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 第4話 人鳥のいさかい(1)


 このハリヤ国に漂着してから五日間。
 ある一家に世話になってから、徒歩一日でスバリオに到着。そこから三日ほどで、北の国境線近くまでやってきたのだった。本当なら一週間かかるところを三日で国境まで到着したのは、スバリオで手に入れた馬車のおかげだ。
 スバリオという町は小さな町で、それにふさわしくパトリーの貿易会社の支店も、慎ましく小さかった。店の中身は貿易するための交易品ばかりで、大きな物置小屋みたいに物がそこらかしこにある。従業員は大体、ハリヤ国の人だ。
 パトリーが「なるべく急いでグランディア皇国のセラという街に行かなければならない」と言うと、上等の馬を用意できたのだった。
 聞くと、その支店で最も足が速く、優秀な馬たちだと言う。それに対して馬車は、おんぼろだが。
「こいつらの足は保証付きですよ。ハリヤ国とミラ王国の国境まででしたら、あっという間ですって」
 オルテスは馬車につながれた馬たち一頭一頭を撫でじっくりと見ている。馬に興味があるらしい。その隣でパトリーは、支店長と現在の状況について小一時間ほど話し合っていた。
 彼女の顔色は厳しいものである。
 最も早く馬車に乗り込んだのは鳥のルース。次に馬の観察を終え乗り込んだオルテスによって、「鳥なんだから外にいろ」と、ルースは追い出された。乱暴に追い出されたルースは怒りの鳴き声を上げ、その高周波の煩さにオルテスは窓から身を乗り出し「文句あるのか」と人間の言葉で喧嘩し始めた。ぎゃあぎゃあと、なんとも情けない鳥と人間との喧嘩である。
 パトリーは軽く頭痛を覚えながら、馬車の扉に手をかけた。そこに、オルテスの周囲をばさばさと飛んでいたルースが、パトリーの右肩に降りたのである。
 正直この喧嘩どちらでもいいと思っていたものだから、パトリーは右肩に優雅で鷲ほどの大きさの鳥を連れて、馬車の中に入った。
「おいパトリー」
 これは不満そうな人間の言葉。だからもちろんオルテスが発言者。
「もう、いいじゃない。中に入れたって。それにかわいそうよ。馬は速いっていうし、外に出しておくのも」
「鳥は馬より速く飛べるぞ」
 どちらでもいいと思っているパトリーは適当に受け流した。
「暴れたら外に出す、それでいいでしょ」
 不満を隠そうともせずにオルテスはルースを睨む。ルースは座席に爪でつかまり紳士のごとくぴしりと背筋を伸ばしているようだった。鳥なのだから普通のことであるが。
 どうやら、オルテスとルースは決して仲がいいという訳ではないようだ。なら、どうして飼い始めたのか、不思議である。
 馬車は走り始める。
 パトリーはこの揺れがあまり得意でない。歯をぎゅっとかむ。
 一頻りルースを睨みつけていたオルテスはパトリーの姿を見て目を見張り、
「あれ、パトリー。結婚することにしたのか?」
 と少々驚いている。何のことかと思ったのは当のパトリーである。
「……は?」
 としか声が出ない。
 皇子との結婚話を聞いたのか、まさかそんな周囲に知られていたのか、と一瞬頭を過ぎったが、オルテスはたった今、パトリーの姿を見て気づいたような口ぶりである。
 パトリー自身がいまいちよく分かっていないのを感じたようで、オルテスはパトリーを指差す。
「その、婚礼衣装」
「婚礼衣装?」
 反復する。
 パトリーは先ほど服をようやく着替えていた。
 彼女のジャケットやズボンがぼろぼろだったからだ。しかし、オーダーメイドで作ったような男装の服がうまくあるはずがない。仕方なくその支店に貿易用にあったスカートのドレスを買って着ることになったのだが。
「これは、民族衣装よ」
「婚礼衣装だろう」
「……いや、どこをどう見てもウェディングドレスじゃないわよ」
 パトリーの着ているのは、シュベルク国のものではない、ハリヤ国より北方の国の衣装である。これからどんどん北へ進むから、北の民族衣装を選んだのだ。
