で笑ってみせる。
「ここから、逃げる」
 男は驚いた。
「忘れたわけではねえだろう? 今、軟禁されているんだぜ?」
「ああ、じいさんどものおかげでな。どうせ、いつかは出ようと思っていた。この機会に逃げる。どこか、別の国でも旅して回るさ」
 おれは用意を始めた。そして振り返り、問う。
「お前はどうする、ルース」
 男は――ルースは深いため息をつく。
「あんたの世話係だからな、おれは。あんたについていってやるよ。勝手に決めて、ベンジャミンには悪いけどな」
 ベンジャミンは羽を広げた。雛鳥も鳴く。
 おれは優しくその雛鳥を見つめた。
「この雛鳥にも、ここを出たら名前をつけてやろう」


 ――少し昔の夢だ。昔の夢は、よく見る。
 

 夢を見るくらいに退屈な時間だった。
 剣を相手の喉元にぴったりとつけると、相手は降参した。
「勝者、オルテス――!!!」
 うおお、と男たちの叫び声がこだました。
「ぜってえ勝つと思って、全財産つぎこんだのに――!」
「よっしゃあ、大穴狙いで儲けたぜ!」
 と、男たちはそれぞれの叫び声を上げる。
 オルテスは退屈そうな顔で、竜の巻きついた宝剣をおさめ、闘技場を後にしようとした。
「ちょっと待ってよ、お兄さん!」
 後ろから声をかけてきたのは、この闘技場を仕切っている支配人だ。オルテスは歩みを止めない。
「あんた、いい腕しているね! 基本は古風な型だけど、ほとんどは自己流だね!」
「……よくわかったな」
「そりゃ、ここの支配人やるからにはね。目が肥えているのさ。あんた、ここで専属契約して働かないかい? あんたの腕は、買い、だよ」
「悪いが、旅費を稼げば後はどうでもいいんだ」
「待ってくれよ。他にも、護衛に雇いたいってお人もいるんだよ。決して悪い話じゃないよ」
 オルテスは何も言わずに出て行った。
「……ちっ、惜しい……。それにしても、ここに来た当初、めちゃくちゃ弱そうに見えたのにな。あれは、倍率上げて一気に稼ぐために演技していたわけか。ああ〜、もったいない」
 最後まで、闘技場の支配人は悔しそうにしていた。


 外に出ると、ルースが降り立った。
「ようやく、お前のエサ代も手に入ったんだから、おれをつつくんじゃないぞ」
 ルースはキ、と鳴く。早くエサを食わせろとせっついているようだ。
 ――ルースの名は、かつての亡き友の名からとった。そのせいなのか、ルースは、主人に対して反抗的な鳥となってしまった。ベンジャミンの子である。最近は、姿だけを見れば、ベンジャミンに似てきた。
 そのルースとオルテスは、パトリーと別れてから喧嘩しながら、ようやく、タニア連邦の首都・ファザマまでたどりついた。
 金に関してうとすぎたオルテスは、旅路の途中でなくなれば稼ぎ、なくなれば稼ぎ、を繰り返しながら、こうして一人と一羽、旅していた。
 金のことは、パトリーがいなくなって、最大の弊害である。
「さて、つまらなくて退屈な仕事だったが、金は手に入ったことだ。今夜は高い宿に泊まるか」
 ――そういう金の使い方が、すぐになくなる原因だとは気づかないらしい。
 闘技場で戦うことは、退屈なことだった。
 相手は殺さない、という前提そのものが、なんとも生ぬるくさせていた。対戦者も井の中のかわずばかりだ。
 死と隣り合わせの戦場は、親父の教育により幼い頃から親しんできた場であった。懐かしく思い返すことも多い。
 その戦場から、10年ほど離れている。訓練は続けているが、なまっていないか時折心配になる。
 しかし、戦争はなるべく起こすべきでない、という考えにも賛同する。戦場に戻りたいわけではない。そのあたりは矛盾だ。人間とは矛盾の生き物だ。
 空は遠い。


