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 第11話 兄の計略


 雪が降る。ぼた、ぼた、と。
 落ちた雪は彼らの身にまとわりつく。しかしすぐさま地に落ちる。
 彼らは――パトリー、ノア、イライザは走っていたからだ。
 大きな大きな橋の上。
 人通りも激しく、頭に荷を乗せて歩く人々を縫うようにして、3人は逃げていた。
 橋は小さないくつかの島を基点として、いくつもかかっている。パトリーたちは橋をおり、橋の陰に隠れた。
 追ってきた兵士たちは気づかずに道をまっすぐに行く。追っ手を振りまいたことを確かめると、3人はようやく安堵の息をついた。
「パトリーさん、どういうことでしょうか……」
 イライザの声には剣呑なものが混じっている。
「ど、どういうこと、って、あたしにも何がなんだか……!」
「ですが、あの兵士たち、パトリーさんの名前を呼んで、捕らえろ、と追ってきていましたよね」
「あ、あたし、身に覚えは……」
 パトリーは慌て、混乱しながらも考える。
 ……ライバルの会社から……という雰囲気でもない。
 兵士たちはグランディア皇国側に唯一通じる橋で、待ち構えていた。検問まで設けて。普通に通ろうとすると、パトリーを捕らえようとしてきたのだ。
「……まさか、シュテファン兄様が……」
 ぶつぶつと小さな声でつぶやく。
「どうなんです? パトリーさん」
「まあまあ、イライザ。落ち着いて。追ってくるのは仕方がない。問題は、どうやってあの兵士たちの目をかいくぐって、グランディア皇国側に行くか、じゃないか?」
 ここは、千鳥湾の『入り口』と呼ばれる場所。
 千鳥湾を風船に見立てると、その口をしばっている部分。実際この場所が陸地でつながっていたら、千鳥湾は湖と呼ばれていた。まさに、海から千鳥湾への『入り口』。
 『入り口』において大陸の北部と南部は、小さな島と橋でつながれ、人の流れが非常に活発だ。巨大すぎる橋には、露店が並ぶ市場の様相を呈している。
 その北へ通じる唯一の橋で、検問を構え、待ち構えていた兵士たちに追いかけられたのだった。
 なだめるノアに、パトリーを責めるイライザの声はしぼむ。
「……ノア様がそう言うのなら……ですが、どうやってあの兵士たちの目をかいくぐりますか?」
「俺にひとつ考えがあるんだ」
「なんなの?」
「ここは、変装が一番じゃないか?」
 イタズラをしようとするかのようなノアの表情に、反射的にパトリーはため息をつく。「あのねえ、ノア。遊んでいる場合じゃないのよ」とあきれた口調でパトリーが言うのは当然だろう。
「遊ぶつもりはないよ。見る限り、馬車も中を検められていた。検問を突破するには変装するのが現実的じゃないか」
 意外にも、理にかなっている。ということでパトリーは変装する事にした。
 運よくこの付近には露店も並び、服も多く売られていた。
「こ、こんなものでどうかしら」
 着替えて出てきたパトリー。
 着ているのは、喪服。
 靴まで隠すほどに長い真っ黒なロングドレス。通常吊っている左腕は、負担にならないように下ろしてみた。そして小さな帽子からの黒いベールが右目を隠している。
「右目を隠す、という服装となると限られますからね」
 イライザはちょいちょい、とベールの角度を直す。
「ノア……どうかしら、これ」
 すそを右手で優雅にあげ、ノアを見上げて、にこ、と笑ってみる。
 するとなぜかノアの顔が赤くなってくる。
「……? どうしたの? ノア。風邪?」
「い、いいいいいや、な、なんでもないよっ。う、うん。……よく、似合ってる……」
「え、そう? よかった。じゃあさっそく検問を通ってみるわ」
「私達はここから見てますから」
 パトリーはそうして検問まで再び行く。
 しかし……
 どだだだだだだ
「あと少しだったのに!」
 橋の下に、パトリーの叫び声がこだました。
 荒い息をしながら戻ってきたのは、検問へ行って数分の後のこと。兵士に再び追われ、すそを思いっきり上げて、全速力で逃げてきた。
 非常に寒い地域にも関わらず吹き出た汗をぬぐう。
「ああ、もう! こんな長いドレス選ぶんじゃなかった!」
 パトリーはベールをむしりとって投げる。下から右目の部分に巻かれた包帯が現れた。
「ど、どこが悪かったんだ? いつもの男装と違うのに」
「どうやら、右目を隠している人は、集中的に狙われているようなの。おまけに左手も動けるか調査しているようよ」
「そこまでパトリーのことを知っているのか、向こうは」
 おそらく、シュテファンはパトリーの後を誰かにつけさせたのだ。だから、右目の怪我も、左腕の骨折も知っている。全ては推測に過ぎないが。
 ノアは包帯の巻かれた右目を凝視している。
「その右目、眼球は傷ついていないんだろう? まだ、まぶたは治らない?」
「もうそろそろ大丈夫そうだけど……でも、あと少し、かかりそう。でも治るまで待てない。もう、本当に時間がないの。あと7日なのよ、期限まで。ここで馬を手に入れて、全速力で駆けないと、セラまで間に合わない……」
 真剣に焦りを見せるパトリーに、ノアとイライザも考える。
「別の変装を考えなければなりませんね」
「でも、あと何がある? 右目を隠せて、なおかつ怪しまれない。そして、検問を通してくれそうなもの?」
「…………あ」
 イライザが顔を上げた。
「あります。一つ、ありますよ」
 パトリーとノアは、イライザへ視線を投げる。
「――海賊、です」