 スカート丈はひざより少し下。濃い藍や緑に染められた胸からスカートの中心部。かわいらしい小さい花柄の白い生地が腕全体を覆い、ふわりと手首まで広がっている。胸元から膝までのみの色合いなら藍や緑で重くなりがちなのを、腕の部分の白さが際立って、さわやかだ。そしてスカーフを、髪を覆うように巻いている。
 こんなにかわいらしい衣装にパトリーは違和感が非常にあるが、それは男装の服のほつれや擦れた部分をどうにかするまでの辛抱だ。服と共に裁縫道具も手にし、旅する間などに修繕つもりである。
 それにしても、どこをどう見ても真っ白いウェディングドレスではない。
「民族衣装と婚礼衣装を間違えているのか?」
「いやだから、間違えているというか勘違いしているのはそっちでしょ。ウェディングドレスといえば、真っ白でスカート丈が地面まで長いのが最近の流行というか、もう定番でしょう」
 ウェディングドレスは二、三十年前から純白でごてごてしいものをつけないのが当たり前だ。いくら田舎のシュベルク国出身だと言っても、二、三十年も前のことならすでに分かっている。
 一瞬、オルテスの目が揺らいだ。
「どこをどう間違えるのよ」
 ぷい、とオルテスは横を向く。「ちょっと」と追求してもオルテスは答えない。怒っている風でもない。隠しているが困惑しているような、失敗を悔いているような、そんな表情がかいま見えた。
 ……『失敗』。失敗とは何だろう。ウェディングドレスと間違えたことだろうか。いや、そんなことぐらいで……。パトリーもまた困惑する。
 ためらいがちにオルテスの顔を覗き込もうとしたとき、ばさばさ、とルースが馬車の中を飛び回り始めた。
「きゃあ、ルース!」
「っ、このバカ鳥!」
 馬車内は内部に貿易の品々が置いてあることもあって狭い。その中を縦横無尽に飛び回られたら、どれだけ危険か。顔を覆いながらもびゅんびゅんと飛び回る姿が見える。
 えいや、と捕まえようとしても、早すぎる。
 どったんばったんと、馬車内部で乱闘のようなものが起こり始めて十分後。すばしっこいルースをどうにか捕まえ、外に出す出さないでのことで、再び喧嘩がルースとオルテスの間で勃発した。
 パトリーは再び頭痛がした。


 その馬車が北の国境付近に到着したのは三日後。予想より早いスピードに驚嘆の声を上げたのもつかの間。
 馬車は軍に囲まれた。
 皆同じ鎧。鎧に彫られている紋章はハリヤ国の国旗と同じ。
 正規のハリヤ国軍である。軍国だけあって、軍の力はあなどれない。それに数は十やそこらではない。
 見えたときには、逃げるにはすでに遅かったのである。
 「降りて出て来い」という命令に従うほかない。パトリーとオルテス、それに御者は素直に降りた。ルースは中にいるままだ。
 「並べ」と言われて横に並ぶと、パトリーの姿が影に隠れた。目の前に、馬に乗って男がゆっくりとやって来たためだ。
 見るからに、この場で最も地位が高い男だ。それはこの男だけが馬に乗っていることを見れば分かる。
「頭が高いぞ」
 見下す言葉にオルテスが何か言おうとする前に、腕を引っ張って膝をつかせた。
「ここが国境線だと心得ているだろう。何用だ」
 御者が答える。
「国境を越え、ミラ王国まで貿易をしたく、参りました。我らはスバリオから参りました貿易商人の一行でして」
「ほう、貿易商人。お前たちもか」
 最後のセリフはパトリーたちに向けたものだ。
「はい、そうでございます」
「その姿、ハリヤ国の住人ではないな?」
 質問にはなっていても、それは確認にすぎない言葉だ。ハリヤ国はほとんどが金髪に濃い肌の色をしているという特徴がある。二人とも肌は白く、パトリーは赤みある黒髪、オルテスは藍色の髪、と、特徴と合致しない。
 肌の色、髪の色もあるが、パトリーが北の民族衣装を着ているのも原因だろう。
 少し躊躇して、
「……はい、その通りです」
 とパトリーは答えた。すかさず御者の声が入る。
「といいましても、この者たちも他国から貿易に来た同じ貿易商人で仲間です。スバリオで貿易を行っていることは、この通り書類もございます」
 差し出されたものを一読して、馬上の男は嘗め回すように三人を見る。
