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 第6話 白煙は春を呼ばず(1)


「泊まれないって、どういうことさ」
 隣で騒ぎが聞こえた。
 ミラ王国の首都・テベでのことだ。宿屋で部屋を取って宿帳にパトリーが名を書いていたとき、隣で騒ぎが聞こえてきた。
 一人の年老いた女性が騒ぎ立てていたのだ。
「さっき隣で部屋を取っている奴らがいたじゃないか。どうしてアタシだけだめなんだい?」
「お客様……申し訳ありませんが……」
 同じように見ていたオルテスが率直に独り言を言うように言った。
「あの姿なら、断られるだろうな」
 その女性はあまりいい身なりをしていない。ぼろぼろのショールを肩にかけ、薄汚いドレスを着ている。頭はきゅっと玉ねぎのように一つにまとめ、背筋はぴんとしている。顔にはしわがあり、骨ばっている。赤毛は白髪が混じり、吊り上った目は宿屋の人間を睨みつける。
 これなら無理だろうな、とオルテスは思う。
 それほど格の高い宿屋ではないが、貧民が泊まれる宿屋ではない。
 カデンツァからこの首都まで旅をして、ミラ王国のことを知ったが、所得格差が大きいらしく、たいていの街では完全な住み分けが行われている。
 パトリーはこの国が憧れだと言っていたが、国に憧れを持つのはどうかとオルテスは考える。貧民がいる時点で、いい国とは言えないだろう。
 そう言ってしまえば、歴史上も今後も、いい国など現れないだろうが。
「あの!」
 幾分か緊張した様子で声をあげたのは、宿帳を記していたパトリーだった。
「あたしたちと相部屋でよければ、どうですか?」
 オルテスは幾分か驚いたが何も言わなかった。
 吊り上った目をした女性は、疑うような目つきでこちらをなめまわし、
「あんたたちと?」
 と言った。いい気分はしない。
 最終的にこの女性と同じ部屋に泊まることになった。
 名前はブリジット、と名乗った。
 ところがこちらの話を聞かないまま長々と話されたもので、オルテスとパトリーは名乗る暇もなかった。


「窓際のベッドはアタシがもらうよ。扉近くの、外からの音がうるさい場所でなんか、眠れるものかい」
 部屋に入ると、ブリジットはまずそう宣言した。
 ちなみにこの部屋は『二人部屋』。ベッドは二つあったが、もう一人はあまり寝心地のよくない簡易ベッドに眠ることになる。
 ブリジットが乗っ取ったベッドは、その簡易ベッドではない。
「わかりました。じゃあ、あたしがその簡易ベッドにするわね」
 パトリーはそう言って自分のベッドに荷物を置いた。
「ブリジットさんは、どうしてテベまで来られたんですか?」
 妙に丁寧な言い方でパトリーは尋ねる。
「なんだい、失礼だね。人に尋ねるときにはマナーというものがあるんだよ。育ちが知れようというものさ。ぶしつけすぎるよ」
 と、ブリジットはパトリーに尊大な態度をとるが、すぐにいきさつを話し始めた。
 無駄な自慢話も混じっていたが簡単に言うと、金を受け取るあてがあって、テベまで出てきたということだった。普段は近隣の町に住んでいるという。
 金を受け取ったら、新しい服とアクセサリーを買い、おいしい食べ物を食べるそうだ。町で雑貨屋をやっているそうだが、うまくいかないらしい。
 そうだろうな、とオルテスは考える。この態度を見れば、客にすら頭を下げるか甚だ疑問だ。
 オルテスは一つ尋ねた。
「ブリジットさんは、貴族階級出身か?」
 一度呼び捨てにしたらキィキィ怒られたので、面倒になってさんづけして尋ねた。ブリジットは少々狼狽して、
「どうして分かったんだい?」
 と答える。
「態度が特徴的だからだな」
 部屋を共にしようと言われようが、パトリーに部屋代はいらないと言われようが、ベッドを譲られようが、お礼を言わない態度を見れば何となく察しがつく。
