奪ふ男

ジョーカー 3−1 (4/5)
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「藤城さんをたぶらかしたんでしょう。迫って、口説いて、キスでもして、言わせたんでしょう」
 ルリの眼の色がすっと濃くなった。
「僕は本当に何も知らない」
「嘘」
「何も知らない」
「……っ」
 何かを言いかけ、うつむいてルリは目許を押さえた。そしてくらりと身体を傾がせ、倒れそうになったところを棚に手をつく。
 ぞっと背筋に冷たいものが走った。すぐに近寄る。
「眩暈? 頭痛は?」
「……ただの、立ちくらみ」
「病院行くよ」
「そんな大げさな。最近寝不足で疲れてるだけなのに」
「大げさじゃない。言われただろ。頭の傷は、数ヶ月後に後遺症が発症することだってあるって」
 それでもルリは渋っていたけれど、強引に僕は病院へ連れて行った。


   *   *


「言ったじゃない。ただの立ちくらみだって」
 病院から帰るバスの中で、嘆息しながらルリは言った。
 バスから見える空はすでに雨もやみ、太陽が沈み、真っ暗だ。
 病院に行った結果、本当にただの立ちくらみだったみたいだ。
「本当に何ともなくてよかった。……でも、同じ事があったら、僕は次も病院に連れて行くよ」
 座っているルリに、つり革に手を預けながら告げると、ちらりとルリが僕を見上げた。
 顔色も悪くは見えない。
 ……そういえば、何の話をしていたんだっけ。
 ああそうだ。わけのわからないやつがルリに変なことを言った、って話か。ルリの手紙で呼び出されて……。
 思い出して、おもわず吹き出した。
「何がおかしいの?」
「ああ。ちょっと思い出して」
「何を?」
「……実はね、僕は、ルリの手紙を、告白のための呼び出しだと思っていたんだよ」
 そんな勘違いをしていたことが少しおかしくて、と続けた。
 ルリは瞑目して息をのんだ。
 僕は艶然とした笑みを見せ、小さくつぶやいた。
「そうだったらよかったのに」
 信号で停まっていたバスが走り始める。停留所が近いのか、低い声のバスのアナウンスが流れた。まだ僕たちの降りる場所までは遠い。
「智明は、ずるいね」
 窓から外を見ながらルリが言った。窓に映るルリは、昔を想うように遠くを見、ほろ苦いものをこらえているように唇を噛みしめていた。
 それも一瞬で、僕に振り返るときにはそんな表情は消えていた。だから、そんな表情は一瞬の錯覚じゃないかと思えるほどだった。
「……今日、私が言いたかったのは、もし藤城さんを使って私に言わせるんだったら、他人を入れずに、私に直接言ってってこと。違うなら、これはいいよ。それから、もし私の態度がクラスの雰囲気を悪くしていたのなら、そのことだけは謝る。ごめんなさい」
 丁寧に頭を下げ、ルリは続けた。
「だから、これからは無視するような真似はしない。話しかけないでとも、もう言わない」
 一瞬の驚きと、歓喜が胸に駆け上がってきた。
「私だって、感情を殺して話したくない相手とだって話せる」
 遮るように告げた言葉は、水を掛けるようなものだった。
「無視をするのが子供の対応だというなら、大人の対応を取る。笑顔で挨拶もする。受け答えもする。ただのクラスメイトとして不自然な対応はしないよう振る舞う。周囲に気を遣わせたり、空気を悪くするようなことはしない。……これで、いいでしょう?」
 ルリが、反論を許さない問いを向ける。
 だって。
 それじゃあ。
 そんなのは。
 ルリの、心は。

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