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 第10話 未来の妻(1)


 汚くも雪が残っている。雪は泥で汚れて、美しいとは言えない。
 ざっかざっかと3人は山を進む。
「なあ、パトリー。いろいろと訊きたいことがある。まずさ、パトリーの正式な名前って何て言うんだ?」
 パトリーは疑わしげな目を向ける。
「……なに。あたしが嘘をついている、って?」
「い、いや、そんなこと思っているわけじゃ……」
「そうやって人に名前を尋ねるときは、まず自分が正式な名前を名乗って頂戴」
 言われてノアは言葉に詰まった。
 今まで『ノア』と名乗ってきたのだ。いまさら『ランドリュー』なんて言えば、騙していたと誤解を招く。おまけにこの片目のパトリーが本当に、婚約者である『パトリー嬢』であるのなら、すでにこちらの顔を知っているはずだ。
 パトリーと合流する前にイライザと話し合っていた。こちらから自分の身分は明かさないようにしよう、と。もし赤の他人なら、身分を知ることでよからぬことを考えるかもしれないから。そもそもノアは自分の身分、皇子と言うのを好んでいなかったからという理由もある。
 黙ったノアに替わって、イライザが次に問う。
「……見つけた箱に、大層な家紋が彫られていましたね。パトリーさんは、もしや貴族ではありませんか?」
「うぅん……まあ、あなたたちに隠さなきゃいけないことでもないから言うけど、確かに貴族よ。でも、ノアだって、貴族じゃないの?」
 ノアとイライザは言葉が出ない。
「イライザはどうやらノアの従者? もしくは部下? みたいな感じだし。雰囲気がお上品とまではいかなくても丁寧だもの。二人とも整った顔しているし」
 イライザは心の中で、彼女に対する認識を改めた。鋭いとまではいかなくとも、ある程度の観察眼はあるようだ。殿下がのんきな分、私が気を引き締めなければ、もしかしたら早くに素性がばれるかもしれない、と思った。 
 一方ノアは、実は皇族なんです、とも言えず、
「まあそんなもの」
 と答えた。イライザがごまかすように、問いをパトリーに向ける。
「なぜ、セラに向かっているのですか?」
「兄様から大事な箱を運ぶように言われてね。そう、2人が探してくれた箱よ。期限があるから急がなくちゃいけない。もうほとんど時間がないの」
 ノアの眉の辺りにしわが寄る。
 思い出す限り、結婚まであと一月程度だ。もし本当に彼女があの『パトリー嬢』であるのなら、運び屋なんてやっている暇もないはずだ。そもそもシュベルク国にいるはずなのだ。
「もうひとつ。あなたは以前、熱烈なラブレターを書いたことはありませんか?」
「なにそれ? 誰に対して書けっていうのよ」
「俺に」
「はあ?」
 短いその声には、わけがわからない、何言っているの? という感情がありありと示されていた。
「い、いやなんでもない。勘違い。忘れて」
「ならいいけど。本当に急ぐから、スピード上げるわよ」
 パトリーはさっさと山道を進む。
「………………」
「………………」
 同名の、赤の他人ではなかろうか。
 振り返りもせず容赦なく急ぐパトリーの背中を見ながら、そして読んだラブレターの熱い内容を思い出し、ノアは思った。


