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 第8話 花婿行列


 島国シュベルク国。
 現在の帝政になったのは、400年ほど前。
 その当時、中央大陸の広大な西沿岸地域を支配していたグランディア皇国の家臣が、シュベルク国にまでやってきたことから始まる。
 グランディア皇国はそのとき、「魔法の国」と呼ばれていた。これは当時の人からするとまったく幻想的なものではなく、恐怖の象徴であった。純粋なグランディア皇国民のほとんどが使え、「魔法軍」なるものも存在したという。特に皇王の血筋を持つものは、比較にならないほどの魔力を持つと、言われていた。
 それは田舎の島国とはいえ、シュベルク国にも伝わっていた。そこへグランディア皇国の家臣、という人間がやってきて。グランディア皇国と同じ手法で――つまり、魔法に対する恐怖をもって、シュベルク国を支配したのだ。
 無論現在、魔法の恐怖での支配はしてない。いや、できようはずもない。魔法を信じる人間が少なくなったからだ。魔法のカラクリが次々と解けてきたから。それはグランディア皇国も、シュベルク国も、だ。
 400年前シュベルク国にやってきたグランディア皇国の家臣の末裔が、現在のシュベルク国皇帝である。その家臣はグランディア皇国から追い出されて逃げてきた、という説もあるが、シュベルク国が帝政を堅持する限り、主流の説とはならないだろう。
 ノアは思う。
 その家臣とやらが、皇帝になろうと思わなければよかったのに、と。


 物語は一つ、時間と場所を変える。
 パトリーとオルテスが別れた同じ日に、同じエリバルガ国で。
 中心部にある首都・マイラバから少々離れた場所に、学問の都があった。
 そこにはエリバルガ国随一の、最先端を学ぶ大学があり、小学校があり、その他、すばらしい各種の学校がある、まさに学問の都。
 そこの近くに、ずいぶんと立派な館があった。周囲には人工的に作られた、季節を彩る美しい庭がある。もうすぐ春になろうといる今、花の芽吹きが楽しみな場所だ。
 他の学生が寄宿舎に入るなどしている中で、その学生はその館で優雅に暮らしていた。しかも大学に入る為にわざわざ作った館。
「ランドリュー殿下!!」
 口ひげの真っ白な老人が、怒髪天を衝く、とばかりに真っ赤な顔をして、紅茶を飲む男にそう言った。
 一秒ほど反応しなかった男は、
「え? あ、俺?」
 と振り向く。
 茶髪は丁寧にされているのかつややかで、一筋だけ細い三つ編みにしている。瞳は明るいスカイブルー。着るものは華やかではないが、シンプルゆえにセンスがいい。飾りは唯一、両耳につけたピアス。それにしたって小さな宝石がついている。
 その彼が頬をぽりぽりと掻く。
「その、ランドリューっていうの、言われ慣れていないから、言われても自分だと、分かりにくいんだよ。学友はみんな、ノアと呼ぶし」
「それは殿下が皇子という身分を知られないために名乗られた、かりそめの名でしょう」
「かりそめじゃないよ。ノアも本当に俺の名前だし」
 貴族階級の人間に、名をいくつも持つものは多い。庶民ですらよくある話だ。
 彼は、ランドリュー=ノア=シュベルクという、シュベルク国の皇子であった。当たり前の話ながら、正式な名はもっと長い。
「とにかく! 儂はほとほと殿下には失望いたしましたぞ! 殿下の結婚の話だというのに、ろくに聞こうともせず!」
「いやいや、実は大学のテスト前でさ、それどころじゃなかった、というか。あー、卒業できてよかった」
 のんきに高級な茶器で紅茶を飲みながら、もう、今回のテストは大変でさ、あはは、と笑う姿にこの老人は血管が切れそうである。
「殿下の結婚の話なのですぞ!? ことの重要性をわかっておられますか?! 勝手に話は進めておきましたから!」
「え!? ちょっとちょっと、何も聞いてないよ? 俺」
「聞かなかったのは殿下でしょうが!!」
 はあはあと、肩で息をする老人の体を後ろから、女が支えた。
「ウィンストン卿、とりあえず落ち着きください」
「イライザ……お前がついていながら、殿下はなぜこうも、のんきなお人になられたのか……」
 彼女はノア付きの騎士である。
 まっすぐな黒髪を後ろで結んでいる。鎧を身にまとい、背中に二本、クロスするように剣を担いでいる。