「海賊なら、右目に傷を負うことも、よくあることです。眼帯をつけた海賊像、もよく知られているでしょう? 兵士たちも自分の身を考えれば、危険な海賊なら通してくれることも考えられます。多少のワイロは必要だと思いますが」
 パトリーたち3人は再び露店の並ぶ橋の上だ。
「じゃあ、思いっきり危険で、有名そうな海賊の変装をすればいいんだな? じゃあ、俺たちも変装するか? 1人よりも3人の方がよさそうだし」
「危険そうな、海賊……」
 パトリーは歩く人々を見回す。頭にかごを乗せ歩く女もいれば、子供もいる。だが、中には危険そうな海の男たちもいる――
 観察して、服装などをまねればいいわけだ、とパトリーはうなずく。
「まずは、眼帯ね」
 ちょうどそういう露店があったので、パトリーは選ぶ。危険そうな海賊のつける、眼帯を。
 真剣に選んでいると、すぐ後ろを通り過ぎた男が、ばたん、と倒れた。ぎょっとして振り返ると、男は、うう、と口元を押さえて震えている。
「な、何、どうしたの?」
 思わずパトリーは倒れた男の横に座り、肩を叩く。
 ごろん、と仰向きになった男に、ノアとイライザは息をのんだ。
「こ、こいつ海賊だよ! パトリー、離れるんだ!」
 その男は、まさに危険な海賊、という姿。
 左目に眼帯。眼帯から頬にはみ出すように傷跡がある。
 茶髪に近い金髪は短く、無精ひげが生える。体つきもがっしりとして、海の男という服装に、反り返った短剣を腰にかけている。
 その男が青白い顔で口元を押さえ、小刻みに震えているのはアンバランスだ。
 周囲の人たちも少し離れて、中央にその男とパトリーだけが取り残されたようだ。
「パトリー、危険だよ!」
「そうです! 倒れたふりをして、何をたくらんでいるのか……」
 パトリーはじっとその男の顔を見て、おもむろに男の肩をかつぎ、立ち上がった。
「周りに固まってないで、どいて頂戴!!」
 右手のみで男を支えてふらふら歩くパトリーに、野次馬たちは道をあける。
「パトリー! 海賊だぞ!?」
 ノアがパトリーに近づく。パトリーは振り向いて、
「違うわ! 彼は海賊じゃない。エディ。あたしの知り合いよ」
 と言った。
 ノアとイライザは一瞬、顔を見合わせる。問おうとしたときにはパトリーはずるずると男をひきずり、橋の海側の手すりまで行っていた。
「エディ! しっかりして、あなたの船はどこ!?」
「………こ、の橋の下に……小船をつけてある……」
 男は口元を押さえながら、震える声でささやく。あまりに小さな声に耳を傾けて、パトリーは再びずるずるとひきずって橋の下まで降りた。
 ノアとイライザが追ってきたときには、すでに小船はパトリーと、エディと呼ばれた男を連れて、海へと出ていた。


