TOPNovel「だから彼女は花束を抱える」Top
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 むさぼるように水を飲んだ。飲みながら、こんなにおいしいものを飲んだのは初めてだ、と思った。そしたら涙がぽろぽろ出てきて、涙を流しながら夢中に水を飲んだ。
 ここがどこかを知るのは、そのしばらく後。


 第3話 翡翠の向く先(1)


「ここは、ハリヤ国……ですか」
 パトリーは現在地に目を剥いて驚いた。
 彼女は充分飲んでお腹いっぱいだが、いまだに隣でオルテスは水を飲んでいる。
「南に、流されすぎちゃったのね……」
 ハリヤ国というのは、中央大陸の中でも海岸部に位置するもので南国でもある。島国シュベルク国とはあまり国交はない。情報は深く知れないが、あまり評判の良い国ではない。
 それは目の前にいる人たちを見ても分かる。
 パトリーとオルテスは漂着した海岸の傍にある家へ、疲労困憊しながら入って、水をもらったのだ。
 家には夫婦と幼い子どもが五人いる。一番上の子どもでも10にはとどかない。その家の住人は、明度の差はあれ、明るい金髪に焼けた肌を持っている。それは、その家族特有のものではなく、このあたりの人のごく普通の外見のようだ。家に置いてある物を見る限り、旦那さんは漁師をやっているらしい。
 この一家は一目見て分かるほど、貧窮していた。ぼろぼろの家。ぼろぼろの服。子どもたちには、生気がない。元気もない。おなかがすいて、赤ん坊が泣いている。
 来る途中、他の家を外から見たが、この家と似たり寄ったりだ。
 ハリヤ国は軍国だ。軍隊が政治を支配し、将軍が国の頂点に立つ。
 その政治は、税を上げるだけ上げて、軍事費に回すとも言われている。税の取り立ても厳しく、国民の大半が貧困にあえぎ、軍のトップがほとんどの富を独占する。
 そういった国の方向性が合わず、パトリーの母国・シュベルク国とは国交を結んでいない。
 ただ、パトリーはこの国とも貿易を行っていて、だから真珠が多く産出されて、熱帯の地域にしか生えない赤い大きな花が多く栽培されていることは知っている。それは、北方で高く売られるのだ。だが、歴史などは勉強不足であまり知らない。
 そんな、華やかなものと無縁な生活をしている家庭を見ると、国民が貧困にあえいでいるというのは本当らしい、と心に留めおく。
「生き返ったな」
 ようやく、たらふく飲んだオルテスは声を発する。
「パトリーはもう、飲まなくていいのか?」
「いいよ、あたしは」
 その代わりのように、ルースが小さな口で水を飲んでいる。この鳥も、水に飢えていたのだろう。
 この家の奥さんが、ちらちらとオルテスとパトリーの姿を見ながら話しかけてきた。
「ところで、ねえ、あなたたち。どこから来たのさ」
「シュベルク国です」
「シュベルク……国?」
 二国で国交を結んでいないため、そして島国シュベルク国は情報が入手しづらいため、シュベルク国の普通の人はハリヤ国をあまり知らない。同じように、ハリヤ国の人もシュベルク国を知らないらしい。
 しかし、名前すら知られていないというのは、シュベルク国人としてパトリーは悲しい気がした。
「えっと……この中央大陸の西側にある島国で、緯度的にここより北の方にあるんです。あとは……とても田舎で、魚料理はおいしいですよ。」
 自分の国というのは説明しにくいものだな、とパトリーは思った。
「シュベルク国の住人ではないが、個人的には、住みやすいところだったな」
 オルテスは付け足すように言う。そりゃあ六ヶ月もいましたものね、とパトリーは心の中で毒づいた。
 奥さんは、ふうん、と気のない返事をして、質問をする。
「その服も、その国では普通なのかい?」
 と、パトリーとオルテスの着ている服を指差した。
「この服は、こちらの心優しいお嬢様からいただいたものだ」
 オルテスはパトリーへ手のひらを向け、指す。
 それは事実だった。盗賊から助けられた礼として、館に招待した後、物として、食事を除いて、彼が受け取ったのは、服だけだった。
 どんな服がいいかと尋ねると、不思議に苦笑したような顔で、「おれが着て普通だと思うような服を選んでくれ」と言って、服を買いに付いて来ることすらしなかった。なので、男性用の服など選んだことのないパトリーは、いろいろと苦労して、館の使用人などに助言を得ながら、なんとか数着の服を買った。
 彼が着ているのはその一着で、フロックコートに黒いズボン、白いシャツにベスト。いたって平凡な服であるが、ベルトで剣を吊ってあるのが異様に見える。いまどき帯刀している人物は少ないし、それにしたって服装と合わない。パトリーが用意した服の中でももっともシンプルで、おそらく動きやすさで選んだと思われる。
「あちらでは、普通の服です。……でも、シュベルク国は島国ですから、こちらより大分、流行おくれなのは分かっていますが。……変ですか?」
 そう言ったパトリーの服装も、オルテスと似たり寄ったりである。チェックのズボン、同じ柄で色遣いが少し違うジャケット。中には白いシャツで、太ももほどの丈の短いマントのようなコートである。小柄で体格が女らしくない為に、少年と見間違われそうだ。髪の毛が短いのもその要因だ。
 女であるパトリーが着ているのは、確かに『変』であるだろう。
「いやね、そんなことではないんだけど……ねぇ。……いやね、外国の服なんか、よく知らないものだから……」
 奥さんは妙に歯切れが悪い。パトリーは首をかしげて自分の姿を見る。
 よく見てみると、ひどい格好をしていることが分かった。裾はほつれ、薄汚れ、ぼろぼろの姿。パトリーは赤面した。人前に出る姿ではない。
 これでは奥さんも言いにくいわけである、と自分で納得したパトリーは、意図的に話題を、差しさわりのない別のものに変えた。オルテスは話に参加せずに、この家の住人を注意深く見ていた。