 イライザという女性はしっかりとした口調で言う。
「殿下は皇子という身分にふさわしい方です。私は殿下をそのようには思いません」
「やめろよ、イライザ。皇子なんて身分、おれは大嫌いなんだから」
 ウィンストン卿はため息をついた。
「まあ、よろしいです。ともかく、話はもうだいぶ進んでいるのですからな。結婚はあと、一月後、でしたかな」
「ひとつき!? は、早過ぎない?!」
「相手のクラレンス家が、ともかく早く殿下との婚姻によって縁続きになりたいそうで。それにちょうど、殿下も無事、大学を卒業いたしましたし。殿下の結婚はシュベルク国民には直前に知らせる手はずになっております」
「ええ〜!? それにしたって早すぎるよ!! お、おれ、心の準備とかまだ……。というか、相手のことすら知らないんだけど?」
 ばくばくしてきた心臓を押さえ、ノアはもはや美しい風景を見ながらティータイム、というわけにはいかない。
「今まで聞かなかった殿下が悪いのです。しかし相手のことを知らないというのは、困りものです。今日、クラレンス家ご息女、パトリー嬢の肖像画を数枚持ってきています」
 ウィンストン卿はパチン、と指を鳴らし、メイドたちが重そうな等身大の肖像画を運んできた。
 見た瞬間、ノアの意識が真っ白になった。
 同じく見たイライザは言葉も出ない。
 あまりに、美しすぎた。
 美の女神、と名乗られても信じてしまうほどに。女性であっても、この美女の前にあれば嫉妬する気も失せるだろう。
 整いすぎた顔かたち。赤みを帯びた黒髪は背を覆いつくすほどに滑らかに長く、長い睫毛の下にある紫の瞳は蠱惑的に、熱情的に見つめる。ふっくらとした唇はつややかで少し笑いかける。この中央大陸でも最先端を行く流行のドレスを着て、魅惑的な体のラインを見せていた。
 総じていやらしいわけではなく、つまり、非常に魅力的な女性だ。
 椅子に座り羽がたっぷりの扇を持っている図と、立ってドレスのすそを優雅につまんでいる図、それと座って眠った子犬をなでている図。
 そのシチュエーションが緩和させているのかもしれない。
「お、俺、こんな年上美女と結婚するの……?」
「何を言います。パトリー嬢は、18歳のランドリュー殿下より年下の、16歳ですぞ」
 すばらしく信じられない話だ。
「パトリー嬢は非常に殿下を慕っているようで、すでに何通ものラブレターもありますぞ」
 この美女が、と思うとノアの胸が高鳴る。
 ウィンストン卿から渡されたラブレターは、どれも上品で美しい字で書かれた、博識な、教養の感じられる熱情的なものだった。
 先ほどまでとまどっていたノアはいまや、自分は世界でもトップクラスの幸運な男ではなかろうか、とまで思っている。
「――文句はありませんな?」


 ノアとイライザは、ウィンストン卿に手を振られ、馬車で旅立った。
 ウィンストン卿の伝える、シュベルク国本国の指示によると、とりあえず現在いるエリバルガ国を抜け、千鳥湾の『入り口』まで行くように、とのことだった。おそらく、中央大陸に少しだけある猫の額ほどのシュベルク国領から、島国へ帰国する手はずなのだろう。シュベルク国領は、千鳥湾の『入り口』から北にある。
 彼は3番目とはいえ、皇子である。
 彼の乗る馬車は本来一級品の、4等馬車。だが、途中で少しランクの下がったものに乗り換えた。
 警備の為の兵士が騎乗して横におり、世話をするための使用人たちも後からついてくる。
 出発してから2週間後。その大所帯は小さな道を進んでいた。山に通じる森の中。
「殿下、注意してください」
 最も近くで警護する任を負っているイライザは、ノアと同じ馬車内で囁く。
「いくら当世、肖像画はそのとおりに描くことが当たり前とはいえ、所詮は絵です。クラレンス家が売り込もうとしているのですから、本当にあの通りとは限りません」
「少しは違うってこと?」
 ノアは2割ほど妖艶さなどを割り引いた図を想像してみた。しかし、それでも美女が美女であることは変わらない。むしろ、親しみやすい。
「少しくらい、あれより違っていても構わないよ」
 イライザはその言葉にほっとした。
 この皇子は少々、子供っぽい。もし、がっかりするよう結果であれば、会ったばかりのパトリー嬢の目の前で、詐欺だ、嘘だ、などと言いかねない。妻に対して最初からひびが入るようなことでは、困りものだ。
