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 第12話 覚悟と、失望と。(1)


 かもめが、小さく見える。
 沖には幾艘もの大型船が見える。
「あの船の、どれかに、パトリーが行ったのかな……」
「殿下、いつまで待つつもりです?」
「パトリーはすぐに戻ってくるよ」
 小船の行った橋の下で、二人は立っていた。
「殿下、これからどうします?」
「だから、ここで待つって……」
「そうではありません。もともとの目的、についてです」
 ノアは沖へ向けていた視線をイライザに移す。
「もともとの目的……?」
「忘れてはいないでしょう。もともと、殿下は『パトリー嬢』と結婚をするため、ここへ来るように指示されました。おそらく、ここから大陸に存在するシュベルク国領から島へ帰れ、という意味なのだと思いますが。とりあえず、本国からの指示を待つために、このあたりでしばらく滞在するべきかと」
「……でも、パトリーはセラへ向かう、と言っている」
 二人は視線を合わせた。
「ここで、はっきりさせましょう。あのパトリーさんは、本当に殿下の婚約者の『パトリー嬢』なのか」
 ノアは、明答を避けた。はっきり言うことを、避けたいのだ。
「イライザは、どう思う」
「……彼女にはいろいろな矛盾があります。最初は、セラへ行く、というのはただの言葉のみで、実際はシュベルク国に帰るのではないか、とも考えました。ですが……彼女は本当にセラへ向かうようです。もうすぐシュベルク国で皇子と結婚する、と考えている女性とは思えません。
 殿下の顔を知らない、恋文を知らない、ぐらいのことなら大きな問題ではありません。肖像画を見ていない、見ても絵とは違うので気づかなかった。恋文も誰か他人が書いた。などと、推測が立ちますからね。
 けれども……彼女は兄に言われ、セラに向かうと言います。それが、どう考えてもおかしくなる」
 ノアの顔に険しいものが表れた。
「だから、俺の婚約者ではない、と言うわけか」
「……予測に過ぎませんが。本当の話がどうなのか、あまりに情報と違って、よくわからないのが正直な意見です。パトリーという名でクラレンス家の娘、というのは確かに……できすぎています。こんな状況でなければ、少しは信じてもいいでしょう。ですが、ともかく殿下がすべきことは、この千鳥湾の『入り口』で、待つことであると思います」
 イライザの意見は正しい。いつもそうだ。
 でも、ノアは、
「俺は、パトリーが、パトリーなんだと思うよ」
 ノアは、そう思う。
「なぜですか」
「……それこそ、なんとなくとしか、言えないけどさ……」
 ノアは視線をそらす。はっきりと理論立てて言うイライザに、面と向かって言うことなどできないような、幼稚な答え方だとはわかっている。
「でも、多分、パトリーが俺の婚約者なんだからさ、このままついていこうよ。結婚するんだから、多分セラについたらシュベルク国に戻るだろうし」
 イライザはため息をついた。
 自分の意見があまりにも反論が多いとは、ノアにもわかっている。
「殿下……ご自身でもお分かりとは思いますが……。理由もないそれを、人はただの勘と呼びます。その勘に頼り、ついてゆき、間違っていたら? そもそも本国からはここで待つように、という指示があるのです。皇子というお立場とはいえ、指示に逆らうことが賢明な判断とは思えません」
 ノアにはぐうの音も出ない。
「優しい殿下がパトリーさんを気にかけるのはわかります。ですが、立場もお考えください」
 子供のようにしゅんとなったノアに、イライザは再びため息をつく。
 そのとき、小船がこちらへ向かってきた。パトリーを乗せて。
 小船から降りたパトリーが無事なことに、ノアはほっとした。だが彼女に元気はなかった。
 エディが元気になったことなどを話しているときも、その後も、驚くほど元気がなかった。どうしたんだ、と聞いても、何もない、と静かに答える。元気がないように見えるけど、と言うと、パトリーはノアの顔をじっと見つめ、
