奪ふ男

ジョーカー 3−4 (1/3)
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 それは小さな取るに足らないことだった。
「智明、母さん半年ほど海外に行くから」
 遅くに帰って来た母さんは開口一番こう言った。
 仕事の関係で北欧で学んだり働いたりするらしい。父さんには話し済みで、最後に告げたのが僕なんだろう。
 出発は一週間後。急に決まったのではなく、優先順位の低い僕に言うのが遅すぎただけに違いない。
 ばたばたと忙しそうに荷物を集める母さんに、
「わかった」
 とリビングのソファの上で雑誌を読みながら答えた。
 答えるまでの間何を考えていたかというと、家庭訪問や三者面談での良い断りの口実ができたな、ということだけだった。


 だからといって何が変わるわけもない。
 普通に僕は生活し続けた。ルリと登下校を共にして、ルリと同じクラスで勉強する。
 ルリとのことは順調だった。
 時間の限りルリと一緒にいるようにしている。
 ルリは、演技じゃないかと疑っていた頃と変わらず、僕が笑顔を向けると静かに微笑んでくれる。静かに、控えめに、瞳の奥に深い色をたたえて、どこかずっとずっと遠い場所を見るように。
 そんなある日のこと。
 放課後を迎えるとすぐに、ルリは急いでカバンに教科書などを詰め込んでいる。
「ルリ、一緒に帰ろう」
「ごめん、すぐに帰らなきゃいけないから」
 そう言ってすぐさま教室を出て行く。
 家同士が近いのだから、急ぐなら僕だって急いだのに……。

 けれど、次の日もルリは急いで教室を去り、また次の日も同じだった。
 部活動も休んで、ルリは学校をすぐに出て行く。
「デートじゃないかなあ」
 そんな余計なことは西島は言い、イライラとさせた。
 こんな調子でルリがさっさと放課後にいなくなるのを見るのも、西島の発言で心を迷わされるのも悶々とするのも、まだるっこしい。
 もっとすぐにわかる方法がある。
 単純に、ルリの後をつければいいだけの話じゃないか。自分で確かめるのが一番だ。
 最も名案に思えて、すぐにそれを実行した。
 やはりその次の日も早くにルリは学校を出たから、気づかれないように後を追った。

 ルリは学校の門を出てすぐの交差点で、家とは別方向に曲がった。
 どこに向かうというんだ?
 まさかまたバイトを始めたのか? 去年していたバイトはやめたらしく、その後バイトをしたいともするとも聞いていなかったけれど……。
 一定の距離を離れて追うけれど、どうも本当に急いでいるらしい。結構早足で歩いている。
 三十分以上歩いてたどりついたのは、病院だった。大きな病院で、内科だけでなく、いくつもの科がある。
 ……ルリは病気なのか?
 不安が胸に巣くい始める。
 急いで病院の中に入る。受付のロビーは広くて、ルリの姿が見えないか見回していたところ――
「智明? どうしたの、病気?」
 当の本人であるルリに見つかってしまった。ああしまった。もっと日頃から尾行に慣れておくべきだったな……。
「熱でもあるの? 学校では元気そうだったけど、無理してたの?」
 ルリは澄んだ黒目で僕を見やり、僕が病気なのかと心配してくれている。心配そうなその表情を見ると、僕の心が満たされてゆく。
 僕のことを考えて、僕のことを心配してくれているんだね?
 嬉しい。嬉しいよ。
 でも。
「そう言うルリは? 病院に来るってことは、病気なんだろ?」
 僕の心配をしてくれるのはすごく嬉しいけれど、ルリの方こそ心配だ。

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