「ちょっとは話に参加したらどうよ」
 ため息をつきながらパトリーは言った。いつもの責めるような口調ではなく、ごく普通のように薦めている口調だ。
「どうして」
 短い言葉でオルテスは答えて、フロックコートをつるす。
 時刻は更に進み、夜は深まっていた。
 オルテスとパトリーは同じ部屋をあてがわれた。さすがにどうかとパトリーは思ったが、この家でそこまで言うのはどうかと思ったし、一週間ほどボートで一緒にすごしたのだから別にいいか、と気楽に思ったのである。
「せっかく他国まで来てその現地の人と会話する機会があるんだから、話して損はないと思うわよ」
 パトリーは収穫があったと思っている。やはり外からの情報だけではそこの正確な情報は伝わらない。
「話さなくとも、分かることは分かるさ」
「何がよ」
「この家が貧乏だということ」
 パトリーは思わず左右を見回す。オルテスは小さな声で言ったから、おそらく聞こえてはいないが。
「ちょっと、言葉に注意しなさいよ」
「それは失礼。だが、パトリーはそう思わないのか?」
「………」
 無言は肯定の意である。
「それが一番重要だと思うがな。彼らにとっても、おれたちにとっても。おれはここらで何が名産かなんて興味ない。政府のことや軍備のことなら、もっと首都に近いところで聞いた方が正確な情報が入ると思うぞ。こんなところなら、情報が伝わるまでの間にどんなほら話が混じっているかわからない」
「ここが首都から遠くて、裕福でないから、信用できないというのね?」
「裕福だからと言って信用できるわけではないが……あまりに貧しすぎる暮らしをしている人間は信用できない、ってことさ」
「そんなの彼らのせいではないでしょう」
「原因が何かってことは、問題ではないさ。……そろそろ、寝よう。明日は早くに出発するんだろう」
 パトリーとオルテスは、そこから南東の町・スバリオに向かうことを決めている。
 目的地・セラは、北に位置する極寒の国・グランディア皇国の第二の都市である。ここから歩きで行くよりも、馬車を用意して行く方が楽に間に合うので、わざわざ逆方向の南東にある、パトリーの貿易を行う支店のあるスバリオへ向かうことにしたのである。そこには貿易のために何台も馬車があり、貿易会社の社長であるパトリーはタダで使おうとしているのだ。
 その馬車を使えばセラへ早くに到着する計算とはいえ、何があるか分からないのが旅である。そのため、なるべく急いで旅を行くことを決めている。
 パトリーはあくびをしながら、毛布をかける。
「……そうね、眠りましょう。……猜疑心が強いのね、オルテスって」
 そこまで人を信用できないというなら、どうして恩人として館に招待したときに、素直に付いてきたのだろうとパトリーは思った。
「猜疑心……な。まあそうかもしれないが、おれの言い分としては、それは現実を見ていると言うんだ。パトリーは甘すぎるぞ」
「そうかしら」
 それきり、会話はなく、パトリーは眠りに落ちた。平らなところで眠るのは久しぶりだったので、ぐっすりと熟睡した。鳥のルースは、外にある木で眠っている。


