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 第12話 覚悟と、失望と(2)


 パトリーは、結婚と仕事、という選択肢に、答えを導き出せない。
「い、イライザのこと、気にしないでいいよ。あんな無茶難題、困るのは当然だよな。もう一度あんなこと言うなら俺が止めるから、安心してくれよ」
 ノアの気遣いに、パトリーは気を取り直した。
「あたしたちもただぼーっとしているわけにはいかないわね。少しでも情報を探るべきよね。露店でも何でも、有益な情報が手に入るかもしれない」
 と、2人は露店の店主たちに聞いて回った。
 パトリーが考えるに、セラへ無理をしてでも行く場合、考えられるのは銀山の立ち入り禁止区域を突破する偽りの身分証明書を手に入れるか、それらに関係するコネのある人物とつながりを持つか……。
 さらには、検問を突破することも前提条件で……。
 考えれば考えるほど、正規な方法では到底できない。会社に関して、そういった闇の方面は副社長に任せているものだから、パトリーは詳しくないのだ。それを今になって後悔した。
 いくつもの店を回るものの、返ってくるのは、知らない、という言葉ばかり。
 30を超えた数の露店の店主から、がっくりくるような言葉を聞いたパトリーが振り返ると、
「おや、また会ったなあ」
 さきほど『陸酔い』して倒れていたエディが、またそこにいた。その海賊よりも海賊らしいいでたちに、ノアはひるむ。
「ん、男連れか。声かけて悪かったかい? 男っ気ないと思っていたが、デートたぁ」
「誤解よ。ノアとは全然そんなのではないの。失礼なことは言わないで」
 パトリーは、勝手に誤解されるノアが気を悪くすると気遣い、強く否定した。さくっと答えたパトリーの後ろで、ノアがショックを受けていたが、パトリーは気づいていない。
 パトリーは間で二人を紹介しあった。ノアは海賊の服だけでなく体格でエディに気後れした。
「さっき『陸酔い』したばっかりなのに、また陸に上がってきたの?」
「買い物の途中だったからな」
「そう。ところで、こんな明るい場所で話すことでもないんだけれど、銀山の立ち入り禁止区域を通れる身分証明書か、関係者を知らないかしら」
 物騒な話に、エディは眉をひそめた。
「セラへ、行くためだな。
 残念ながら、そういうつながりのある知り合いはいねえな」
「そう……他に、あと7日でセラへ行ける手段・方法を知らないかしら」
「それも残念ながら、な。ああ、パトリーに会うのも、もうしばらくはないだろうな」
 パトリーは首を傾け、その意味を問う。
「どうして、しばらく会えないの?」
「ちょっと、西大陸に行こうかと思ったのさ」
 西大陸は、その名の通り、この中央大陸から、島国シュベルク国よりもずっと西にある大陸だ。300年ほど前発見され、当初は植民地支配されていたが、今では独立国家が存在する。
「今度は、西大陸との貿易に乗り出そうと思ってな。そのために、現地調査さ。中央大陸では不確実な噂しか聞こえやしねえ」
「……さすが、『海運王』ね。手腕を見習いたいわ。業務提携の件、考えておいて頂戴ね」
「考えるだけ、は、しておくぜ。じゃあ、しばしの別れだ」
 エディは人ごみの中に去っていった。ノアがその会話を、疎外感を感じながら聞いていたことも、パトリーは気づいていなかった。
「……パトリーはさ、ああいう筋肉がっしりとした男が好きなのか?」
「え!? 何言い出すの? ……海の男を束ねるなら、あれくらい力強くなきゃだめでしょ。でも、好きと嫌いとは別問題じゃない?」
「好きと嫌いのことを聞きたい」
 むくれているようなノアの顔を、パトリーは不思議に思った。ノアの意図がつかめない。
「ん〜……比較的、好き、の方かしら……。やっぱり、同じような業界でばりばりやっているし、見習うべきところも多いわ。かといって、あたしの会社は、あそこのような海の男を取りまとめる独断的な会社でもないから、方向性は違うけどね。特にエディのところは、船がすごいのよ。熟練した腕を持つ船員によって、危険度は低く、速さが他の帆船より飛びぬけて速い。一度エディ自ら操る帆船に乗ったけど、あれはもう、すごい、としか言いようがなかったわ。やっぱり手を結びたいのよね」
 ノアが怪訝な顔をしていた。
「……仕事関係でしか見ていない、ってこと?」
「? それ以外の関係って……?」
「いや、なんでもない。考えなくてもいいよ、ほんと」
 ノアはときどきわからないことを言う。でも、彼自身考えなくてもいいというなら、それほど重要なことでもないんだろう。
 気を取り直し、別の露店へ行こうとしたとき。まるで暗殺者のようなすばやさで、イライザが現れた。
