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 第7話 別れのフーガ(1)


「おわかれだ、パトリー」
 昼ごはんは何にしようか、とそんな会話をしていたときだった気がする。久しぶりに大きな街に来て、食事の選択肢があったのでうきうきしていた。そんなときに、このオルテスの言葉を聞いた。
「ここで、わかれよう」
 オルテスは言葉を続けた。
 パトリーは、ただ、聞いていた。
 別にそれは冷静だったからなどではなく、声が出なかっただけのことで。
 説明を求めたかったのだが、オルテスはそれ以上何も言わず、真正面に見えるエリバルガ国首都・マイラバを見上げていた。
 街の北方にはすぐ、高い山並みがそびえ、街も半分近く山へ入り込み、一番奥にあるマイラバ城は一番高く、尖塔がいくつもあった。
 無論、城には城壁が強固にあるのだが、街自体も厚い城壁に二重、三重に覆われている。
 パトリーはようやく繕い終わった男装姿である。
 オルテスには何も言えなかった。ようやく問うことができたのは、昼食を食べる為、食堂に来たとき。
「わかれるって、どういうこと?」
 ライ麦パンと分厚いハム、それに少しだけ温かいスープを前に、オルテスはすんなりと説明し始めた。
「パトリーの目的地は、グランディア皇国のセラだろう? だが、おれの目的地は同じグランディア皇国でも、首都キリグートなんだ」
「……どういうこと? そもそも目的地があったことだけでも驚きなんだけど」
「ああ、ミラ王国のカデンツァで決めたことだから。最初は、目的もないからパトリーについていこうかとでも考えていたんだが。予定が変わって、どうしてもキリグートへ行かなければならなくなった」
 パトリーはそれでもまだ、冷静であるよう努める『冷静さ』はあった。
「同じ国を目指すなら、別れる必要なんてないじゃない」
 オルテスは疑うような目つきでパトリーを見る。
「キリグートに行ったこと、パトリーにはないな? いいか、パトリーの目指すセラというのは、ここから北西にある。進路としてはここから千鳥湾の『入り口』へ向け陸路を進み、『入り口』を抜けて、グランディア皇国領内に入るのが、最良だろう。だが、おれの目指すキリグートは、ここから北東にある。おまけに、ずいぶんと奥に。グランディア皇国内でも、セラとキリグートは遠い。キリグートに進むには、ここから北西へ千鳥湾沿いに進み、エリバルガ国からタニア連邦へ抜け、そこからグランディアに入る方が近い。このマイラバにいる商人だって、進路としてはその二手に分かれる場合が多いだろうな」
「……海路はどうなの? このエリバルガ国、北にある千鳥湾をそのまま北に進めば、グランディア皇国領じゃない。別れるのはそこで……」
「あの、険しい山脈を越え、海を渡り、さらに再び険しい山を越える? 千鳥湾はほとんどが険しい山に囲まれているのは分かっているだろう」
 パトリーは今度こそ、黙った。オルテスも言葉を発するのはやめた。
 ルースはぱくぱくとライ麦パンをつつき、オルテスはため息をついた。
「そんなに心細いなら、おれについてくるか?」
 パトリーは少しだけ顔を上げた。
「金は出せないぞ、言っておくが。あと、一ヶ月弱なんだろう? 遠回りして、セラまでならギリギリかな……」
「……考慮させて」
 パトリーは独り言を言うような声であった。


 本格的に寒いので、売れ残りのコートを買うことになった。
 さすが首都だけあって店には困らなかったが、街の様子が何かおかしい。
 ミラ王国よりも地面に座り込んでいる人間が多いだけなら気づかなかったかもしれない。騒動が、やけに頻繁に起こるのだ。
 兵士と平民が悶着を起こし、家々では盗みや強盗が頻発しているようだ。
 治安が悪い。政治を行う首都でこの状態とはいろいろと信じられない。
「何か、あったのかしら」