「それより、まだエリバルガ国を抜けないの? もう2週間以上馬車で走っているのに。おまけに小さな道ばかり通っている気がするよ」
「申し訳ありません。本来大通りを進む計画でしたが、通り抜ける予定だった町・ウダナで2週間前暴動が起こり、町中が火の海になったようなのです。皇子の御為を思い、危険な場所を避け、こうして遠回りをしております」
「暴動って、え、本当に大丈夫なの?」
「……覚悟は、しておいてください」
 硬い表情で、イライザは囁く。
 実はこのエリバルガ国、ウダナの暴動が起こってから、国中で大規模・小規模は問わず、爆発的に暴動が発生している。領主の館が襲撃された、という件数は2桁以上だと言われる。基本的に国王の腐敗政治に反発して起こったものらしい。国王軍と各地で争っているが、どちらが勝つかはわからない。
 ノアは他国の皇子とはいえ、非常に危険だと言わざるを得ない。
 イライザに、学問の都に残っていたウィンストン卿が、即座にエリバルガ国を脱出するつもりだと、鳥で知らせてきた。皇子もなるべく目立たぬように、早くエリバルガ国を出た方がいい、との忠告と共に。
 馬車は目立たないものに乗り換えたが、危険度は高い。
 馬車が、急に止まった。
 突然のことだが、即座にイライザが背中にある2つの剣に手をかけた。
「貴様ら! 貴族だな!?」
 うおおおお、との男たちの雄たけびと共に、外で戦闘が始まった。
 イライザは馬車の扉を開け、ノアをかばいながら、瞬間的に状況把握。
 まるで敵の大親分を見つけたかのように、男たちはノアたちに向かってきた。騎乗した護衛の兵たちはそれを食い止める。
 手にすきやくわを持った男たちが比較的少ない場所を見つけ、イライザは片手でノアの手を引き、片手で剣を振るう。
 ノアは青ざめながらも、強引なイライザに付き従うのみ。
 護衛兵とは毛色の違うノアに気づき、敵が迫ってきた。
 雪はもうないとはいえ、木の根や、枝などはうまく逃げさせてくれない。
 針のような葉を持つ、高い木の林立した地域まで2人はたどり着く。たどりついたのは、追ってきた男たちも、である。
 ノアにくわを振るった男に、イライザが右手の剣で押しとどめる。そこに、別の男からすきがスイングされた。
 イライザはノアを握っていた手を離し、間一髪でもう一つの剣を左手で抜き、防御した。両手に力を入れて2つを跳ね返し、がら空きの男の腹に剣を突き刺す。もう一人の男はイライザが突き刺した隙を狙って再びすきを振るうが、その前に、すばやい動きのイライザにななめに切られた。
 どんどんと男たちがやってくる。10人どころではない。
「お逃げください!」
 両手に剣を構えるイライザは、固まったままのノアに叫んだ。
「ここは死守いたします! お逃げください!」
「死守など言うな! 生きて、生きて、俺を一生守ると誓っただろう!!」
 即座に喝破したノアの剣幕に、イライザは一瞬ひるむ。
「決して死ぬな! 生きて誓いを守れ!」
「……はい! 必ず、後でお目にかかります!」
 ノアは走り出した。
 イライザにくわを振るう男たちの姿が一瞬かいま見えたが、全力で走り出した。
 針葉樹林が邪魔をし。方角もわからず。だが走る。
 何時間走ったのかわからない。追ってくる人間の足音はしない。
 光が。道が、見える。
 止まって、息を整える。少しだけ木の影から顔を出して、目の前の道を見た。
 右、左、と見ると、ノアは愕然とした。
 馬車が転がっているのだ。ノアの乗ってきた、馬車が。
 延々と走り回って、元の場所に戻ってしまったのだ。
 周りには数人、血にまみれて倒れている護衛兵。襲い掛かってきた男たちはもういない。
 ノアは護衛兵たちに走り寄る。
「おい、しっかりしろ、生きているか!?」
 順番に確認するが、絶命している。しかし一人だけ、う、とうめき声を上げた。
「おい、生きているんだな? ああ……どうしたらいいんだ。こんなところに治療の道具なんてそろっているわけがないし……そもそも……」
 おろおろするノア。
 彼は医学部生であった。それにしたって医者ではないし、もちろん専門的な道具もない。おまけに大怪我を治す経験もない。
「……でん、か……ご無事、でし、た、か……」