「……ふん。不備はないようだな。では、馬車の中身を検める」
 その言葉と同時に、五人の兵士が馬車を調べ始めた。
 実は馬車には多くの貿易の品が積んである。ハリヤ国で栽培されている赤い花・ガリヤラカや、真珠など。馬車の外見がぼろいのは、こういった品々を盗賊などから目立たないようにするためなのだ。
 乱暴に馬車内部や外部を探っているのを、貿易品が壊れないかしら、とパトリーははらはらとしながら心配した。手出しも口出しも出来ないのが辛い。その横でオルテスは剣呑な目でいる。
 一通り終え、兵士がパトリーたちには届かない声で報告する。馬に乗った男はわずかに目を見開く。パトリーは嫌な予感がした。
「……そういえば、お前たちは世界をまたに駆ける貿易会社だそうだな」
「世界をまたに駆けるだなんて、そんな……」
「そのトップは、ハリヤ国外の人間だとか」
 パトリーの目が探るように男を見上げた。
「……はい。そうで、す」
「おまけに女だと言う。本当か」
 パトリーは唇をかんだ。ついている手は震えている。その、嘲りの言葉。そのことが普通とは違う結果をもたらすだろうことに、険しい顔をする。
「はい、間違いございません」
 代わりに答えたのは御者。
「この内部にあるのは我がハリヤ国で手に入れたものばかりだな。それを、我がハリヤ国に、払うべきものも支払わずに国外へ持ち出そうとするのは、容認できんな」
「!! お待ちください! ハリヤ国には、きちんと税金も納め、この国では政府の方針に従って経営しております。払うべきものは、きちんと払っています!」
 パトリーは毅然と述べた。
「それは、ただの貿易会社の場合だ。外国の、小娘がお遊びで。我がハリヤ国の財産を途方もなく安い値段で、奪うも同然に外国へ持ってゆき小銭を稼いでいるようでは、我がハリヤ国国民も怒り狂うものだ。ふん、盗人猛々しい。女がお遊びでやっているものを、我がハリヤ国は寛大にも許しておる。だが、『普通』の貿易会社と同じ扱いを受けよう、同じ税金で許されるなどと、おこがましいにも程がある」
 あまりのことに、御者までも声が出なかった。
 完全に言いがかりである。これらの商品は、きちんと相場の対価を払って買い取ったものだ。安くはない値段。盗人などと、つきつけられる謂れなど無い。
 国がタダで奪い取ってゆく中で、この売買で命をつないでいる人々も少なくない。その商品に更にハリヤ国は莫大な税金を課し、それでも貿易を行えるのは、移動経路・手段、売るターゲット、どのように加工するかなどを苦心して考えたためだ。採算は少ししか取れていないが、順調に少しずつ、少しずつよくなっている。
 他の貿易会社はほとんど忌避するこの国で、莫大な税金を払い貿易を行っているパトリーの会社はハリヤ国にとっても重要であるはずなのに、この扱い。
 まっすぐに、パトリーは丁寧に言葉をつむぐ。
「恐れながら、事実と異なることがございますが」
「我の言葉が嘘だと申すか。お前たちは何様だと思っている」
 何様。パトリーは自分の頬が引きつりかかるのを感じた。
 呆れて声が出ない状態の御者。オルテスは剣に手をかけようとしていた。それをパトリーは押しとどめる。その押しとどめた手が、少し震えていた。
 パトリーは己の感情を律しようと、一度目をつむる。この震えが湿って激しい怒りの為ならば、どれだけよかっただろう。悔しさや悲しさを感じる暇もなかっただろうに。
 騎乗している男は何も気づかずに続ける。
「その税金の代わりとしてだが、我らは軍人ゆえ、そんな花などはいらん。我がハリヤ国に重要なもの、その馬車の馬を『献上品』として貰い受けよう」
 パトリーは歪んだ表情のまま思わず立ち上がった。
「馬、ですって?」
 立ち上がったが、男が馬に乗っている分それでも見上げなければならない。
「どうやら、その馬どもは、すばらしい駿馬ぞろいのようだ。誇るがよい。我がハリヤ国の、立派な軍馬として活躍するだろう」
 パトリーはようやく合点がいった。
 なぜ、こんな無茶な理屈を言い出したのか。
 この馬を、ただで手に入れるため。