 日は暮れかけていた。赤く、にごったような夕日。
「……ひとつだけ、情報を手に入れました。隻眼の海運王がかつて一度、『凪ぎの海』を越え、約一週間でここからセラへ行ったと……」
 曇天の合間をぬって発する夕日の光が、パトリーの左目に映った。スカーフに覆われた右目を、右手でゆっくりなぞる。
 同じ、隻眼の。眼帯をした。海賊のような大柄な。
 『隻眼の海運王』。この業界で、それを指す人物は一人しかいない。
 ――エディ。
 日は暮れかけていた。


『入り口』の近海。そこにエディ所有の大型帆船と、かたわらに小さなボート。
 その小さなボートから、パトリーは大声を張り上げた。
「エディ! いったいどういうことなのよ!」
「おう、勇ましいねえ、パトリー」
 エディは悠然と見下ろしていた。大型帆船の縁から、小さなボートに乗るパトリーを。
「エディ、あなた、セラへ早く行く方法を知っていたのね!?」
「さあて、なんのことやら」
「しらばっくれるのはいいかげんにして!」
 波の音は、思ったよりも大きかった。二人は声を張り上げる。ノアとイライザはオールを漕いでいた。
 パトリーは立って口の周りに手を当て、限りなく顔を上げ、
「詳しい話を聞かせてもらうわよ!」
 と言うも、
「さあて、困ったな。俺には話すことがないんでね。逃げさせてもらうぜ」
 エディはそう言って右手を高く上げた。
 すると、停泊していた大型帆船は、ゆっくりと動き始めた。近くにあったパトリーたちのボートは大きく揺れる。
「このまま、逃がすわけないでしょ!」
 パトリーはバランスをとって、あらかじめ持ってきた投げ縄(片側をボートに結び付けているもの)をぶんぶんと振り始めた。ひゅんひゅんと縄はうなり、掛け声と共に投げ縄の輪は大型帆船の縁の飾りに引っかかる。ボートは大型帆船に引っ張られる形で、急速にスピードを上げる。
 ますますボートで立つことが難しくなったが、パトリーは歯をかみ締める。思いっきり深呼吸したパトリー。ノアは嫌な予感がした。
「パトリー……? おい、なにをしようと……って、パトリー!?」
 パトリーはか細い縄をつたって登り始めたのだった。それも、右手だけで。
 風は非常に強く、縄は揺れに揺れる。彼女も同じく揺れる。帆船の船体に体を打ち付けても不思議ではない。そうなれば、怪我は必至だ。
「神様にでも会いに行くつもりか!」
 大型帆船上のエディもさすがにあわてて体を乗り出して、パトリーを見下ろす。
「あたしを止めたかったら、船を止めなさい! そしてあたしたちを船に入れなさい!」
 エディは苦々しげな表情で、もう一度手を上げた。スピードは落ちる。
「いつもこんなふうにお優しい人間ばかりだと思うなよ。いつか死ぬぜ」
 皮肉にも似た捨て台詞を吐いたエディ。
 パトリーは縄からボートに降りて、
「今がそのときじゃないなら、十分だわ」
 と、満足げな笑みで返した。


「依頼は簡潔よ。あと7日以内に、セラへ連れて行ってほしい」
 船長室にいるパトリー、ノア、イライザ。そしてエディと、部下の人間たち。その部下たちはエディと同じく体つきのいい男たちだ。
「……何の問題もなければ、お優しい俺はそうしてやったことだろうよ。その情報を入手できたことを、手を叩いて称揚してやっただろうぜ。だが、そうしなかった。理由はいくつかある。まず、その方法は、今はまだ安全性は確立されていないこと。実験中に近く、商用段階ではない」
「リスクは覚悟の上よ」
「一番の問題は、俺がお前を信用できないからさ」
 パトリーは見上げる。険しい顔つきで。
「いいか、これはいまだ研究開発中の技術なんだぜ。これが実用段階へと進めば、海運界の革命となる。大きな波紋を広げるかもしれない。その可能性は十分とある船なんだ。それを、研究、実験段階で、技術が盗まれたら? 死んでも死にきれねえな」
「……エディ。あなたの気持ちはわかるわ。それでも、信用してほしいの。絶対にその技術は他へはもらさない。……信用してもらうには、どうしたらいいのかしら」
 エディは、眼帯をつけていない右目を細めた。そして、パトリーの目を――左目と、スカーフと包帯を巻いて隠れている右目を――じっと見て。
「あんたにできるかな」
「信用してもらうには、やる、と言っているのよ」
「なら……『覚悟』を見せてもらおうかな」
 エディは面舵の周りをゆっくり歩きながら、言葉を続ける。
「女のパトリーには、きついかもしれないぜ?」
「男、女が関係あるの。エディの言う『覚悟』には」
「体が傷物になってもかい」
 パトリーの目が大きく見開かれた。ノアがたまらなくなって口を挟む。
「お、お前! パトリーに何をするつもりだ! ふざけるなよ! 『覚悟』だとかえらそうなことを言うわりに、品性の愚劣な、最低の人間じゃないか!」