 唯一好意的に言ったセリフが、「近頃の若者にしては、まだマシな性格をしているね、あんた」だ。ずいぶんとパトリーは気を使っていると思うが、それでも名前を尋ねようともせず、使用人扱いである。
「まあ、昔の話さ。貴族の暮らしに飽きたからね、こうして平民の身にやつしているのさ」
 その言葉が本当かも疑問だ。疑問が多すぎる。
 ブリジットはオルテスを指差した。
「あんた、そこで突っ立っているなら、魚を揚げたやつを買ってきておくれ。テベの名物だと言うけど食べたことがなくてね」
 オルテスは行く気がまったくなかったが、パトリーに金を渡され押し出される形で、使いっ走りをすることになった。


「なんで、あんな女と一緒の部屋に泊まることにしたんだ」
 オルテスは不機嫌そうなオーラを隠さなかった。
 あの後、ブリジットは魚の揚げ具合が気に入らないだとか、量に文句があるとか言って、オルテスは三度ほど、往復を繰り返した。おまけに代金はうやむやのうちに、パトリーが支払うことに。
「もう、今更でしょう? 決めたんだから。それに、ずうずうしさではオルテスも負けてないわ。部屋に用意されてたお菓子、あたしの分まで食べちゃって」
「さっさと食べないほうが悪い」
 パトリーとオルテスが歩くのは、人通りが激しい市場だった。
 いわゆる、ブラックマーケット。
 ミラ王国の首都だけあって、テベは広い。百貨店が並ぶ高級な大通りもあれば、貧民街を縦断するブラックマーケットもある。
 食べ物や美術品、武器。盗品や麻薬もそろっているかもしれない。
 遠くにはひときわ大きな城が見える。
 それが、ミラ王国の女王が住む、テベ城。
 ずいぶんと立派で、目の前のブラックマーケットに乱立する屋台と比べると、天と地の差だ。見回しながら考えていると、白いもやが降りてきた。
「あ、霧だわ」
 朝からずいぶんと寒かったせいだろう。霧は濃くなって、完全に城の姿は見えなくなった。
 この辺りではよくあることなのか、横切る人々の足は鈍らない。
「……どうして、こんなにも貧しい人々が多いのかしら……」
 パトリーはうずくまっている子どもや、花を懸命に売る少女を眺めている。
「平民に選挙権だって与えられて、町は発展していって、小麦は不作でなかった。なのに、どうしてかしら……」
「おれには、その選挙という仕組みは良く分からないんだが」
「あたしも詳しくは分からないんだけど、議会の議員を選ぶのに、貴族だけでなく、平民も選べるようになったそうなの」
 二つ設置された議会は貴族院と平民院。貴族院は貴族からしか選ばれないが、平民院は選挙権を持つ平民なら立候補できるという。
「平民の声が聞ける、すばらしいものだと思っていたのだけれど」
「選挙権があるのは平民、全員か?」
「まさか。一定の税金を払った、富裕層よ」
「ならこの現状も、仕方ないだろう。富裕層と貴族のみが政治を動かせば、貧民は見捨てられても仕方ない。必死に助ける義務などないだろう?」
 霧がかった風景は、白い煙が立ち込めているようだ。
「完全な制度などありえないさ。にしても、政治を議会が動かすのなら、王は何をしているんだ?」
「エリス女王の話は、あまり聞こえてこないの。三十年以上前に夫君を亡くされて、それからずっと王宮にこもりきりだというわ」
「政治は?」
「議会に任せきり。記念式典にはお出でになられるけれど。むしろ聞くのは、息子のジョアン王子ね。王子と言っても、もう四十近い年齢。王子は議会が政治の権力を持つことに反対しているの。憲法上では確かに、議会を開くのも全て、王に権利があるから。ジョアン王子が王についたら、議会も霧散するかもしれないわ」
 憂鬱な未来を考えているように重いため息をつくパトリー。
「いいんじゃないか? それで」
「何がいいのよ。平民の声を聞く機会はなくなるのよ」
 オルテスは皮肉げにパトリーを見下ろした。