 タニア連邦は社会主義国家だ。かといって、オルテスの目には他国との違いはあまりわからなかった。ただ、草原に住む人間の土地というだけで。
 タニア連邦があるこの土地は、遊牧騎馬民族が主として住んでいた。最近では遊牧生活をやめる人々も増え、定住生活を行う者も多い。
 それでも草原は広く、羊を追いたて遊牧生活を行う人々は依然として存在する。都市でさえ、馬を乗りこなす人間は多い。そして服もどこか異国的だ。
 オルテスはある店の扉を開けた。
「いらっしゃい」
 中に入ると、本棚が並ぶ。オルテスは適当に見回す。
 並べてあった本の中で、表紙の絵を見て手にとった。
 ぺらぺらとめくると、ところどころに精密な図がある。だが、何の図であるかは見当もつかなかった。中身も見当がつかない。
「医学論文だなんて、お医者さんかい?」
 本屋の主人は暇なのか、奥から言う。
「医学論文?」
「そうだよ。それは世界最新の医学論文雑誌だよ。医者でなくても、読むとおもしろいよ。難しいけどね。最近の目玉は、サイボウだとかいうものさ」
「なんだそれは」
「人間とか、生物はそのサイボウが集まってできあがっているんだとさ。ああ、あとばかげたものがある。グランディア皇国の医師団の研究論文で、不老不死の研究なんてものがある」
 グランディア皇国、という名にオルテスはぴくりとした。
「ばかげた研究だろう? あそこはいまだに魔法がどうたらと言っている国だからな。で、肝心の不老不死の方法と言うものも、ばかげているんだよ。本当に国の医師団が出す論文か、というくらいに。なんだと思う?」
「……氷漬け、だろう」
「よくわかったね。人間の体を急速に冷却して凍らせ、仮死状態にする、というのさ。そうすると、氷漬けである限り、ずっと若いままでいられる、ってね。ばかげているだろう? グランディア皇国の医師団は、体だけ凍らせて、頭をどうにか目覚めさせる方法なんてのを研究しようとしているらしいが、あまりにもばからしすぎて、素人のこっちだって笑っちゃったよ」
「まったくばからしい話だな」
 オルテスはその雑誌を元に戻した。そしてざっと目を店内にめぐらす。
「……古代グランディ語の本はないか?」
「古文の勉強かい? あいにくと、うちにはないねえ。そういう学問的なものはちょっと……。物語小説ならそろっているんだけれどね。SF小説とか」
 SF小説というものは、聞いたことがなかった。首を傾げたオルテスに店主は説明する。
「最近はやっている小説の形態さ。売れ筋は、時間を移動する機械を使って、いろんな時代を行き来したり……」
「時代を行き来する……? 過去にも、戻れるのか?」
 オルテスは少し目の色を変えた。
「過去にも未来にもね。でも、ま、しょせん、物語だから」
「…………。その本、一冊買おう。ああ、このあたりに、代書屋があると聞いたのだが、知らないか?」
 本を取り出し値段を確認していた店主はきょとんとした。
「代書なら、うちだよ。本屋の副業としてやっているのさ。何、手紙の代筆かい?」
「ああ。頼む」
 店主に促されて、オルテスは奥に入る。そのときオルテスの腰にかかっている立派な剣を見て、店主はため息をついた。
「代筆って言ったら、字の書けない庶民が大半の客だけどね、あんたのような軍人さんは初めてだよ。字がそんなに汚いのかい」
 軍人ではないことを言うのも面倒だったので、沈黙しておいた。実際、自分の今の職業は、と問われれば、何もないとしか言えない。
 店主がペンを構えて、オルテスはゆっくりと言い始める。
「親愛なるパトリーへ……」


 自分の人生を振り返ることは、多分他の人よりも多い。自分の人生は2幕仕立ての、三文芝居だ。
 第1幕は、親父によって数々の戦場に送り込まれた15歳まで。親父に結婚させられそうになり、ミリーとの結婚を決意した。親父との対立の末、あまりにも急に幕は下りた。
 第2幕は、元老院のじいさんどもに10年近く軟禁され逃げ出した、15歳から今まで。じいさんどもの謀略のおかげで、数々の苦労をした。ルースに出会い、パトリーと出会ったことは、良かったと思う。
 このばかげた芝居が三文であるわけは、語られるべき親父や妹やミリー、第1幕に登場するほとんどの人々の死が、全て幕間のうちに終わっていたことだ。
 そして10年経とうというのに、いつまでも何も振り切れない自分に、苦笑せずにいられない。
 願いがほとんど叶わないとわかっていて、それでもキリグートへ向かう自分は、誰よりも愚かだろう。


