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第14話 舞い降りた手紙(1)
剣戟の音が響く。
額にいくつもの玉の汗が浮かびつつ、パトリーには迫り来る剣を受け止めるだけで精一杯だ。
「動きが遅いですよ、しっかりと見て」
それに対して、息一つ乱さず言うのは、対峙しているイライザだ。
「ほら、隙が多すぎです」
言いつつも、決して振り下ろす剣の手は緩めない。
神技、と言っていいほどにすばやく、受け止めたと思った次の瞬間に別の方向からの攻撃。あまりにも早すぎる。目で追うだけで精一杯――
パトリーの剣が落とされた。
「修行が足りませんね」
「あ、当たり前よ、修行なんて、してないわよ……」
イライザは剣を鞘に入れる。汗一つない涼やかな顔を見ると、悔しさ一つない。あまりにレベルが違いすぎる。
おまけに、イライザは目隠しをされているのだ。
それでも勝てない。
「これでは私の代わりは務まりません。ノア様、がまんしてくださいね」
「そんなぁ」
残念そうな声を上げたのは、部屋の隅で観戦していたノアだ。
「ご、ごめん……ノア……」
息が整わないまま、パトリーは謝罪する。
ここは、エディの研究中の船の中。パトリーとノア、イライザはこの船で旅の目的地、セラまで向かっていた。
ところが、船長エディの言うことには、イライザは信用できないらしい。
『ああいう女はな、主のためなら、何でもするタイプだぜ。いくら、決して船の秘密は漏らさない、と誓われたところで、ぜってえ、信用できないな。観察眼もありそうだから、何一つ機密は絶対に見せたくねえ。しかし、パトリーがそこまで言うなら、目隠しで、船内の一室に軟禁状態、という条件なら、イライザとかいう女が船に乗ることを妥協してもいい』
ということで、イライザは一室に目隠しのまま軟禁状態にあった。
イライザ自身に不満はないそうだ。問題は、ノアだった。
イライザが軟禁状態にある以上、護衛対象のノアも、同じく共に軟禁状態にあることになったのだ。文句を言い始めたのはノアだ。
せっかく船旅だというのに、船室にこもりっきり、というのは耐え難いらしい。
一人、大海原を見ていると、なんだか後ろめたくなって、パトリーはノアの応援をした。
目隠しして表情がわかりにくいイライザが、「なら」、と提示した条件は、パトリーがイライザに勝負して勝つことだった。
それだけの腕があれば、代わりの護衛役としてまかせられる、と。
パトリーはイライザの腕は知らない。
だから、右腕しか使えなくても、やる気満々で勝負に挑んだ……。
ノアは始まる前から結末はわかっていたらしいが。
――そうして、コテンパンに負けた。
「な、なんで、目隠しして、わかるのよ……」
この前剣を持ったばかりのズブの素人だが、目隠しした相手にここまで太刀打ちできないとは、思いもよらなかった。自分の左腕が動かないからとか、そういう理由だけではない気がする。
「パトリーさん、人間には五感というものがあります。視覚以外にも、聴覚、嗅覚、味覚、触覚が。剣の振り下ろされるときに生じる音、皮膚に感じる風。そして疲れてくると荒い息も聞こえてきます。あとは、気配もわかりやすいですから」
がく、とパトリーは膝をつく。まさに月とスッポンだ。
これで通常通り2本の剣を使い、目隠しをはずせば、どれだけ強いというのだ。おまけに、手を抜いていたのは明白だ。
「イライザは俺が知る中でも最強だから。パトリー、落ち込むことはないよ」
正直、そういうことは先に言ってほしかった。
……オルテスとなら、どちらが強いだろうか。
かつて共に旅をしたオルテスが剣を使っているのを見たのは1回きり。出会いのとき。盗賊に襲われていたところを助けてもらったときだった。
彼もまた、10人以上いた盗賊たちを全員地に伏せさせるほどの腕を持っていた。しかもパトリーが雇った護衛が全員倒されるほどに強い盗賊を、である。瞬きすらできないほどの腕だった。
そうは言っても、所詮、パトリーは素人なのだ。
自分よりはるかに強い、ということはわかっても、雲の上でなおどちらが強いかは、あまりに高み過ぎてわからない。それに、彼らが戦うこともないだろうし。
……オルテスは今、どうしているだろうか。
少し、パトリーは懐かしくなる。そして寂しくも。
「イライザ、少しくらい外に出たっていいだろ? 船旅が久しぶりだってことくらい、わかっているじゃないか。連日こんな部屋に閉じこもっていたくない」
ノアは説得を始めていた。
「私がついていなくて、どうやって身を守るというのですか。ノア様はパトリーさんよりも弱いんですよ」
「……な、なんかグサっとくるな……。こんなところで、何も起こりはしないって。だからさ、ちょっとだけ、ちょっとだけさ、外に出させてくれよ」
イライザはため息をつく。
「ノア様……少しはお立場というものを……」
「イライザ、過保護すぎるぞ! イライザは俺を、イライザがいなくちゃ何にもできない人間にしたいのか?」
ノアの声の調子が変わった。おや、とパトリーは思う。
「それとこれとは話が別です」
「いいや、別じゃない。前々から思っていたんだ。イライザは過保護すぎる。温室育ちで、外に出たらすぐに枯れるような人間にしたいのか? 甘やかしすぎだっ」
イライザは言葉につまる。
「俺はもう、18なんだ」
イライザはため息をついた。
「……わかりました。ご自分の安全を第一に考えて、気を使ってくださるのなら」
「わかってるよ。よし、やっと外に出られるぞ!」
スキップでもしそうな様子で外へ出て行ったノアに、パトリーは本当に大丈夫だろうか、と思った。
「……いざとなれば、約定も関係なく、守りに行けばいいですからね」
イライザは小さな声でつぶやいた。
「安全よ。エディは海賊みたいな外見だけど、まっとうな船長なんだから。その彼が乗る前に、船員には信頼できる部下しか連れない、と言っていたじゃないの」
やっぱり、過保護だな、とパトリーは思う。それとも、こういうのが忠臣なのだろうか。
「じゃあ、あたしも外に行くわね」
「っパトリーさん」
どことなく困惑を隠しきれない声でイライザが呼び止める。
「何? イライザ」
ドアノブに手をかけていたところで、振り返る。イライザはしばらく逡巡し、
「――ノア様、嫌いですか?」
と問う。パトリーは驚く。
「え? 何それ」
イライザには、そう見えていたのだろうか。
「そんなことないわよ。あたし、そんなふうに見られるようなこと、した?」
「いいえ……確認、です。なら、……ノア様と共にいることは、苦痛ですか?」
パトリーは眉をひそめた。
「そんなことないわよ。あたし本当に、何かした?」
「いいえ。すいません、最後に。ノア様のこと、どう思いますか?」
パトリーは首を傾げる。
「どう、って……。優しい人だな、とは思うわよ? 嫌いでもないし、一緒にいることが苦痛でもない。少ししか一緒にいた時間はないけど、むしろ、一緒にいて楽しいわよ」
「本当ですね?」
「こんなこと、嘘ついてどうするの」
イライザの表情は、目隠しをされているせいでよくわからなかった。少しの沈黙の後。
「……わかりました。それならいいのです……それなら……。変な質問をしてすいませんでした。どうぞ行ってください」
パトリーはもう一度首を傾げつつも、ドアノブを回して、出て行った。
「……これで、いいはずです……殿下の、ために……」
イライザの声が、一人きりの部屋に静かに沈殿した。
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