 パトリーが周囲に気を配って歩くと、オルテスも鋭い目で気を配っていた。
「政治が混乱しているのか、単に治安が行き届いていないのか……」
「なんにしろイヤな感じね」
「気をつけろよ、パトリー。おれは金を持っていないが、パトリーは持っているだろう。外国人だと思って、盗まれる可能性が高いぞ」
 パトリーは堅く、首を前に振った。コートの中にある箱を握り締めた。
 そして、お金のことを考えたが、ため息をつかざるを得ない。
 この旅で、どれだけのお金が飛んでいっただろう。考えたくないが考えてしまう習性がにくい。
 去っていったお金様を無駄にしないためにも、この箱をどうしてもセラに持ってゆかねばならない。
 確実に期限内に運ぶのなら、どう考えようとも最短距離を行くべきなのはわかっている。だが……。
 目の前で、騒ぎがあった。
 複数人の男たちが二人の女にからんでいる。
「なんだい、あんたたちは! ちょっと、離しなさいな!」
 一人の女は大声をあげて抵抗もしているのだが、もう一人は声を上げていない。だが、体では十分に抵抗していた。
 考えるよりも早く、パトリーの体は前に出ていた。
「何しているのよ! あんたたちは!」
 男たちが一斉に睨んできた。パトリーも負けじと睨み返し、
「大勢で女性によってたかって、恥ずかしいと思わないの? 何人もいて、止めようとする人はいないの?」
 と、しっかりとした声音で弁をふるう。
 それに対して男たちは用いるのは言葉でなく暴力にしたようで、懐からナイフを取り出してパトリーに向かった。
 さすがにオルテスが一歩出たところで、パトリーは腰に差していた細い剣を抜いた。
 猪突猛進する男一人のナイフを剣で受け流すのは、まだたやすい。
 他の男たちが同じく懐から出そうとしたとき、さすがにパトリーの顔色が変わった。
 じり、と一歩下がったが、男たちが標的を変えることはあるはずがない。
「そこの人たち、今のうちに逃げて!」
 パトリーができるのは、今のうちに先ほど絡まれていた女たちを逃がすことだけ。剣を握る手に力をこめ、下から睨み上げるように紫の瞳を光らせた。
 一人が真っ先にパトリーに向かう。
 ナイフを受け流そうとするがそうはいかず、剣とナイフが交わる。
 長時間そのままなら剣を持つパトリーが勝てただろうが、男は剣の動きが止まった瞬間、パトリーの足を思いっきり払った。
 パトリーは倒れこむ。
 コートの中にあった箱が転がる。
 オルテスが抜いていた剣でその間に入ろうとするのと、男がナイフをつきたてようとするのは同時。
 そのときだった。
「おい! そこにいるやつら! 何をしている!」
 表通りから路地裏に顔を出したのは憲兵だ。
 舌打ちをしながら、男たちは逃げてゆく。
 パトリーが憲兵の存在にほっとして剣を下ろした向こうで、オルテスはパトリーの足を払った男の腕を捕らえる。
 次の瞬間、捕らえた腕を地面へと押し付け、背を容赦なく踏みつけ動けなくさせた。
 憲兵はオルテスが捕らえた男を乱暴にひっつかみ連れて行った。
 いたた、とパトリーは起き上がる。そしてコートの中に入れていた箱の不在を悟ると、パトリーは顔を青くさせた。この箱は、結婚をしないために、絶対に必要なものなのに――。
 きょろきょろ見回すと転がっているのがすぐに見つかる。
 転がった箱は、開いていた。
「なに、これ」
 パトリーが呟くと、オルテスもその箱の中身を見た。
 あるのは、細い針のような短剣。柄はなく、デザインもシンプル。
 それと、指輪だった。クラレンス家の紋章が彫られた、インクをつけたらスタンプになりそうなもの。これは高価そうだ。
 箱自体にクラレンス家の家紋があるのだから、高価そうな指輪が入っていることに不思議はない。
 問題はこのほっそりとした短剣だ。
「……普通の、短剣のようだな。価値はそれほどないだろう」