「ああ、無事だ。と、とりあえず、血を止めないと……」
「わたしは、もう、だめです……」
 鎧をはぎかけて、ノアは止まった。傷口を見て。医学的なことに経験不足でも、ノアにはわかった。
 ……ああ、もう……これは…………
「……他の、仲間が、連れてゆかれました……」
「使用人たちや、護衛兵だな?」
「そ、れと……イライザどのも……」
 ノアの目が見開かれた。
「……殿下……本国に連絡をし、て、兵を呼び、彼らを、た、すけだし……て……」
 彼の声はかすれていった。
 ノアは何度も声をかけるが、もう、二度と目を開けることは無かった。
 しばらくすると、山菜を採りに来た通りすがりの男が現れた。この惨状を見て腰を抜かしていたが、馬車に残っていた金品を渡し、この護衛兵の墓を作ってくれ、と言うと、快く受け入れた。
 そして、いろいろな情報を聞いた。
 最近、革命軍だと旗印を掲げ、火をつけたり、家を襲ったり、今度のように馬車を襲う集団があると。
 その集団はすぐ近くの山にある廃鉱を拠点にしていると。
 ノアはそれを聞くと、育ちの知れた優雅な礼をして、その方向に走ってゆく。
 本国に連絡して、兵をこの国まで引き連れ、それから助け出す、なんて待っていられなかった。
 俺が、助け出す!
 そう勢い込んで、ノアは再び走った。
 うっそうと茂る木々に隠れながら、言われたとおりの場所に廃鉱の穴があった。周囲には朽ちれた建物と、よくわからない機械。
 2人ほどが門番として立っている。姿を見ると、先ほど襲ってきた男たちと同じような服装。
 絶対助け出すからな。
 決意を胸に、そこらにあった木の棒を手にして突撃しようとしたとき。
 軽くノアの肩を叩く存在。
 すぐに振り返ると、小柄な少年が立っていた。
 右目にスカーフを巻き、スカーフの下には包帯が見える。右目を怪我しているのか。左目だけから、紫の瞳がノアを見つめていた。髪は赤黒く、肩ほどまでに短い。
 顔が青白いのは、怪我のためか。
 ノアは警戒を解かず、木の棒を握る。彼は細い剣をたずさえていた。
「…………。……あなたも、殴りこみに来たの?」
 ノアは驚いた。声が高い。
 少年ではない、少女である。コートの下からはズボンが見えているのに。
「女?」
 彼――いや、彼女は笑った。
「悪かったわね。女に見えなくて。その木の棒で、あいつらと戦うつもり?」
「そういうあんたは、なんなんだ」
「あの残虐非道なやつらから、大事な、大事なものを、取り返しに来たのよ」
「奇遇だな、同じだ」
 ノアは同じく笑う。そして警戒を解く。彼女の力をこめた言い方で、本当のことを言っていると悟ったのだ。
「俺の大事な仲間が、捕まっているんだ。大切なものを取り返す、というのは同じだ。2人でやらないか?」
 彼女は少し考えた。
「……そうね。一緒にやりましょう」
 ノアは立ち上がり、右手を出した。彼女も右手を出して、握手を交わす。
 そのとき、彼女の『左腕』が不自然なことに気づいた。コートの左腕の部分は、ぷらぷらと中身がなく揺れているのだ。
 よくよく見ると、彼女の開いたコートから、包帯でぐるぐる巻きになった左腕が見える。左腕は首から三角巾で吊るされている。
「ああ、左腕も、怪我を負っているの。ほとんど動かせない」
 見える唯一の左目からは、焔が燃えさかっているように見える。
 怪我だらけの少女に不安を覚えた。だが、数は多いに越したことはない。
 ノアの不安げな顔に彼女は気づかなかったようだ。ふと気づいたように問われる。
「――そうだ、あなた、名前は?」
「ノア」
 ノアは正式な『ランドリュー』ではなく、『ノア』と名乗った。普段『ノア』の方が名乗り慣れているせいでもある。
「あたしはパトリー」
 右目をスカーフで覆っている彼女の名に、ノアは反応をしなかった。
 詐欺だ、とも、嘘だ、とも言わなかった。
 それは少し大人だったというわけではなく、あの美女と目の前の怪我人が、まったく結びつかなかったからである。ノアは気づかなかったのだ。
 ――人間、あまりにも違いすぎるものを見ると、イコールで結ぶことすら考えないものだ。
 どう見ても、8割以上、違った。




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