 馬は非常に重要なものだ。剣と剣で戦い、陸路の移動手段で馬が最速だという現状において、戦場においても日常でも、なくてはならない。
「お待ちください。この馬は……軍馬としての経験もございません。それに、ここで馬を手放せば、わたくしたちはどのようにしてこの荷を運べばよろしいのですか」
 この国境付近は、街などない。簡単に馬は手に入らないのに、馬なしで荷を運ぶ――冗談ではない。荷も、馬で運ぶことが前提なのに。
 事態の重さのあまり蒼白なパトリーに、男は鼻で笑う。
「そのようなこと。我の知ったことではない」
「……!」
「それは、横暴がすぎるだろう」
 ゆっくりと立ち上がったのはオルテスだった。
「……小僧。何と言った?」
 男は目を細める。パトリーはオルテスの頭を渾身の力で、下げさせた。
「申し訳ありません……! 何でも、ございません」
「………。ふんっ、我がハリヤ国の国民でない者は、礼儀がなっていないと見える。……その方は、我がハリヤ国の国民であったな?」
 男は御者に目を向ける。
「…………。はい」
「お前なら分かっているだろうが、このハリヤ国を守っているのは、我ら軍人であること。その我らに『奉仕』をするのは、当然の義務だ。この国にいる以上、お前らもそれが義務だ。それとも、お前らは他国のスパイか? 歯向かう者へのこの国の法を知っているか?」
 法律は知らない、だが、『結果』は知っている。逮捕と処刑だ。
 皮肉な笑みをオルテスは浮かべる。
「特権階級意識、というやつか。軍人以外は従順に言うことを聞く奴隷だとでも思っているのだろうな」
 パトリーはぎょっとして隣を盗み見たが、男までは聞こえていなかったようだ。
「文句はないな。兵ども、馬を連れてゆけ」
 その通りに、傍にいた兵士たちが馬を馬車から離して連れていった。
「お前たち、さっさと行け」
 と、男は去ってゆく。
 御者とパトリーは呆然としていた。オルテスはさっさと馬車に入る。
「……オルテス。馬がないから、動かないわよ」
「ああ……。これは……中、ひどいぞ」
 え、とパトリーは中をのぞく。すると、兵士たちが内部を乱暴に探索したせいで、泥棒に入られたような有様が広がっていた。
「なっ、これ、ひどすぎるわよ。何よ、これ!」
「この分じゃ、多少盗られていてもおかしくない。後で確認することだな。今はとりあえず、人力でこの荷物を運ぶ、ってことが最優先か」
「……やっぱり、手押しで運ぶしか、ないわよね」
 この北の国境付近は、道も作られている、比較的人通りがある場所。それは、まだ運ぶのにマシ、という程度のことだ。不幸中の幸いに過ぎない。
 御者が前方で方向を定め、オルテスとパトリーが後方で押すことになった。
 車輪がついているのだから、多少は運びやすくなっているはずだが、とてもそう感じられない重さ。車輪は回転しない。
 周囲で兵士たちが笑っている。
 オルテスは冷たい目でちらりと一瞬彼らを見た。
「……あたしが、小娘だから、女だから、こんなことになっているのよね」
「ああ、そうだな」
 全身で、全力で、呼吸を合わせて押す。でも、動かない。動かない。
 息が苦しい。
「だが、それを知っていても、仕事に付き合ってくれる奴らがいるのだろう?」
 は、とパトリーは顔を上げた。
 足に力が入る。
「そこの御者も、スバリオにいた奴らも、他の支店にいる奴らも。おれだって、パトリーがお遊びでこんなことをしているとは思わないさ。軽んじやしない。それではだめなのか?」
「………。オルテス」
 パトリーは首を振る。
 そう。あんな、横暴で、傲慢な言葉に、負けるか。女がお遊びでやっているだなんて、言わせない会社にしてやる。言わせないことをしてやる。パトリーは熱く決意する。
 若いから、世間を知らないから。そう言う人がいても、だから諦めなければならないこともない。
「さっさとこんな国出るぞ」
 オルテスが促す。
 一歩踏み込んで全力で押して、馬車は動き出した。




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