 草原には冷たい風が吹く。
 雪はこのあたりではもう降らないようで、草原は緑に染まっている。
 その草原を、オルテスは馬で駆ける。
 あまりにも広大な草原を、あざやかな手並みで馬を操り。
 その上空を同じ速度でルースが飛翔する。
 青々と茂る草原に、石碑があることを確認すると、オルテスはそこへ一直線に向かう。思ったとおりのものがあった。
 身長ほどもある石には、古代グランディ語が刻まれている。これは墓がわりの石碑なのだ。
 タニア連邦の首都・ファザマの遠くないところに、グランディア皇国初期――今から500年ほど前の――皇王たちの墓石があることは風の噂で知っていた。なぜタニア連邦にグランディア皇国皇王の墓石があるかというと、かつてここがグランディア皇国の領土だったからである。いや、そもそも現在のタニア連邦の土地から、グランディア皇国は作られた。かつては中央大陸西部のほとんどを支配していたが、どんどんと領土は減り、現在グランディア皇国は極寒の地のみの領土となっている。
 そのグランディア皇国は、そもそも遊牧騎馬民族によって作られた国であった。墓は建設されず、草原に埋めるのが作法だった。初期5代皇王までは、そのような埋葬方法だったのだ。
 後の世になって、それでは具合が悪い、と、形ばかりの墓を草原の真ん中に石碑として作った。
 それが、オルテスの目の前にある石である。
 オルテスは馬から下りて、字を追う。ルースも降りて、オルテスの肩にとまる。
『グランディア皇国初代皇王 サッヴァ 皇国暦21年没 偉大なる皇国の礎をなす
 グランディア皇国二代皇王 ポリカールプ 皇国暦39年没 あまねく皇国の名を行き渡らせる
 グランディア皇国三代皇王 ヴァシーリー 皇国暦79年没 地の果てまで皇国の領土を広げる
 グランディア皇国四代皇王 ルクレツィア 皇国暦89年没 女の身で平らかに皇国を治める
 グランディア皇国五代皇王 ゼルガード 皇国暦91年没 蛮族から皇国を守る』
 その下には、霊を鎮める言葉が彫られている。
 寂しい風景であった。
 あるのは石碑のみで、あとは何もない。当然ながら、他国の王の先祖を好んで祭ろうと思う人間は少ないのだ。
 六代から現在までの皇王の墓は、全てグランディア皇国首都・キリグートにある。絢爛なものばかりだという。
 そもそも、こんな石碑など、草原に眠る彼らにとってみれば、無意味なものかもしれない。……死者がどう思うのか、そんなことわかるはずもないが。
 冷たい、突き刺すような風があった。草は横にいっせいに倒れる。
 オルテスは、絢爛な館よりも、優雅な絵よりも、いっせいに草が横なぎになるその壮大で素朴な光景が好きだ。
 目を細めてながめていると、肩の上に乗るルースが鳴いた。
 オルテスはパトリーあての手紙を取り出した。そしてペンも取り出し、最後に『ザギス ブルシェ』と、『オルテス』という署名をして、ルースの足に結び付けた。
「さあ、パトリーの元へ行け」
 と、乱暴に空へ放つ。
 ルースは大きく優美な羽を広げ、西へと飛び立った。逆光となって、オルテスは目を細める。
 オルテスは一人残された。
 たった一人、残された。
 ルースが――薄い赤色の、短髪の男が、亡くなったのは、軟禁状態から逃げ出した騒動のときだった。ベンジャミンと共に……。
 そして逃亡の騒ぎにまぎれてベンジャミンの子の雛鳥とは離れ、逃げ出せたときには、見失っていた。一人になっていた。
 何の目的もなく空虚に各地をさまよい、パトリーと出逢い、パトリーの館に住み着いた。その住み着いていたある日、一羽の鳥が突然部屋へ飛び込んできたのだった。
 ベンジャミンと同じ種類の、優雅な鳥。かつての、雛鳥……。
 名づけるべき名は、一つしか――思いつかなかった。
 旅の途中も子供のような喧嘩をして。パトリーにもあきれられた。
 オルテスはそれらを思い出して少し笑う。だがその瞳には、闇が宿っていた。
 ……これからキリグートへ向かうということは、ルースの犠牲が無駄だったということになる。
 その命への、完全な、裏切り。
 幽霊なんているはずはない。だがいたとしたら、ルースはおれを憎んでもおかしくない。
 それでも――
 ……それでも、だ。
「逃げ続けたところで、願いは叶わない……」
 願いを叶えたい……。
 そのためなら何を犠牲にしようとも。何一つ、未練はない。
 たとえ可能性が限りなく低くとも、願いを叶える為ならば――
 裏切りも、戦いも、辞さない。
 願いを叶えるためならば……。
 決意はオルテスの瞳の闇を深くする。
 一瞬だけ、パトリーのことが脳裏をよぎる。それは、一瞬だけのこと。
 冷たい草原に、一人で立ち尽くすオルテスには、誰かを振り切ることもたやすかった。
 空は、遠い。


 自分の人生を振り返ることは、他の人より多いだろう。考えるに、自分の人生は2幕構成の三文芝居だ。
 本当に芝居ならどんなにいいだろう。見ようと思えば、第1幕を、もう一度見られるのだから。第2幕なんて必要のない芝居のはずだったのに。
 ばかみたいな芝居だ。三文芝居だ。
 パトリー。パトリーが思っている以上に、おれは弱い。
 ……置いてきた夢が見たいだけなんだ――
 ――あの世界に……。
 パトリー、もしおれの願いが叶うのなら、もう二度と会うことはないだろう。
 それでも手紙に『また会えたら』なんて書くのは、願いを叶えたいという望みと矛盾している。だが、人間は矛盾の生き物だ。
 また、逢えるなら逢いたいと思っているのだから。
 空は、かなしいくらいに遠すぎた。




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