TOP>Novel>「だから彼女は花束を抱える」Top
Back Next
第14話 舞い降りた手紙(2)
ノアは驚きつつも空を見上げていた。遅れて出てきたパトリーに、興奮して話す。
「なあ、パトリー! すごいな、煙突から黒い雲が出てる! 船に煙突があるってだけでも驚きだよな」
「ノア。絶対にこれは口外してはいけないのよ」
「わかってるよ。でも、やっぱりすごいな。初めて見る。さっすが、この『凪ぎの海』を渡れるだけあるよなー」
エディの研究開発中のこの船は、今まで船と思っていたものと一線を画していた。
まず、帆がない。かわりに長い煙突があり、そこから常にもくもくと黒い煙が噴き出しているのだ。そして、風がないのに進んでいる。いたるところに、石炭と思しきものがつんである。
煙突の下にいろいろと秘密があるらしいが、そこまではさすがに入れない。
『凪ぎの海』を航海する船は、今現在この船しかないのだろう。帆船よりは遅いが、確実に進んでいた。
「でも……ちょっとあの煙の色、いやーな感じがする」
ノアの言葉にパトリーもうなずいた。
黒い煙は後ろへと流れていく。黒い煙、というのが、何となく嫌な感じがした。仕方がないのだろうが。白い雲の上にねっころがりたい、とは思っても、あの黒い煙には触りたくない。
もくもくと絶え間なく噴き出る煙を見ていると、そこから突如、何かが飛び出してきた。
それは真っ黒になって、パトリーとノアの近くに墜落した。
「何!?」
真っ黒くて、ずいぶんと大きい……。
それは身じろぎして、キ、と鳴いた。
パトリーは、もしかして、と急いで黒い煤を落とすと、そこには、
「やっぱり! ルース!」
本来は極彩色の鳥・ルースがいたのだった。
パトリーは水で濡らした布を持って丹念にすすを落とす。
「なんだ、この鳥?」
「ノアたちの前に、オルテスって人と一緒に旅したの。そのオルテスが飼っている鳥なの」
少しずつ、優雅さのある色を取り戻すルース。拭いてやっているうちに、足に手紙が結び付けられているのに気づいた。
ある程度きれいになったら、パトリーは手紙を開いた。
『親愛なるパトリー』
という言葉から始まる、オルテスからの手紙だった。
『親愛なるパトリー
元気でやっているだろうか。おれは今、タニア連邦の首都・ファザマにいる。意外と旅には金がかかるものだな。途中金を稼いだりしながらの道中なものだから、少しゆっくりとした旅となってしまった。
エリバルガ国で別れた後、すぐに革命が勃発したと聞く。巻き込まれていないだろうか。』
パトリーは少し悲しく、骨折とやけどのために吊っている左腕に触れた。しかし言葉では、
「まったく。旅費のやりくりで苦労していたあたしの気持ち、少しはわかってくれたのかしら」
とつぶやいた。
『さて、ルースがこの手紙を運んだときには、もうパトリーの賭けの勝負もついているだろう。しかし、その勝負に勝ったのか負けたのか、おれにはわからない。だから、二通りの言葉を用意する。』
どうやら、これはもうしばらく後――勝負が決した後に届く予定の手紙だったらしい。ルースが思いのほか優秀だったのだろうか。
『勝負に勝っていた場合。これはつまり、パトリーの望むとおり、結婚しなくてすんだということだな。
おれは一言、おめでとう、と送る。
たったこれ一言だけか、とパトリーなら怒り出すかもしれないが、勝負に勝ったなら、おれが言葉で飾り立てずとも、喜んで喜んでたまらないだろう。――決して、手抜きではないぞ?』
パトリーは思わず、くす、と笑う。
『もし、勝負に負けていた場合。つまり、意に沿わぬ結婚が決まってしまった、ということだが――
その場合、パトリーはずいぶんと落ち込んでいるかもしれないな。絶望すらしているかもしれない。
だが、忘れるな。
結婚しようがしまいが、パトリーはパトリーだろう。どんな服を着ようが着まいが、どんな場所にいようがいまいが、パトリーはパトリーだ。
たとえもし、願った、商人への望みが絶たれても、願わないことばかりをすることになっても、そばに、望んだ人がいなくても。そこが、自分の世界ではないと思っても。
胸を張りパトリーと名乗るなら、立ち上がり前へ進むなら、それがパトリーだ。
どうなったとしても、また会えるなら、おれは変わらずに声をかけるから、安心しろ。
ま、会えたら、やっぱりまた何かを奢ってもらうだろうから、用意しておいてくれ。
では。
ザギス ブルシェ
オルテス』
なあに、これ。『何か奢ってもらう』? まだ奢られ足らないのか、どこまでずうずうしいのだ、オルテスは。
そう思いつつも。パトリーは笑っていた。
胸がじーんとしたと言えばいいのか、ほっこりと温まったと言えばいいのか。
