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 第5話  混濁の街・カデンツァ(1)


 パトリーたちがミラ王国でも有数の街であるカデンツァに着いたのは、ハリヤ国との国境線から四日後のことだった。
 国境線で馬を失わなければ、こんなにも時間はかからなかったと思うのだが、しょうがない。カデンツァまでの道のりの中で、馬牧場で馬を買い、急いでやってきたのだった。
 ハリヤ国で仕入れた赤い花・ガリヤラカと真珠を、カデンツァの支店まで届ければ、とりあえず仕事は一安心である。
 ―ミラ王国は、中央大陸でも一、二を争うほどに豊かな国だ。
 農業国であり、それを輸出する貿易立国でもある。
 国の制度はどうなっているかというと、立憲君主制。
 そのせいなのか何なのか文化は華やかで、服装など流行の最先端の国。そういえば、ウェディングドレスが真っ白いものに固定されるようになったのは、この国の女王の結婚式からだった。
 パトリーにとっては、貿易に適した面としても、文化が華やかな面としても、憧れの国なのだ。
 カデンツァに到着すると、パトリーの口からため息がもれた。
 この街は貿易の拠点として、というよりも人が楽しむため、という色が濃い街だ。どういうことかというと、劇場やカジノといった、人を引き寄せるものが多い。端的に言うと、歓楽街。
 最近、『動物園』というものが作られ、鼻の長い巨大な生き物だとか首が異様に長い生物だとか、世にも珍しい動物たちを飼っているという。いたく想像力を刺激させる話だ。
 刺激的な街に、シュベルク国でも一度は訪れたい、と思っている人は多かった。
 パトリーも貿易業のため二、三度来たことがあるが、そのたびに、シュベルク国のご婦人にカデンツァの話をせびられた。パトリー自身は仕事に忙しくて碌に遊べなかったのだが。
 何度来ても、大道芸を行う人や、劇場の案内のちらしを配る人々に目を奪われる。
「……やっぱり、素敵ね、カデンツァって」
 パトリーは馬車の窓から通りをうっとり眺める。
「騒がしい街だな」
 彼女ほどには関心がない様子のオルテスである。
「オルテスも見てみなさいよ。ほら、あの店なんて看板が立体的に鳥の形をしているわ。向こうでも、ほら笛吹きが……きゃあ!」
 がくん、と馬車が急に傾いた。パトリーもそれに合わせて倒れる。キキィ、という高音を撒き、馬車は止まった。
 オルテスが支えてくれたおかげで頭は何とか打たなかったが、背中を打ち付けて、ずきずきする。オルテスは窓を眺めもせずに座っていたので、被害は少ないらしい。
 鳥のルースは混乱したのか、ばっさばっさと馬車内を飛び回る。
「ルース! 飛び回るのをやめろ! 飯抜きにするぞ!」
 オルテスは怒声を浴びせるが、当のルースはお構いなしだ。
 馬車は傾いたままで、戻らない。
「な、何があったの!?」
 パトリーは傾いた自分の体を何とか立て直そうとしながら、前にいる御者に問いかける。
「……車輪が、堀に落ちたようです!」
 オルテスとパトリーは馬車から降りた。見ると、車輪が堀に半分ほど落ちている。
 上から引っ張りあげようとするも、車体が重過ぎて無理だ。
 ……堀に入って下から押し上げるしかない。
 ちなみにその堀は通水路。雨水などを流す為のもの。幅は人間の足が入れる程度だが、泥が底にある。
 気持ち悪い、という言葉をこらえて、パトリーは茶色の靴を慎重に入れる。オルテスは一つため息をつき、同じく足を踏み入れた。
 二人は息を合わせて押し上げようとする。馬車を約二日、共に押し続けていた実績があるのでタイミングは合うのだが、どうにも車輪が道路へとは上がらない。
 人がぞろぞろと集まってきた。
 その中から、ひょい、と抜き出て、あっさりと堀へと足を入れた人物が一人。
「そこの車輪が引っかかっているわけですね?」
 突然の助け人に戸惑ったのはパトリー。オルテスは息を呑んだ。
 ともあれ、三人の力でどうにか車輪を堀から引き上げることができた。
 三人はカデンツァの中心部を流れる川で靴を洗うことになった。誰もが泥まみれの靴で歩きたくなどない。洗濯している女性から桶を借り受け、それぞれが、ごしごしと洗う。
 パトリーは自分の靴を見てみると、ずいぶんと傷が目立つ。服は北方のかわいらしい民族衣装に着替えているが、靴は替えていない。ほとんど馬車の旅だった。つい最近の、馬車を手押しで進んだことが靴に負担をかけたのかもしれない。
 ずいぶんと乱雑に洗ったが、なんとか元の茶色を取り戻し始めたとき、オルテスがぽつりと言った。
「久しぶりだな、リュイン」
 パトリーの右に座って靴を洗う男―先ほどの助っ人は、片方の靴を石畳の上に置いた。