「パトリーも貴族だな。結局パトリーは身分格差については反対していないだろう? だが、平民の政治への権力を増したら、いやでも平民への権利や福祉は充実し、いつかは貴族も平民もなくなるかもしれない……まるで、タニア連邦のように」
 パトリーは息をのんだ。
 タニア連邦とは社会主義の国だ。貴族も農奴もなく、皆同じ身分。その代わり、個人の私有財産についてはあまり認めていない。国民は国営の農場や会社に勤めなければならない。
 私的に貿易を行う身としては、非常に好ましくないわけだ。
「そんな国になるよりまだ、王権が強く、平民に政治の権力を与えない方がいいだろう。この姿は、その弊害というわけだ」
 目の前を歩く人々には疲労の色が濃い。
「それでいいのかしら、本当に」
 パトリーの言葉にオルテスは答えなかった。答えの出ないこと、個人ではどうしようもないこと、いくらでもある。
 このブラックマーケットに来た理由は、パトリーの剣を買うためだった。
 何かを決意したのか、パトリーは剣を買ってせめて自衛ぐらいはできるようになりたいそうだ。そこで、いい剣を選んでくれ、と。
 食料品を売る地域を抜け、一際ぶっそうなものが立ち並ぶあたりで、歩く速度を落とした。
 パトリーにはどういう武器がいいのか悪いのかは分からないらしい。背丈や小柄なことから、あまり重くないものを選ぶ。
 最終的にパトリーに持ってもらい使い勝手を確かめて、買うことになった。
「パトリー、これだけ金がかかるそうだ」
「え? ……ちょ、ちょっと、高くない?」
「当たり前だ。おれの剣の分も含まれている」
「え!? オルテスも買い換えるの? って、あたしの剣よりも立派そうじゃないの!」
 オルテスの剣は、鞘に竜が彫られ、ところどころに穴が開いている。おそらくそこにはかつて宝石が埋め込まれていたのだろう。現在は一つ残らず宝石は取られて、鞘の彫刻も少し壊れている。
 おそらく盗品だ。宝石が全て埋まっていたなら、ずいぶんと立派な宝剣となっていただろう。
「そういう宝剣って、実戦で使えないんじゃないの?」
「いや、刀身は切れ味もよさそうで、思ったより軽い。使い勝手もよさそうだ。で、金を出してくれ、パトリー」
 パトリーはぷるぷると震えている。
「あ、あんた……かんっぺき、ヒモ体質が身についているわね……あたしはオルテスの母親ではないわよ」
「肩もみぐらいするぞ、苦労性のおふくろさん」
「あたしを怒らせたいわけ? オルテス……」
「パトリー、これは先行投資だと思えばいいんだ。新たな剣で、命が助かるかもしれないだろう?」
 なだめすかせているうちに、パトリーに金を出してもらい、剣を買った。なだめすかせることだけは自信がある。
 あまりに高すぎるということで、パトリーは値切り交渉をずいぶんと長くやっていたが。
 本当に美しい剣だ。
 柄は手になじみ、鞘の彫刻も美しい。竜の片目がひときわ大きく穴がくりぬかれていた。どんな宝石が入っていたのか。どんな色の目で、この竜は睨んでいたのか。
 霧は濃くなり、その竜が溶けてゆく気がした。


「遅かったな、パトリー」
 口ひげが整っている中年男性が、しわを深くして微笑んだ。
「遅くなってすいません、父様」
 パトリーは様になるお辞儀をして、手で促された椅子に座った。
 パトリーの父はオルテスを見て、パトリーに紹介を求めた。
「あたしの旅に付き合ってくれている、オルテス。オルテスはシュベルク国の本邸で六ヶ月ほど暮らしていたんだけど、父様は本邸にお帰りになってないから、お会いしたことなかったわね」
 オルテスは少しだけ頭を下げた。
 ここはパトリーの家の別邸だ。
 テベ郊外に大きな館としてある。鹿なども数頭飼っているらしい。
 パトリーの父はシュベルク国にほとんど帰らず、このミラ王国のテベを拠点に活動をしているらしい。詳しいことは知らない。
