TOPNovel「だから彼女は花束を抱える」Top
Back Next

   
 第13話 雪だるま(2)


「――正直、あたしにもどれが決定的な理由なのか、というのは、よくわからない。いろいろな理由が重なって、そういう結論になったんだわ。自分でも……よくわからない。
 でも、最初に結婚に疑問を持ったのは、父母の離婚の顛末てんまつを、シュテファン兄様から聞いたときだった。父様と母様は、身分違いの恋愛結婚だった。当時父様はクラレンス家の次期当主で、母様は借金にあえぐ貧乏な下級貴族の娘。周りは反対したけれども、結局結婚した、っていう恋愛結婚。そこでハッピーエンド、といかないのが現実なのよね。身分の壁は大きく、長い長い離婚騒動の末、離婚したの」
 母は周りから見下され、クラレンス家の習慣にもなじめずにいた。父もまた、下級貴族の娘と結婚したことをずいぶん後まで、物笑いの対象とされた。それからだんだんと夫婦の仲もぎこちなくなって、母が離婚をしたいと言っても、世間体を気にして父は認めない。どろどろとした離婚騒動が続き、結局、パトリーが産まれてしばらくしてから離婚した。
 家の恥だ、と常々シュテファンは言っていた。
「愛があればいい、という甘い恋愛結婚をしたくない、と思ったのはそれを聞いてからだわ。それから……今から2年前、14歳のとき、あたしに結婚話が持ち上がったの」
 ノアは少し驚いた。
「シュテファン兄様が主導に進めた結婚話で、相手は30を過ぎた人。身分違いの恋愛結婚は嫌だったけれど、そのときは、家の勧める結婚には拒否しようと思うこともなかった。2、3度会ったわ。結婚話がずいぶんと進んだころ、その彼が、死んだの」
 低い声だった。パトリーは雪だるまを見つめ、それはまた、墓に向き合っているように見えた。
 ……たった2,3度しか会っていなかったけれど、必死にいろいろなことを話そうと努力した。どんなものが好きで、どんなものが嫌いかを知ろうとした。彼はそんなことに、パトリー自身に興味はなかったのか、あまり話さなかったけれども。でも、彼が天文学に興味があると知った後、何冊も本を読んで、星について知ろうとした。激しい恋愛感情はなくても、優しくて穏やかで周囲の誰も傷つけることのない家族になろうと思っていた。そのとき、まだ貿易の会社は設立していなくて、仕事と結婚のことなんて考えもせず。
 彼の事故の知らせは、本当に突然のことだった。呆然として、悲しむどころではなかった。
 少し黙ったパトリーを見ていたノアは、だからか、と内心思った。
「……馬車の事故だった。不幸な事故だったわ。婚約者として葬儀に出たとき、初めて聞いたのよ。その彼に、子供がいた、って」
 ノアには息を呑みつつも、何も口を挟めなかった。パトリーはずっと、冷静だった。でもそれは表面的なものではないか、とノアには疑いを抱かずにはいれなかった。
「その馬車の事故で、その子供も死んでしまった。彼には、もう、あたしと作る前に、本当の家族がいたのね。下級貴族の娘と結婚はできないから、って、隠されていたの。――あたしと結婚していても、おそらく隠されていたでしょうね。
 彼にとって、結婚とは決して愛する人と共にいることではなく、家とお金のためだけの手段に過ぎなかった。父様とは違って、愛する人とどうしてもしたいものではなかった。その前提が、決定的な考え方が違うと知ったのが、葬儀だというのが皮肉よね。
 ……なんだか、むなしくなったわ。
 恋愛をして、そのために身分違いの苦しみのある結婚は嫌だった。周りの人も巻き込んで不幸にするだけよ。でも、他の誰かにすでに愛を注いでいる人、もうすでに家庭が出来上がっている人と結婚することを受け入れるほど、何でも許せる人間じゃない。簡単に想像できるだけ、ひどく嫌な話よ。
 でも、それは政略結婚なら当たり前のこと。当たり前だわ。初めて出会う人と、『あなたはこの人と結婚する』、と言われて、だからって恋愛感情を抱けないものよね。そんな簡単なこと――結婚したからって、他人は他人だと気づかなかったあたしも、迂闊すぎたのよね……。所詮は他人じゃないの。その他人と、ちょっと知り合っただけで、後の人生を託すだなんて、どんなギャンブルよ」
 冷静だった声が、少し、動揺していた。
 ばかみたいだった。必死になって近づこうとした自分を、彼は愚かな女だと思ったことだろう。葬儀の日、驚き、突然のことに動揺していた。そのときに聞いた、彼の妻と子の話は、それまで考えもしなかった分、思いっきり頭を殴られたような気分にさせた。彼に問い詰めたかった。もう、亡くなったと、わかっていたけど。悲しみで泣くような気分にはなれなかった。逆に、何も知らなかった悔しさのあまりに涙が出そうになった。その葬儀の場に立つことが、恥ずかしくなった。うつむいて、ただうつむくばかりで、吐き出したい言葉も吐き出せず、葬儀の場を早々に去った。
「パトリー……その結婚のことは、不幸だったと思う。でもさ、だからって」
 ノアはためらいがちに口を挟む。パトリーは少しだけ笑う。その彼女の表情には、疲れたような影がある。
「ノア、気を使わないでいいのよ。亡くなった人のことはもう、過去のことよ。ただ……その後ね、『愛して子供までいたのならその奥さんと結婚していればよかった』、なんてこと、言わなければよかった。『そうすればあたしとの結婚話なんて持ち上がらなかった、こんなみじめで悔しい思いをすることなんてなかったのに』、なんて。
 そんなこと、簡単にできるわけないでしょう? 父様と母様のときですら大変だったというのに。その父様と母様の結婚の顛末を知っていたあたしが、言うべきことじゃなかった。それだけは、絶対にいけないと思ったことだったのに。でも、父様と母様が結婚していなければ、父様は政略結婚をしていたはずなのよ。今の話のようなね。
 ――あたし、結婚を絵空事のように考えていたのかもしれない。身分違いでさえなければ幸せになれる……そんなこと、あるわけないのにね。父母は散々な離婚。姉様たちは、不幸な結婚をしていったわ。どこにも、幸せな結婚なんてありはしない。そもそも結婚というものは人を幸せにしてくれるのか、と疑問に思った。
 ばかみたいに、いろいろなことを考えた。自分がとても孤独だと、そう突きつけられている気分になって、あたしは、もう、頭の中がぐちゃぐちゃとして……。そして、葬儀の後……」
 苦しげな表情で話すパトリーの目がうるんでいたことに気づいたノアは、後ろからパトリーを抱きしめた。
「もういいよ」
 思わずパトリーの顔は振り向く。戸惑いが顔に浮かぶ。
「もういいよ」
 