「……わたくしも、こんなところで会うとは思いも寄りませんでしたよ」
 パトリーは、二人のの顔を交互に見合わせた。
「知り合いだったの?」
 改めてパトリーは助っ人・リュインの姿を見た。
 年齢は、オルテスと同じくらいの二十五、六くらいだろうか、いや、それ以上だと言われてもおかしくはない。
 硬質な銀髪は三枚の長い布で覆われ、布のコントラストで、頭は派手なように見える。服装もそれに合わせて、数枚の布をずらして、ゆったりとした独特な服装だ。パトリーやオルテスが着ているような、体に合わせた型のある服といった感じではない。
 細い目から覗く瞳は黒い。丸い片眼鏡を右目につけている。片眼鏡をつけられる、ということはすなわち顔の彫りが深いことを示す。
 彫りは深く、色白であるという身体的特徴はここから北方の人々の姿と似ている。だが、服装があまりの特殊すぎて、無国籍風なのだ。
 一見して、大道芸人かと思う外見。中央大陸でも、あまり人の向かわない中央部の国の服装かもしれない。パトリーには見当がつかない。
「お嬢さん、わたくしを見たところで何も出ませんよ」
 ゆったりと苦笑するリュインに、パトリーは慌てる。
「ごめんなさい! ぶしつけに見るつもりじゃ、なかったんだけど……」
 あまりにも特異すぎて、目をひきつけられるのだ。
「若いお嬢さんに見つめられることは嬉しいですよ。わたくしもまだまだいけますねえ」
「…………」
 別に美男とか、もてそうだとか、そういう視点で見てはいないのだが。変なだけで。
「オルテスとは友達なんですか?」
 リュインは微笑んだ。
「わたくしのことは、オルテスに尋ねてください」
「……? オルテス、紹介してくれる?」
 オルテスはリュインとパトリーを交互に見つめ、口を開く。
「この男は、リュイン。間柄は……義理の兄弟、だな」
「義理の、兄弟? それって、あたし、詳しい話は聞かないほうがいいかしら?」
 複雑な家庭環境というやつだろうか。仲は悪くなさそうなのだが。
「いや。ただ、おれの妹の旦那、というだけだ」
 妹。
 パトリーは正直驚いていた。失礼かもしれないが、驚いていた。
「……え! オルテス、あなた妹さんがいるの?」
 そしてパトリーはリュインへと顔を向けた。そして、この変な男は既婚者ということか。なんだろう。いろいろと信じられない。妹さん、大分苦労していそうだ。
「職業は、魔法使い」
 オルテスはさらりと説明する。
「へえ、なるほど……って、は?」
「だから、リュインの職業は魔法使いだ」
「いや、なんですって?」
「おれは何度言えばいいんだ?」
 リュインは困ったように笑って問いかけた。
「おじょうさん、このあたりの出身ではないでしょう?」
「え、ええ。シュベルク国生まれよ」
「ああ、あの島国ですね。だったらしょうがない。あのあたりはそういったものと縁が薄いから」
「……何の話ですか?」
 パトリーは首を傾げる。
「わたくしの忠誠を誓う母国・グランディア皇国は、ずいぶんと昔は『魔法の国』と呼ばれていまして、『魔法使い』が多かったのですよ。国民のほとんどが魔法を使えて、他国を震え上がらせていたと言われているのです」
「大昔の話だろう。今、『魔法使い』なんてやっているのは、リュインぐらいなものだ」
「ちょ、ちょっと待って。ま、魔法って、じょ、冗談よね? それとも、リュインさんは、魔法が、使えるの?」
 パトリーは混乱しながら、もしそうなら見てみたい、という感情がにじみ出ていた。
 パトリーは幽霊が苦手だ。
 だがそれ以上に迷信めいたものは、常識外のことだと思っていた。つまり、御伽噺のようなものだと。ユニコーンに人魚に空を駆けるライオンに天使に悪魔。
 だが、だが、存在するというならば見てみたい。夢見る乙女心だ。
「見たいですか?」
「存在するなら、ぜひ!」
「はい、どうぞ」
 リュインは掌からパッ、と赤い花を出した。
「…………。あの、何ですか、これ」
「だから、魔法ですって。ほら」
 手品だ。だって今、袖口から手に滑り込ませるのが見えた。奇術だ。マジックだ。
「た、たしかに、マジックですけど……!」
「何がご不満ですか? それでは、こちらのタネもしかけもないハンカチから……」
 ひらひら、と大きなハンカチの裏表を見せるリュイン。
「……も、もう結構です」
「閣下!」
 パトリーの落胆混じる声と同時に、後ろから慌てた声が聞こえる。
 立派な、どこかの国の制服を着ている。従者だろうか。
 誰に対して言われたのか分からなかったので、パトリーはきょとんとした。
「リュイン閣下! 探しました!」
「あれ、どうしたんですか?」
 やんわりとリュインは言う。
「ミラ王国からの使者が参りまして、私たちではどうも……」
「仕方ありませんね。オルテス、そしてかわいいお嬢さん」