「買い物をしているうちに、遅くなって悪かったわ。父様が明日はだめだっていうから、急いで馬車を走らせたのよ」
「悪いね。明日はどうしてもだめなんだ」
 曖昧にパトリーの父は微笑んだ。
 オルテスはパトリーの兄姉とも何人か会っている。一番上のシュテファンとも顔を合わせたが、この父とはあまり似ていない。
 パトリーとシュテファンは似ていると思うのだが、それを言うとおそらくパトリーは怒るので言わない。
「シュテファンと賭けをしているんだって? 皇子との結婚を賭けた」
「父様にまで知られているのね」
「まったく、ばかなことを」
「あたしの将来がばかなこと、って言うの?」
「そうじゃないさ」
 パトリーの父は苦笑した。
「シュテファンだって、何もお前を騙そうとしているわけではないんだ。少しは妥協したらどうだ?」
「妥協したら、結婚しなきゃいけないでしょう」
「強情な。私は良縁だと思うぞ。何といっても皇子だ。お前もいい年だ。夢なんて見るんじゃない。全て理想どおりの男が現れると思っているのか?」
 パトリーは冷たい目を見せた。
「…………。父様、正確に情報が伝わっていないようね。あたしは、誰とも、結婚したくない! そう言っているのよ。相手の選り好みしているわけではないわ」
「ではお前は、四十、五十になっても惨めに嫁ぎ遅れた身で、クラレンス家に居座る気か? 独り身で?」
「クラレンス家からは独り立ちします。そのために、貿易の仕事をしているんですから。どうやら、わざわざここに呼んだのは、その話をするためみたいね」
 パトリーは冷ややかな顔を崩さず、立ち上がった。
「久しぶりにお会いして、変わっていないようでよかったです。また会うときも健勝でありますように。では、さようなら、父様」
 一方的に言い放って、パトリーは出て行った。
「おい、パトリー!」
 パトリーの父の声も無視してパトリーは去っていった。
 オルテスはそれを見ていた。
 パトリーの父は顔を押さえて、椅子に前のめりで座る。
「なんてことだ」
 パトリーの父は呟く。パトリーの父は見上げて、まだそこにオルテスが残っていることに気づき、姿勢をただして取り繕った。
「すまない。見苦しいところを見せて。……君は、うちの娘の旅に付き合っている、と言ったね。君も、パトリーの言うことに賛成か?」
 オルテスは少し考えた。かつて自分が親父から強制された結婚を拒否したこと、ミリーと結婚を決意したこと。
 オルテスは肩をすくめる。
「別に、思想が同じだから共に旅をしているわけではない。パトリーに関して言えば最後にあんな出て行き方はまずいと思うが。いつ会えなくなるか分からない家族には、別れ際ぐらい、にこやかにするべきだ」
 その言葉にパトリーの父は少しだけ表情が明るくなった。
「そうだな。今度会うときは、それを叱っておこう。……結婚のことは、あんなに強情だとは思わなかった」
「パトリーはずいぶんと決意が固いようだな」
「おそらく、私の結婚が原因なのだろうな」
 パトリーの父は周囲にしわの寄った目を閉じた。
「私は、ずいぶん前に離婚をしているんだ」
 オルテスは驚いた。
「離婚? 離婚なんて、できるものなのか?」
「ギオンリア神教の教えをかたくなに守るアラン派の教会で結婚したならできないがね、私が結婚したのはファルツ派の教会でだ。ファルツ派の教会での結婚なら、離婚が認められる。シュベルク国の宗教事情は複雑でね、子供たちはアラン派の洗礼を受けているが」
 オルテスは声が出ないほど驚いていた。
「私の離婚も、いろいろと複雑だった。離婚したのは、もう十五年前かな。子供たちは全て私が引き取ることになったが、それがまずかったのかもしれない」
「何がだ?」
「ちょっとした事件が起こったのだ」





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