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第14話 舞い降りた手紙(3)
「よくもまあ、こんなところで昼寝できるな」
はっきりと意識が戻る。
パトリーは伏している自分を認識した。
腰をかがめて、エディが見下ろしていた。
「睡眠不足か? こんな寒いところで寝るなんてな」
起き上がる。手も足も、震えはなかった。まるであれほど震えていたのは嘘のようだ。ぶつけたのか、頭が痛い。さきほどの頭痛とは質が違った。
……夢でも、見ていたのだろうか。
確かに、最近睡眠不足だ。
自分の足で移動する必要がないため、朝も夜も書類仕事に精を出している。
そのため、つい、眠ってしまったのだろうか。
……あまり、気にすることもないだろう。おそらく、睡眠不足の影響だ。
「ごめん。……寝不足だったみたいね」
「こんな寒空の下で眠るくらいだから、重症だぜ。あのド派手な鳥も、心配している」
エディの言うとおり、ルースもまた、近くで心配そうに首を傾げていた。
「ごめんね、ルース。心配させて」
頭をなでて、パトリーは大丈夫であることをアピールした。ルースは再びパトリーの肩にとまる。
「今夜は早く眠ることだな」
「ええ、そうするわ」
風は冷たい。自分の体もまた、冷たい。どれだけ眠っていたのだろうか、と太陽の傾きぐあいを確かめる。ほとんど傾きは変わっていない。一時間も眠ってはいなかったようだ。
「今日はちぃっと疲れたぜ」
エディは腕を上げて、背中を伸ばす。
「やっぱり、実験中の船だけあって、大変みたいね」
「まぁな。船を操ることにかけちゃ、誰にも負けねえけど、アレはな……。お手上げだ。いくら船を操るのに長けていようと、あれは技術者に任せるのが一番みてえだ。それにしたって、もうちっと、故障のないものにならねえと、商品としてはだめだな」
いろいろと苦労があるらしい。よく見ると、エディも煤まみれだ。
「ねえ、エディ。業務提携のことなんだけど……」
エディはとたんに嫌な顔をした。
「その話は、なしだぞ。眼をよこせうんぬんの話のとき、いいっつったがな、もちろん冗談だからな」
「嘘! ちょっとは考えてくれてもいいじゃないのっ」
貿易に大切なものは、早いアシである。早い馬、早い船。熟練した船員を多数抱え持つエディとは、協力を頼みたいのは当然なのだ。
食料はもちろんだが、服でも、装飾品でも、運ぶのは早いほうがいい。
「悪いが、そーゆー頼みはひっきりなしでな、パトリーと契約を結べるほど、余裕はねえんだよ、悪いがな」
「……じゃあ、今でなくても、先のことなら? たとえば、この船を使った貿易のことなら?」
エディの目は細められた。
「この船は、今はまだ研究開発中かもしれない。でも、数年のうちには、商業ベースに乗せられるでしょう? 『凪ぎの海』を航行する上で、これはかかせない船となるでしょう。いえ、外海でも必要となるかもしれない。風を頼らない船なんて、画期的だわ。
研究開発費への援助を申し出るわ。その代わり、完成品の船を、商品を運ぶのに、使わせてほしい。商品だけではない……人も、もちろんだわ。今までは遠かった地域が、この船で近くなる。
南でしか作れない作物が、腐る前に北へ運べ、あたしの母国シュベルク国のように田舎で、情報も風俗も閉鎖して流行おくれな国にも、すばやく物が運べる。考えるだけで、いろいろな方法で使えるわ。夢のようじゃないの。
この船を大量生産するという方法も、もちろんあるわよね。どうやら、鉄でできているようだし、鉄に関してはツテがあるわよ。それに、石炭も使うようね。これは今のうちにツテを増やして、買い占めておくべきかしら……。他にも必要な材料があるなら、そして入手困難で困っているなら、もちろん協力する。今度こそ、前向きに検討してほしいのよ」
熱っぽいパトリーの言葉に、エディは小さくため息をついた。
「パトリー、俺があんたと手を組まないのは、あんたに『覚悟』がないからなんだよ」
エディはいつになく真剣な面持ちだった。
「あたしに、覚悟がない? 何よそれ。『覚悟』なら、見せたでしょう?この船に乗り込む前に」
「そうだな。この船に乗って、セラへ行くための『覚悟』はあるかもしれない。だが、パトリーはこのまま商売を続ける『覚悟』はあるのか?」