 リュインは途中でオルテスとパトリーに顔を向ける。腰を折って、うやうやしく頭を下げた。
「わたくしは明日まではここにいるつもりです。どうやらそちらも旅の途中らしいですね。この街を出る前に、もう一度会えればいいのですが。それではさようなら。ああ、ルースも元気そうで何よりでした」
 オルテスの肩に乗っていたルースは少しその目立つ羽を広げた。
 そして、リュインと、呼びに来た男は去っていった。
「……閣下、ですってね。リュインさんって何者なの?」
「だから、『魔法使い』だと言っただろう」
「どうして、ただのマジシャンが、そんな敬称で呼ばれるのよ」
「ただの、あんなことしかできないのが『魔法使い』だと思ったか?」
 パトリーはオルテスを振り仰ぐ。
「……まさか、本当に魔法を使えるの?」
 きらきらとした目のパトリーにオルテスは素っ気ない。
「おれは見たことないな。あのお粗末な手品以外」
「何よ、それ……」
「おれは、リュインとは子どものときから知り合いだったんだが、その時からリュインはこう呼ばれていた。『不老不死の魔法使い』と」
 奇妙な風が吹いた。いやな湿り具合である。
「その通り、あいつの姿はぜんぜん変わっていない」
「本当に?」
 パトリーの声はおびえが混じったようにかすかに震えている。先ほどの浮かれた声ではない。
「本当に、不老不死だというの?」
「知らないさ。千年近く生きているっていう話だ。だから、グランディア皇国で、昔から高い地位についている」
「まさか! ありえないわ! そんな……」
 オルテスは洗い終わった靴を軽く叩き、中に入った水を出す。
「そうだろうな。生まれたなら死ぬのが当然だ。『不老不死の魔法使い』というものを、ある一族が代々秘密裏に受け継いでいったとか、秘伝の若さを保つ健康法があるとか、実はあの顔は薄いマスクをかぶっていて中身が入れ替わっているとか、噂はごまんとある。グランディア皇国で高官につける一種の『身分』だから、それを狙って暗殺し、入れ替わって、さらに暗殺され、入れ替わって、というのを繰り返している、なんて話もある」
 パトリーはあきれた。
「夢も何もないわね、その話。その人と、妹さんは結婚したの? 妹さんも、ある意味すごいわね」
「まったくだ。よりにもよって、なんでルクレツィアはあんな男と。地位だけは高いから、かな?」
 パトリーは、妹の名はルクレツィアというのか、と心に留める。
「オルテスも、グランディア皇国の人なの?」
 オルテスは取り外していた紐を靴につけ始める。少々苦戦しているみたいだ。パトリーの靴も両方とも洗い終わり、水を吐き出させる。
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「何よそれ」
 オルテスはことさらにゆっくりと言った。
「パトリー。世の中には、やむにやまれぬ事情で住んでいた場所を追われる人間だって、数多くいるだろう?」
「……オルテス」
 パトリーは息をのんだ。彼にはそんな事情が……。
「おれは違うけど」
「ってなんなのよそれじゃあ!」
「悪いが話したくないんでね。知ったからって、おれに得があるのか、パトリーに得があるのか」
 損得の話をされると、パトリーは弱い。オルテスはあまりいい顔はしていない。パトリーの顔を見ずに、流れている川を見ていた。あまり美しくなくて濁っていたが、オルテスは眩しそうに眺めている。
「なにより、面倒すぎる。聞いたらパトリーは何かしてくれるというのか?」
 パトリーはこれ以上聞くことをあきらめた。こういう奴だ、オルテスは。
「ああ、そう。靴も洗えたし、行くわよ、もう」
 靴は一足しかない。水に濡れた靴というのは不快だが、方法はない。
「そんなに話したくないなら、もういいわよ。時間としては遅いけど、お昼食べに行きましょ」

 歩き出したパトリーにオルテスはついてゆく。いや、ついてゆくしかない。
 この旅の食費・宿泊費・馬車などはすべてパトリーが用意しているからだ。
 金に関しては、専門家であるパトリーと比べ、オルテスは正直うとい。
 それを考えると、彼女にはいろいろと尋ねる権利はある。だが、彼女はそうしない。追い払うこともできる。それもしない。
 そこに、オルテスは首を傾げるのだ。
 オルテスは、なんて優しいのだろう、と安直に考える人間ではないので、疑いが沸き起こる。人を基本的に疑う性格であるため、それは仕方ないとオルテスは自分の有り様に納得している。彼女の人間性としてそこまでのことはしないだろうと思うのだが、こればかりは性分だ。
 こうやって疑い続けるのも疲れるので、オルテスは決めた。




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