「ん……」
 と言ったきり、肯定しなかった。否定もしなかった。
 心配になったノアは、無理やりにパトリーを橋の露店が広がる場所へ連れ出す。喧騒な場だと、元気が出るかと思ったからだ。
「ちょっとハプニングあったけどさ、さっきの続き。海賊の変装するために、服とかそろえようよ」
 あんなにも必死に、セラへ向かおうとしていたのだ。すべきことを思い出して奮い立たせれば元気も戻る、とノアは思った。
 だが、パトリーは悲しそうな顔でノアを眺めていた。うつろな瞳は、ただ地面を見ていた。青い顔は怪我をしてからずっとらしいが、更に青くなったように見える。
 あいにくの曇天で、ぼろぼろと雪が落ちる。そう、降るのではなく、落ちる。日中にもかかわらずいつもより暗い中で、パトリーの顔にも、暗い影が落ちている。
 悲壮感漂うパトリーに、ノアは追求せずにいられなくて口を開いたとき、見計らったかのように、
「……うん。海賊の変装……ね」
 とパトリーが言ったもので、口を閉じざるを得なかった。
 パトリーはかげろうのようにぼんやりしたまま、再び服飾品の並ぶ露店を回った。


 頭を揺さぶられたように、騒がしさが響く。
 曇り空で雪までちらつく中にもかかわらず、人通りは激しいまま。
 パトリーはいろいろな店を儚い様子でさすらっていたが、頭の中は絶望の一色であった。
 海賊の変装をしてももう無駄だ。そうとわかっていても、励まそうとするノアに応えないよりは、と諾した。それでも、こんなことはもう、無駄だ。
 そこまでわかっているなら、ノアたちにもそう言えば良かった。
 ――実はセラに、期限内に行くことが無理だとわかったの。だから、こんなことする意味なんてない。もう、セラには行く意味なんてないんだから――
 言うのが良かったとしても、パトリーには言えない。自分でも……混乱している頭が整理できないのに。
 一月。いや、一月以上。旅をした。
 それを、最後の最後で、こんなふうにあきらめることになるなんて。
 思わず、露店に並ぶ服を強く握りしめていた。あわててしわになっていないか確かめた。
 笑い声が聞こえ、値切り合いの叫びが聞こえ、石造りの橋上を歩くブーツの音が聞こえる。笑い声は幸せそうな響きで、値切りの声は活気があり、靴の音は急いでいるのもあればゆっくりと歩くものもある。
 ねえこっちに広がるのが外海なの、と幼い子どもの問う声が端で聞こえ、父親がその子を持ち上げて、ああそうだよ、と答える。
 なんて、なんて、幸せな。幸せな。
 ぽつん、とひとりぼっちになった心地がした。この世界から、浮き出ているかのように。
 ――できることはもうない。何もできない。
 ゆっくりと、パトリーは眼を閉じ始める。
 睫毛が完全に降りる瞬間、ぽん、と肩を叩かれ、
「人生の墓場だって死ぬわけじゃないだろう。人生に妥協はつきものだ」
 と、嘲笑するような響きで、パトリーとかつて共に旅をした『彼』は言う。まるでその後に、『あきらめろ』と続けるかのように。
 思わずパトリーは目をしっかりと開き、ふりむいた。
 だが、そこには誰もいなかった。
 その場にいた者たちは、いつもどおりに通り過ぎ、喧騒を撒き散らす。完全に通常の姿。
「……白昼夢……?」
 当たり前だ。『彼』はこんなところにいるはずがない。エリバルガ国の首都・マイラバで別れ、ルースと共に今はまったく別の場所にいるはずだ。
 それにあの声は、かつて聞いたセリフ。確か……ボートに乗る前の、口論で。
 その言葉は、通常なら、他の人間の言葉なら、諭されるためのものだっただろう。
 だが、パトリーはそう心を動かされない。
 たった一ヶ月前のこと、たんかをきった自分を振り返る。忘れていた、心を思い出す。
 パトリーは首を横に振った。
 少しだけ笑って、パトリーは自分の口の中でつぶやく。
「……冗談でしょう。あたしは、あきらめない。希望の道は開かれていなくても、あたしが開かせるわよ。期限が終わるまで勝負はついていない。必死になって、やってやるわよ!」