「ああ……助かった……」
 顔色がよくなったエディに、パトリーはほっとした。
 小船でエディの大型船まで到着して、すぐに寝かせると、しばらくして元気を取り戻した。
「……それにしても、まだ治ってなかったのね、その『陸酔い』」
 エディという男は、海賊ではない。ただの運送などを行う船を持つ、船長だ。
 眼帯、屈強な体、反り返る短刀、などから海賊に見られがちだが、人と物を、船を使って運ぶ運送会社の社長とでも考えればいい。
 30代前半にして、その筋ではよく知られた男。
 そのエディの弱点が、『陸酔い』。
 子供のときからの船上生活が長すぎて、陸に上がると、酔うそうだ。ひどい船酔いをするかのように。こうして船に戻ると、治る。
「治す気もねえから。……パトリー、久しぶりだな」
 エディは少しばかりばつが悪そうに笑う。
「それにしても、右目に左腕、怪我ばかりだな。その目は見えるようになるのか?」
「眼球は大丈夫だったから」
「そりゃあ、よかった。オレのようにもう二度と見れなくなるよりも、な。なんでそんなことになった?」
「エリバルガ国の革命騒ぎに巻き込まれてね」
 エディは遠い目をして声音を低くする。
「ああ……今ぐちゃぐちゃしてるとこだな。ハリヤ国とヴァイア=ジャハ国との戦争、エリバルガ国の革命……最近は陸が物騒になったものだぜ。そういや、あんたんとこのシュベルク国、ハリヤ国に難癖をつけたんだって?」
「シュベルク国が?」
 初耳である。エディはそのあたりのことを簡単に説明してくれる。
「ハリヤ国がヴァイア=ジャハ国に宣戦布告したろ。その、戦争を仕掛ける理由に対して、な、シュベルク国が抗議したのさ。今のところハリヤ国とシュベルク国とで戦争まではいかんだろうが……。海で戦争はなるべくしてほしくねえんだがねえ」
 パトリーはうつむいた。海どころではなく、陸でも行ってほしくない。あの平和な、のどかな、そして田舎の国、母国には。
「辛気臭くなっちまったな。とにかく、ここまで運んでくれてありがとな。なんかほしいものあるか?」
 パトリーの眼が煌き、商人の顔になる。
「そんなお礼はいいから、業務提携を結ばないかしら。あなたの船の速さ、正確さ、とっても優秀だもの」
「ははは。だーめだ。パトリーが一人前になったらな」
「いつもそうよね。こっちが熱心にアプローチしてるのに」
 頬を膨らませたパトリーに、子供をあやすように促すエディ。
「ほらほら、小船で送らせるから」
「……そうだ、ここから大陸北部側に送ってもらえないかしら。一度戻って、ノアたちも連れて」
「ん? 大陸北部……グランディア皇国に用があんのか」
「そう。セラに行きたいの」
 エディの目が曇った。
「そいつぁ……今は難しいんじゃねえかな……」


 海上、別の大型船で会話があった。
 夫婦の会話。シュテファンと、シルビアの。シュテファンはパトリーの兄だ。
「しかし、検問だけで大丈夫なのですか? シュテファン様」
 彼の妻は少し納得がいかない。
「検問をもし、突破されれば……」
「いくらの人数を送り込んだと思っている。橋だけではない。海から回りこめられないよう、海からの船にも監視をおこたるな、と言ってあるのだ」