 ノアはパトリーの言葉をさえぎった。おそらく、まだ話は続いていたのだろう。
 これは、彼女にとって、拷問に等しかったのだ。今更になって気づいて、唇をかみ締めた。
 ――でも。
「でも……パトリー。それはね、多分間違っているよ。俺の兄も、いわゆる政略結婚をした。でもね、そりゃ心情全ては知らないけどね、幸せそうなんだよ」
 結婚式に出たときの、幸福そうな笑顔。そして何度か会うたびに感じる、小さな動作にも感じる、二人の幸せ。兄も同じく皇子で、さらに皇太子で、政略結婚をするしかなかった。それでも、兄夫婦が一緒にいるとき、二人は幸せだと思うのだ。
「うん……。わかるわ。あたしも、会ったもの。結婚をして幸せだ、って言う人に。『後悔はあっても、それでも幸せだ』、って言ったのよ。とても、まぶしかったわ……」
 人には、いろいろなコンプレックスがあるのだろう。それが彼女にとっての結婚で、俺にとっての皇子のような。
 いつの間にか積み重なって、この雪だるまのように、どんどんと形をなしていったのだ。
「不幸な結婚も、確かにある。でも、俺は、結婚したいよ。だって、これから先の人生、たった一人は寂しいじゃないか……」
「たった一人? ノアにはイライザがいるじゃない」
 ノアは苦笑した。
 イライザは、これからもそばで守ってくれることだろう。だがその場所はいつも自分から一定の距離を置いている。誰よりも自分のことを考え行動してくれているかもしれないが、それは臣下としてで、ノアから見ると後ろにいる。
 隣で、寂しいときそばにいて、落ち着く人はほしい。
 たとえ皇子としての義務でなくても、自分の妻という立場が欲望しか呼び込まない場所だとしても、今でなくてもいつかは、結婚したい。
 年をとっても、ずっと、寂しいのは嫌だ。寂しいのはいやだ。
 知らず知らずのうちにパトリーを抱きしめる手に力がこもる。パトリーは少し恥ずかしくて離れようとしていたのだが、ノアの孤独そうな顔を見ると、動けなくなった。
 結婚したくない人間というのはいるだろう。主義として、そうでなくても幸せな形がある、と思う人は。でも、パトリーは少し違う気がした。
 不幸なことが重なって、それに意固地になっているだけのような気がする。
「……そう、ね。寂しいのは、嫌よね……」
 パトリーは目の位置がずれている雪だるまを見ながら、言葉を続ける。
「幸せな結婚もあるわよね……。あたしは、どこかで、論理と結論を間違えたんだわ……」
 パトリーの小さな呟きは、雪の中に吸い込まれた。
「それが、誰かを……ランドリュー皇子を傷つけることになるなんて……」
 突然出た自分の名前にノアは驚いて、パトリーを抱きしめていた手を離した。
 パトリーは真正面からノアの顔を見据えた。
「……ここにいた間、しばらく考えていたの。ランドリュー皇子と、ノア……。もしかして……」
 ノアは慌てて逃げ出そうとしたが、その前にパトリーが捕まえた。
「その慌てよう……もしかして、本当に……友達なのね!?」
 ノアは固まった。
「は?」
「あんなに、ランドリュー皇子のために怒るなんて、友達としか思えなかったもの。ただの他人のためにあそこまで怒れないわ。……違うの?」
 そ、そりゃ、他人ではないけれど、とノアは思い、反射的にぶんぶんと首を振る。
「あ、やっぱり友達なのね? そういえば、ランドリュー皇子も遊学していたと、噂で聞いたもの」
 やっぱりね、とパトリーは一人で納得していた。けれど急に真顔になって、
「ランドリュー皇子は、この結婚話のこと、知っているのかしら?」
 と聞いてくるもので、ノアは答えに窮した。
「さ、さあ……。す、少しは知っているんじゃないかな……」
 パトリーはうつむいてしばらく考え込んでいるようだった。
「――……。何か、ランドリュー皇子に言いたいことがあるのか……?」
 騙している罪悪感を押さえ、ノアは静かに尋ねた。パトリーは、ハッ、と顔を上げた。
「言いたいことあるなら、俺が聞いておこうか? 確実に、皇子に言うよ」
 パトリーは口を開きかけた。けれど、一度閉ざした。そして首を振り、雪だるまを見つめる。
「……いいえ、いいわ。セラへついて、この旅が終わってから、あたし、直接、ランドリュー皇子に言うわ」
「会えないかもしれないよ。……顔も知らないんだろ?」
「それでも、探して、きちんと目の前で言うわ。皇子は多分、さっきのノアのように怒るわ。それなのに、ノアにそんなことは任せられない。全てはあたしの責任で、あたしが自分のためにやったことだもの。きちんと、直接言うわ」
 ノアは目を細めた。
「そうか」
 雪はいつの間にかやみ、だんだんと空は白み始める。
「ノア、もうあたし、エディの船のところへ行くわ。ノアたちはここでお別れ……よね」
「いいや」
 パトリーはきょとんとした。
「俺も、セラへ一緒に連れて行ってくれないか」
「ノア?」
「俺も……セラで、会いたい人がいるんだ」
 ほんと? とパトリーは笑顔を見せた。
「連れが増えたことにエディがどう言うかによるけど、あたしは嬉しいわ。見ててね、商人の交渉術を見せてあげる」
 ちからこぶを作るマネをするパトリーは、白み始めた空の方へ、先に走っていった。