 手に取りいろいろな方向からオルテスは眺める。
「何のためなのかしら、この短剣は」
 パトリーは首をひねった。
 そのときおずおずとようやく、裏路地の更に裏にまで逃げていた女二人が現れた。
「あの……どうも、ありがとうございます」
 言葉を発したのは絡まれていたときも叫んでいた女。
 もう一人の女はやはり何も言わずに、だが礼儀正しく深々と頭を下げている。
 どちらも三十代だろうか。
 無口な女はまだ若々しく見える。
「ああ、助けてくれたお礼をしたいんだけど、あいにくと何も……」
 話す女の服のすそを引っ張って、無口な女は髪を数枚と黒鉛を布で巻いた鉛筆を取り出して、何かを書き始めた。それを話すほうの女が見たら、今度は嬉しそうな顔で話を続けた。
「こちらはソフィアと言うのだけど、彼女は占い師をしている。よかったら、占わせてほしい、と彼女は言っている。あいにくと、ソフィアは声が出ないのだけど、占いの腕はエリバルガ国一だよ」
 声が出ない、と聞いて襲われていても叫び声を上げなかった理由がわかった。
 ソフィアという女性は長い黒髪を持った、緑の目をした女性だ。エリバルガでよく見かける顔立ち。若いというほどではないが『おばさん』というには早いようだ。よくよく見てみると、占い師らしく怪しい服装をしている。
「あたしはソフィアが書いたのを人に伝える仕事をしていてね」
 隣にいる、比較的普通の姿をした女は言う。
 この時代、識字率は上昇傾向にあるとはいえ、字を知らない者も総数としては多い。聖職者や商人、貴族たちが知っているのは当然とはいえ、労働者階級などでは知らない者も多いのだ。教育においてはエリバルガ国が随一というが、そのエリバルガ国ですら、国民の半分が知るか知らないか、というレベル。
 必ず筆談が通用するわけがないのだから、こうして書いたものを読む人も必要なのだ。
 パトリーたちは占ってもらうことにした。


 ソフィアの占いの館に案内されて、薄暗い部屋でパトリーとソフィアは二人きりとなった。
 パトリーは字が読めるので、わざわざ読んでもらう必要がなかったため、読み上げる係の人は必要ない。だから二人きりなのだ。
『何を占いたいですか?』
 几帳面な字で書かれたものを渡された。
「……旅をしているのですが、それがうまくいくかどうかを」
 ソフィアはカードを切って、並べ始めた。そして数枚めくっていったのだが、ソフィアは首を振った。
『占ったけど、答えが曖昧すぎる。ある意味でうまくいき、ある意味ではうまくいかない。もうちょっと具体的なことはだめかしら』
「じゃあ……ひとつ、迷っていることを。あたしは今、セラへ向かおうとしているのですが、それを最短距離で行くのがいいのか、連れのオルテスと回り道をするのがいいのか」
 ソフィアはにっこりほほえんだ。
 先ほどと同じ手順でカードを並べ、数枚めくる。
 カードをめくる度に好ましい笑顔が、険しいものへと変わっていった。
「な、なんですか? 何か……?」
『最短距離は、やめたほうがいいわ。あなたの身を思うのなら』
「何が、あるんですか?」
『火』
 ソフィアはその単語だけを書いた。
 簡潔な、あまり質のよくない紙に書かれたその単語が頭の中にこびりついた。
「なら、回り道をしたら?」
『ずっと安全。光り輝く何か、があなたを守ってくれる』
 なんとなくだが、それはオルテスのことだろうと思った。
「その回り道をして、期限どおりにたどり着けるのかしら」
『そこまでは、占えない。占いは全てを見通すことができるわけではない』
 パトリーは並べられたカードを見た。その方面には詳しくないのでそれが何を表しているのかは知らない。鮮やかな図柄のカードを見る。
『占いは、道を指し示すだけ。決めるのは、あなた自身』





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