パトリーは何かを言おうとしたが、エディはそれをおさえた。
「パトリーが、貴族の娘だってことは知っている。もう年頃の貴族の娘には、結婚の話がつきものだろ。『いいとこのぼっちゃんと結婚しました。だからこれを期に仕事はやめます。ではさよなら』なんて言うような社長のところと、仕事で手を結びたいとは、少なくともおれは思わねえな」
「あたしはそんなこと言わない! 何度も何度も言うことだけど、結婚する気も、仕事をやめる気もない。世界的大商人になるためにこの仕事をしているの。遊びのためじゃないわよ! これは侮辱よ! エディ!」
パトリーのその言葉には若さがあった。
口論は続く。
「だから、そうだから、もっと悪いんだ。結婚したくない? たとえば、大商人との結婚が商売として最良の選択でも、断るか?」
パトリーはとまどった。
「自分の思い通りに行くことなんて、めったにないぜ。たとえばおれはどうだ。おれと結婚すれば、商売的に、うまいこといくんじゃないか?」
「それのみに関しては、ありえないわ。エディと結婚でもしたら、業務提携どころか、吸収される可能性が高いもの」
エディは真面目な顔を崩して、軽く笑った。
「それはそうか。おれでもそうするな。だが、結婚が商売にとっても有力な手段であることには変わりないぜ。その手段を最初から放棄して、時代錯誤の一直線な騎士道精神で生き抜けるほど、甘いものではねえんだよ。結婚だろうが、手だろうが足だろうが、眼だろうが、命だろうが、家族だろうが、全て利用するくらいのものでなければ、野望は果たせないぜ。おれは『商売に生きる覚悟』こそ、何よりも商売の上で大切だと思うがな」
パトリーは目にかかった髪をすく。
「……あのとき、眼を本当にやっていたほうが、簡単だったかもしれないわね」
「そうかもな。この眼帯をはずし、両目で見れるようになることを望んでいることは本当だぜ。本当に移植技術があったなら、もらっていたかもしれないな。今、片目でしか見ることのできないパトリーならわかるだろう。なくして初めてわかる、価値ってものが。おれは子供のときに傷を負った。だがいくら慣れたとはいえ、両目で見たいものは見たい」
眼をよこせと脅されたときは冗談で終わった。だけど……エディの眼に対する言葉は、真実だった。
「結婚と、仕事……か」
パトリーは流れ行く海を見つめた。
何度も何度も、寄せては返し、やってくる選択肢。
「簡単なことだ。仕事のためにどれだけ自分を犠牲にできるか――結婚や、自分の体や、命、自分の身分も犠牲にして棄てる――それが、おれが何よりも大事だと思っている『覚悟』だぜ」
「身分も関係あるの?」
「あくまでおれの話だぜ? 貴族の娘っていうのは、資金の面からも信用の面からも会社を安定させるのに役立つのはわかる。だがなあ、おれには二足のわらじを履いているように見えるのさ。会社をたてていても、いくら言葉で言われようが、本気なのかと疑いたくなる。一心にその道を進むのだけがいいとは思えないが、ふらつきすぎるのは、どうかな。そいつらを犠牲にする覚悟――パトリーにはあるか?」
それがない、とエディは思うわけだ。
けれどパトリーには反論できなかった。結婚をしたくない、というのは自分のエゴだ。
そして、自分がいまだ貴族のクラレンス家の一員であることも、エゴだ。
身分や家で何かを判断したことはない。にもかかわらず、貴族という身分でいるのは、上から見た言い方になりかねないのはわかっている。そして、商人としてやっていこうとしているのに、中途半端に見られかねないのも。
だが、だからといってクラレンス家は、貴族の中でも有数の家という以前に、自分の家なのだ。
生まれ育った家なのだ。たとえ親が離婚したとしても、結婚が嫌になっても、自分は幸せだった。そうやって、育ててくれた家、家族。
シュテファンは確かに冷たい。だが、それでも家族だ。そして、あの家を嫌ってもいないのに、名も、何もかも捨てる、というのは辛い。
家族も、家も、全て捨てろ、というのは、パトリーにとって躊躇せざるを得ない。
「エディは……その、覚悟ができているの?」
にや、と笑う。
「命を懸けてるぜ?」
それを笑って言うことに、パトリーはエディのすごさを感じた。笑っていたが、冗談とは思えない。事実、そうなのだろう。