 ごくごく小さな声での会話である。
「……おい、やっぱりやめないか?」
「何を言っているのさ、今更」
「しかしなぁ……」
「どうせ、ばれないさ。あんた、ちゃんと見たのかい? あの娘の服! ぱっと見は普通の服だけど、カフスボタンひとつとっても、宝石を使っていたじゃないか! あのコートだって、きっと高く売れる!」
「だ、だがなぁ、こ、殺すのは……」
「ああ、じれったい! 逃がして、それをばらされたら、どうなると思っているんだい! こんないい話、もう二度とないよ。子どもたちを飢え死にさせていいのかい?」
「…………」
「じゃあ、行くよ……」
 二人はそれぞれ包丁を持って、扉を開いた……。
 目の前にはぐっすりと眠る少女の姿。隣には男が……。
「いない?!」
「悪いな、いい話でなくて」
 扉のすぐ横に、男は立っていた。
 二人が驚きで息を呑む次の瞬間、オルテスは剣を抜いて、包丁の刃を切り落とした。
「ひぃ!」
 あまりにもすばやい動きに、二人は戦慄した。
 夫婦は退く。オルテスも部屋を出て、扉を閉じた。
 これなら、パトリーにもほとんど聞こえないだろう。もしかしたらぐっすり眠っていたから、そのままでも何も聞かなかったかもしれないが。
 オルテスはすっと剣を夫の首筋に当てた。そして妻の方には、
「動くな」
 と言って目で制する。
「な、なんでもないんだよ。本当だ、た、ただ、部屋の居心地はどうかと思って、入っただけで……」
 震える声で夫は言う。オルテスは口角を上げて、小さく笑う。
「包丁を持って、か?」
「…………」
 思わず、妻が声を上げる。
「わ、悪かったよ! す、少し魔がさしたんだ。もう、何もしない、本当だよ、だから、夫を助けて……」
「その言葉を信用できると、思うか?」
 オルテスは知っている。言葉での謝罪や反省など、どれほど信用できないか。
 自ら、数多く身を狙われたことのある男の言葉だ。
「運よく漂着した外国人を殺して、金目の物を奪おうとした……。そういう人間の言葉を信じろという。無理な話だな」
「……仕方なかったんだ。税はどんどん高くなる。徴兵の手紙はいつ来るかわからない。どうしようもなかったんだよ。もう、まともに働いても、暮らしていけない。お嬢さんがつけている翡翠の宝石のついたカフスボタンひとつで、この国でどれだけ暮らせるか分かるかい? 子どもたちのためでもあったんだ。でも、悪かったよ、もう二度としない、こんなことはしない。本当に魔がさしたんだ。あんたに、哀れみの心があるなら、許して……夫を助けて……」
 妻は懇願する。夫は何も言えない。命の瀬戸際で、青ざめている。
 オルテスは、剣を引いた。
 夫はすぐに妻の元へ駆け寄って、妻は心配そうに夫の首筋を見た。
「あ、ありがとう……」
「勘違いするなよ。おれは許したわけでも、言葉を信用したわけでもない」
 二人の体は一瞬のうちに強張る。
「ここであんたたちを殺したら、下手したらおれたちがここの政府に追われてしまうかもしれないからな。急ぎの旅路なものだから、それは困る」
 二人は安堵した。
「それにここで、おれたちを襲っても何の利益もないということを言えば、ぐっすり眠れそうだしな」
 妻は、どういうことだ、とオルテスに顔で尋ねる。
「パトリーは、貴族のお嬢様ってことさ。それもシュベルク国だけでなく、他国にまで影響があるほどの。そのお嬢様が行方不明のままなら、探索があるに決まっている。そのとき、あんたたちがやったと知れたら、――いや、おそらく知れると思うが――どんな目に遭うだろうな。そして、あんたたちが、人を殺して周囲に隠し通せられるわけがなさそうってことだ。立場上いろいろと政府の制度について教育を受けたんだが、こういう厳しい国は密告制度があるんだろう?」
 二人はぎくりとした。密告制度とは犯罪者・国に逆らうものを通報すれば、ある程度お金がもらえる。逆に分かっていながら通報しない人や逮捕された人は、家族全員に厳しい拷問・処刑がある。
 オルテスは笑う。
「そして最後にこれが一番の脅しなんだが……もし、おれが密告することを防ぐ為に、再びあんたたちがおれたちを襲うというなら、今度こそ返り討ちにするからな。……そのときこそ、あんたたちがおれを殺そうとしたことを当局にばらす。もちろん、そういう素振りを見せただけでも密告する。子どもたちがその厳しい処刑に遭うことを考えるんだな」
 オルテスはにっこりと笑った。パトリー曰く『人畜無害面』というやつだ。ただ、瞳だけが、思わず何も言えなくなるような迫力のあるもので、翡翠の瞳の色が、夜の闇の中でぎらりと輝いた。
 その後、オルテスはぐっすりと眠った。パトリーも、熟睡していた。




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