「大陸北部方面の『入り口』に着く船、小船にすら兵士が検問をしててな。右目を隠してる女、怪我してる女、というのはとっつかまるみてえだ。お、そういやパトリーも条件に合うな。どっかの犯罪者を捕まえる為だろうが。ふしぎなのはそれが一週間後には解除されて、とっつかまってる奴ら、全員解放される、ということだ」
 一週間後……!
 一週間後は期限だ。セラへ箱を届ける、期限……!
 パトリーはこの検問が兄・シュテファンの仕掛けたものであることを、疑う余地もなく確信した。
「まあ……それなら、いろいろと方法はある。ワイロを使うだとか、コネを利用するだとか。それだけだったら、難しいとはいわねえけれど……」
 エディの顔をパトリーは振り仰ぐ。


「確かに……どんなものにも穴はある。一度突破されれば終わりだ。だが、万が一それをやりすごしても、パトリーはセラへはたどりつけない……」
 シュテファンは薄く口元だけで笑う。
「何を、したのですか」
 こわばった顔でシルビアは夫を見る。
「私は何もしていない……これは、ただの偶然の話だ。千鳥湾の『入り口』からセラへ向け、大きな街道がある。海沿いにいくつか山があり、それを少し迂回する形にできた道だ。その街道を通ることは、最近禁止された。その山が、銀山だとわかったからだ」
「銀……!」
 銀は貴重なものである。金には及ばないものの、それに次ぐ。
「グランディア皇国は、即刻その山と、その付近を通行禁止区域に指定した。厳しい警戒態勢がしかれ、私の検問どころではない人数を割いているらしい。グランディア皇国民ですら、限られた人間しか入れないような地域に、外国人が入れるわけがない。
 現在セラへ行く陸路は、その禁止区域を大きく迂回したルートを使うしかない。それまで人のあまり通らない道を通り、豪雪をかき分けて。馬を使っても、確実に3週間以上かかる。
 海路がむだなことは、よく知られているだろう。直線距離にすると陸路よりも短いが、あそこは『凪ぎの海』と呼ばれる、どんな不思議か風がほとんどない海だ。波もろくにない、船乗りにとってはまさに魔の海。帆船よりも、奴隷制時代に人力で動かしていたガレー船の方が早い、と皮肉まで言われているほどにな。『入り口』からセラまでなら、『凪ぎの海』を迂回するから、陸路とほぼ同じ時間がかかるはずだ。更に、念のためセラ行きの運行船には乗せないように、との指令も出して……」
 シュテファンは薄い笑みを濃くする。
「もともとパトリーがこの賭けに勝てる要素はなかったのだ。シュベルク国から中央大陸行きの船がなければ、個人所有の小型船、ボート、いかだ、その程度しか海を越える方法はない。そんな力のない船では、潮流の関係で大陸北部に直行することはできない。『凪ぎの海』もあるからな。逆算すれば、私が提示した日数ではセラまでたどり着けないことはわかっていた。……まあ、そうしなくとも、パトリーは途中で怪我を負い、大幅に時間をロスした。私がここまで手を下す必要はなかっただろう。今頃パトリーは『入り口』にいるだろうが、絶対にセラへは期限時間内にたどりつけない。絶対に、だ」
 シルビアは夫の、自信のある態度に納得した。確実に、自分の思い通りに動かす。それが、このシュテファンのやり方。妹を、落としいれようとも。


「だから、セラに行くのは、今すごく難しくなっちまったのさ」
 エディの説明に、パトリーは、呆然と立ち尽くしていた。
 万事休す――
 彼女は顔を青くして、何も考えられなかった。何も、考えられなかった。


 その時代――この世界では、まだヒコウキの発明される少し前の時代で……
 海と陸、どちらもがだめならば、もう方法はなかったのだ。
 もう方法は、なかったのだ。




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