「……眼なら、腕なら、かけるわ。でも……あたしは、捨てられないものだってある。犠牲にもできないものや、利用しつくすことができないものが」
「甘いな」
「よく言われるわ」
エディは腕を組んでしばらく考える。
「パトリーと手を組むかどうかは……今はできねえ。だが、未来は、どうなるかわからねえから。おれが認めるほどになったなら、考えてやるさ」
「そのときは、あたしが『考えてやる』かもしれないわよ?」
エディは無精ひげをなでながら、
「お? よく言うじゃねえか」
と豪快に笑う。
その声に驚いて、ルースが思わず飛び立った。
その日の夜、ランプを灯りにパトリーはオルテスへ返信を書いた。
『親愛なるオルテスへ
今、あたしはセラへもう一歩というところまで来ています。実は、オルテスと別れた後、ノアとイライザという二人組みと出会い、現在一緒に旅しています。ノアは優しい人で、イライザはノアに忠実に仕える護衛です。イライザはとても強くて、オルテスとどちらが強いか、と考えてしまうほどに強い女性です。ノアも優しくて、オルテスに会ってみたいと言っていました。
この手紙がついている頃には、あたしはセラにたどりつき、シュテファン兄様との勝負に勝っているはずです。
しかし、その勝負が終わっても、あたしの中に『結婚』という命題は消えることはない、と思ってしまいました。相手のこと、そしてあたし自身の人生……
いえ、これは関係のない話ですね。
オルテスは確か、キリグートへ向かっていましたよね。
エリバルガ国の革命、暴動は、ひどいものでした。しばらくは近づかないほうがよさそうです。他にもハリヤ国と南方との戦争、我が母国シュベルク国の介入……世界はだんだんと、危険になってゆくような気がします。
道中、今まで以上に、気をつけてください。
そして、また、必ず会いましょう。そのときの食事代程度なら、おごってあげるから。
また手紙をくれたら嬉しいです。
では、さようなら。ザギス ブルシェ
パトリー=クラレンス
――追伸
ルースとは、なるべく喧嘩しないでね。ルースがかわいそうだから』
一度読み返して、微笑んだ。
そしてルースが健やかに眠っているのをちらりと見てから、貿易に関する数々の書類に目を通し、厳しい顔つきで仕事を始めた。
……これはあたしが選んだ、やらなければいけないことだから。
そう思ってペンを手に取ったところ、震えが来た。
パトリーの顔は強張った。ペンを取り落とそうとしたところ、渾身の力で握りしめる。頭痛も襲ってきた。パトリーは声一つもらさず、唇を噛んでそれらに耐えた。ここで誰かに頭痛と震えを訴えてはいけない、となぜかパトリーは固く思った。
今度は、意識が途切れることなく、しばらくして頭痛と震えは収まった。
それにパトリーはほっとする。冷や汗が流れた。
なんでもない、こんなこと、なんでもない。睡眠不足のせいだ。
今夜は早くに寝ようか――そう思ったが、机の上にある書類を見ると、再びペンを握りなおし机に向き合う。
これは、あたしには捨てられないことだから。適当な気持ちでやってるわけではない。
エディの言う覚悟は、ないかもしれない。だが、それでも、あたしは……。
朝近くまで、彼女の部屋の灯りは消えることなく、何かを書いている音も途絶えることはなかった。
ろうそくの火が、あまりにもはかなく揺らいでいた。
これほどいらいらとしているシュテファンも、珍しかった。
届いた手紙を一読すると、破れるかというほどに握りつぶす。
パトリーを見失ったという手紙を読まなければ、これほど不愉快にならなかっただろう。
「役立たずが」
吐き捨てるようなシュテファンの声。
船に乗った、ということまではわかっている。
しかし、船ではセラにたどりつけないはずだ。
そう、方法はないはずなのだ……
それでもシュテファンは楽観できなかった。ないはずだ、が……。
もしかしたら、まさか、期限内にセラへたどりつく……?
暖炉の火がぱち、とはぜる。その火はシュテファンの瞳に映りこむ。
もし、たどりつくのなら……
約束は、箱を届ければ、ランドリュー皇子との結婚話をなしにする、というもの。セラへたどりつけば、それは簡単だ。
この勝負は負ける。そうなら……
こめかみを押さえながら、諦めの混じったため息をついた。
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