この傷だらけの姿を見ても、オルテスなら、声をかけてくるだろう。
シュテファン兄様との賭けが終わったとき、もう一度見れば、もうちょっと感慨が湧くかもしれない。そのとき、書かれた『おめでとう』一つに、とても喜ぶ、ということは自分のことながら想像できた。失敗バージョンは意味のないものとなるだろう。
船は大きな故障もなく、突き進んでいく。この分なら、セラへぎりぎり期限内にたどりつける。
奢らされるかもしれないけれど、また会いたいな、と思う。
笑顔でオルテスからの手紙を読んでいたパトリーを、ノアは面白くなさそうな顔で見ていた。
「その……オルテスって、どんな人?」
「どんな……? 前に盗賊に襲われたところを助けてもらったのが縁で知り合った人。そのお礼のために館への滞在を勧めたら、そのまま居ついて……随分とずうずうしい人だったわ。猜疑心が強くて、人付き合いはうまくなさそうだけど……でも、意外とうまいのかしら? 出会った最初は礼儀正しかったし。思えばあれは、猫をかぶってたのね」
ノアの面白くなさそうな顔は変わらない。
「ずうずうしくて、疑い深くて、猫かぶって? へぇ、嫌なやつじゃないか」
「あたしも腹たって、よくつっかかったけどね。でも、悪い人ではないと思うわ。なんだかんだで、途中まで旅につきあってくれたし、剣の腕も頼りにしていたし。……大人なところに、憧れたし。ノアもじかによく知れば、わかってくれると思うわ。いい人よ」
そうは思わないだろうな、とノアは思ったが、口に出さなかった。
「そうなんだ。俺も会ってみたいよ」
と、心とは逆のことを言う。
「そうね、会えたら紹介したいわ。背が高くて、藍色の髪が長くて、剣をいつも携えていてね。精悍な顔立ち、というのかしら……」
ノアはこれ以上オルテスについての話題が続くことを避けたかった。そのオルテスとかいう男が褒められれば褒められるだけ、意気消沈していく。
それでも、無理して笑顔を向けて、
「そ、そうなんだー。あ〜……あ! この鳥、まだ、煤がきちんと取れていないじゃないか」
と、話題をそらす。
「あ、忘れていたわ、ルース。ごめんね、今、煤を取るからね」
と、きれいに二人でぬぐい始める。ルースは暴れずに大人しくしていた。
「本当に紹介したいわ、オルテスのこと」
と、パトリーが再び彼の話題を続けようとすることに、ノアはびくりとした。何か別の話題を、と考えている間に、パトリーは笑顔で続ける。
「そりゃ、腹立つところも多いけどね。一緒に旅すると、いいところが見えてきたのよ。あたし、好きだわ、オルテスのこと」
痛恨の一撃だった。
動きが固まったノア。これ以上、グサ、とくるような言葉を聞くことは耐えられない、とばかりに適当な言葉を残して、その場を立ち去った。
この上ない笑顔で手紙を読んでいたパトリーを思い出し、去ってからも落ち込んだ。
不自然な様子で去っていったノアに、パトリーは首をかしげた。
あの言葉には、ノアが思うような深い意味はなかった。あったら、あんなにさらっとは言えるはずもない。
ノアの不自然な去りようの理由を、考える。
しかし、キ、とルースが鳴くもので、煤取りに専念することにした。
大きな鳥のため、時間はかかり、水は非常に冷たかったが、なんとか終わる。
最後にバサ、と羽を広げて、水を切って、ルースは船の周りを滑空した。そして、パトリーの肩にとまる。
「さあて、返事を書かなくちゃね。どんなことを書こうかしら」
パトリーは一度しまいこんだ手紙をもう一度広げた。
そこで、一つ、不思議なことに気づく。
筆跡が違うのだ。
最初から、『では』というところまでは、しっかりと整い、事務的な字体である。『ザギス ブルシェ』と『オルテス』という部分だけが、奔放な、別人の字体だ。
一度、ミラ王国のカデンツァという都市で、オルテスの署名を見た。その署名とこの『オルテス』は同じように見える。
では、ほとんどの文章は、誰か別人が書いた?
まさか、偽の手紙……ということはないとは思う。
仕事関係で利益の関係する手紙なら、そういうことも疑うべきだろうが、この本文は私信である。オルテスの名を借りて偽りの手紙を出す必要など、誰にもない。
首をひねって、もう一度手紙を見直そうとすると、突然、手が震えだした。
がたがたと、その手の震えにつられて手紙も震えだす。
取り落としそうだったので、慌てて手紙をポケットにしまった。
手の震えはとまらない。逆にどんどんとふり幅は大きくなる。
吊っている左腕も、同じく震えていた。
足も、震えだす。片膝をついた。
鋭い頭痛が断続的に襲う。
ルースは肩から飛び立った。
「な、なに……」
つぶやいた次の瞬間。
強い耳鳴り。
耳を押さえる間もなく。
急に、意識はブラックアウトした。
Back Next