 イライザはノアの部屋の前で立っていた。外から帰ってきたノアに驚きつつも、イライザは略式的に頭を下げる。
「イライザ……。どうしたんだ」
「殿下、先ほど、シュベルク国本国より指示の手紙が届きまして……」
 ノアは背筋を伸ばし、しっかりと言う。
「イライザ、俺はパトリーとセラへ向かう」
 イライザは目を見開く。
「もう決めた。セラへ、行く」
「……パトリーさんのことは、どうするのですか。セラへついたら婚約破棄……というのに。もう、関係のない人ではありませんか」
「そうだよ。もう、つながりはなくなるよ。だから、そのとき、俺がランドリュー=ノア=シュベルク皇子であることを、きちんと言うよ。今度こそ、きちんと、自己紹介をやり直す。今度こそ嘘偽りなく、新しい関係を作る。そうするために、俺は、セラへ行くよ。もし本国の指示に従わなかったことが問題となるなら、俺が責任を持つ。決断は、覆さない」
 イライザは何かを言いかけた。そして、どこかしらで感慨深い思いが湧いた。
 ああ、やはり殿下は皇子なのだ、と。まっすぐに、清廉な、太陽の照る王道を歩くべき方。いや、無意識にでも殿下はその道を選ぶ……。
 複雑な表情が彼女の顔に浮かぶ。しかしそれら全てを握りつぶすようにイライザは手を強く握り、胸へと押し当てる。
「御意のままに」
 そうして頭を下げてから、イライザはシュベルク国からの指示が書かれた手紙を取り出した。
「……実は、シュベルク国本国からの指示も、セラへ向かうように、とのことだったのです。シュベルク国とグランディア皇国は外交上も強いつながりがありますからね。セラにある、ウィンストン卿の別邸へ向かうように、との指示です。……皇子として、 おこなってもらいたい仕事があるようです。ですから、セラへ行くことの責任をとられることもありません」
 ノアはあっけにとられた。
「ちょうどいい話だな」
「はい。……神というものは、人をうまく動かすものなのかもしれません」
「じゃあ、早く船へ向かおう。出港に間に合わないなんて、しゃれにならない」
 先を行くノアの背中を眺めながら。太陽を見るような、まぶしそうに目を細め、イライザは静かにその場で深く、一礼するのだった。
 そして、持っていたシュベルク国からの手紙を容赦なく握りつぶした。




   Back   Next



TOPNovel「だから彼女は花束を抱える」Top