 ノアの顔は怒りで赤くなって、握ったこぶしも怒りのために震えていた。猛る牛をなだめるようにエディは両手を胸の前で広げて、おさえろ、と余裕のある手の動きをした。
「若干の誤解があるな。悪いが女には困っていないんでね。ほしいのは――眼、さ」
 パトリーの左目の視線と、エディの右目の視線が交わった。
 エディは一歩パトリーに近づき、スカーフに覆われたパトリーの右目に触れた。
「――眼……?」
 パトリーの右目に触れた手と同じ手で、エディは自分の眼帯をしている左目をなぞる。どこか困ったような、苦いものをかみ締めているような。そんな表情で。
「俺の目は、この左眼は……子供のときに海賊に襲われ、傷を受けたのさ。パトリーがまぶただけですんだのと違って、俺のは……完全に潰れちまった。……もうこの左眼は、何も映すことはない。最近まで……そう思っていたけどな。今は新たな技術、科学の時代。他人の眼にすげ替えれば見えるようになる技術が、発明されたのさ」
 ばかな、とノアが声を上げた。
「他人の眼の移植? そんなことはできるはずはない!」
「さっきからぴいぴいぴいぴい。なんだ、こいつは」
 エディは顔をしかめた。
「彼はノア。医学部の卒業生よ」
「他人の体の一部をつなげても、その部分は腐ってしまうんだよ。本人自身の体の一部をつなげる、というだけでも難しいというのに」
「ほう、さすがお医者様の卵か。しかしな、他人の眼でもいい、と言ってくれたのは、裏の世界の医者でね。表には出られないおかげで、新たな発見も技術も発表できないのさ。だが、腕は確かだ。残念だがな、卵サマ。世の中にはあんたの知らない裏情報、というものは意外と多いものだぜ」
 見下された言い方にノアは食って掛かろうとしたが、イライザに押さえられた。
「さて、どうだいパトリー。そのどちらかの眼を、俺にくれないか。本気で行きたいというなら、そこまでの『覚悟』を示されれば、技術の盗まれるというリスクがあろうと俺だって手助けしてやろうという気にもなる。そうしたら、セラへ連れて行ってやる。更に、今後の業務提携も、『考えるだけ』でなく、前向きに検討させてもらう。あれだけこちらが断っていた業務提携を、だぜ?」
 パトリーのまぶたは、もうすぐ治る。あと、ほんの2,3日で。眼は、2つある。
 意識の方向が暗くなりかけた。
「パトリー! こんなやつの言うことに耳を貸すなよ!」
 ノアの声にパトリーは少しほっとした。
「パトリーの眼は、パトリーのものだ。それは誰にも奪うことはできない、パトリーだけがもつことのできるものだ。こんな話、茶番だ!」
「茶番! 冗談でこんな話はしないぜ」
 虚勢であるけれども、パトリーは大声でエディを非難する。
「結局、覚悟とかなんとか言っているけど、眼がほしい、というわけね。回りくどいわ。さっさと言えばよかったのよ。セラへ連れて行ってやる代わりに、眼をよこせ、って! そう脅せば話は早かったわ!」
「『覚悟』をはかるというのも、本当の話だぜ。腕一本や眼ェ一つで、商売成立するなら、ずいぶんといい話じゃねえか? パトリーも満足、俺も満足だ」
「エディ、あなた、見損なったわよ」
「は! おきれいなままで何でもできるなら、誰だって醜いこともしないだろうな。簡単な話だ。本当に、死ぬほどセラへ行きたいのなら、眼一つ、構わないんじゃないのか。本当に商売に命をかけているなら、眼一つで俺との業務提携は安くないか?――それで、どうする。時間がないのは、パトリーだろう?」
 ぎり、とパトリーの歯が鳴る。
 誰が、自分の眼をやりたい、なんて思うものだろうか。
 自分か、結婚か――。
 パトリーは笑いがこみ上げてきた。さっきも似たようなことを考えたことを思い出したのだ。
 そのときは、結婚か、仕事か、だった。今は違う。正確には、自分か、結婚と仕事か、なのだ。
 パトリーは強く、スカーフを握りしめた。そして取り払った。右目を中心に巻かれた包帯があらわになる。
 選択肢ばかりだ。それも、選びたくない選択肢ばかり。逃げたくても逃がしてくれない、粘着質にくもの巣のようにからまりつく。
 全ては思い通りに行かず、達観してしまえば楽だろうけれど。
「あたしは、あきらめない」
 気迫の感じられる声だった。
「エディ、『覚悟』を見せてあげる」
 エディの眉が動いた。
「この右眼を――あげる、と言っているのよ」
 パトリーの左眼が、力強くにらみつけた。
 選んでやる。
 セラへ行くためならば。
 そしてそれはつまり――
 結婚をしない、ためならば。
 破れるほどに、スカーフを握りしめた。




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