奪ふ男

ジョーカー 3−3 (1/4)
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 うっすらとルリの唇が開く。言葉は出てこない。
「こんなのは嫌だ」
 そう言うと、ルリの瞳が動き、すぐ目の前にいる僕でなく周囲に目を向ける。
 目を背けられたようで、それがひどく嫌だった。
 ルリの顎に手をやり、僕の方へ顔を向けさせる。
「他のものは見る必要なんてない」
 ルリと目を合わす。布ずれの音すらせず、二人の息の音だけがあった。
「……なにが、嫌なの」
 声は小さかったように思う。だけどよく聞こえた。
「形だけの仲直りなんて嫌だ。形だけ仲良くなったって、意味がない」
 ルリは柳眉を寄せ、考え込む。その思案の結果を口にした。
「誰かに言われた? 私の態度が悪かった?」
「他のやつらなんて関係ない。僕が、嫌なんだ」
 大事なところを強調する。
「形だけ仲直りしたって、心の奥底で何を考えているのかって、いつも悩むだけだ。正直なことを言ってほしい。だからって、前のように無視をされるのだって嫌だ。あれはもうごめんだ。以前のように、心からのルリの笑みを見たい。以前のように、本当の意味で仲良くしたい」
「……本気で言ってる?」
 あきれたような言葉が返ってくる。
「ワガママすぎるよ。確かに智明がワガママだってことはわかっていたけど。それにしたって」
 この望みが何だろうと、僕はもう耐えられない。
「無茶なことを言うね。智明はこう言っているの? 私に、心から、智明のことを許せって」
「そうだね」
 つまりはそういうことなのだろう。肯定したら、ルリの顔がこわばる。
「ずいぶんと簡単に言ったね。……どうして私が許さなきゃいけないの。何のために、誰のために。他の人は関係ないんでしょ」
「僕のためにだよ」
「…………。じゃあ、私が、智明のことを許して、前のように心から仲良くするとして。智明は何かしてくれるの」
 何か――? 代償を求められることは、想定していなかった。
「私にとっては簡単なことじゃない。じゃあ、智明はそれに見合うようなことをしてくれる? たとえば――二度と誰とも付き合うなって言ったらできる? プライドを捨てて私の足を舐めてって言ったらできる?――できないでしょ。智明が言ったのは、それぐらい、私にとっては難しいことなんだよ。だからそんな無茶はあきらめて。私にはできないから――」
 僕はルリのおとがいに掛けていた手を離す。そして身体を引き、割り入れていた膝も引く。
「わかってくれたなら、よかった」
 静かな、どこか落ち込んだような声がする。
 それを機に、ルリは視線を外し、腰を引いて体勢を立て直す。座った状態になって、そしてマットに手を置いて立ち上がろうとしたとき、再びルリの体勢が崩れた。
「! 智明、何……」
 僕は立ち上がりかけたルリの片足に手を掛け、持ち上げていた。
 無論のこと、片足がそんな状態で立てるわけがない。
 スリッパをはぎ取ると、ルリの足を隠すものは付け根のスカートだけとなる。ハイソックスなんかは、きっとこのプールのある建物の玄関口で履こうと思ったのだろう。だからそれを脱がす手間が省けた。
 白い足は、色めいた脚線を描いている。くるぶしのあたりを撫で、そのまま下へ、かかとを包むように指をたどらせる。
「と、智明」
 うわずった不安そうな声が前から聞こえてくる。だけど顔は見えない。
 なぜなら、僕は顔を、まるでガラスの靴を待っているシンデレラのようなルリの足へ近づけていたからだ。

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