 2度目に思ったのは、日が落ちた後のことだった。
 すぐそばに小さな泉が見つかったので、その近くを寝床にする。夜は早く寝て、朝早くに出発するらしい。そして夕食時、それは起こった。
「うっわ、マズっ!」
 ノアは口を押さえた。目の前にはパンと、食べかけの肉。
「殿下……ではなく、ノア様! もしや毒!?」
「いや、この肉、塩味しかしなくて、すっごいまずいんだよ。おまけにかたすぎる!」
 はぜる火を隔てた向こうにいるパトリーが立ち上がった。
「塩漬け肉、というのはそういうものなの。保存食なんだから仕方ないでしょう?」
「だって、前に食べたのは香辛料があった。こんな塩だけの肉、まずすぎるよ! もっとマシなもの用意して! こんなもの、食べないからな!」
 パトリーはノアのそばまでやってきて、右手を振り上げた。
 殴りかかる前に、イライザが止めた。
「何をするんです」
「殴るに決まってるわよ!」
 ぐぐぐ、と攻防があったが、その場は力の強いイライザが勝った。
「……いーい? これは商人として言わせてもらうけどね、こんな混乱した国でいい食べ物がうまく手に入るわけがないでしょうが! 暴動が起こるような国ではね、商人だって立ち寄らないの。なら食料だってうまく回らないの。そんなときに手に入る肉がおいしいまずい言っている場合ではないのよ!」
 『商人として』って……彼女は貴族ではなかったっけ……。ノアが考えていると、パトリーは右手でノアの体をがくがく揺らし始めた。
「それともあたしの腕が悪いって? ええ、悪いわよ、悪いわよ。シチュー作って、中のじゃがいもが生のまま出すような女よ。今日の肉も、焼きすぎたかな、って思ったわよ! 料理へたで悪かったわね!」
 がくがくがくがく、シェイクされすぎたせいでだんだん気分が悪くなってきた。
 ノアは地雷を踏んでしまったことを自覚した。こんなことなら自分で料理すれば、まだマシだったかも、と考える。
 実際そうしていたとしても、料理の結果は同じだろう。彼に料理の経験はないから。
「ノア! 何かあるなら言いなさいよ!」
 揺らされて気分が悪すぎて、答えるどころではない。
『ノア様の肖像画を見て、私は胸が張り裂けるような思いにかられています。知性の高さも聞き及んでおり、早く妻としてお会いしたいものです……』
 ラブレターの一節がノアの頭に浮かぶ。そして美貌の肖像画も。
 同名の、赤の他人だ。
 もう絶対に。
 あのラブレターと同じ人物だというなら、もはや2重人格だ。
 ノアはそう断定した。


 月が泉に映りこんでいる。
「イライザ、何で止めてくれなかったんだっ」
 こそこそとノアは小声で言う。
 月明かりで多少見える泉のほとりで、ノアとイライザがいた。
「叩こうとはしておりませんでしたから。殿下も嫌がってなかったようですし」
「嫌がるどころじゃないだろ! あんなに揺さぶられて!」
「それに、殿下も多少悪いのですよ。こんな旅路でフルコース並みのものが食べられるわけがないでしょう。彼女の言ったことも正しいです。香辛料を使った保存肉は高価で、特にこんな国では流通しません。香辛料なしの塩漬け肉は、うまく調理されていても、あれと同じくらいの味ですよ」
「そんなこと言われても、マズいものはマズいんだよ! うう……あの後何も食べれなかったから、腹がすいてきた……」
「殿下、国民はそのマズい肉を食べているのです。驕り高ぶったまねはしないでください」
 イライザの言葉にノアは口をつぐむ。
 平らかな泉に、波紋が広がっている。映し出された月も、それにあわせてぐにゃぐにゃと揺れる。
 肌が痛むように冷たい、空気。
 ノアは指先が冷えたので、両手を組み合わせる。
「……それで、どう思う?」
 うって変わって冷静な声のノア。
「さあ……どうにもまだ判断はできかねるかと」
「俺はもう十分だと思うけどな。あれが、手紙を寄越した婚約者であるはずがない。そもそも肖像画と姿かたちも違うじゃないか」
「そうですか? 同じ髪の色、同じ目の色をしています」
「それだけ、だろ?」
 イライザは口元に手をやって、ぽつりぽつりと言い出す。
「少し……疑問に思っていることがあります。……手紙を書いた『パトリー嬢』は、どこで殿下のことを知り、あんな殿下への熱烈な恋文を書くようになったのでしょうか」
「さあ? 会ったことないし、わかんないよ」
「幼いときから侍っておりましたからそれは承知しています。顔も知らない、常に外国にいるような、いわば遠い国の人である殿下に、あそこまで強い思いを持てるのでしょうか」
 ノアは少し考える。
「……16歳の少女なんだろ? 格段にうまく描かれた肖像画を見せられて、これがお前の将来の結婚相手だ、と言われ、『皇子』という称号に目をつられれば、箱入り娘が恋することも不思議じゃないんじゃないか?」
「なるほど。肖像画を見せられた殿下と同じようなことになるわけ、ですね?」
 ノアはじっと考え始めた。
 そうだとするならば、そんな相手と上手くいくだろうか。
 『皇子』だというだけで何か特別な存在、と勝手に思われることはある。実際はただの大学生なのに。(いや、もう卒業した)。
 あの手紙も、『パトリー嬢』が勝手に思い描いた『皇子様』に対してのものなら、自分を見て落胆するだろう。
 それは、見たくない。
 ――いや、それは自分も同じ。相手を非難することはできないけれど。
 できれば――そう、できれば、俺が皇子であることを、気にとめないような人がいいんだけどな。
 がさ、と軽い葉の音がした。




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