 パトリーは右手に握りこぶしを作り、胸を張って、そこで対峙しているかのように、視線を少しだけ上げた。
「――今度の答えは、どう思うのかしらね」
 それは推測もできず、だからこそ、ふたたびパトリーは困ったように微笑んだ。
 あきらめるのはまだ早い。最後まで、最後まで走って走って、そして、終わってしまうまで。……そのときこそは潔く諦めよう。鎖に縛り付けられた望まぬ運命――皇子の隣にただ立っているだけの存在になること――も、受け入れよう。今まで生きた自分の人生、苦労してなしたこと、そして燃え滾る将来の夢も、……あきらめて。
 パトリーは歯を食いしばる。
 あきらめることを望んでいないのは当然だ。だが、全て今はまだ早い。
 そしてすぐにパトリーはせわしない人の群れに飛び込み、ノアたちの下へ走り出した。
 

 ノアはあからさまに喜んでいた。(仮)婚約者の元気を取り戻したことにほっとしていたのだ。そのノアの様子に、パトリーは、心配をかけて悪かったな、と素直に思う。
 パトリーにとってノアは、とても優しい少年だ。
 素性はよく知らないが、貴族的な余裕のある穏やかさを持ち、人のことを考えられる人間。多少、考え足らずな発言・行動が目につくが、全ての長所を覆い隠すほどの欠点でもない。いい人たちに育てられたのだろう。太陽を真正面からさんさんと浴びる、そんな人だと、パトリーは思う。
 逆に、かつて共に旅した『彼』は、ずうずうしいわりに、人を寄せ付けない氷柱つららの鋭さをときおり見せていた。別に人間が嫌いという風でもないが、あれは……。ふと、先ほどの白昼夢の影響のせいか『彼』のことをひきずるように思い出すが、振り払う。――今はそれどころではない。
 これは個人的なことで、ノアたちを巻き込みたくはなかった。だが、もう正規の方法は使えない今。猫の手でも借りたいこの状況。
「ノア、イライザ。手を貸してほしいの」
 二人はパトリーを見つめる。パトリーはエディから聞いた、セラへ行ける方法がとぎれた話をした。話をしてゆくと再び絶望的な気持ちになるが、そこにおちいる訳にはいかない、と気を引き締める。
「そういうわけで、とてもじゃないけどマトモにはセラに、期限までにたどり着けない。コネでも情報でも、方法があるのなら、手を貸してほしいの。お願い。もし手助けしてくれるのなら、何でも言うことを聞くわ」
 パトリーはノアたちの前で深く頭を下げた。
「イライザ、何か方法を知っているか?」
 ノアはパトリーの真剣さに打たれて、隣のイライザに問う。
「……私自身は知りませんが、ここで裏の情報を入手することなら、なんとかできます……。ただ、方法があれば、の話です。ないのなら……」
「イライザには、その話を聞くことができるのね?」
「…………。何でも言うことを聞く、というのは本当ですね?」
 パトリーはイライザと視線を交わらせた。ノアが、おいイライザ、と小さくたしなめる。
「その情報を聞ける場所は、ノア様にとって危険です。連れて行くわけにはいきません。私が聞きに行っている間、危険が降りかかれば、身を挺して、ノア様を守れますか?」
「ええ」
「第二に、あなたの素性の話を、後でよく聞かせてもらえますか?」
 パトリーは驚きつつも、
「ええ」
 と答えた。
「商売、仕事から、一切手を引いてもらえますか?」
 パトリーは言葉につまった。ノアは今度こそ大声でイライザをたしなめる。
「おい、イライザ。いい加減にしろ。そんな勝手なことを」
 イライザは動揺しているパトリーを静かな眼差しで見つめ、
「……――冗談です。全ては方法が見つかってからの話です。急ぐべきでしょう。では、私は行ってきます」
 と、去っていった。
 イライザがいなくなっても、動揺が収まらないパトリー。
 仕事と結婚。この場合、結婚はしたいことではないが。この2つ、もし選べと言われたら……? あたしは、あたしは――。




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